システム思考で学ぶ「偶然を味方にするキャリア術」

予期せぬ生じる偶然をチャンスと捉え味方にしていくことは、自分のキャリアを切り開いていく上でとても重要です。そして、この考え方を土台にした理論の代表格が、クランボルツの「計画された偶発性」であったり「セレンディピティ」であったりします。そして、当ブログでも「エフェクチュアルなキャリアデザイン」を提唱しています。今回は、この「偶然を味方にするキャリア術」を、システムダイナミクスあるいはシステム思考という視点から理解してみます。この考え方のポイントは、予期せぬ出来事や偶然に思える出来事というのは、実は、自分がその一部となっている複雑なシステムの挙動によって生じたものであることを理解するというものです。そうすることで、なぜそのような驚くべきことや偶発的なことが起こるのかが分かり、それらを生み出すための方策や、それを自分に有利になるように活用するための示唆が得られるわけです。

 

自分のキャリアに大きな影響を与える出会いとか出来事とか、それらが予期せぬ形で生じること、偶然の産物と思えることは、全くのランダムな出来事であったり奇跡であるというわけではなく、ちゃんと理由があるということなのだし、神様の目から見たらきちんとした因果関係に基づいて生じた必然的なことでもあるわけです。例えば、よく分からないけれども突然、どんどんと成功するようになって運が味方しているとしか考えられない場合とか、逆に、坂道を転がり落ちるように失敗してしまい、運が悪いとしか言いようがないように思える場合、あるいは、何を試しても状況が変化せず、ずるずると悪化してしまう場合、むかし会ったことのある人から突然転職の誘いが来たなど、いろんなことが起こるでしょう。これらの現象には本当は理由があるのですが、私たちは神様ではないので、そのメカニズムを正確に把握することも、その挙動を正確に予測することもできないため、予期せぬ出来事とか運だと知覚するのです。

 

しかし、システムダイナミクスやシステム思考を援用すれば、上記のようなシステム挙動の仕組みがある程度は分かってくるので、知らない人と比べると随分と有利な立場に自分の身をおくことができるのです。メドウス(2005)のシステム思考の入門書などが指摘するように、とても複雑な挙動をするシステムであっても、それは、2つのタイプのフィードバック(自己強化型ループとバランス型ループ)と、フィードバックの時間的遅れ(アクションを起こして、それがフィードバックとして返ってまでに時間がかかること)の組みあわせとして成り立っており、それが、成長、停滞、衰退、振動、ランダムな動き、進化といった経時的なパターンを生み出します。自己強化型ループは、増幅型、自己増殖型、雪だるま式のもので、好循環もしくは悪循環を生み出すループです。バランス型ループは、安定を求め、目標を追求し、あるいは調整を図るループです。そして、フィードバックループの時間的遅れはシステムの制御を複雑で難しくする原因になります。

 

上記のとおり、システムは、自己強化型ループ、バランス型ループ、時間的遅れが組み合わさってできていると考えることができ、これが複雑に組み合わさっていると、システムの挙動がしばしば私たちをびっくりさせることになります。その原因は、私たちの知覚や思考が単純で直線的(線形)であるのに対して、現実の世界で諸現象を生み出すシステムは非線形であるところにあると言えるでしょう。フィードバックループや時間的遅れが含まれるシステムが線形的な挙動をすることはほとんどあり得ないからです。このような非線形から生まれたびっくりさせられる諸現象が、システムの真っ只中に至り、システムを観察する人の「主観」では、予期せざる出来事とか、偶然とか運によってもたらされた出来事に映るのだと考えられるのです。

 

例えば、仕事において突然物事が好転しだしたと思ったら、成功が成功を呼ぶような状態となって飛ぶ鳥を落とす勢いが生まれ、爆発的にキャリアが発展することがあります。これは、システムの中において何らかのきっかけで自己強化ループが発動した結果だと解釈することができます。例えば、自分が良い仕事をして評判が高まる。その評判を聞きつけた人が良い仕事を紹介する。その仕事は良い仕事なので業績がさらに高まる。そうするとそれが更なる評判の向上につながる。評判がさらに高まれば、もっと良い仕事が来る、といったような自己強化ループが働いていると考えられます。

 

しかし、このような爆発的な成功、成長はいつまでも続かないのが世の常です。なぜなら、システムの中で、そのような爆発をある一定の水準で安定させようとするバランス型ループが働いていたり、逆に、物事を悪化させる方向で増殖させる自己強化ループを発動させるトリガーがあったりするからです。後者の場合、どこかで好循環の自己強化ループが悪循環の自己強化ループにとって代わられるようになり、成功から一転して坂道を転がり落ちるように失敗していく現象につながるのです。ただ、爆発的な成長の例と同様に、底なし沼に落ち続けることも稀で、どこかでバランス型ループや好循環を生み出すループが発動しはじえることも多いのです。

 

別の例だと、仕事において業務改善の必要性を感じ、改善のための施策を立案して実行してみても一向に状況が改善しない場合があります。これは、現在の状態を保つためのバランスループが働いていて、そこから逸脱するような改善策を講じても、その反対の力が作用して元に戻ってしまうという構造になっているのかもしれません。元に戻る力が相対的に強いと、状況が段々と悪化するということも生じます。また、フィードバックの時間的遅れが働き、効果が目に見えるまでの十分な時間が経っていない可能性もあります。時間的遅れに関していうならば、過去に名刺交換をした程度の人から直接ビジネス提案のメールが届き驚き、結果的に成立につながったということもあるでしょう。これも、過去にその人に対して起こったアクションが、本人はとっくに忘れてしまっていても、機が熟すまでの時間的遅れを伴ったフィードバックループが働いて自分に返ってきたと解釈することが可能です。

 

