組織変革・社会変革のための4段階プロセス

複雑化が進む現代社会では、組織や社会において困難な課題を多くの人々の力を結集して解決していく必要に迫られています。社会全体でいえば、地球環境破壊、社会的不平等、国際紛争、エネルギー、生命倫理など、企業や組織でも、グローバル化ダイバーシティ、デジタル化、安全、ウェルビーイング、など対応しなければならない課題は枚挙にいとまがありません。とりわけ、資本主義制度のもとで活動する企業や組織は、自らの存在意義(パーパス)として社会に貢献すると当時に、確実に利益を稼ぐことで経営活動を持続させなければなりません。そのために、急速に複雑化し、変化や不確実性が激しい環境に適応できるよう、組織を変革しつづけなければなりません。また、複雑な社会課題を解決するためには、1つの組織のみでは不可能であるため、多くの組織を巻き込んだ連携を組んで課題に立ち向かう必要があります。そのために、個別の努力の限界を超えて、協働を通じて大きな変化を生み出していく必要があります。

 

しかし、組織や社会システムはそれ自体、生き物のように振る舞うとストロー(2018)は指摘します。そこでストローは、ずっと手がつけられなかった、大きな、もしくは根本的な課題を解決するために、システム思考を活用しながら、組織変革・社会変革を実現する具体的な方法を解説します。キーワードは、「コレクティブ・インパクト」です。カニアとクレイマーによれば、コレクティブ・インパクトとは、異なるセクターから集まった重要なプレーヤーたちのグループが、特定の複雑な社会課題の解決のために、共通のアジェンダに対して行うコミットメントであるとストローは説明します。そして、コレクティブ・インパクトの成功条件として、「共通のアジェンダ」「共通の測定手法」「相互の補強し合う活動」「継続的なコミュニケーション」「バックボーン組織」というポイントを挙げています。

 

ストローは、上記のような組織変革・社会変革を実現するための、4段階のプロセスを紹介しています。それは「変革の基盤を築く」「今の現実に向き合う」「意識的な選択を行う」「乖離を解消する」の4つです。

 

変革の第一段階は、「変革の基盤を築く」ことで、全体的に変化の準備を整えることです。これには、次の3つのステップが含まれています。1つ目のステップは、主要な利害関係者を巻き込むことです。具体的には、利害関係者になりうる人々を特定し、その人たちを個別に、そして全体としても巻き込む戦略を設計して実行します。2つ目のステップは、人々が実現を望むことと現在の立ち位置について最初のイメージを描くことによって、共通の基盤を確立することです。具体的には、理想的な結果についての共有ビジョンを描き、現時点で何が上手くいっていて、何が上手くいっていないのかについての概要を掴むことです。3つ目のステップは、人々の協働する能力を構築することです。具体的には、人々がシステム思考を活用し、難しい問題をめぐって生産的な対話をする能力や、今の現実に対する責任を引き受ける内面的な能力などを開発します。

 

変革の第二段階は、人々が「今の現実に向き合う」ことを支援することです。それによって、「何が起こっているのか」「なぜそれが起こっているのか」についての共通理解を構築するのみならず、自分がこの現実を生み出す原因にもなっている事実を受け入れるようにすることです。この時点では、理想的な未来についてより明確で豊かなイメージを描くことよりも、現実をより深く掘り下げることで「自分達の現在地を理解したいし、理解されたい」という欲求に答えることを優先します。具体的には、さまざまな要素が、時間の経過の中でどのように相互に作用し、ビジョンの実現を後押しするのか、損なうのかについて、関係者を巻き込みながら自分たち自身の大まかなシステム分析を行います。そうすることで、人々の行動に影響を及ぼす「メンタル・モデル」を浮き彫りにし、気づき、受容、新たな選択を促す触媒的な対話を生み出します。

 

変革の第三段階は、人々が、自分が本当に望んでいることに寄与するように、「意図的な選択を行う」ことを支援することです。その結果として、自分の最高の志を実現することの恩恵だけでなくコストも十分に認識しつつ、その志に対して全力で取り組む姿勢を構築します。具体的には、第二段階で明らかになった「現状維持を是認する議論(現在のシステムの短期的な便益)と、変化する場合のコスト(労力、時間、投資など)を明らかにします。次に、これを第一段階で描かれた、望む変化への議論(変化した場合の便益と、変化しない場合のコスト)と対比させます。そして、両方の便益を実現する解決策を生み出すか、その両者間での難しいトレードオフを進んで受け入れます。これらの意識的な選択を行い、人々が呼び寄せられていると感じるものや、生み出したいと心から願っているものを浮き彫りにするビジョンを通じて、その選択を活性化させます。

