なぜ成果主義賃金を好む国と嫌う国があるのか:鍵となる「公正世界信念」

以前、わが国の人事の世界では「成果主義ブーム」が起こりました。年功的な賃金運用への批判から、高い成果をあげた社員には高い給料で報いるという方針を基本とする成果主義賃金の導入を進めようとする動きが全国的に広がったのです。しかし、このような「成果主義信奉」はやがて「成果主義批判」につながり、「ポスト成果主義」なる言葉まで生み出しました。わが国で成果主義賃金導入が成功しなかった理由はいろいろあるでしょうが、もし国民が基本的に成果主義の発想に賛成であるならば、そのような困難を克服してでも、社会全体として成果主義賃金の導入を目指そうとするでしょう。しかしどうやら、わが国では、成果主義賃金はあまり受容されないようです。


さて、ここでは、成果主義賃金を、個人の成果に応じて変動する賃金と定義しておきましょう。世界に目をうつすならば、アメリカでは基本的にこのような成果主義賃金が受容されるのに対して、大陸ヨーロッパでは成果主義賃金はあまり受容されません。このように国によって成果主義賃金の受容度に違いがあるのはなぜでしょうか。この問いに関して、Frank, Wertenbroch & Maddux (2015)は、人々が成果主義賃金を好むか嫌うかを左右する大きな要因が、人々が抱いている「公正世界信念(just-world beliefs)」の度合いだと主張します。


公正世界信念(just-world beliefs)とは、一言でいえば、人々が「この世界は公正にできている。みな平等の機会が与えられており、努力すればそれが報われる世界である」と思っている度合いを指します。公正世界信念が強い人は、「努力した結果として高い成果を出したならば、それに対して正当な報酬を得るのは当然である」という考え方をします。逆に、公正世界信念が弱い人は、「世の中は不公正・不平等である。人々は平等に機会が与えられるわけではないし、努力しても成果に結びつくとは限らない。だから、良い社会とは、社会全体で生み出した富を政府などの主導で人々の再分配するような社会である」と考えます。


Frankらによれば、大陸ヨーロッパは封建社会、貴族社会、君主制などによって、人々の身分や社会階層が固定されてきた時代を経て形成された歴史を持つため、伝統的には、公正世界信念は低い人々が多いと考えられます。いっぽう、アメリカ合衆国のような国は、自由や機会の平等を理想として新たに建国された国であり、封建制や貴族制などの歴史的背景が薄いために、公正世界信念が強い人々が多いと考えられます。それが大陸ヨーロッパとアメリカとの社会経済制度の違いにも表れています。ヨーロッパでは、所得格差は個人の努力や得られる機会とは関係ないところで生じがちであると考えるため、社会民主主義福祉国家が志向され、富の再配分による平等化が推進されます。一方、アメリカでは自由主義・市場主義が重視され、所得格差は人々の努力の度合いが反映されているのだからあるていど公正な結果であると考える傾向があるといえるでしょう。


企業の成果主義賃金というレベルに落としても、同様のことがいえるとFrankらは指摘します。成果主義賃金は、個人の努力によって生じた高い成果に対して高い賃金で報いるということですから、アメリカのような公正社会信念の高い人々で成り立っている国では好まれると思います。一方、企業レベル、チームレベルの業績に応じて全員に平等に支払われるような賃金は、報酬の再分配機能によって高い成果をあげた社員が、成果をあげられない社員を金銭的にサポートしていることになぞらえられますので、公正社会信念の低い人が多い大陸ヨーロッパで好まれると思われます。


Frankらは、上記のロジックから導き出された仮説を、3つの実験によって検証しました。その結果、大陸ヨーロッパ、アメリカ合衆国といった国の違いによって、人々の公正世界信念の度合いに違いがあること、そして、公正世界信念の違いが、成果主義賃金を好むか嫌うかの度合いに影響を与えていることが支持される結果を得たのです。

文献

Frank, D. H., Wertenbroch, K., & Maddux, W. W. (2015). Performance pay or redistribution? Cultural differences in just-world beliefs and preferences for wage inequality. Organizational Behavior and Human Decision Processes, 130, 160-170.

