なぜダイバーシティ推進策が意図せざる結果を生み出してしまうのか

昨今、多くの企業が、自社組織のDE&I(ダイバーシティ、エクイティ&インクルージョン)を促進するためのダイバーシティ推進策を実施しています。ダイバーシティ推進策が狙いとするところは、企業におけるマイノリティ従業員(女性や少数人種、少数民族など)の数を増やすことで「ダイバーシティ」を高めること、マイノリティ従業員が被るキャリア上の不公正や不利益(差別や阻害)を是正し「エクイティ」を高めていくこと、そしてマイノリティ従業員を組織に包摂することで「インクルージョン」の度合いを高めることです。しかし、企業が行うダイバーシティ推進策が、意図せざる結果を招いてしまうことがしばしば報告されています。Leslie (2019)は、なぜ企業のダイバーシティ推進策が意図せざる結果を生み出してしまうのかの既存の研究などを整理した上で、そのメカニズムを理解するための統合モデルを構築しました。

 

Leslieによれば、企業が行うダイバーシティ推進策には、組織内においてアンコンシャス・バイアスをなくしていくよう働きかけるような非差別的施策(ターゲットを特定しない施策)、特定のマイノリティ従業員に対する支援や機会を高めたりするリソース的施策(ターゲットが明らかになっている施策)、そして、ダイバーシティの達成状況を監視し、それに対して責任を持とうと働きかける責任施策などに分かれ、これらは、マイノリティ従業員に対する差別や不利益を是正し、組織内でのマイノリティ従業員の割合を高めていくことを狙いとしています。しかし、これらのダイバーシティ推進策は、推進主体としての組織のリーダーが意図していなかったようなシグナルを従業員に送ることになり、そのシグナルを感じ取った従業員がそれに反応することで、もともとダイバーシティ推進策が狙いとしていたこと(リーダーが意図していたこと)とは異なる結果をもたらしてしまうのだとLeslieは論じます。

 

Leslieのモデルでは、ダイバーシティ推進策がもたらす意図せざる結果を、それがネガティブなものかポジティブなものか、意図していたものに影響を与えるものか、意図していなかったことに影響を与えるものかによって4つに分類しています。1つ目は、「バックファイヤー(裏目)」というもので、ダイバーシティ推進策が逆にマイノリティ従業員への風当たりを強めてしまったりマイノリティ従業員の数を減らしてしまったりとダイバーシティ推進を阻害してしまう結果を指します。2つ目は「ネガティブな波及」で、これはダイバーシティ推進策がターゲットとしていないマジョリティ従業員のエンゲージメントを下げてしまうような意図していないものへの影響を指します。1つ目と2つ目は、ダイバーシティ推進策が生み出す意図せざるネガティブな結果です。3つ目は「ポジティブな波及」で、逆に、ターゲットとしていないマイノリティ従業員のエンゲージメントや倫理観を高めるといった影響を指します。4つ目は「間違った進歩」で、本質的な改善を伴うことなく、形だけ目標数値が達成されていくような状況を指します。3つ目と4つ目はダイバーシティ推進策が生み出す意図せざるポジティブな結果です。ただし4つ目は見た目だけポジティブで本質的にはポジティブといえません。

 

では、Leslieの統合モデルを用いて、ダイバーシティ推進策がどんな(意図せざる)シグナルを従業員に与え、その結果、どんな意図せざる結果が生み出されるのか説明しましょう。ダイバーシティ推進策が発するシグナルには4種類あります。1つ目は、「マイノリティ従業員は支援を求めている」というシグナルです。重要なのは、本当はマイノリティが支援を求めているかどうかは不明だし、組織のリーダーもそれを意図しているわけではないということで、あくまで、ダイバーシティ推進策を知った従業員がどのようなシグナルを感じ取っているかということなのです。組織の従業員がこのようなシグナルを感じ取ると、彼らは、マイノリティ従業員は脆弱であるという印象を持ってしまい、それが逆にマイノリティ従業員の実力も低いというバイアスにつながり、彼らに対する差別や、彼らのパフォーマンスを阻害してしまうのです。つまり、ダイバーシティ推進策が、「マイノリティ従業員は支援を求めている」というシグナルを介して、意図せざるバックファイヤー(マイノリティ従業員に対する差別やパフォーマンス低下を促進し、ダイバーシティ推進を阻害する)結果になってしまうというのです。

 

ダイバーシティ推進策が与える2つ目のシグナルは、「マイノリティ従業員はこれから成功していくだろう」というものです。つまり、組織としてマイノリティ従業員を優遇し、マイノリティ従業員に優先的に機会を与えていくというシグナルであるわけです。これを受け取ったマジョリティ社員は、自分達の成功や機会が抑制されると感じ、この推進策が自分達の犠牲のもとに成り立っているという逆差別感、不公正感を抱くようになります。これは、マジョリティ従業員が組織に対するエンゲージメントを下げてしまう原因にもなるし、マイノリティ従業員に対してネガティブなイメージをもち、敵対的になったり辛く当たったりすることにもつながります。つまり、ダイバーシティ推進策が、「マイノリティ従業員はこれから成功していくだろう」というシグナルを介して、意図せざるネガティブな波及(マジョリティ従業員のエンゲージメントの低下)やバックファイヤー(マイノリティ従業員に対する差別やパフォーマンス低下)につながり、ダイバーシティ推進を阻害してしまうのです。

 

ダイバーシティ推進策が与える3つ目のシグナルは、「当社は倫理観を大切にしている」というものです。これはまず、ダイバーシティ推進とは関係なく、マジョリティ従業員の倫理的な行動の促進につながっていきます。つまり、意図せざるポジティブな波及が起こりうるということです。一方、倫理性を大切にするというシグナルは、「表立ってはマイノリティ従業員を差別しない」というマジョリティ従業員の心理状態を高め、それは逆に、表立たない程度に些細な形でマイノリティ従業員を差別するという行為につながる可能性を高めます。ただ、些細な形の差別であっても、マイノリティ従業員に大きなダメージを与えうることはわかっているので、意図せざるバックファイヤーにつながるわけです。つまり、ダイバーシティ推進策が、「当社は倫理観を大切にしている」というシグナルを介して、意図せざるポジティブな波及(マジョリティ従業員の倫理的行動を高める)やバックファイヤー(マイノリティ従業員に対する差別やパフォーマンス低下)につながるのです。