自分はそれほど強力なリーダーシップを発揮していないのに、自分の周りにいる人々が勝手に相互作用をしはじめた結果、自分のチームでいろいろなプロジェクトが発足したり大きな成果が生まれたりすることもあるでしょう。これは、複雑なフィードバックシステムが絡み合ったシステムが「自己組織化」した結果、システム全体が進化している状況を示唆しています。自己組織化が発動すると、システムから特異なパターンが出現してくるため、それがクリエイティビティやイノベーションにつながったりするのです。またそれらがシステムにおいて連鎖反応を起こし、効果が広範囲に普及していくプロセスも生じえます。システムの中のレバレッジポイントの理解も重要です。レバレッジポイントとは、小さな力でシステム全体に影響を与えることができるような点です。この点を適切に変えれば、物事は改善しますが、反対に変えてしまうと物事を悪化させる原因となります。メドウスによれば、システムが複雑化するにつれ、その挙動が予期せぬものになるため、レバレッジポイントもあまりにも直感に反するが多いといえます。

 

さて、これらのシステムダイナミックス的な世界の理解、もしくはシステム思考が私たちのキャリアのマネジメントに与える実践的示唆はどのようなものでしょうか。まず、キャリアを考える私たちが知っておくべきことは、自分自身も社会を構成するシステムの一部であり、自分の行動がシステムを形作ったりシステムに影響を及ぼすとともに、システムからの影響も受ける存在だということを理解することです。例えば、自分自身がいろんな人やモノと繋がっていくと、広範なネットワークの一部に自分が位置付けられます。ネットワークは人的ネットワークのみではありません。場所とか物理的なモノとのつながりというのも含みます。ネットワークが複雑であれば、そのシステムの挙動も複雑で、時にはびっくりさせられることもあります。また、ネットワークでつながっている人やモノが多様であれば、それらが相互作用を起こして自己組織化し、自分にとっても新たなチャンスが生まれる可能性も高まるでしょう。

 
逆に、自分があまり他の人々やモノとつながっていない場合、自分を含むシステムがシンプルなものであるために、挙動もシンプルなので変わったことやびっくりすることは起こりにくいと言えます。「計画された偶発性」や「セレンディピティ」で指摘されるような予期せぬ出来事や偶然も起こりにくいため、これらの機会を活用することもできません。ですから、「計画された偶発性」や「セレンディピティ」を高めるためには、まずはいろんな人やモノとつながって自分が複雑なシステムの一部となること、そして、その複雑なシステムに対して何らかのアクションを取ることで、システムの挙動を生み出し、それを確かめること。そして、びっくりするような挙動があった場合、その原因を想像して、それが自分にとってチャンスだと感じる場合はそれを活用することです。例えば、自分を成功に導く自己強化ループが作動し始めたと感じた場合、その挙動を支配するレバレッジポイントを探し出して、自己強化ループをさらに強化することを検討するとよいです。
 
もちろん、システムの複雑な挙動は自分にとって不利となる状況を生み出す可能性も十分ありますから、そうなった場合にも、慌てずにそれが生み出される仕組みを想像、分析し、まちがったアクションを起こさないこと。つまり、ネガティブな自己強化型ループをさらに強めたり、そのループを抑えようとするバランス型ループを弱めてしまうなど、状況をさらに悪化させてしまうようなことをしないよう心掛け、不利な状況を改善するための適切なアクションを探し出すということになるでしょう。さらに、システムにはフィードバックの遅れがあることを理解するならば、自分が起こしたなんらかのアクションが、「風が吹けば桶屋が儲かる」の諺が示すように、自分が忘れたころに思いがけない形で返ってくることもあるので、何かアクションを起こして反応がなかったとしても、アクションを起こして「種をまき続ける」ことも大切だといえましょう。
 
なお、誤解を避けるために付け加えると、システムダイナミクスの知識やシステム思考を駆使して自分の周りのシステムを理解出来たら、自分の思い通りにそれを制御することで自分のキャリアマネジメントに適用できると考えるのは不適切です。メドウスも強調するように、自己組織的で非線形的なフィードバック・システムは、本質的に予測不可能だからです。その代わり、メドウスは複雑なシステムを制御することを放棄し、「システムとダンスを踊る」ことを推奨するのです。この考え方は、「計画された偶発性」や「セレンディピティ」とも親和性があるものであり、「エフェクチュエーション」でいっている、自分がコントロール可能な部分のみに集中することとも整合性がある話なのです。
 
最後に、今回紹介したシステム思考で学ぶ「偶然を味方にするキャリア術」のポイントをまとめておきます。
  • いろんな人やモノとつながることで自分が社会における複雑なシステムの一部となり、そのシステムにいろいろと働きかけてみることで、自分のキャリアの発展に影響を与えるような予期せぬ出来事や偶然だと思われるびっくりするようなシステムの挙動が生み出されるような確率を高める。
  • 自分の周りでキャリアの発展(専門分野、昇進・昇格、転職、配置転換、ワークライフなど)に関連してどのようなフィードバックループや時間的遅れが生じているか、どのようにそれらが組み合わさっているかを想像したり分析し、実際に生じているシステムの挙動と照らし合わせて理解してみる。
  • 自分のキャリアに影響を与えるかもしれない予期せぬ出来事、びっくりするような出来事が起こった際に、それが生じた原因やメカニズムをシステム思考を用いて分析してみる。
  • システム思考を用いて自分のキャリアを有利な方向に導くような好循環を維持する方策、自分のキャリアを悪化させるような悪循環を断ち切る方策、あるいは自分のキャリアに停滞感があるときに現状から抜け出す方策などを考え、その効果を試行錯誤的に試して反応をみる。そしてうまくいかない場合は修正し、うまくいった場合はそれをさらに実施する。

抽象的なまとめにはなりましたが、自分の過去のキャリアの軌跡、成功した人、失敗した人のキャリアストーリーなどを今回のフレームワークを用いて解釈してみると、このフレームワークの理解が進み、自分のキャリアへの応用の仕方のヒントが得られると思います。