フェア・マネジメントと信頼との関係:「第一印象」にご用心

フェア・マネジメントにおいて重要な概念であるのが「信頼」や「信頼感」です。学術的にいうと、「信頼」とは「相手が自分を裏切らないことを信じて、自分の弱みをさらけだそうとすること」で、「信頼感」とは「相手が信頼するに足る対象であると感じること」です。順序的には、まず、相手に対して「信頼感」が生じて、それがゆえに相手を「信頼」するといえます。例えば、大切な自分のお金を誰かに貸す場合、まず相手に対する「自分を裏切らない(お金をきちんと返すだろう)」という信頼感があるから「信頼する(お金を貸す)」ということになります。


さて、個人同士の関係のみならず、組織と従業員といった関係においても、通説では、フェア・マネジメントによって、従業員が組織に対して「フェアである」という印象を持つならば、それが組織に対する信頼感の醸成につながり、そして組織に対する信頼につながるとされてきました。組織で働く従業員は、自分が属する組織が信頼に足る対象なのかどうかを知りたいため、その判断材料として、組織がフェアであるかどうかという情報を用いるということです。このプロセスからは、組織が地道にフェア・マネジメントを実践することで、組織に対する信頼感と信頼が、ゆっくりと着実に形成されていくことが示唆されます。


しかし、Holtz(2013, 2014)は、この考え方に一石を投じます。フェアネス知覚が、信頼感や信頼にゆっくりと影響を及ぼすというプロセスもあるだろうが、実は逆の関係、すなわち、第一印象などによって信頼感や信頼が急速に芽生えたのち、フェアネス知覚に影響を及ぼすというプロセスも存在するのだと主張するのです。彼らが拠り所とするのは、進化論的な視点です。人間というものは、進化の過程で、相手の表情などを一目みただけで、相手が信頼に足る対象なのかどうかを瞬時に判断するような性質が脳に埋め込まれているというのです。これは、石器時代のようなときに生き残っていくためには必須の条件だったことは納得できます。第一印象で瞬時に相手のことを判断し、かつその判断が後々の意思決定などに大きな影響を及ぼすといった人間の特徴はさまざまな研究でも確かめられています。


そして、Holtzが用いるもう1つの理論枠組みは、人間はどのようにフェアかアンフェアかを見分けるのかに関する「反事実的思考」です。これは、人がある出来事を経験もしくは目撃したときに、「違うやり方もあったのではないか」と想像するプロセスを指します。例えば、自分にとって理不尽だと思える結果を受け取ったときに「もしかしたら、もっと理にかなった結果を受け取る可能性があったのではないか」と考えます。そして、その考えが確からしいとき、すなわち「本当はもっと理にかなった結果が得られるはずだったのに、何らかの原因によって理不尽な結果になっている」という信念が強くなったときに、「アンフェアだ」という認識が強まるわけです。そしてその「なんらかの原因」を作り出した主体を、「アンフェアだ」と責めるわけです。


Holtzは、人々は、まず第一印象で瞬時に、相手が信頼に足る対象かどうかを見極めるため、もし、「その相手は信頼できない対象だ」というように判断したならば、その相手による行為はすべて「信頼できない」と疑いがちになるだろうということを示唆します。つまり、相手が信頼できない対象だと思い込んでしまうと、実際に相手を信頼しなくなります。そうなると、その相手が行った行為については、常に「もっとよいやり方があったのかもしれない(なのに相手はそうしなかった)」と考えがちになるため、結果として、相手の行った行為を「アンフェアである」と判断しがちになるというのです。


逆に、第一印象で、「その相手は信頼に足る対象だ」と判断した場合、その人は相手を信頼するようになります。相手を信頼しているならば、たとえ相手がした行為がちょっと理不尽であると感じたとしても、「おそらくそのようにせざるをえない理由があったのだろう」などと相手の行為を正当化し、「もっとよいやり方があったのではないか」という反事実的思考をする可能性が低くなるということになります。つまり、相手の行為を「アンフェアだ」と思う確率が下がるわけです。