 

ダイバーシティ推進策が与える4つ目のシグナルは、「ダイバーシティ目標を高めていくことに価値がある」というものです。これは、ダイバーシティを高めるということが外発的動機付けとなり、「見た目のダイバーシティを高めていけさえすれば良いだろう」という発想につながってしまいがちです。外発的に動機付けられたマジョリティ従業員は、とりあえずマイノリティ従業員を昇進させておこう、といったように場当たり的もしくは小手先の方法で形だけダイバーシティを高めようとするので、実質的な改善を伴わない間違った進歩を招いてしまうのです。外発的動機付けは、内発的動機付けを阻害してしまう効果もあるので、マジョリティの従業員は、本質的に組織のダイバーシティの課題を改善していこうとする内発的動機を持たなくなってしまいます。つまり、ダイバーシティ推進策が、「ダイバーシティ目標を高めていくことに価値がある」というシグナルを介して、意図せざる間違った進歩(見た目だけダイバーシティを高め、実質的な改善を伴わない進歩)につながるのです。

 

さて、企業が行うダイバーシティ推進策にも色々ありますが、特定のマイノリティ従業員に対する支援や機会を高めたりするリソース的施策が多く含まれたダイバーシティ推進策は、「マイノリティ従業員が支援を必要としているから、マイノリティは優遇され、ゆえに当社で成功する」という強いシグナルを発することになりがちです。そうすると、意図せざるバックファイヤー(マイノリティ従業員に対する差別やパフォーマンス低下を促進し、ダイバーシティ推進を阻害する)や、意図せざるネガティブな波及(マジョリティ従業員のエンゲージメントの低下)を誘発し、ダイバーシティ推進を阻害してしまう可能性を高めると言えます。一方、組織内においてアンコンシャス・バイアスをなくしていくよう働きかけるような非差別的施策(ターゲットを特定しない施策)が多く含まれたダイバーシティ推進策の場合には、「当社は倫理観を大切にしている」というシグナルを強く発することにつながり、それが意図せざるポジティブな波及(マジョリティ従業員の倫理的行動を高める)をもたらすと同時に、意図せざるバックファイヤー(マイノリティ従業員に対する差別やパフォーマンス低下)にもつながると言えます。

 

さらに、ダイバーシティの達成状況を監視し、それに対して責任を持とうと働きかける責任施策が多く含まれている場合、「ダイバーシティ目標を高めていくことに価値がある」というシグナルを強く発するので、意図せざる間違った進歩(見た目だけダイバーシティを高め、実質的な改善を伴わない進歩)につながると言えます。今回説明したようように、ダイバーシティ推進策が、意図せざる結果につながる可能性と、なぜそうなるのかのメカニズムを組織のリーダーがあらかじめ知っておくことは、そういった意図せざる(とりわけネガティブな)結果を防ぎつつ、ダイバーシティ推進策が本来狙いとしている意図的な結果につなげるためのマネジメントを行う上で重要だと考えられます。

参考文献

Leslie, L. M. (2019). Diversity initiative effectiveness: A typological theory of unintended consequences. Academy of Management Review, 44(3), 538-563.

 

女性活躍推進が簡単には進まないメカニズム

日本の企業社会はかつてから男性社会だと言われ、ジェンダーギャップ指数においても世界中で最下層グループに属するなど、社会的に重要なジェンダー平等については不名誉な立場にあります。その挽回の狙いも含め、女性活躍推進の動きは加速しつつあるように思えます。しかし、世界全体で見てもとりわけ企業社会は男性優位の社会であることは間違いなく、労働者の割合的に男女が均衡している場合でも、管理職やトップに近づくほど女性が少ないという現状があります。ジェンダー平等が簡単には実現されない理由の根幹には、私たちが男性や女性を判断する際の心理的な働きである「ステレオタイプ」というものがあります。ジェンダーに関するステレオタイプが、いわゆる「アンコンシャス・バイアス」につながり、それが女性差別などにつながっていると考えられます。Heilman, Caleo & Manzi (2024)は、ジェンダーステレオタイプがバイアスや差別につながるメカニズムを以下の通りモデル化して解説しています。

 

Heilmanらの理論モデルでは、「男性はこうだ」「女性はこうだ」というように男女が本来有しているとイメージされる特徴を示す「記述的ステレオタイプ」と、「男性はこうあるべきだ」「女性はこうあるべきだ」という男女のあるべき姿や社会的な行動規範を示す「規範的ステレオタイプ」の2つがあります。それぞれが別ルートをたどって人々のバイアスのかかった評価や判断につながり。それがジェンダー差別を生み出すとされます。まず、「男性はこうだ」「女性はこうだ」という記述的ステレオタイプは、ビジネスや企業社会における職業や地位などのステレオタイプと比較され、その人が特定の職業や仕事に合っているか、向いているかがバイアスがかかった形で判断されがちです。女性の場合、特定の職業や仕事が男性的な特徴を持っているために、その仕事とフィットしないと判断され、その結果、採用時の判断、仕事での評価、昇進ための評価などで男性よりもネガティブに評価・判断され、それが女性が昇進できないといったガラスの天井などの差別につながります。

 

もう少し詳しく説明しましょう。記述的ステレオタイプの代表例は、男性は主体的であり、女性は共同的であるというものです。主体性のイメージをブレイクダウンすると、競争力がある、野心的である、支配的である、勤勉である、自立している、といった特徴が含まれます。共同性のイメージをブレイクダウンすると、温かみがある、倫理的である、誠実である、忠実である、気配りできる、社交的であるといった特徴が含まれます。大事なことは、特徴が異なるといっているだけで男性のステレオタイプがこのましく、女性のステレオタイプが好ましくないということではないということです。男性にも女性にもネガティブなステレオタイプがあります。例えば、男性のステレオタイプには、高慢、攻撃的、自己中心的といった特徴が、女性のステレオタイプには、受動的、文句が多い、媚を売るといった特徴があります。また、男性には共同性が欠けている、女性には主体性が欠けている、というステレオタイプもあります。重要なのは、特定の職業や地位、とりわけ社会的な地位が高い職業などに男性的なステレオタイプが張り付いているケースが多いために、男性とのフィット感が強く、女性とのミスフィット感が強くなりがちであるということです。