参考文献

ドネラ・H・メドウズ 2015「世界はシステムで動く ―― いま起きていることの本質をつかむ考え方」英治出版

jinjisoshiki.hatenablog.com


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エフェクチュアル・キャリアデザイン入門

経営学では20年ほど前に提唱され、近年になって実務界にも広がってきているコンセプトとして「エフェクチュエーション」があります。これは、優れた起業家が実践する原則としてアントレプレナーシップ分野の研究で用いられている概念です。吉田・中村(2023)は、エフェクチュエーションを分かりやすく説明するとともに、この原則は、起業家のみならず多くの人々にも活用可能な考え方であることを示唆しています。そこで本ブログでは、エフェクチュエーションの考え方をキャリアに応用した「エフェクチュアル・キャリアデザイン」という考え方を提唱します。以下においてこれを簡潔に説明したいと思います。

 

吉田・中村によると、従来の経営学では、まず目的を設定し、目的に対して最適な手段を追求する方法を重視してきました。当然経営には不確実性がつきものですが、それに対しては、まずは内外環境を分析し、不確実性を考慮した上で、目的に対する正しい要因を特定し計画を立てることを重視します。これをコーゼーション(因果論)と呼びます。目的を実現するための因果を重視するという目的主導の考え方です。一方、エフェクチュエーション(実効理論)の考え方は、起業のように不確実性が極度に大きな環境では、目的主導ではなく手持ちの手段を所与としてそれを活用することで生み出せる効果(エフェクト)を重視する手段主導の考え方で、エフェクチュエーション概念の生みの親であるサラスバシー教授が優れた実践家が実際に行っていることから導いた原則です。

 

エフェクチュエーションには5つの思考様式があると吉田・中村は解説します。それは「手中の鳥の原則」「許容可能な損失の原則」「レモネードの原則」「クレイジーキルトの原則」「飛行機のパイロットの原則」です。以下においては、エフェクチュエーションをキャリアデザインに応用した「エフェクチュアル・キャリアデザイン」に即した形でこの5つの原則を説明します。まず、「手中の鳥の原則」です。これは、自分がすでに持っている「手持ちの手段(資源)」を活用し「手段主導」で何ができるかを発想し着手する思考様式です。主に3つの手段があり、それは「私は誰か」「私は何を知っているか」「私は誰を知っているか」です。さらに「余剰資源」を考慮することも有効だといいます。

 

キャリアデザインにおけるコーゼーションでは、自分が目標とする将来のあるべき姿や目的を明確にした上で、それを実現するための原因となりうる最適な手段を獲得していくことを重視しますが。エフェクチュアル・キャリアデザインでは「私はどんな人間なのか(好きなこと、得意なこと、価値を見出すことなど)」「私は何を知っているのか(知識、スキル、経験など)」「私は誰を知っているのか(人脈など)」「その他に利用可能なリソースはあるか(貯金など)」を理解し(棚卸しをして)、それらを組み合わせることで次の一手として何ができるかを考えることになります。それが、自分のキャリアを発展・進化させるためにまず何をするのかの具体的な行動指針につながるのです。

 

次に、「許容可能な損失の原則」です。これは、期待リターンよりも、許容可能な損失の範囲内でまずは行動を起こすことを意味します。キャリアデザインで言うと、失敗すると路頭に迷ってしまったり人生が破滅してしまうような極端なリスクを負うような行動をしないと言うことになります。例えば、全く畑違いの分野への転職や、大きな借金をしてまでの脱サラによる起業、友人の多くを失うような仕事など、リスクの大きすぎるキャリアチェンジなどがその例です。そうではなく、現在自分が持っている資源の組み合わせ範囲内で投資や活動をする(ビジネススクールに通う、異業種交流会に参加する、余暇を副業に充てるなど)などのアクションが望ましいということになります。

 

そして、「レモネードの原則」は、予期せぬ事態に遭遇した時に、それを前向きに捉え、テコとして活用していく思考様式です。キャリアデザインで言えば、偶然を味方にする能力でもある「セレンディピティ」に近いともいえましょう。「クレイジーキルトの原則」は、コミットをしてくれる可能性のあるパートナーとの出会いを通して、何ができるかを模索していくプロセスで、これをランダムな形の布切れを繋ぎ合わせてユニークなパターンが作られるクレイジーキルトに例えたわけです。レモネードの法則と関連づけると、予期せぬ出会いも含めて様々なパートナーと出会い、それが自分自身の新たな手段(資源)に加わっていくことで、それらを組み合わせて「何ができるか」の可能性が拡大していきます。キャリアデザインに即して言えば、様々な人々との出会いが、自分が有する手段の多様化につながるため、次のキャリアのステップとして何ができるかのオプションも広がっていくことを意味します。

 

最後の原則が、「飛行機のパイロットの原則」です。これは、自分がコントロール可能な活動に集中し、予測でなくコントロールによって望ましい成果に帰結させるという思考様式です。これは、上記の4つの原則によって駆動されるサイクル全体に関わっています。キャリアデザインに即して言えば、コーゼーションでは自分のキャリア目標や目的(例、勤務先の社長になる)に照らし合わせて将来を予測し(例、事業予測、昇進の見通し)、それに従ってキャリアプラン(例、スキルアップ、社内人脈形成)を練ろうとしますが、エフェクチュエーションでは、そもそも未来の予測など不可能という前提に立ち、予測できない未来ではあるが、自分がコントロール可能なものは何かに焦点を合わせるのです。今、手元に持っている手段(能力や人脈)を組み合わせて、キャリアの次の打ち手を考え、実行するのです。

 