つまり、Holtzの主張によれば、ある対象がまったく同じ行為をし、まったく同じ結果を導いたとしても、人々がその対象に対して信頼感を抱いているか否かによって、それゆえに信頼しているかどうかによって、フェアかアンフェアかの判断が異なってしまうというわけです。Holtzは、この考え方を、一連の調査・実験を行うことによって実証しました。彼の研究成果は、組織や人がいくらフェア・マネジメントに励んだとしても、第一印象が悪くて「不信感」を相手に与えてしまったら、効果が半減してしまうことを意味します。逆に、第一印象で、自分たちは信頼に足る対象であるというように相手に思ってもらえたならば、その後のフェア・マネジメントの効果も一層高まることが予想されるのです。

参考文献

Holtz, B. C. (2013). Trust primacy a model of the reciprocal relations between trust and perceived justice. Journal of Management, 39(7), 1891-1923.

Holtz, B. C. (2014). From First Impression to Fairness Perception: Investigating the Impact of Initial Trustworthiness Beliefs. Personnel Psychology, 63, 499-546.

「包摂風土」の醸成が人材のダイバーシティを活かす

近年、人材のダイバーシティ・マネジメントの重要性がますます高まっています。ダイバーシティ・マネジメントの要諦は、性別、人種、国籍、文化などが異なる多様な人材を採用し、それに伴う多様性(ダイバーシティ)を、企業の強みに変換することです。ダイバーシティを高めることの利点は、多様な視点が得られることで、組織としてのクリエイティビティやイノベーション能力が高まり、それが企業競争力を高める可能性があることです。一方、ダイバーシティを高めることのデメリットとして、異なる価値観や文化的背景を持った人々が集まるがゆえに生じる、メンバー間の葛藤(コンフリクト)が、職場や組織の生産性を阻害することでしょう。


では、いかにして人材のダイバーシティを高める事によるデメリットを防ぎ、ダイバーシティのメリットを活かしていくことにつながるのでしょうか。この点に関して、Nishii (2013)は、組織や職場において「包摂風土(climate for inclusion)」が存在する事で、ダイバーシティのデメリットを防ぐことができるということを理論化し、実証的に示しました。


「包摂風土」とは、組織や職場において多数派(マジョリティー)と少数派(マイノリティ)が分離し、少数派にチャンスが得られないような状態ではなく、多様な人材のすべてが平等に組織や職場に参加していけるような組織風土を指します。これは、組織や職場が、多様な人材から学び、彼らを統合していこうとする雰囲気を有しているかどうかと関連しています。具体的にいえば、人々の属性(性別、人種、国籍)などに関わらず、すべての人々が平等・フェアに扱われ、お互いの考え方や価値観などが尊重され、そして組織や職場の重要な意思決定に彼らの意見が考慮されるような風土を指します。このように、包摂風土は、「全員が平等・フェアに扱われること」「異なった考え方が尊重され統合されること」「全員が意思決定に参加できること」の3次元からなると考えられています。


Nisiiは、男女のダイバーシティを題材とした実証研究において、職場でのダイバーシティが高まるほど一般的にはタスク・コンフリクトや人間関係コンフリクトが生じやすくなるが、職場において包摂風土が存在していれば、そういった関係は和らぐと予測しました。さらに、タスク・コンフリクトや人間関係コンフリクトが高まれば、一般的にはそれが職場全体としてのメンバーの満足度を低め、結果的に離職者を増加させるが、職場において包摂風土が存在していれば、そういった関係も弱まると予測しました。


Nishiiは、特定の組織における100部署、合計1324名の従業員を対象とした調査を行い、彼女の予測をおおむね確認しました。具体的には、包摂風土が高いほど、男女のダイバーシティが職場のタスク・コンフリクトおよび人間関係コンフリクトにつながる度合いが弱いこと、包摂風土が高いほど、職場における人間関係コンフリクトがメンバーの満足度を悪化させる度合いが弱いこと、そして職場メンバーの満足度が、彼らの離職率を予測することを確認しました。


Nishiiの研究から、組織や職場が包摂風土を醸成することによって、ダイバーシティが高まった職場において、メンバーが自分とは異なるタイプの人々に対して偏見やネガティブな印象を持つ可能性を抑え、かつ、コンフリクトが生じたとしてもそれを建設的に組織や職場の生産性の向上などに活かしていこうとする態度や行動につながることを示唆します。つまり、ダイバーシティが企業や組織のパフォーマンスの向上につながる可能性が高まることが示唆されるわけです。

参考文献

Nishii, L. H. (2013). The Benefits of Climate for Inclusion for Gender-Diverse Groups. Academy of Management Journal, 56(6), 1754-1774.