 

例えば、企業のトップ層、軍隊、科学・技術・工学・数学(STEM)、起業家などは、男性的なステレオタイプが付随しています。なぜならば、例えば企業のトップ層や起業家の仕事は、主体的で、権力志向・支配的で、野心的、自立、自信家といったイメージがありますし、STEMは男性が得意な科目であるというイメージがあります。軍隊も競争的で肉体的で力強いというイメージがあります。このような職業に女性が就くと、職業のステレオタイプと女性のステレオタイプがマッチしないために違和感を抱いてしまいます。単に男性ばかりで女性が少ないという職場でも、職場イメージが男性的ですから、そこに少数の女性が混じると、普通ではないという印象を与えてしまうのです。このようなミスフィット感によるバイアスの影響が強く出てしまうのは、その職業や仕事における評価基準が曖昧なときです。例えば、企業の採用、業績評価、昇進決定などにおいて、その基準が仕事の出来栄えや能力といったように明確であるならば、その基準によって判断すれば、男女間で大きな実力差がなければ、男女平等になるはずです。しかし、評価基準が曖昧な状況では、主観が大きく働いてしまい、(しばしばアンコンシャスに)女性はこの仕事とフィットしていないと思っているから「その女性は能力が低い、仕事ぶりが良くない、向いていない」という判断になってしまうわけです。

 

次に、ステレオタイプがバイアスや差別につながるもう1つのパスである、「男性はこうあるべきだ」「女性はこうあるべきだ」という「規範的ステレオタイプ」が影響するメカニズムについて説明しましょう。これについては、例えば、女性はこのように行動すべきだ(控えめであるべきだ、人当たりが良いべきだ、気配りができるべきだなど)といった規範的ステレオタイプに沿った行動を女性がとらない場合、その女性は社会的な規範に違反していると判断され、罰を受けることになります。これはバックラッシュと呼ばれます。同様に、女性はこのように行動すべきでない(野心的であるべきでない、断定的であるべきでない、威圧的であるべきでないなど)という行動を女性がとると、その女性も社会的な罰を受けます。また、男性的な職業や仕事において女性が活躍するだけでも、(しばしばアンコンシャスなレベルで)女性は活躍すべきでないという規範的ステレオタイプが発動して社会的に罰せられます。例えば、成功するための行動に男性的なイメージがつきまとう企業のトップマネジメントに女性が登り詰めてかつ成功を収めると、その女性は、女性がするべきことをせず、女性がするべきでないことをして成功したというようなバイアスによって否定的に捉えられ、嫉妬や妬みの対象にもなりやすくなります。能力を発揮して成功すると女性らしくないと批判され、能力を発揮できないと女性だから成功しないと批判されるような状況はダブルバインドと言われます。

 

以上をまとめると、ジェンダーに関する記述的ステレオタイプは、それが男性的なイメージがこびりついた多くの職業や仕事とのミスフィット感を生み出し、それが女性をネガティブに評価するバイアスにつながって実際に女性差別が生じるというメカニズムが存在します。一方、ジェンダーに関する規範的ステレオタイプは、女性がその職業や仕事に求められる行動をしたときに、女性がするべき、するべきでないという社会規範に沿った行動をしていないと判断され、それが女性を不当に扱う差別につながるというメカニズムが存在します。これらがあちこちで起こっているために女性活躍推進を妨げる障害として働くわけです。では、このようなメカニズムの理解を、女性活躍推進にどう活かしていけば良いでしょうか。それには、記述的・規範的ステレオタイプがバイアスや差別につながるメカニズムは、職業、仕事、職場の特徴や、仕事上求められる行動に男性的なイメージがつきまとっていることが大きな原因なので、それを取り除いていくことが肝要となります。例えば、単純に職場の女性の数を増やすだけでもその職場の男性的なイメージが払拭されていきます。また、それらの職業や仕事を記述するときに男性的な表現を使わない、逆に、女性的な要素を加えていく、といった方法も考えられます。さらに、採用、業績評価、昇進判断などでより客観的で明確な基準を設け、ステレオタイプが入り込む余地をなくしていくことも重要でしょう。

 

また、女性自身が、バックラッシュダブルバインドから自分の身を守るために、男性的なイメージのある行動と、女性的なイメージのある行動をうまく使い分け、適宜印象操作も行いながら、バランスをとっていくというのも考えられます。女性だけがそのような苦労をしなければいけないというのは理不尽かもしれませんが、男性社会がすぐには変化しない中で活躍していく女性が増えることで、結果的に男性社会の撲滅に寄与していくためには有効な行動だといえるかもしれません。

参考文献

Heilman, M. E., Caleo, S., & Manzi, F. (2024). Women at work: pathways from gender stereotypes to gender bias and discrimination. Annual Review of Organizational Psychology and Organizational Behavior, 11, 165-192.

 

透明性の高い賃金制度が不透明な特別扱いを増加させるメカニズム

風通しの良い組織風土とか透明性の高い経営施策の重要性は、経営学でも再三にわたって指摘されてきました。人的資源管理において透明性が議論になる施策の1つが、従業員が受け取る賃金の決定です。先行研究においても、賃金に関する透明性には、賃金決定プロセスの透明性、賃金水準の透明性、従業員同士が賃金に関して情報交換を自由に行える透明性といった3種類の透明性があり、これらの透明性が従業員間の公正知覚を高め、組織への信頼感を高め、職務満足度も高めるなど、賃金制度の透明性を高めることは経営にとって良いことづくめという論調のものが多くありました。賃金に関わらず経営施策の透明性がいいことばかりもたらすのであれば、もっと透明性の高い経営であっても良いはず。しかし、現実の企業経営の状況を見てみると必ずしもそうとは言い切れず、透明性を高めようという掛け声は聞いても、不透明感は依然としてなくならないと考える人も多いのではないでしょうか。

 