上記の5つの原則から分かるとおり、エフェクチュアル・キャリアデザインでは、自分が現在持っている手段主導でキャリアの次の一手として何ができるかを考え、実行し、そのプロセスで生じる偶然性や予期せぬ出来事をテコにしながら、既知の人々や新たに出会う人々との相互作用を繰り返していきます。そのプロセスにおいて新たな手段が加わることで手持ちの手段が増え、何ができるかのオプションも広がり、さらにそれに基づいた行動によって新たな偶然や出会いが生じるという「手持ちの資源の拡大サイクル」が存在します。また、パートナーとの相互作用で生じる新たな目的に基づいて何ができるかを再検討するといった「制約の集約サイクル」も存在します。

 

つまり、エフェクチュアル・キャリアデザインでは、手段主導のダイナミックなキャリア・アクションを通して生じる「手持ちの資源の拡大サイクル」によって、何ができるかの選択肢を広げて将来の可能性を大きくしていく一方で、「制約の集約サイクル」によって、今後のキャリアにおいて自分が最も集中すべき方向性を確立していくというプロセスによって、具体的なキャリアの方向感が定まりつつ将来展望が開けてくるのだと言えましょう。

参考文献

吉田満梨・中村龍太 2023「エフェクチュエーション 優れた起業家が実践する「5つの原則」」ダイヤモンド社

セレンディピティの発生メカニズムを理解しよう

ビジネスや経営に関わらず、私たちの成功や失敗に何らかの形で運が関わっていることは否定できません。しかし、運に対して単に受動的であるのではなく、運を積極的に味方につけるスキルや心構えを持っていれば、成功する確率を高め、幸運を味方にすることができると思われます。このような幸運と努力の相互作用として発生する現象の1つが「セレンディピティ」です。ブッシュ(2022)は、セレンディピティを「予想外の事態での積極的な判断がもたらした、思いがけない幸運な結果」と定義し、セレンディピティのメカニズムを理解すると、セレンディピティを獲得する人、逃してしまう人の違いが分かることを示唆します。そしてその違いの多くが、私たち1人ひとりが身につけることのできる実践的能力でもある「セレンディピティマインドセット」という心構えに起因していると指摘します。そこで今回は、ブッシュが多くの学術研究や事例から導いた、セレンディピティの発生メカニズムとそれに基づいたセレンディピティマインドセットについて解説します。

 

ブッシュは、セレンディピティは混沌や運と異なり、「独自の形式や構造」があるといいます。そして、セレンディピティの本質は、「点と点を見つけ、つないでいくプロセス」にあるともいいます。もう少し詳しく説明しましょう。まず、セレンディピティには大きく3つの型があります。1つ目は「アルキメデス型」で、既知の問題や困りごとの解決策が予想外のところで生まれるといったセレンディピティです。何を解決したいのか、何に困っているのかをはっきりさせておいた上で、予想外の出来事によって考えていたものとは全く別の解決策を思いつくといった種類のものです。2つ目は「ポスト・イット型」で、問題を解こうとしていて、全く違う、あるいは存在すら認識していなかった問題への解決策を偶然見つけるといったセレンディピティです。3つ目は「サンダーボルト型」で、問題の解決を探してもいない、意識的努力が全く行われていない状況で、稲妻のように突然のタイミングで新たな機会が生まれたり誰も認識していなかった、あるいは解決しようとしていなかった問題への解決策が生まれたりするようなセレンディピティです。

 

もちろん、セレンディピティがきれいに上記の3つの型に分類されるという訳ではなく、複数の型を兼ね揃えていたりどの型なのかクリアでない場合もあるが、この3つのセレンディピティに共通しているはっきりとした特徴があるととブッシュはいいます。1つ目が「ある人に何か予想外、あるいは普通ではないことが起こる」というもので、これを「セレンディピティ・トリガー(引き金)」とブッシュは呼びます。2つ目が、その人がトリガーをそれまで関わりがなかったことと結びつける「点と点を結びつけ、偶然のような出来事や出会いに価値があるかもしれないと気づく」プロセスで、ブッシュはこれを「バイソシエーション」と呼びます。3つ目が、実現した価値(洞察、イノベーション、新手法、問題への新しい解決策)は、もともと期待されていたものでも、誰かが探していたものでもなく「完全に予期せぬもの」だということです。つまり、セレンディピティは、「セレンディピティ・トリガー」が生み出され、それが発見され、「点と点を結びつけるプロセス」を通してその価値に気づき、その結果「予期していなかった価値創造」が実現するというプロセスから成っているのです。

 

上記のセレンディピティの発生プロセスを理解すると、今度は、セレンディピティをつかめるか、逃してしまうかのターニングポイントやセレンディピティを積極的に生み出すための心構えや能力、行動も明らかになってきます。まず、セレンディピティ・トリガーを多く生み出すことができるかが重要です。予想外の出来事や出会いが多く起こるような状況を作り出すような行動をする、すなわち「トリガーの種をまき、予想外を誘発する」行動をしているかどうかです。次に、トリガーが発生したときに、それに気づけるかどうかです。予想外の出来事に遭遇した時に、その出来事を理解し、それが何と結びつくのかを発見し、それを活用できるかどうかです。さまざまなことに好奇心を持ち、アンテナを張っておくことで、他の人だと気づかない「点と点を連結する」チャンスが高まります。そして、トリガーを発見し、点と点が結びつき、価値が見出されたときに、それを最後までやり遂げようとする粘り強さがあるかどうかです。上記の全てが満たされるとセレンディピティが起こりやすくなり、どれかが欠けているとセレンディピティを逃してしまうということなのです。

 

予想外の出会いや情報を生み出し、その価値を認識し、活用する能力でもあり、セレンディピティを生み出す頻度を高める「セレンディピティマインドセット」は、上記で見てきたセレンディピティ発生のメカニズムとプロセスを理解した上で、セレンディピティが生まれる「セレンディピティ・フィールド」を育んでいくことを意識することだと言えます。それは簡単に言えば、偶然を生み出すような種をたくさんまき、予想外の偶然を楽しみつつその価値に気づき、それがチャンスだと感じた時に粘り強くそれを追求するという心構えなのです。そのために、洞察力(雑多なものを選別し、価値あるものを見つけ出す能力)や、粘り強さ(最後までやり遂げる力)も身につけることが重要です。これらはすべてセレンディピティーの促進要因です。また、組織、人脈、物理的空間を見直すことで、セレンディピティが生まれやすい状況を作り上げることもできます。従って、セレンディピティマインドセットと適切な状況を組み合わせることで、セレンディピティが育つ「セレンディピティ・フィールド」が豊かになるのだとブッシュは言うのです。