世界で戦うリーダーを育てるためにはフェア・マネジメントが必須である

グローバル化が進展する世界で日本企業が戦っていくためには、グローバルに活躍できるリーダーの存在が欠かせません。しかし、LIXILグループ社長の藤森氏は、日本経済新聞社のウェブコラムにおいて、日本がかつてのような勢いを取り戻すには企業や組織に世界で戦えるリーダーが欠かせないが、現状をみると日本の企業にはそうした強いリーダーはあまり育っていないと言います。


藤森氏は大手総合商社の石油開発部門で働いていました。仕事はおもしろく、飛び回っているうちに「世界でもっと大きな仕事をしてみたい」と思うようになりましたが、世界に挑戦するような選択肢は社内になかったと言います。しかし、次に転職した世界を代表する米大手企業の日本法人では、人材を国籍や働いている場所で差別することはなかったといいます。そのため、藤森氏は「米国のビジネス界で戦って、アメリカンドリームを達成する」と決意したのだそうです。


そのような経験を踏まえ、藤森氏は、日本の企業をグローバルに戦えるリーダーを輩出する組織に変えるには、まず人事に正しい競争原理を導入することが必要だと主張します。実践の場で結果を出せば、国籍や性別、年齢、立場に関係なく昇進できるという、「フェアで透明な人事」が行われれば組織は活性化し、リーダーシップを発揮する人が出てくるのだというのです。さらにそうした人事の仕組みに合った、「業績を公平に反映する給与制度」が備われば、人材にとって組織の魅力は増し、グローバルなリーダーが育つというわけです。


藤森氏は、2011年にLIXILのトップに就任し、同社をグローバルに通用する会社にするための変革を進めているところだといいます。変革のための実践の第1は「Respect Diversity」です。世界約30カ国の拠点に、宗教、人種、言語、肌の色、性別、大学など多様な背景を持つ社員がおり、そういった環境の中で社員が互いに尊重し合い、ベクトルをひとつの方向に向けるような企業文化を目指しているのだそうです。第2が「Equal Opportunity」で、誰もが平等、公平に評価され、チャンスを得られるような環境づくりです。第3が「Meritocracy」で、社員それぞれが自発的に自分の力を伸ばし、発揮していくような実力主義です。こうした取り組みのなかで、グローバルに戦えるリーダーが必ず、出てくるはずだと藤森氏は言います。

組織的公正の神経科学

組織において人々を公平に扱うことの重要性を前提にするのが、フェア・マネジメントであり、私たちは日頃、公正であること、公平であることを非常に重視しているといえます。そして、公正感および公平・不公平に対する反応は、私たちが成長の過程で後天的に身につけるものというよりは、人間として生まれながらに脳にプログラム化された生得的な働きであるということがわかってきました。小さな子供たちの兄弟喧嘩のようなものでも「不公平だ」という感覚が引き金になったりすることを考えると、公正感が生得的なものだということには納得感があります。


進化論的にいうならば、人間は社会的動物として進化する過程で、集団生活を維持するために、公正であることを重視するように脳が進化してきたとも考えられるのではないでしょうか。このような生得的な公正感の立場の妥当性を実証するのに役立っているのが、最近発展の著しい神経科学の研究です。このような背景を鑑みて、Beugré(2009)は、組織的公正の神経系モデル(neuro-organizational justice modelの可能性を議論します。


Beugréが提唱する組織的公正の神経系モデルは、公正に関わるイベントが、まず脳神経系レベルでの反応を引き起こし、それが心的プロセスにつながり、そして行動として発現されると考えます。脳神経系レベルでの活動は、実際の脳の複数の部位の活動が活発化することによって生じると考えられます。そして、脳神経系レベルで起こっていること説明に、人間がこの世界を認識するさいに用いる脳の機能として「Xシステム」と「Cシステム」という神経科学的概念を援用します。