これに関して、Wong, Cheng, Lam, & Bamberger (2023)は、透明性を知覚する受け手である従業員の反応にばかり焦点を当てた先行研究は、経営の現実の一側面しか見ていないと批判します。とりわけ先行研究に欠けているのは、透明性を実施するマネジメント側の視点です。マネジメントが、施策の透明性を高めることで従業員から生じる反応に対してどう反応するか。この相互作用を考慮しなければ、現実のマネジメントで生じているメカニズムを深く理解することはできません。そこでWongらは、マネジメントとしてある施策で透明性を高めることは、実は、別の施策での不透明性を高め、結局のところマネジメントでの不透明性というのは対象となる施策が別のものに移動するだけでなくならないということを示唆します。それはなぜかというと、マネージャーは、自分が行うマネジメントの「匙加減」が透明になればなるほど、いい塩梅で匙加減をすることが困難になってしまうため、不透明な部分を残しておきたいというニーズがあるからです。

 

賃金制度に焦点を当てて、上記の「透明性が別の不透明性を生み出す相互作用のメカニズム」を説明しましょう。賃金制度の運用における「匙加減」とは、例えば、マネジャーが、この人についてはやる気を出してもらうようにちょっと多めに昇給させよう、一方、あの人の賃金は少し抑えても大丈夫だろう、というように賃金決定の基本的な考え方からのちょっとした逸脱や例外をうまく活用しながら賃金を決定していくような方法を指します。社内において従業員がもらっている賃金の状況把握が不透明な状況では、誰がどれくらい、どのような基準で貰っているのかがよく分からないので、多少の逸脱とか例外があってもそれほど目立つことなく、なんとなくマネジメントができるようになります。つまり、メンバーの評価や賃金の決定を通して、ましな言い方をすれば「良い塩梅で」、悪い言い方をすれば「だましだまし」マネジメントを行うということになります。

 

では、賃金制度の運用において、経営学では賞嘆されて理想とされている「透明性」を企業として高めていくとどうなるでしょうか。透明性が高まると、誰がいくら貰っているか、それはどう決まるのか(例えば、成果主義であれば賃金決定の評価基準)といったことが公開されてクリアになるので、組織やチームのメンバーは、お互いを比較することも可能になります。それによって公正感、信頼感、満足度が高まるというのが先行研究で示唆されてきたことなのですが、賃金制度を運用するマネジャーの立場で考えるとどうでしょうか。実は、自分の匙加減も含めて、全てがオープンになってしまうと、自分の手の内を全て明かしてしまうことになるので、匙加減もやりにくくなります。なぜならば、匙加減をする中でルールから逸脱しているとか例外であるとがすぐに分かってしまうからです。

 

そんな中で、たくさん賃金を貰う人、そうでない人といったようにメンバー間に賃金の差をつけようとすると、大変気を使いますし、全てが見られているという感覚にも陥りますし、さまざまなリスクを感じるようになります。例えば、少ししか貰っていない人は多く貰っている人に嫉妬するかもれない。そうなるとチーム内でコンフリクトが起こってメンバー間の調和が保てなくなるかもしれない。そのようなリスクを感じるマネジャーは、リスクを回避するために、賃金決定においてメンバー間に差をつけなくなるようになります。つまり、どちらかというと平等に賃金を配分するようになるのです。成果主義実力主義の賃金であれば、同じ職位であっても、働きぶりが良い人、そうでない人でもらう賃金に差が出るように設計されます。そして、このような賃金制度は一般的に公正だと考えられます。しかし、これまで述べて来たことを整理すると、企業として、賃金制度の運用の透明性を高めれば高めるほど、従業員間の賃金格差が縮小し、あまり差がつかなくなると予想されるのです。

 

では、今度は賃金を受け取る従業員の立場で考えてみましょう。賃金制度やその運用の透明性が高いことは良いことだとしても、企業内の賃金格差がなくなってくると、とりわけ自分は努力している、実力がある、成果を出していると自負している人々にとっては不公正感の高まりや不満材料となってきます。しかし、そのような人たちは、自分の賃金をもっと高めてほしいと大っぴらに言えません。もしマネジャーがそれを受け入れてその人々の賃金だけを増やしたら、例外扱いになってすぐに他の人に分かってしまいます。それは混乱の元になるので、賃金をもっとあげてほしいという交渉は受け入れられないでしょう。従業員もそれは分かっています。ではどうするかというと、賃金以外の要素で納得がいくような処遇をしてもらうようマネジャーと交渉するようになるのです。このような処遇・扱いを、経営学では「特別扱い Idiosyncratic Deals: I-deals」と呼んでいます。例えば、自分だけ休日を少し多くしてほしい、経費をたくさんつけてほしい、希望する仕事を与えてほしい、といったようにお願いするようなものです。

 

特別扱いだと、賃金制度ほど透明性がないので、自分がどのような特別扱いを受けているのかがわからないように「こっそりと」お願いすれば他の人もわからなかったりしますし、マネジャーも、「こっそりと」特定の人だけ特別扱いすることでマネジメントがうまくいくのであれば好都合です。手の内を明かすことなく匙加減を使って行うマネジメントができるわけです。ですので、メンバーから特別扱いの交渉を持ちかけれた時、それでマネジメントがうまくいうのなら都合が良いとばかりにそれに応じがちになるのです。これらをまとめると、賃金制度やその運用の透明性が高まると、メンバー間の賃金格差が縮小されてくる。そうなると、実力があるとか成果を出していると自負しているメンバーの不満は高まり、彼らはそれを補うために賃金以外の不透明な部分で厚遇を得ようと特別扱いしてもらうようマネジャーと交渉する。マネジャーはそれに応じることで不透明な匙加減を駆使したマネジメントができるようになるのでリクエストに応じる。その結果、不透明な特別扱いが企業内で増加することにつながるのです。

 