 

変革の第四段階は、第三段階で確認した「心から望んでいること」と、第二段階で明確にした「現在地」との「乖離を解消する」のを支援することです。また、システム上のレバレッジポイント(構造のツボ)を見つけ、継続的な学習と幅広く人々を巻き込むためのプロセスを確立します。具体的には、コミュニティからの意見を参考にしながら、因果関係のフィードバックを配線し直したり、メンタルモデルを変容させたり、選んだ目的を強化したりして、レバレッジの効いた介入策を提案し、練り上げます。そして、継続的に利害関係者を巻き込み、長期的なロードマップの一部として検証プロジェクトを組み込んだ実行計画を策定し、集めるべきデータを精査したり、利害関係者から得た意見による定期的な計画の評価・修正を行い、追加リソースの開発、機能する施策の拡大によって利害関係者の関与を拡大するプロセスを実行します。

 

これらの段階、ステップは必ずしも直線的には進まず、例えば、第四段階で学んだことが、継続する循環プロセスの中で新たに始まる第一段階にフィードバックされるといったことが起こります。この循環プロセスに十分な時間をかけることが極めて重要だとストローは主張するのです。

参考文献

デイヴィッド ピーター ストロー 2018「社会変革のためのシステム思考実践ガイド―共に解決策を見出し、コレクティブ・インパクトを創造する」英治出版

 

戦略・事業・人材を連動させる組織能力開発とは

近年、デジタルトランスフォーメーション(DX)を初めとして、時代が大きく変化していく中で生き残っていくために組織を変革させていく必要性が高まっています。そこで欠かせない視点が、経営戦略・事業戦略・人材戦略の連動であり、それを実現するための組織能力開発です。デジタルトランスフォーメーション(DX)であろうが一般的な組織開発であろうが、戦略・組織・人材が連動していない状態から連動する状態に組織を変革していくのが、組織能力開発というわけです。土井(2023)は、この組織能力開発を「活動システムマップ(Capabilitiy & System Map; CASM)」を基軸として推進する方法について紹介しています。

 

まず土井は、ドン・ウォリックによる「組織開発とは、組織の健全性(health)、効果性(effectiveness)、自己革新力(self-renewing capabilities)を高めるために、組織を理解し、発展させ、変革してく、計画的で協働的な過程である」という定義を紹介し、企業が適切な戦略を持ち、その戦略の実行に際して前向きなエネルギーを引き出す組織の健全性が重要だと説きます。とりわけ、外部環境の激しい変化の中で、顧客を維持し、競合他社に負けないたえに絶え間ない自己刷新が求められることを強調します。とりわけ、組織は個人個人の集合体であるため、組織の能力は一人ひとりの社員に何ができるかに左右されます。事業開発、マネジメント、課題解決など、企業の成長に不可欠な人材を活かしきれなければ、組織全体がもつポテンシャルは十分に発揮できないのだと土井はいうのです。

 

組織能力開発では、とりわけ経営戦略、事業戦略、人材戦略の連動が不可欠です。土井によれば、会社全体として何を目指すのか、パーパスやビジョンを設定し、その実現に向けて事業ポートフォリオの組み換えを考えていくのが経営戦略です。組織能力は一人ひとりの力の総和であるから、個人のベクトルの合力であるといえます。つまり、一人ひとりのベクトルの向きをそろえることが大切です。そのためには、パーパスやミッション、ビジョンなど企業の理念を言語化して組織の目的や進むべき方向性を明確にすることが大切なのです。それと同時に、ベクトルの一本一本を長くすることも組織能力を高めるうえで重要です。効果的なトレーニングやリスキリングで能力を高めたり、エンゲージメント、成長意欲、貢献意欲を高めることも重要なのです。

 