参考文献

クリスチャン・ブッシュ 2022「セレンディピティ 点をつなぐ力」東洋経済新報社

 

採用や就職活動でもっと内発的モティベーションを強調すべき理由

就職活動において、求職者は自分の長所をアピールしてよい就職先を勝ち取りたいことでしょう。同様に、採用活動において企業はいかに自社が魅力的な職場であるかをアピールして優秀な人材を獲得したいことでしょう。自分の長所を売り込む際の2大ポイントとしては「能力」と「モティベーション(やる気、動機づけ)」があります。今回は、その中でも「モティベーション」に焦点を当て、Woolley & Fishbach (2018)による興味深い研究を紹介します。


多くの方がご存知のとおり、モティベーションは、「外発的モティベーション」と「内発的モティベーション」に分けることができます。外発的モティベーションは、魅力的な外的報酬(賃金、昇進機会など)によって動機づけられることを示し、内発的モティベーションは、仕事自身が面白いなど、外発的報酬がなくても動機づけられることを示します。内発的モティベーションが高い人というのは、仕事自体に喜びを見出す、楽しんで仕事を行うといった特徴を示しますので、望ましい特徴であると思えます。しかし、Woolley & Fishbachは、求職者もリクルーターも、ともに、内発的モティベーションの重要性を過小評価し、自己や自社のアピールにあまり用いない傾向があることを理論的かつ実証的に示したのです。つまり、就職活動、採用活動の現実では、内発的モティベーションをもっと強調すればよい結果が得られるかもしれないのにもったいないことをしている人が多いということです。


Woolley & Fishbachが発見した原理をもう少し詳しく説明すると、「求職者もリクルーターも、相手が外発的モティベーションをどれくらい重視しているかは比較的正確に推定できるが、相手が内発的モティベーションをどれくらい重視しているかは正確に推定できず、得てして過小評価してしまう」というものです。ではなぜ、そのようなことが起こってしまうのでしょうか。それを理解する鍵は、「外発的モティベーションにおける外発的報酬は目に見えやすいが、内発的モティベーションにおける内的報酬は他者からは目に見えない」という点です。そのため、私たちは、自分が内発的モティベーションを重視している(例、仕事自体が面白いことを重視する)ほどには、他者は内発的モティベーションを重視していない(内的報酬には動機づけられてはいない)と思ってしまうという錯覚をしてしまうことが先行研究でも分かっているのです。


上記の理由から、求職者は、自分自身が内発的モティベーションを重視しているとしても、企業の採用担当者は自分が考えるほど内発的モティベーションを重視していないと考えるため、面接等について自分がいかに内発的モティベーションが高いか(仕事に喜びを感じる、楽しんで仕事をする)をアピールすることをしない傾向にあるとWoolley & Fishbachは予測しました。しかし現実には、採用担当者も自分自身は内発的モティベーションを重視しているはずなので、志願者の内発的モティベーションが高ければ、その志願者を魅力的に感じるはずなのです。


同じロジックが、採用活動を行う企業のリクルーターの心理にも当てはまります。リクルーターは、自分自身が内発的モティベーションを重視しているほどには、求職者は内発的モティベーションを重視していない(例、就職先選びにおいて仕事自体が面白いということを重視していない)と考えてしまうため、自社の長所をアピールする際に、内発的モティベーションに焦点をあてない傾向があるとWoolley & Fishbachは予測しました。しかし、これも同様に、求職者はリクルーターが思うよりもずっと内発的モチベーションを重視しているはずなので、リクルーターがもっと内発的モティベーション(例、当社の仕事は面白い)をアピールすれば、優秀な人材の獲得に資することができるはずなのです。


では、どうすれば、求職者にとってもリクルーターにとってもこのような「もったいない」現象を軽減することができるのでしょうか。Woolley & Fishbachは、他者視点取得(perspective taking)の重要性を指摘します。つまり、相手の立場にたって考えるという思考を実践すれば、相手も自分と同じくらい内発的モティベーションを重視していることを理解できるというわけです。


Woolley & Fishbachは5つの実験的研究を実施することによって上記の理論および予測を実証的に検討しました。最初の実験では、採用担当者も志願者も、外発的モティベーションが採用意思決定に与える重要性は同等に評価しましたが、採用担当者のほうが志願者よりも内発的モティベーションが採用意思決定に重要であると判断していることが分かりました。2つ目の実験では、志願者は内発的モティベーションを面接で強調することは採用担当者が考えるよりも得策ではないと考えていることが分かり、かつ、リクルーターは自社のアピールで内発的モティベーションを強調することが求職者が考えるよりも得策ではないと考えていることが分かりました。外発的モティベーションについてはそのような傾向は見られませんでした。


Woolley & Fishbachによる3つ目の実験では、志願者は採用担当者が内発的モティベーションを軽視していると判断しがちであり、それが面接において内発的モティベーションを強調しない理由になっていることが分かりました。外発的モティベーションについてはそのような傾向は見られませんでした。4つ目の実験では、採用担当者は、内発的モティベーションを強調する志願者に魅力を感じがちなのに対し、多くの志願者は内発的モティベーションを強調しない傾向にあることがわかりました。そして5つ目の実験では、志願者が採用担当者の立場にたって考えると、自己アピールにおいて内発的モティベーションをより強調することがわかりました。


以上の研究結果から、求職者も、企業のリクルーターも、自分たちが思う以上にもっと内発的モティベーションを自己(自社)アピールで強調するべきだということが言えそうです。求職者は「企業の採用担当者がどのような人材を魅力に思うのだろうか」といったように、リクルーターは「求職者がどのような企業を魅力的に感じるのだろうか」といったように、相手の立場にたって考えることが重要だといえます。

参考文献

Woolley, K., & Fishbach, A. (2018). Underestimating the importance of expressing intrinsic motivation in job interviews. Organizational Behavior and Human Decision Processes, 148, 1-11.