以上をまとめると、賃金制度とその運用の「透明性」を高めることが、賃金以外の特別扱いを通した「不透明性」を高めるというメカニズムが存在していることがわかります。元々、賃金制度やその運用についてなんらかの不透明性が存在していたという仮定を置くならば、透明性を高めることでその不透明性を消そうとしても、実はその不透明性は消えず、対象を変えた形で、すなわち特別扱いという別の様式によって、再び姿を現すいうことになります。企業内での諸施策の不透明性はなくならない。特定の施策において不透明性を無くそうとしても、不透明性の対象が他のものに移動するだけだということです。Wongらはさらに、このようなメカニズムは、集団主義が浸透している組織において特に顕著であると論じました。なぜならば、集団主義の組織ほど、メンバーは自分と同僚を比べて判断したり行動したりします。ですから、賃金制度の透明性が高まって組織内の賃金格差がなくなってくると、それに不満を持つメンバーは、是正して納得がいく分だけ処遇を高めてもらうような行動を表立ってはしにくいため、マネジャーに「こっそりと」特別扱いをお願いするようになりやすいと考えられるからです。

 

Wongらは、上記のようなメカニズムを、実験とフィールド調査によって検証し、理論や仮説を支持する結果を得ることができました。組織において透明感が大切だと言われつつも、不透明感が形を変えて移動するだけでなくならないのはなぜか、改めて整理しましょう。まず、組織やチームをマネジメントする側の立場からすると、メンバー間の待遇に差をつけて彼らの意欲や能力を引き出すために、基本方針からのちょっとした逸脱や例外を使いこなす「匙加減」は大切だと言えます。しかし、透明性を高めることで全ての手の内を明らかにしてしまうと、マネジャーは匙加減を用いたマネジメントがやりにくくなってしまいます。だから、不透明性とか、手の内を明かさないということは、マネジメントを行う上で保持しておきたいというのが本音なのです。不透明性を維持することで情報格差を生み出すことも、マネジャーがメンバーに影響を与える権力の源泉にもなるからです。マネジメントの全てオープンにしまうのは、経営の現実からすれば綺麗ごとなのかもしれません。

 

日本のような集団主義の職場ほど、この「不透明性」をうまく保持しながら、全てをクリアにせず、なんとなく曖昧に、だましだましマネジメントを行うことが多い、そしてそれでマネジメントがうまく回っていく、というWongらの研究結果からの含意も納得のいく指摘ではないでしょうか。物事をうまく進めるために、裏でコソコソやる、コッソリと何かをするための不透明性を温存する、というのは人間の本性なのかもしれません。

参考文献

Wong, M. N., Cheng, B. H., Lam, L. W. Y., & Bamberger, P. A. (2023). Pay transparency as a moving target: A multistep model of pay compression, I-deals, and collectivist shared values. Academy of Management Journal, 66(2), 489-520.

 

 

人的資本経営概論(2)

人的資本経営は、実務の世界では「人材を資本と捉えて企業価値の向上につなげる経営手法」だと定義されているようです。例えば、パーソルの調査によると、「近年、大企業を中心に、人材を「資本」と捉えて、採用や育成などの人材施策に投資を行うことで、中長期的な企業価値向上につなげる「人的資本経営」の動きが加速しています」とあります。これまで人的資本経営をやっていなかった企業があるということ自体驚きですが、とにかく、現在は、人的資本経営を「導入」している企業が増えているようです。前回は、この人的資本経営というコンセプトが、アメリカを中心に1990年代から2000年代初頭に次々と発表されたコンセプトが組み合わさって花開いたものであることを指摘しました。今回はその続きとして、人的資本への投資がどのように企業価値向上につながるのかをどう可視化していくか、そしてそれを「人的資本開示」につなげていくという文脈で概説してみます。

 

日本では、人的資本経営ブームの火付け役が、会計学周りであったことがわかっています。人的資本投資や企業価値との結びつきについて、それらを測定したり可視化したりするという面においては、会計学に一日の長があるということでしょう。実は、これと全く同じ現象が、20年以上前のアメリカでも起こっていたのです。すなわち、会計学で提唱された戦略的な測定手法である「バランススコアカード」の考え方を、人的資本経営に応用しようとする動きが2000年初頭に加速したのです。その牽引役となったのが、デイビッド・ウルリッチ、ブライアン・ベッカー、マーク・ヒューセリッド、リチャード・ビーティらによる研究者グループが矢継ぎ早に投入した以下の2冊です。

 

Brian E. Becker, David Ulrich, & Mark A. Huselid. 2001. The HR Scorecard: Linking People, Strategy, and Performance. Harvard Business Review Press

Mark A. Huselid, Brian E. Becker, Richard W. Beatty 2005. The Workforce Scorecard: Managing Human Capital To Execute Strategy. Harvard Business Review Press

 

2冊目は、副題で"Managing Human Capital"と堂々と謳っているので、2005年ごろのアメリカではすでに「人的資本経営」が登場していたことを意味しています。この2つの書籍は、人的資本への投資が企業価値向上につながるプロセスを可視化するための測定手法について、バランススコアカードの考え方を応用した形で解説しています。「HR Scorecard」の方は、人材や人事システムといった要素に焦点が当てられており、それを拡張した「Workforce Scorecard」の方は、職場のカルチャーやリーダーシップなども含めた測定方法を解説しています。惜しむらくは、上記のような人的資本経営の核心に迫る書籍が、日本では全くノーマークで紹介されなかったことです。これらの考え方が日本に輸入されていれば、人的資本経営ブームの発生も10年は早まったことでしょう。だとすると、日経平均株価4万円越えも10年前に実現していたのかもしれません。そして、人的資本投資から企業価値へとつながる測定を最も直接的に解説した本が、以下のジョン・ブルデューとウェイン・カシオによる「人的資本投資:人事による企業の財務価値へのインパクト」という書籍です。

 

John W. Boudreau & Wayne F. Cascio 2008. Investing in People: Financial Impact of Human Resource Initiatives. FT Press

 

こちらの本も残念ながら日本ではノーマークでした。ブルデューもカシオも世界的に見ると著名な研究者であり、実務家にも人気のある著者ですが、日本では無名です。今回紹介した書籍の共通しているテーマは、「人的資本投資を通して企業価値を向上させるような経営をしようと思ったら、そのプロセスが測定され、可視化されていなければならない。測定できなければコントロールできない」というものです。管理会計の考え方に近いことがわかります。しかし、実務家サイドでの本音は「それはまあわかるけど、日々の業務で手一杯だし、それって結構面倒くさいよね」というものだったと思います。というわけで一向に動かなかった人的資本経営ですが、それに喝を入れたのが「人的資本の情報開示の義務化」なのです。それに慌てる企業とそれをビジネスチャンスとみるコンサルタントが、デジタルトランスフォーメーションの波とあい重なって、「経営活動のデジタル化と一緒に進めればいいじゃん」ということで手を結んだのが今回のブームだと言えましょう。