経営戦略・事業戦略・人材戦略の連動の次のステップとして、自社の経営戦略から、それぞれの事業戦略に合わせた人材戦略を実現できるよう、各事業において人材戦略と事業戦略を連動させます。事業戦略では、各事業部がそれぞれの事業領域においてターゲット顧客と提供価値を言語化します。そこから必要な人材要件も導かれますが、事業に必要な人材の要件モデルの策定、募集、採用、育成、配置、処遇、代謝という人材のマネジメントサイクルに関して、事業部側と人事部側がそれぞれ検討する範囲をしっかりと定めることが極めて重要だと土井は強調します。

 

経営戦略、事業戦略、人材戦略を連動させるカギとなるのが、活動システムマップだと土井はいいます。そもそも、経営戦略、事業戦略を実現するために必要となるのが、組織能力とそれを発揮するための活動です。ターゲット顧客とターゲット顧客に対する提供価値を言語化し、自社独自の価値を顧客に提供するために行う一連の活動や必要な組織能力を活動システムマップに書き出していくわけです。活動システムマップの作成は新たな価値提供に必要な組織能力と活動を言語化・可視化するきわめて重要な作業だといえます。

 

活動システムマップを作成した次のステップは、一連の活動を現場で実践し新しい組織能力を社内に定着させることだと土井はいいます。つまり、新たな組織能力の開発と実装です。社員一人ひとりが確実に成果をあげられるよう、成果につながる行動(コンピテンシー)を開発するのが人材育成であるとすれば、組織として確実に成果をあげられるよう、戦略と紐づいた一連の活動を開発するのが組織能力開発であるというわけです。一連の活動を促進する組織の諸要素とは、業務プロセス・構造とガバナンス・情報と測定基準・人材と報酬・継続的改善の仕掛け・リーダーシップと組織文化であり、この6つを、パーパス、ミッション、ビジョンから導いた一貫した思想のもとに設計し、現場に落とし込むことで、世の中の変化に対応できる新たな組織能力を開発することができるのだと土井はいいます。

 

繰り返しになりますが、企業を変革していくためには、変革しようとする方向に組織の構成員一人ひとりの活動のベクトルをそろえる必要があります。新たなビジョンに向かって、戦略と一人ひとりの行動と、組織の仕組みが連動した状態を作ることが組織能力開発で、新たに必要となった組織能力と、組織能力を獲得するための活動を可視化・言語化するのが活動システムマップなのでです。組織能力開発によって、活動システムマップを基に組織を自走させるようにすることが重要であることを土井は示唆するのです。

参考文献

土井哲 2023「成果を出す企業に変わる 組織能力開発」幻冬舎

 

ピーター・センゲに学ぶ「システム思考」入門

現代は、VUCA(変動制、不確実性、複雑性、曖昧性)の時代と呼ばれています。このような複雑な世の中において企業を経営したり世渡りを行っていくうえでますます注目が高まっているのが「システム思考」です。システム思考とは、対象や環境を様々な要素が結び付いたシステムであると捉え、システムが有する特徴を用いてその対象や環境の性質を理解することを可能にするスキルです。今回は、このシステム思考の本質を分かりやすく説明しているピーター・センゲの代表作「学習する組織」を用いて簡潔に解説してみたいと思います。

 

まず、全体を理解するためのシステム思考の要諦は、物事ではなく、相互関係を見ること、静態的な「スナップショット」ではなく、変化のパターンを見ることです。すなわちそれは、原因と結果がわかりにくい「ダイナミックな複雑性」を理解することです。別の言い方をすれば、ダイナミックに複雑な状況にある「構造」を理解し、レバレッジの低い変化と高い変化を見分けることです。このようなダイナミックな変化のパターンを理解する上での中心概念が、因果関係の環である「フィードバック・ループ」です。このフィードバックプロセスには、自己強化型のフィードバック・ループとバランス型のフィードバック・ループがあります。

 

自己強化型のフィードバック・ループは、小さな変化がそれ自身をもとに増強され、同じ方向にさらなる変化を生み出すプロセスで、成長の原動力です。物事が成長している状況にあるときはいつも自己強化型のフィードバックが働いているといってよいとセンゲはいいます。小さな下落が増強されてますます大きな下落になる衰退のパターンにおいても自己強化型フィードバックが働いていると言えます。つまり、好循環と悪循環を生み出すフィードバック・プロセスなのです。一方、バランス型のフィードバック・ループは、目的を志向するシステムの挙動で、車のアクセルとブレーキを使って一定の速度を保とうとしたり、哺乳類が体温を一定の温度に保とうとするために目的との乖離を修正するようなフィードバック・ループです。こちらは、システムを安定させる方向に働くフィードバック・プロセスです。