組織やキャリアにおけるアイデンティティ・ワーク

組織行動論やワークキャリア論において近年脚光が当たっている概念が「アイデンティティ・ワーク」です。Caza, Vough, & Puranik (2018)による文献展望によれば、組織場面や職業場面でのアイデンティティ・ワークとは「社会的文脈における集団的、役割的、個人的なアイデンティティ(自分とは何かという意味付け)の形成、修復、維持、強化、更新、または拒絶を目的とした個人の認知的、散漫的、物理的、行動的な活動」というように定義されます。やや分かりにくい定義ですが、要するに、キャリアにおいて、自分とは何かといった「アイデンティティ」を形成したり、修正したり、変更したり、維持・強化したりする活動です。


ではなぜ、近年になってアイデンティティ・ワークが注目されているのでしょうか。まず、「私は何者であるか」というアイデンティティとは人間にとってもっとも基礎的な要素であり、アイデンティティが私たちのキャリアや働きぶりに影響を与えることは明らかだといえます。また、現代のような環境変化が激しい中で、1人の個人がキャリアに関する同じアイデンティティを終身持ち続けることは稀だと考えられます。例えば、かつての日本のように1つの会社に定年まで働き続けるようなイメージは、会社自体が途中で消滅する可能性や個人として転職する可能性などを考えるとすでに崩壊しているといえましょう。むしろ私たちは、職業生活において、主体的に「自分とは何か」というアイデンティティを節目節目で変更したり、社会情勢の変化や働く組織の変化に応じて修正したりすることが求められます。場合によっては、まったく違う自分に生まれ変わる必要が出てくるかもしれません。このような活動を総称して「アイデンティティ・ワーク」として捉えて研究することで、現代社会の文脈における働く人々のアイデンティティに関する理解を学問的見地から深めようとしているのです。


アイデンティティ・ワークにはいくつかのモードがあり、自分の頭の中であれこれ考える「認知モード」、ナラティブ、ストーリー、対話などを通じて行う「散漫的モード」、服装や持ち物、生活環境などの物理的要素を伴う「物理的モード」、そしてアイデンティティに働きかけるために実際に行動にうつす「行動モード」があります。また、ワーク・アイデンティティのタイプとしては、「私は●●社の社員だ」とか「私はエンジニアだ」というように組織や職業と自分とを結びつける「集団的アイデンティティ」、「私は部長だ」「私は企業家だ」といったように役割と自分とを結び地ける「役割的アイデンティティ」、「私は戦略家だ」「私は仲介者だ」といったように自分自身のユニークな特徴や強みなどに基づく「個人アイデンティティ」があります。実際のワーク・アイデンティティは、これらのモードや種類が混在した重層的なものだと理解できます。


さて、Cazaらによると、アイデンティティ・ワーク論においては、複数の理論枠組みを用いて、私たちが、どのようにして(how)、いつ(when)、そしてなぜ(why)、アイデンティティ・ワークを行うのかについて、理論化や実証研究が進められてきました。まず、社会アイティティ理論によれば、私たちは、自分が属する組織、集団、チームなどとどのように自分を結びつけるかという観点からアイデンティティ・ワークを行うと考えられます。所属組織にどっぷりと浸かったアイデンティティもあれば、所属組織とは少し距離を置いたアイデンティティ、あるいはそれに抵抗したアイデンティティの形成もあるでしょう。いつアイデンティティ・ワークが行われるかというと、組織の特徴が変わって、自分のアイデンティティが脅威にさらされたり、所属組織や集団が変わることによってアイデンティティの変更が必要となる場合が考えられます。このようなアイデンティティ・ワークを行う理由は、私たちは常に自分の価値を高めたいと思っており、そのためには、例えば評判のよい組織や職業集団に属していることが重要だからです。また、私たちは何か大きな社会集団に属していたいという所属欲求と同時に、他者とは異なっていたいという欲求もあり、これらの欲求がアイデンティティ・ワークにつながっていくと考えれらます。


次に、批判理論によれば、まず、社会的な通念から、個人が特定の方向性でアイデンティティ・ワークを行うように圧力がかかると考えられます。例えば、「1つの会社に滅私奉公せよ」「辞令一本でどこにでも行きなさい」という社会通念による圧力がかかれば、愛社精神とつよく結びついたアイデンティティを形成し、維持し、強化するような動きになるでしょう。一方、社会的通念は同時に、それへの反発や反抗を生みますから、「会社に頼らず企業家になる」「機会があれば積極的に転職をして専門家になる」といったように、それに抗うようなアイデンティティ・ワークが行われる機会も創出するでしょう。これらのアイデンティティ・ワークは、人々が、社会的通念や特定の圧力によるアイデンティティの強要に抵抗したりする理由があると感じるときにおこると考えられます。そして、その理由は、私たちは、社会的存在であって社会のルールや規範に従うべきであると考える一方で、個性の尊重や自己表現、一貫性などに対する欲求も持ち合わせているからです。


一方、アイデンティティ理論は、対人関係における役割に注目します。よって、私たちは、組織やキャリアにおいて、他者から何を期待されているのかといった役割期待や、例えば、顧客に対応するセールスパーソンでありながら社内では管理職であるなど、複数の文脈で異なる役割がある場合に、それをどう取りまとめたり折り合わせたりするのかといったかたちでアイデンティティ・ワークを行うと考えられます。アイデンティティ理論によれば、例えば社内で昇進したり配置転換があったり、他者からの期待される役割と自分が認識している役割とに齟齬が生じたりした場合にアイデンティティ・ワークが行われることになります。そして、このようなアイデンティティ・ワークが生じる理由は、私たちは、他者が自分をどう見ているのか、何を自分に期待しているのかについて一貫性を維持したいと思っており、それを確認する作業が必要だからだと考えられます。