Beugréによれば、脳神経機能におけるXシステムは、並列処理、記号以下レベル、パターンマッチングなどのシステムで、そこから人間の連続した意識経験が生み出されるようなシステムとして考えられています。Xシステムは、扁桃体大脳基底核、前帯状皮質、外側側頭葉、腹内前頭前野といった脳の部位を含みます。特徴としては、遅い学習、素早い処理、双方向、並立処理的な構造です。例えば、扁桃体は、態度、ステレオタイプ、人認識、感情などと関連していることが知られています。Xシステムが作動している場合の認知活動は、自動的で努力を必要としない種類のものです。Xシステムには、公正と何か、不公正とは何かのプロトタイプが備わっており、それらをパターン認識によって瞬時に判断するような働きをもたらすと考えられます。


Cシステムは、記号論理を用いて意識的な思考を行うような機能です。Cシステムには、外側前頭全野、後頭頂葉、内側前頭前皮質、吻側前帯状皮質、海馬、内側側頭葉などを含みます。Cシステムの特徴としては、迅速な学習、遅い処理、記号的、命題的構造です。Cシステムは規則的な分析を可能にし、Xシステムにプロトタイプを移送したりすることでXシステムを調節する働きも担います。Xシステムで処理できないようなものはCシステムに送られるというプロセスも生じます。また、適応や思考創出等を通じて経験からの学習を可能にします。前帯状皮質は、XシステムとCシステムを結ぶ役割をしていると考えられています。


上記に基づいた組織的公正の神経系モデルでは、まず公正感や不公正感を喚起させるようなイベントが生じると、それが、人間の脳におけるXシステムやCシステムといった特定の部位の活動を活発化させると考えます。もし、そのイベントが見慣れたわかりやすい状況であれば、Xシステムで公正・不公正のプロトタイプとのパターンマッチングが行われて瞬時に処理され、そのイベントが見慣れないために瞬時に判断できないような状況であれば、Cシステムに送られて、より意識的な認知活動がなされます。


それにより、感情喚起型神経パスと、認知思考喚起型神経パスを通って、公正・不公正の判断が行われ、それに対する反応につながります。感情喚起型神経パスを通過すると、例えば不公平なイベントを目の当たりにして即座に怒りや恨みといった感情的反応が起こります。認知思考喚起バスを通過する場合は、より冷静なかたちでの公正判断がなされます。もちろん、感情喚起と認知思考喚起は片方のみが起こるというわけではなく、公正判断につながる際には相互作用も生じます。どちらのパスが優先されるかによって感情面、認知面での強弱があるわけですが、一般的には、公正判断というのは、「感情による色のついた認識」だと考えられるとBeugréは言います。


組織的公正の神経系モデルは、神経科学的証拠によってフェアネス(公正)概念が人間の心に備わったものであることを示すもので、人間は生まれつきフェアかアンフェアかを気にかける存在であることを示唆するものです。ですから、職場においても、働く人々はフェアネスを意識し、フェアであるということは人々にとっては喜びをもたらす報酬であり、不公平であることは「人間として生理的に受け付けない」といえます。また、私たち人間は、他者が公正、不公正に対峙したときにどのような気持ちになり、どのように反応するのかを察することができるような能力を生得的に得ている可能性も示唆されます。Beugréは、これを指して心の公正理論 (fairness theory of mind)と呼びます。こういった人間の特徴をわきまえて、フェア・マネジメントが実践されるべきだと言えましょう。

文献

Beugré, C. D. (2009). Exploring the neural basis of fairness: A model of neuro-organizational justice. Organizational Behavior and Human Decision Processes, 110(2), 129-139.