 

そして、多くのフィードバック・プロセスには「遅れ」が伴い、徐々に行動の結果をもたらす「影響の流れ」を中断させることがあることを理解することも大切です。センゲは、すべてのフィードバック・プロセスには何らかの形で遅れが生じるといいます。ただ、その遅れが認識されないか、よく理解されないことが多く、これがしばしば、あるアクションに対するフィードバックが思った通りに来ないという焦りから「行き過ぎ」を招くというわけです。自己強化型フィードバック、バランス型フィードバック、フィードバックの遅れの3つは、システム思考の基本構成要素であり、これの組み合わせによって、多くのシステムに共通して含まれ、繰り返し起こる構造としての「システム原型」が理解できるとセンゲはいいます。

 

センゲによれば、システム原型の数は多くなく、経験豊富なマネジャーなら直観的に知っているものだそうです。センゲはそのうちの9つを紹介しています。まず、もっとも頻繁に起こるものとして「①成長の限界」と「②問題のすり替わり」があります。成長の限界は、自己強化型のフィードバック・ループが望ましい結果を生み出すように働き、成功の好循環を生み出すが、特定の制約条件の存在や出現によって、その成功を減速させるバランス型のフィードバック・ループが働くことにより、成長が止まってしまうようなプロセスを指します。つまり、成長の好循環はしばらくの間は自己強化型のフィードバック・ループによって持続しますが、やがてそれが制約条件に起因するバランス型のフィードバック・ループにぶつかり、その作用が成長を制限するわけです。

 

問題のすり替わりは、ある問題の症状を調整または補正しようとする2つのバランス型フィードバック・ループと、一方からもう一方のループに作用する自己強化型のフィードバック・ループが存在しています。一方は、根本的な解決策を通じて問題の症状を緩和・解消しようとするバランス型フィードバック・ループで、もう一方は、対症療法的な解決策によって問題の症状を緩和しようとするバランス型フィードバック・ループです。多くの場合、対症療法的な解決策によるバランス型フィードバック・ループが優勢となり、対症療法による副作用が、自己強化型のフィードバックとして働くことで根本的な解決策の発動を難しくするため問題の症状を悪化させるという悪循環のプロセスにもつながっています。

 

成長の限界というシステム原型において、それを克服するためのレバレッジを得るためには、自己強化型フィードバックを強めるという方法もありますが、バランス型ループを生み出す制約要因を特定して、それを変えることが重要だとセンゲは言います。制約要因がある場合は、いくら自己強化型プロセスを増強しようとしても、その壁にぶつかってしまうからです。一方、問題のすり替わりのシステム原型において、それを克服するためには、根本的な対応を強めることと、対症療法的な対応を弱めることを同時に行うことが必要だとセンゲはいいます。対症療法的な対応に伴う副作用がもたらす自己強化型プロセスは根本的な対応を難しくしてしまうため、それを取り除くのがよいのです。

 

上記の2つのシステム原型以外のものとして、「遅れを伴うバランス型プロセス(システムの反応が鈍いために積極的な行動がやり過ぎにつながり不安定を生みやすい)」「介入者への問題のすり替わり(外部の介入者が問題解決を援助することが、内部の関係者の能力向上を阻害し、内部の解決策が生み出されなくなる)」「目標のなし崩し(短期的な解決策として、長期的な根本的目標を下げさせる)」があります。後ろの2つは、問題のすり替わり構造の一種と考えることもできます。「エスカレート(AとBがいる場合、AがBに対して優位性を築こうとすると、Bが脅威を感じ、Aに対する優位性を築こうとする、するとAが脅威を感じ、、、という行動が繰り返し行われ、エスカレートする)」というのもあります。

 