最後に、ナラティブ・アイデンティティ理論によると、アイデンティティ・ワークは、一種の「自分物語」を作る作業、あるいは「自伝を更新する作業」だと考えられます。私たちのアイデンティティは、今までどのような軌跡をたどってきたのか、そしてこれからどうなっていくのかといった物語(ストーリー)に支えられているのであり、こういったストーリーは、刻々と変化する日々の職業生活において、そのつど、編集、修正、更新などが行われると考えられるのです。とくに、キャリアの節目に差し掛かったときには、大幅なストーリーの再編集、書き直しが必要かもしれません。このようなアイデンティティ・ワークが行われる理由は、私たちは、常に新たな経験を自分の物語、自伝に書き加えることによってストーリーを最新版に更新させていく欲求を持っていること、そのストーリーの一貫性や安定性によって心の平静を保ったり勇気を出したりしたいからだと考えられます。


アイデンティティ・ワークの研究はまだ新しく、今後も活発に行われていくと思われます。アイデンティティ・ワークは、かつての日本のように会社主導で個人のキャリアが左右されるような時代ではなく、自分が主体的に自分のキャリアをデザインしていくことが求められるこれからの時代には、心身の健康を維持しつつ、実りあるキャリアを歩んでいくためには極めて重要な活動だといえます。今後さらにアイデンティティ・ワークの研究成果が蓄積されることで、私たちが有意義な職業人生を送るために有用な知見や洞察が多くもたらされることが期待できます。

参考文献

Caza, B. B., Vough, H., & Puranik, H. (2018). Identity work in organizations and occupations: Definitions, theories, and pathways forward. Journal of Organizational Behavior, 39(7), 889-910.

キャリアを成功に導く「カメレオン戦略」

変化の激しい時代において、私たちも自分のキャリアを成功に導くためには、常に成長し続けなければなりません。例えば、多くの人は、リーダーシップがあまり必要のない仕事から、キャリアの年数を経るごとに、より大きなリーダーシップが求められる仕事をしていかなければならないでしょう。ある業界から全く別の業界へ、ある職種からまったく別の職種へとキャリアチェンジをすることもそんなに珍しいことではなくなっていくでしょう。したがって、別の言い方をすれば、キャリアにおいて成功するためには、過去の自分から現在の自分、そして将来の自分へと、私たち自身が変わっていかなければならないのです。そこで今回は、リーダーシップ教育の人気教授であるIbarra (2015)も主張する、キャリアを成功に導く「カメレオン戦略」を紹介します。


カメレオン戦略を一言でいえば、「様々な状況においてもっともふさわしい自分を演出する」ということです。カメレオンが環境に応じて変幻自在に自分の姿を変えるように、私たちも、状況に応じて自分自身の姿を変えるようにするわけです。別の例えを使えば、TPOに応じて着る服を変えるようなものことです。着こなしが上手な人は、派手な服でも控えめな服でもいろいろと試しながら自分のものにしていくことで、どんな状況であっても魅力的な自分を演出することができるのです。つまり、自分が置かれた状況において、他の人は自分がどのように考え、振る舞い、行動することが望ましいと考えているのか、どのような人に魅力を感じ、頼もしいと思うのかなどを察知し、そのような自分になりきるということなのです。Ibarraは、カメレオン戦略をとる人のほうが、そうでない人よりもキャリアで早く成功していくことを示唆しています。


キャリアのカメレオン戦略に対する反論として考えられるのが、それでは八方美人にすぎないのではないか、偽りの自分や仮面の自分を見せることは望ましくないのではないかというものです。確かに、近年では「自分に正直になること」「自分自身をさらけだすこと」「自分らしくあること」を重視する傾向があります。その代表的な理論が「オーセンティック・リーダーシップ理論」です。しかし、それに対してIbarraは、そのような発想は、逆に自分の殻に閉じこもってしまい、変われないあるいは変わろうとしない、成長できないあるいは成長しようとしない自分への言い訳を作ってしまうことになりかねないと警鐘を鳴らします。


そもそも、自分らしくあるとか自分に正直になるとかいう自分とは何でしょうか。私たちは、自分自身のことをそれほどよく分かっていないかもしれませんし、自分自身は将来変わっていくことも可能であるということも認識しなければなりません。また、自分自身の素の姿を出すことが必ずしも成功しないケースがたくさんあります。例えば、リーダーにはタフな面と優しい面の両方が求められます。自分はタフではないからといってメンバーに優しいだけでは優秀なリーダーにはなれないでしょう。仮に自分自身がどんな人間なのかについて熟知しているとしたとしても、それは決して固定化されたものではなく、変わりうるもの、進化しうるものであることを認識することが重要です。


カメレオン戦略は決して、自分自身について「嘘を嘘で塗り固める」ような行為を指しているわけではありません。これまでの自分自身は過去の産物です。これまで成功してきたスキルや能力を持った自分です。しかし、これまで成功してきたスキルや能力が、将来の成功につながるとは限りません。いや、新たなキャリアのステージに進むためには、過去の成功にすがりつくことなく、新たスキルや能力を積極的に獲得することが必要でしょう。カメレオン戦略は、多くの人たちから学び、様々な違う自分を試し、自分に合ったものを見つけていくプロセスにおいて、新しい自分に気づく、新しい自分に生まれ変わる、新たなステージの自分へと進化する・成長する、一皮むける、といったことを志向するキャリア戦略なのです。