神経科学が明らかにした2つの「不公平感」の違い

組織行動論における組織的公正研究では、従業員が感じる公正感(フェアネス)には複数の次元があることを指摘してきました。そのうち、とりわけよく研究されてきたのが、分配的公正(結果が公正か否か)と手続き的公正(結果に至るプロセスが公正化か否か)です。この2つが異なる次元のフェアネスであることは様々な研究で示されてきましたが、その違いというのは本質的なものなのか、特に、その違いはそもそも私たちが人間として持っている動物的な特質と関係しているものなのかどうかを知りたいところです。


例えば、経営の実践で最も関心事となるのは、従業員が「それは不公平だ!」と感じたときにどのような反応を示すかでしょう。当然、なんらかのネガティブな結果が予想されるわけですが、それがどのようなネガティブな結果になるのかをあらかじめ予測しておき、なんらかの対策を立てることは組織にとって重要です。「その結果は不公平だ!」と従業員が感じた時と、「その手続きは不公平だ!」と従業員が感じた時とで、ネガティブとはいえ反応の仕方が異なるかもしれません。しかもそこに人間の生物学的な理由があるとすれば、なおさら、その予測は確かなものとなります。


このような研究ニーズを満たしてくれるのが、近年発展の著しい神経科学的な研究技術です。Dulebohn, Conlon, Sarinopoulos, Davison,& McNamara (2009)は、fMRIという、人間の脳の活動をリアルタイムで測定する機器を用いて、人が異なる種類の不公平感(結果に対する不公平感と手続きに対する不公平感)を抱いたときに、脳の活動が異なるかどうかを調べました。


Dulebohnらの研究の結果わかったのが、人は「その手続きは不公平だ!」と感じるときは、脳の中でも社会認知に関する部位の活動が活発になりやすいのに対して、「その結果は不公平だ!」と感じるときは、脳の中でもより感情に関連する部位の活動が活発になりやすいということです。要するに、不公平感の種類の違いによって、脳内で活動が活発になる部位が異なるということなのです。


これは以下のようなことを示唆しています。まず、私たちにとっては、結果が不公平であるかどうかは分かりやすい判断であり、結果が不公平だと判断した場合は、即座に感情的になって怒りや感情の爆発が起こりやすいといえます。感情をつかさどる脳内の部位が活発化しやすいからです。それに対して、手続き的公平の判断はより思考や社会的文脈の考慮が必要になるため、手続きが不公平だという判断(とりわけ結果が不公平だという判断は伴っていない場合)は、怒りが爆発するなどの感情的な反応は起こりにくいといえます。社会認知を扱う脳内部位のほうが活発化しやすいからです。分配的不公正と手続き的不公正が異なる反応を喚起するのには、私たちが生得的に持っている生物学的特質に起因していることが明らかになったわけです。


このように、神経科学的な証拠によって、結果への不公平感が怒りなどの感情的反応を喚起しやすいということが明らかになったわけですから、組織としては、仮に不公正な結果になってしまったことを従業員に伝えなければならないときには、十分に感情面への配慮をしたうえで伝えることが重要だといえます。直接的にもしくは不用意に不公平な結果を伝えることは避けなければならないということでしょう。唐突に不公平な結果を従業員に知らせるということは最悪なことであり、そうではなく、そこに至る手続きやプロセスが公正であるということを前もって従業員にアピールし、彼らがより認知的に手続きを評価するようにさせ、そのあとで結果を見せるならば、それが例え不公平なものだと感じられたとしても、怒りなどの感情的な反応を抑えることができると考えられるのです。

文献

Dulebohn, J. H., Conlon, D. E., Sarinopoulos, I., Davison, R. B., & McNamara, G. (2009). The biological bases of unfairness: Neuroimaging evidence for the distinctiveness of procedural and distributive justice. Organizational Behavior and Human Decision Processes, 110(2), 140-151.