 

最後に、人的資本の情報開示について1つ指摘しておきましょう。それは、人的資本情報はむやみやたらに公開しない方が良いということです。本当に企業価値を高める人的資本経営は、その企業が考え抜いて編み出した独自のノウハウであるはずです。そんなノウハウを外部に公開してしまったら、他社に真似をされてしまい、競争優位性を失い、その結果企業価値を毀損してしまいます。ものづくり企業はやたらめったら自社の工場の内部(生産工程など)を外部に公開しません。企業見学で見れるのは当たり障りのない場所のみで、肝心のノウハウに当たる部分は門外不出です。ですので、人的資本の情報開示は慎重に行いましょう。企業価値の源泉は、持続的競争優位性であり、持続的競争優位性とは、他社が真似できない価値あるリソースやノウハウを保有していることです。よって、ほんとうに企業価値を高めるノウハウを含んだ人的資本情報は企業秘密にするべきで、それを公開した瞬間に企業価値が下がってしまう。ですから、企業価値を生み出す仕組みとは関係のない、例えばコンプライアンス的な理由で他社と横並びで行なっている施策のような形式的な情報を公開しておけば、企業価値を損なうことはないということです。

人的資本経営概論(1)

「人的資本経営」という用語が使われだし、これが一大ブームとなり数年が立ちました。ブームの勢いは衰えを知らず、本ブログとしても無視するわけにはいかなくなってきました。当初から、人的資本経営(ヒューマン・キャピタル・マネジメント)という言葉には違和感を持っていました。なぜならば、人的資源管理(ヒューマン・リソース・マネジメント)の「リソース」を「キャピタル」に代えただけで、これまでの人的資源管理とまったく違うイノベーティブなマネジメントが誕生するのか疑問であったからです。人的資本経営は、人的資源管理もしくは人的資源経営(ヒューマン・リソース・マネジメント)とはまったく異なるマネジメントのあり方を語っているのか、あるいは、なんとなく新鮮な感じがして響きがよい言葉だから流行っているだけなのか分かりませんでした。「人的資源管理」の基本を書いた本を出しても一向に売れないが、同じ内容でタイトルを「人的資本経営」にしたら途端に売れるようになるということはないだろうか。

 

とはいえ実務の世界で流行していることに間違いはないので、上記のような疑問を抱きつつ、人的資本経営の本を何冊か読んでみたところ、これはアメリカを中心に90年代後半から2000年代前半に著名な人的資源管理論の研究者らが発表された学術的知見に基づく人材マネジメントの考え方が輸入され、組み合わされ、花開いたものだということが分かりました。そのような人的資源管理の基本が、昨今のデジタル化によって実施しやすくなったことが火種となり、用語としてはマンネリ化し陳腐化してきた「人的資源管理」という言葉が、「人的資本経営」として生まれまわったのです。そこで、この人的資本経営の基礎となっている90年代、2000年代初頭の書籍をいくつか紹介しましょう。主に2つの系統を紹介します。今回は、スタンフォード大学教授のジェフェリー・フェファーが絡んだ一連の著作です。

 

Peffer, J. 1994. Competitive Advantage Through People: Unleashing the Power of the Work Force. Harvard Business School Press

Peffer, J. 1998. The Human Equation: Building Profits by Putting People First. Harvard Business School Press

邦訳:ジェフリー フェファー 2010「人材を活かす企業: 「人材」と「利益」の方程式」翔泳社

 

上記の2つはどちらも1990年代に出された書籍ですが、当時の言葉で表現すれば、「自社の人材を活かす企業が持続的な競争優位性を獲得する優良企業である」となり、現在の言葉で表現すれば、「人的資本経営を実践する企業が持続的な競争優位性を獲得する優良企業である」ということになります。フェファー教授は、マイケル・ポーター流の「業界での自社のポジショニングこそ競争優位の源泉である」といった考え方や、人材を資本でなくコストととらえがちな企業経営の風潮に一石を投じ、優れた企業は人的資本に投資することによって人材のポテンシャルを最大限に引き出し、企業価値を高めるコミットメント(今風にいえばエンゲージメント)を生み出すような経営を行っていることをエビデンスベースで主張したのです。利益を生み出す方程式の中には、会計情報に記載されるような有形資産のみならず、人材のような無形資産(人的資本)こそ大切であって方程式に含めるべきであることを説いたわけです。

 

当時、今風の言葉でいえば「人的資本擁護派」であったフェファー教授が、「両利きの経営」の著者の1人でもあるチャールズ・オライリー教授とタッグを組んで書かれたのが、まさしく無形資産としての人材のマネジメントを重視する経営を説いた以下の書籍でした。

 

O'Reilly, C., & Pfeffer, J. 2000. Hidden Value: How Great Companies Achieve Extraordinary Results with Ordinary People. Harvard Business School

邦訳:チャールズ オライリー, ジェフリー フェファー 2002 「隠れた人材価値: 高業績を続ける組織の秘密」翔泳社

 

こちらは、今風にいえば、「パーパス経営」と「人的資本経営」を組み合わせたような内容で、人的資本経営といっても、ハイパフォーマーとかスーパースターを高額な報酬を払ってかき集めればよいという話ではなく、逆に、一見すると平凡に見える人材が集まった企業であっても、企業の価値観(パーパスやカルチャー)をしっかりと作り、人材を束ねる企業のほうが強いことを実例を用いてエビデンスベースで解説しています。人的資本は、人材=資本と単純にいっているわけではなく、「ヒューマンな」「人的」な資本であるわけですから、組織のカルチャーなども、人的な資本だといえます。まさに、人材が共通の価値観や存在意義としてのパーパスを通して強固に組み合わさった企業は強いということなのです。

 