さらに、「強者がますます強く(限られた支援や資源をめぐって競うとき、一方が成功すればするほど、入手できる支援や資源が多くなり、他方の支援や資源を欠乏する)」「共有地の悲劇(個人が、多くの人々によって共有される限られた資源を個人のニーズにのみ基づいて利用すると、次第に得られる利益が少なくなった時にさらに利用努力を高めるため、最終的に資源が枯渇するか、損なわれる)」「うまくいかない解決策(短期的には効果をあげる解決策が、長期的に予期せぬ結果をもたらし、その結果によって同じ解決策をさらに用いる必要がでてくる)」「成長と投資不足(成長が限界に近づいたときに投資を行わなくなるため業績が低迷していく)」などが挙げられています。

 

上記で紹介したようなシステム原型すなわちシステムにおいて何度も繰り返し生じる「構造」の型を習得し、それを組み合わせることで、より複雑なシステムの理解が可能になるとセンゲはいいます。そして、システム思考を基礎とし、自己マスタリー、メンタル・モデル、共有ビジョン、チーム学習を加えた5つのディシプリンが学習する組織を生み出すと解説しています。

参考文献

ピーター・M・センゲ 2011「学習する組織――システム思考で未来を創造する」英治出版

 

ハイブリッド型社会的企業の運営を可能にする「構造化された柔軟性」

社会的企業とは、社会問題の解決を目的としたビジネスに取り組む企業を指しますが、社会問題の解決と収益を生み出すビジネスを両立させることは簡単なことではありません。SmithとBesharov (2019)は、営利企業と非営利企業の要素を併せ持つ社会的企業を、「ハイブリッド型社会的企業」と呼び、Digital Divide Data (DDD)というハイブリッド型社会的企業を対象とする5年にわたる調査を通して、ハイブリッド型社会的企業が持続的に経営を行うことを可能にする「構造化された柔軟性」というコンセプトを導き出しました。すなわち、しっかりとした構造を有しながらも、環境に応じて柔軟な対応を可能にする組織づくりを行うことが、ハイブリッド型社会的企業の持続的な運営に有効だというのです。

 

DDDは、カンボジアで最も不利な状況に置かれている人々を訓練しながらデータ入力業務に従事させることでスキルを獲得してもらい、もっと高い収入を得られる職につけるよう支援する(卒業させる)ことを目的として設立されました。DDDは、世界でももっとも貧困で不利な人々を支援しつつも、事業存続のための収益を生みだすビジネスとして成立させるという2つの異なる目的を両立させるという困難性を宿命として設立された社会的企業だと言えます。相矛盾するあるいは対立する目的を有しているのは社会的企業というビジネス上の宿命であって、この困難性から逃れられません。しかし、この2つを両立させることが、そのような存在意義(パーパス)を持った企業が持続的に運営されるために必要不可欠なのです。つまり、社会問題の解決と収益を生むビジネスのどちらか一つのみに偏ってしまうと、そもそもDDDが設立された存在理由としてのパーパスを実現できないのです。

 

SmithとBesharovは、DDDの設立からの紆余曲折を詳細に調査する中で、「構造化された柔軟性」という組織運営の特徴の重要性を発見しました。では、この構造化された柔軟性とは何なのでしょうか。これは2つの構造から成り立っています。1つ目は、「パラドキシカル・フレーム」という経営トップをはじめとして社内で共有される構造的なマインドセットで、2つ目は、「ガードレール」と呼ばれる、DDDが間違った方向に進んでいかないように進行方向をガードする組織内構造です。そして、この2つの構造を保ちつつも、経営としては常に実験的試みすなわち試行錯誤を繰り返しながら環境との相互作用を行い、柔軟な経営をしていくのです。この構造化された柔軟性が、営利性と非営利性の両方を合わせもつハイブリッド型社会的企業に宿命づけられている相対立する2つのパーパスを両立させることにつながると考えたのです。

 

DDDにとってのパラドキシカル・フレームとは、相矛盾する目的同士が相互に関連しているため、社会的企業を持続させるためには、それらを両立させることが必要不可欠であることを認識し、それを常に意識して組織を経営していたということです。これは、社会問題の解決とビジネスとしての収益性の両方を常に追求するということで、どちらか一方を優先することでも中途半端に妥協することでもありません。経営トップ以下、このようなパラドキシカル・フレームをリーダーやマネジャーで共有するというマインドセットとしての構造なのです。とはいえ、単に経営者、マネージャー、働く人々のマインドセットがそうあるだけでは経営が持続するとは言えません。そこで、両方の目的が実現するようにいろいろと動いてみる。すなわち、実験的な試み、試行錯誤を常に繰り返してなんとかビジネスを前進させるということが必要になってきます。