上司に対してキレる部下の心理メカニズム

仕事をしていくうえで、上司は特別な存在です。職務上、上司は部下に対して命令する権限を有していますし、部下の昇進や給与、雇用についての決定を行う強い権限を有している場合もあります。したがって、一般的には、上司に何か意見をいったり批判をしたりすることは得策ではなく、そういった行動は慎むことでしょう。


これは、上司による部下に対する侮辱的管理行動の場合についても同様だと思われます。侮辱的管理行動とは、公の場で部下を辱めたり、貶めたりするような行動を指します。このような場合、犠牲となった部下は、上司からの侮辱にじっと耐えるというのが想像されるのではないでしょうか。しかし、Lian, Brown, Ferris, Liang, Keeping & Morrison (2013)は、実際には、かなりの人が、上司からの侮辱的管理行動に対して「キレる」行動をしていると指摘します。上司に対してキレる、つまり反抗することは、本人にとって得になることはあまりないでしょう。むしろ状況を悪化させてしまう可能性もあるという意味で、合理的な行動とはいえないと思われます。では、なぜ、キレてしまうのでしょうか。とことん追いつめられると強いものに対しても攻撃するという意味で、「窮鼠猫を噛む」というようなことでしょうか。


Lianらは、これらの現象を理解するため、上司に対してキレる部下の心理メカニズムに関する研究を行いました。Lianらが重視するのは、部下が持っている自己コントロール能力と、自己コントロールを行おうとするモチベーションです。自己管理能力が高い人は、上司からの侮辱的管理を受けても、上司に対して反抗することが得にはならないことを認識し、自分の気持ちを静め、上司にはむかうような行動を抑えようとします。しかし、自己コントロール能力に欠ける人の場合、侮辱的管理を受ければ、自分自身を抑えられず、上司に対して怒りや敵意の感情が大きくなっていきます。そして、怒りや敵意が充満してくると、上司に反抗することが合理的でないことは分かっていても、上司に対してキレるということで爆発してしまうのでしょう。


自己コントロールを行おうとするモチベーションも大切だとLianらは指摘します。その源泉となるのが、上司の権力(パワー)です。Lianらは、上司の権力(パワー)を、制裁権力(coercive power)と、報酬権力(reward power)に分けます。制裁権力とは、望ましくない行動をする部下に対して罰を与えることができる権力を意味します。報酬権力は、望ましい行動をする部下に対して報酬を与えることができる権力を意味します。Lianらは、上司の権力が強ければ強いほど、部下は自分の行動をコントロールしようと動機づけられるので、そのような上司から侮辱的管理を受けても、反抗はしないと考えました。しかし、「天使よりも悪魔のほうが強い」というように、制裁権力を持っている上司に対するほうが、より自己コントロールへのモチベーションが高まると考えました。つまり、「ほめ上手の上司」よりも「怖い上司」のほうが、部下からの反抗を抑制する効果があると考えたわけです。


上記のような考えのもと、Lianらは次のような心理メカニズムを考案しました。まず、上司から侮辱的管理を受けると、自己コントロール能力のある部下は自分を静め、自己を制御することができますが、自己コントロール能力のない部下は、侮辱的管理に対する怒りや敵意が内側にたまっていきます。自己コントロール能力のある部下でも、侮辱的管理に対してはなんらかの怒りや敵意を生み出すことはあるでしょう。しかし、自分の感情や行動をある程度コントロールする力があるうえに、上司がとりわけ制裁権力を持っている場合、つまり「怖い上司」の場合には、より行動を慎もうと思うために、反抗には至りません。ただ、上司の権力が弱い場合は、上司に対する批判や反抗に出る可能性もあります。自己コントロール能力の低い人は、侮辱的管理に対する怒りや敵意がたまっている状態になっており、怖い上司の場合にはなんとか行動に移すのを我慢しようとしますが、それに耐えられないと「キレる」ことになるでしょう。また、上司の権力が弱い場合にはさらに「キレる」確率が高くなるでしょう。


以上をまとめると、上司から侮辱的管理を受けた場合、自己コントロール能力が弱い部下で、かつ、上司がそれほど怖くない場合には、もっともキレやすくなると考えられるということになります。それは、自分を抑えられない部下は、上司からの侮辱に対して怒りや敵意を抑えられず、とくに怖くない上司の場合には、その怒りや敵意が、上司に対する反抗というかたちで爆発することが起こりやすくなるということです。Lianらは、2つのフィールド調査を実施することによってこの心理メカニズムの妥当性を確認しました。

文献

Lian, H., Brown, D., Ferris, D. L., Liang, L., Keeping, L., & Morrison, R. (2013). Abusive supervision and retaliation: A self-control framework. Academy of Management Journal.