フェファー教授やオライリー教授の著作は、企業が人的資本に投資することで競争力を高めていくということはどういうことなのかを教えてくれます。一方、人的資本経営でもう1つ大切な視点は、人的資本への投資が、どのように企業業績に結び付いていくのかを可視化するということです。可視化するということは、そのプロセスを測定し、把握するということであり、測定・可視化できれば、そのプロセスの改善や改革といったマネジメントがしやすくなるということでもあります。次回は、2000年代に活躍した戦略的視点からの「人的資本測定学派」の著作を紹介したいと思います。

 

戦略・事業・人材を連動させる組織能力開発とは

近年、デジタルトランスフォーメーション(DX)を初めとして、時代が大きく変化していく中で生き残っていくために組織を変革させていく必要性が高まっています。そこで欠かせない視点が、経営戦略・事業戦略・人材戦略の連動であり、それを実現するための組織能力開発です。デジタルトランスフォーメーション(DX)であろうが一般的な組織開発であろうが、戦略・組織・人材が連動していない状態から連動する状態に組織を変革していくのが、組織能力開発というわけです。土井(2023)は、この組織能力開発を「活動システムマップ(Capabilitiy & System Map; CASM)」を基軸として推進する方法について紹介しています。

 

まず土井は、ドン・ウォリックによる「組織開発とは、組織の健全性(health)、効果性(effectiveness)、自己革新力(self-renewing capabilities)を高めるために、組織を理解し、発展させ、変革してく、計画的で協働的な過程である」という定義を紹介し、企業が適切な戦略を持ち、その戦略の実行に際して前向きなエネルギーを引き出す組織の健全性が重要だと説きます。とりわけ、外部環境の激しい変化の中で、顧客を維持し、競合他社に負けないたえに絶え間ない自己刷新が求められることを強調します。とりわけ、組織は個人個人の集合体であるため、組織の能力は一人ひとりの社員に何ができるかに左右されます。事業開発、マネジメント、課題解決など、企業の成長に不可欠な人材を活かしきれなければ、組織全体がもつポテンシャルは十分に発揮できないのだと土井はいうのです。

 

組織能力開発では、とりわけ経営戦略、事業戦略、人材戦略の連動が不可欠です。土井によれば、会社全体として何を目指すのか、パーパスやビジョンを設定し、その実現に向けて事業ポートフォリオの組み換えを考えていくのが経営戦略です。組織能力は一人ひとりの力の総和であるから、個人のベクトルの合力であるといえます。つまり、一人ひとりのベクトルの向きをそろえることが大切です。そのためには、パーパスやミッション、ビジョンなど企業の理念を言語化して組織の目的や進むべき方向性を明確にすることが大切なのです。それと同時に、ベクトルの一本一本を長くすることも組織能力を高めるうえで重要です。効果的なトレーニングやリスキリングで能力を高めたり、エンゲージメント、成長意欲、貢献意欲を高めることも重要なのです。

 

経営戦略・事業戦略・人材戦略の連動の次のステップとして、自社の経営戦略から、それぞれの事業戦略に合わせた人材戦略を実現できるよう、各事業において人材戦略と事業戦略を連動させます。事業戦略では、各事業部がそれぞれの事業領域においてターゲット顧客と提供価値を言語化します。そこから必要な人材要件も導かれますが、事業に必要な人材の要件モデルの策定、募集、採用、育成、配置、処遇、代謝という人材のマネジメントサイクルに関して、事業部側と人事部側がそれぞれ検討する範囲をしっかりと定めることが極めて重要だと土井は強調します。

 

経営戦略、事業戦略、人材戦略を連動させるカギとなるのが、活動システムマップだと土井はいいます。そもそも、経営戦略、事業戦略を実現するために必要となるのが、組織能力とそれを発揮するための活動です。ターゲット顧客とターゲット顧客に対する提供価値を言語化し、自社独自の価値を顧客に提供するために行う一連の活動や必要な組織能力を活動システムマップに書き出していくわけです。活動システムマップの作成は新たな価値提供に必要な組織能力と活動を言語化・可視化するきわめて重要な作業だといえます。

 

活動システムマップを作成した次のステップは、一連の活動を現場で実践し新しい組織能力を社内に定着させることだと土井はいいます。つまり、新たな組織能力の開発と実装です。社員一人ひとりが確実に成果をあげられるよう、成果につながる行動(コンピテンシー)を開発するのが人材育成であるとすれば、組織として確実に成果をあげられるよう、戦略と紐づいた一連の活動を開発するのが組織能力開発であるというわけです。一連の活動を促進する組織の諸要素とは、業務プロセス・構造とガバナンス・情報と測定基準・人材と報酬・継続的改善の仕掛け・リーダーシップと組織文化であり、この6つを、パーパス、ミッション、ビジョンから導いた一貫した思想のもとに設計し、現場に落とし込むことで、世の中の変化に対応できる新たな組織能力を開発することができるのだと土井はいいます。

 

繰り返しになりますが、企業を変革していくためには、変革しようとする方向に組織の構成員一人ひとりの活動のベクトルをそろえる必要があります。新たなビジョンに向かって、戦略と一人ひとりの行動と、組織の仕組みが連動した状態を作ることが組織能力開発で、新たに必要となった組織能力と、組織能力を獲得するための活動を可視化・言語化するのが活動システムマップなのでです。組織能力開発によって、活動システムマップを基に組織を自走させるようにすることが重要であることを土井は示唆するのです。

参考文献

土井哲 2023「成果を出す企業に変わる 組織能力開発」幻冬舎

 

将来性の高い人材では賃金の男女格差が逆転する理由と証拠:ハイポテンシャル女性プレミアムの存在

世界において、そして日本でも特に、男女間で賃金格差が存在することはこれまで多くの調査研究で指摘されてきています。そしてこれは、企業社会における男女格差、すなわち男性優位で女性が不利益を被るような社会が持続している証拠だと考えられています。例えば、企業の役員レベルにおける女性の割合が非常に少ないことからもいえるように、女性に厳しいビジネス社会では、どのような業界や階層においても、男性のほうが女性よりも賃金水準が高い傾向にあるということが常識として捉えられていると思われます。

 