カメレオン戦略を効果的に身に着けてキャリアで成功するための具体的な方法として、Ibarraは次の3つの行動を推奨します。1つ目は、多様なロールモデルを見つけ、その人の良いところ、優れた行動を実験的に真似て試してみることです。これは、様々なタイプのファッションセンスのある人を見習って、派手な衣装から無難な衣装など、自分も様々なファッションを試してみるようなものです。そのような実験を繰り返すことで、特定の状況下で、自分に似合った、今までとは違う自分を演出できるようになっていきます。2つ目は、成長のための学習ゴールを設定することです。成果を出すことも大切ですが、どのようなスキルや能力を身に着けるのか目標を立て、先ほどいった多様なロールモデルを見習いながらそれらのスキルを身に着けていくことです。そして3つ目が、過去の自分の物語りにこだわりすぎず、将来どのように自分が進化しうるのか、将来の自分の「可能性」に焦点を当てることです。カメレオン戦略を用いて自分自身を「バージョンアップ」していくことがキャリアの成功をもたらすことでしょう。

「販売の科学」をマスターして一生モノのスキルを身に着けよう

モノやサービスを売る力すなわち販売力はビジネスの基本です。いくら良いものであっても販売の仕方を間違えれば売れません。また、販売力を身に着ければどのような業界でも活用することが可能なので、ビジネスパーソンにとっては「一生モノ」の財産となることでしょう。しかし、Hoffeld (2016)は、販売力に関する多くのトレーニングが、逸話的なものや非科学的なものであるがゆえに、場合によっては販売力を阻害しているケースさえあると指摘します。では、真に成功する販売の方法とは何か。Hoffeldは、それを「科学的証拠」すなわちエビデンスに求めます。つまり、科学的な裏付けのある販売方法をとれば、確実に販売力がアップすることを主張するのです。


その方法とは、人間の脳がどのようなステップで販売に関する判断や意思決定を行うのかを的確に理解し、脳が下す意思決定のステップに自然に沿うようなかたちでアプローチをしていけばよいということです。非科学的な販売方法をとるならば、人間の脳の働きに逆らうような働きかけをしてしまうので失敗してしまうのです。Hoffeldの提唱する販売の科学は、まさに人間の購買意思決定に関する科学的な証拠に基づく自然なアプローチだと言えるのです。


では、Hoffeldの提唱する販売の科学を簡単に説明していきましょう。まず、私たちは、ある特定の商品やサービスに関するメインのメッセージからの影響と、それ以外の周辺的な状況による影響の2つの影響を受けながら購買意思決定をします。周辺的な状況とは、例えば、私たちは機嫌が悪いときに大きな買い物の意思決定をしないでしょうから、最初に「ご機嫌いかがですか」と聞くことが有効となるでしょうし、たった1つの選択肢を提示されて購買を迫られるよりも、複数の選択肢が提示されてどちらかを選択するようなアプローチをされたほうが実際に購買する確率が高まるでしょう。これらの周辺的な状況については、行動経済学でのバイアスの知識や、社会心理学における他者の影響(人は、他の多くの人が買っていますよというメッセージに弱いなど)の知識を詳しく学習することで理解が深まります。


次に、実際の脳の働きに自然に従うかたちでメッセージを伝えていく方法については、最初のステップとして、現状における顧客の問題点や、「マーケティングのジョブ理論」でいうところの「やるべき仕事(ジョブ)」を認識してもらうというものがあります。そもそも現状に問題がなければ、あるいはやるべきジョブがなければ、新たなアクションをとる必要もないので購買に動きません。しかし、そのような問題が顧客自身も気づいていないような潜在的なものである場合、現状について質問を投げかけていくのが効果的なアプローチになります。そこから、何かアクションを起こす必要があると顧客自身が気づくことが1つの前進になります。そして、今そのアクションが必要だという認識を喚起させることも重要です。緊急性を感じなければ、「先延ばし効果」が生じてなかなか購買には至りません。そのうえで、自社の製品やサービスが、その問題を解決する、すなわちニーズを満たすことを知ってもらうように働きかけることになります。そして、他業界や他社ではなく、自社の製品やサービスがその問題解決に最適であることを示さなければなりません。


さて、ここまでで、顧客が自ら、現状で抱えている問題(あるいはやるべきジョブ、ニーズ)を意識し、いますぐアクションを起こす必要性を理解し、問題を解決する(ジョブを遂行する、ニーズを満たす)のに最適な製品・サービスがあることを知ったことになります。これで顧客は自社の製品やサービスを買ってくれる、すなわち販売は成功しするかといえばそうではありません。人間は、頭(理性)ではその必要性がわかっていてもなかなか行動に移せないことがあるからです。このままでは顧客が本当に商品やサービスを購入してくれるかわかりません。では、何が決め手となるのでしょうか。それは「感情」です。脳科学や心理学などでは、感情が私たちの行動に多大な影響を及ぼしていることが科学的に明らかになっており、その知識を用いることが必須です。要するに、人は感情で動くのです。


人は、ネガティブな感情状態のときよりもポジティブな感情状態の時のほうが、つまり良い気分のときのほうが購買の意思決定をしやすいことはすでに述べました。さらに大事なことは、人間は、心の奥底において、「何かを失うことを極度に恐れ」「何かを得ることをとても欲する」という特性を持っています。これは理性でも合理性でもなく、動物としての人間が進化の過程で生き残るために培ってきた「本能」なのです。本能であるがゆえに、それらは感情の働きとして発現します。したがって、この感情の働きを後押ししてあげることで、自然と購買の意思決定に導くことができるのです。すなわち、適切な質問を投げかけるなどのコミュニケーション手段を通じて、「今すぐに購入しないと大きな損失を被るかもしれない」「今すぐに購入することで大きなメリットを得ることができる」という感情の働きを活性化させることが、最終的な購買を促すうえで重要だというわけです。


このように、人間が本来もっている脳の働きに自然に沿うようなかたちで販売アプローチを行うことが、販売の成功確率を確実に高めることにつながるといえるでしょう。