 

上記のように、パラドキシカル・フレームという認知的構造を維持しつつも試行錯誤を通じていろいろと動いていく運営において、その動きが不適切な方向に行ってしまわないようにガードするのが、ガードレールという2つ目の構造です。ガードレールは、片方は社会問題の解決、もう片方は収益を生み出すビジネスという測定可能な指標などを指し、社会問題の解決もしくは収益を生み出すビジネスのどちらかに焦点が当たりすぎ、どちらかの方向に行きすぎることで、片方の目的から遠ざかってしまいそうになったときに「赤信号」が点灯して方向転換を促すような構造です。社会的企業を道を走行している車に例えた場合、社会問題の解決と収益を生み出すビジネスは対立していて距離があるので、ある程度の道幅があるところを企業が走行するイメージです。片方に寄りすぎてガードレールにぶつかったら方向を反転するというイメージを持ってもらえば分かりやすいでしょう。

 

SmithとBesharovがDDDを調査した5年で、DDDが有していた「構造化された柔軟性」がどのように働いてきたかを簡単に説明しましょう。2001年にDDDが設立される前後から、創業者の頭の中では、DDDの宿命として最も不利な人々を雇用してサポートしながらビジネスとして収益を生み出すことが矛盾し対立していること、けれどもそれらを両立させることが会社設立の目的でもあるというパラドキシカル・フレームが出来上がっていました。この矛盾ないしは対立が顕在化するたびに、創業者やDDD幹部は、自社のアイデンティティ(私たちは何者か)やパーパス(何のために存在しているのか)に立ち返り、それを再検討します。また、社会問題の解決を主眼とする幹部と、ビジネスの専門家としての幹部の両方を経営に参画させることでガードレールの審判役を確保しました。そして、DDD運営の初期には、社会問題の解決を図るための試みがビジネスの持続性を犠牲にしているという懸念が、ビジネスを専門とする幹部から挙がって来ました。ガードレールにぶつかったわけです。

 

ガードレールにぶつかると、方向が転換します。今度は、ビジネスを専門とする幹部の増加や彼らの献身的な努力によって、様々な試行錯誤が行われました。そうする中でだんだんと困難が克服され、ビジネスが軌道に乗ってきます。しかし、収益を生むビジネスの成立と社会問題の解決という2つの目的の矛盾や対立が解消されたわけではありませんし、DDDが存続するためには両立が不可欠であるとう条件も変わっていません。また、ビジネスが成長していくにつれ、DDDの将来の方向性について様々な課題や懸念材料も出てきます。再び、DDDのアイデンティティやパーパスの再検討が行われます。そして、今度は、ビジネスとしては順調でも、社会問題の解決に対してDDDが十分にインパクトを出せているのかという懸念が社会問題側の幹部から出され、反対のガードレールにぶつかりました。それはDDDのさらなる方向転換を意味していました。

 

DDDはさらなる社会問題解決へのインパクトを求めて企業の舵取りを行っていきました。このように、SmithとBesharovが調査していた期間において、DDDは、パラドキシカル・フレームという認知構造を維持しつつ、なんとか2つの相対立する目的を両立すべく、組織のアイデンティティやパーパスを再検討、再定義し、それに基づいて試行錯誤を繰り返してきました。そして、どちらかが行き過ぎるとガードレールにぶつかって軌道修正するという動きを繰り返してきたのです。パラドキシカル・フレームとガードレールという構造があったからこそ、DDDが試行錯誤を通じて柔軟に組織を走らせても、迷走することなく社会問題と収益を生むビジネスの両立を追求しながら事業を継続することができたのだと言えましょう。繰り返しますが、社会問題の解決と収益を生み出すビジネスという矛盾や対立は解消されることはないでしょう。ですが、この両者を追い求め、両立させることがそもそも社会的企業を設立する目的でもあり、存在意義でもあるのです。構造化された柔軟性が、このような困難な宿命にある企業を持続させるために有効であることをSmithとBesharovは見出したのです。

 

参考文献

Smith, W. K., & Besharov, M. L. (2019). Bowing before dual gods: How structured flexibility sustains organizational hybridity. Administrative Science Quarterly, 64(1), 1-44.