賃金の男女格差を議論するときの主張の1つが、女性のほうが男性よりも能力や成果が低いから、就いている職業の生産性が低いからなどの性別の違いが間接的に関わっていて直接的には影響していない何らかの理由(こちらの例では、能力や職業の違いが直接的要因)ではなく、能力や成果などが同じである男性と女性を比べたとしても、男性のほうが女性よりも賃金水準が高いのだという主張です。もし、性別が直接的には賃金格差には由来しないが、特定の職業への就職や職位への昇進などにおける機会に男女間の不平等が存在してるということであれば、そのような男女の機会均等を実現すれば賃金の男女格差はなくなるはずです。しかし、性別が直接賃金格差に影響している、すなわち「女性だから賃金が低い」という現象が存在するならば話は別です。

 

しかし、近年では、このような賃金の男女格差に関する一面的な認識と理解に異を唱える研究が出てきています。その中でも、今回紹介するLeslie, Manchester, & Dahm (2017)の研究では、将来性が高い人材(将来、企業のマネジャーや役員になっていくような将来性を持ったハイポテンシャル人材)に限っていうと、ある特定の条件で、具体的には、ダイバーシティを重視する企業や職場において、賃金の男女格差が逆転するということ、すなわち女性のほうが男性よりも賃金水準が高くなることを理論的に説明し、それを2つのフィールド調査および2つの実験によって実証しました。このことから、Leslieらは、賃金における「ハイポテンシャル女性プレミアム」の存在を実証したのです。ではなぜ、将来性の高い人材では「女性プレミアム」が生まれ、賃金の男女格差が逆転するのでしょうか。

 

上記の理由について、Leslieらは、労働市場における需要と供給の関係を用いたマクロ的な理解と、戦略的人的資源管理の理論を用いたミクロ的な理論を用いて説明しています。マクロ的な説明としては、とりわけ企業のトップマネジメントの役員レベル、そしてそれを目指すシニアリーダーレベルの女性を増やすべきであるという社会の潮流があり、そのような努力をしようとしている企業が増加しているという現実があります。将来性の高いハイポテンシャルな女性の数はたくさんいるわけではないので、限りあるハイポテンシャル女性を獲得してつなぎとめようとする企業がそのような女性を奪い合うという市場構造になるため、需要と供給の関係として、同じレベルのハイポテンシャル男性よりもハイポテンシャル女性の賃金相場が上昇するということが考えられます。

 

ただ、労働市場の理解だけだとマクロ的な説明に偏っているので、実際にどういうメカニズムによってハイポテンシャル女性の賃金が男性よりも高くなるのかを説明することが求められます。そこで、企業の戦略的人的資源管理の観点から、実際に企業のマネジャーが従業員の賃金決定をする際の心理的側面にまでブレイクダウンして考えるならば、そこには「ダイバーシティ価値の知覚」というものが関連していることをLeslieらは指摘しました。別の言い方をすれば、将来性の高い女性の賃金が同じく将来性の高い男性の賃金よりも高くなる「ハイポテンシャル女性プレミアム」の正体は「ダイバーシティ価値」にあるということなのです。これは、ダイバーシティ推進が企業価値を高めるという戦略的視点において、将来性の高い女性はその存在だけで企業価値を高めているというような視点です。

 

トップマネジメントの女性役員の数を増やすことを目的とするなどのダイバーシティ方針を掲げ、ダイバーシティに積極的に取り組む企業や職場に必要なのは、その目的を実現するための価値を持った人材、すなわちダイバーシティ価値を持った人材です。そして、実際に企業のトップや役員レベルにまで将来上り詰める可能性のある女性社員すなわち将来性の高い女性社員は、このダイバーシティ価値を持った人材だと知覚されます。つまり、将来性の高い女性社員は、その会社にいるだけで、その会社のダイバーシティ推進に貢献していることになり、同じレベルの男性社員と比べてもより多く会社に貢献していると考えることが可能です。ただ、将来性が高くない女性の場合はそうではありません。単に職場に女性が多いということと、トップマネジメントや上位層に昇進しそうな女性が多いこととは話が違い、後者の存在のほうがダイバーシティを推進しようとする企業の目的により貢献しているといえるので賃金プレミアムがつくのです。

 

理論的説明がわかったところで、実証としてはどうだったのでしょうか。Leslieらの1つ目のフィールド調査では、1つの大企業に勤務している男女の社員を社内アセスメントのデータから将来性が高い人材と低い人材に区分し、それを賃金データと比較することによって、一般的には女性社員は男性社員よりも約5%賃金水準が低いが、将来性が高い人材に限っていうと、女性社員のほうが男性社員よりも約7%賃金水準が高いことを確認しました。この企業でのハイポテンシャル女性の割合が少なかったので、この2つの結果の辻褄は合います。2つ目の実験では、賃金の意思決定をするマネージャーは、将来性の高い人材については、女性のほうが男性よりもダイバーシティ価値が高いと知覚し、それを介して将来性の高い女性の賃金を、同じくらい将来性の高い男性の賃金よりも高く設定する傾向にあることが確認されました。将来性の低い男女についてはそのような傾向は見られませんでした。

 

Leslieらの3つ目のフィールド調査では、S&P 1500企業の1992年から2006年までのデータを用いました。そして、ダイバーシティをより推進していると考えられている消費財・サービス産業の企業のほうについては、女性トップの役員報酬が同じ職位の男性役員の報酬よりも約20%高いことを確認しました。一方、ダイバーシティの推進度が相対的に遅く、業界的にも男性的な製造業の企業についてはそのような傾向は見られませんでした。ダイバーシティ価値の知覚に基づいたハイポテンシャル女性プレミアムの存在を示唆する結果です。そして、4つ目の実験では、ダイバーシティを推進している企業に働いているという設定を行った場合において、マネジャーは将来性の高い女性に対して有意にダイバーシティ価値の知覚を高めるという結果を得ました。

 

上記の4つの実証研究によって、Leslieらが主張する、将来性の高い人材では賃金の男女格差が逆転すること、そしてその理論的なメカニズムとして、ダイバーシティ価値知覚に基づく「ハイポテンシャル女性プレミアム」が存在することを示したのです。

参考文献

Leslie, L. M., Manchester, C. F., & Dahm, P. C. (2017). Why and when does the gender gap reverse? Diversity goals and the pay premium for high potential women. Academy of Management Journal60(2), 402-432.