陰陽・老荘思想から学ぶ長期志向の企業経営

企業を経営することには、ゴーイング・コンサーン(継続性、持続性)を前提としています。つまり、企業の経営者は、企業が持続的に存続できるように経営をしていく必要があります。その際には、現在の利益を維持しつつも、将来の利益につながるような投資を行う、株主や従業員のみならず、社会の公器として様々な利害関係者(ステークホルダー)の便益を満たしていくなど、一見すると両立が難しい複数の要素を追求していく必要があります。このように、長期的視点に立った企業経営において、経営者が相対立する要素を同時追求していく為に役立つ考え方として、ZhangとHan (2019)は、陰陽思想や老荘思想を紹介し、それに基づいたトップマネジメント・リーダーシップのモデルを構築しました。以下、ZhangとHanの考え方に依拠しつつ、陰陽・老荘思想から学ぶ長期志向の企業経営について説明したいと思います。

 

まず、陰陽・老荘思想とは何か。今回のテーマに則した形でごく簡単に説明するならば、陰陽・老荘思想では、森羅万象は、陰と陽という相対立する要素の絶え間ないせめぎ合いというダイナミズムで成り立っているという考え方に基づいた思想を展開します。例えば、男と女、昼と夜、天と地というように、それらは合わさることで全体を構成しているので、不可分な関係です。どちらかが欠けるとか存在しないということはあり得ません。しかし、お互いに反対の関係にあるから、一方が強まると他方が弱まるという関係でもあります。ただし、陰陽・老荘思想では、ダイナミックな変化を重視しており、一方が強まりすぎて極に達すれば、トレンドが転換して他方が強まり始めるといったように陰と陽が循環して動き続けていると考えます。これが宇宙における森羅万象の法則性なのであれば、企業経営も、この考え方に沿うことで、無理なく、持続的に成長発展したり存続し続けたりすることができると考えられるのです。

 

ZhangとHanは、陰陽・老荘思想の考え方を応用し、経営者が長期的視点に立った企業経営においてやりくりしなければならない最も根本的な対立軸として、時間軸(現在と未来)と、環境軸(組織と環境)を特定しました。時間軸では、企業は現在求められる様々な要求(例、短期的利益の確保、株主への還元)と、将来求められる様々な要求(例、将来の利益を生み出すための事業投資)という対立する関係をやりくりする必要があるということです。現在(及び過去)と未来は、両方あってこそ時間全体が成立するので、どちらか一方のみというわけにはいきません。そして、現在を重視すれば未来が犠牲になる、未来を重視すれば現在が犠牲になる、あるいは安定性や現状維持を重視すれば、将来必要なイノベーションや変化を実現できないという点で、陰と陽に対応します。陰は、「守り、安定、着実、保守」、陽は、「攻め、変化、冒険、革新」といった感じです。

 

環境軸では、自分の組織と環境との関係のやりくりが問題となります。組織と環境も、両方あって全体を構成しているので、どちらか一方のみを考えれば良いというわけにはいきません。株主や従業員といった組織の内部関係者の利益のみを追求すれば、自社を取り囲む業界、産業、さらには広く地域社会への配慮や貢献を欠くことになりかねませんし、社会貢献や環境保護など外部環境の利益ばかりを追求しては、自社の利益も出せませんし、従業員を幸福にすることができません。両方を追求する必要があるのです。また、企業と環境との関係においては、環境という大きな力に従うことも大切である一方、環境に積極的に働きかけることで、環境を良いものに変えていくといったプロアクティビティも必要です。これも、陰陽・老荘思想における陰と陽に対応することが可能です。陰は、企業を取り囲む幅広いステークホルダーで、産業社会全体を育む大地のようなもの。一方、陽は、企業自身が発展しようとする意志で、自己利益追求のエネルギー源とも言えましょう。

 

上記のように、ZhangとHanは、時間軸における2要素(現在と未来、安定と変化)と、組織と環境といった環境軸における2要素(内部利害関係者と外部利害関係者、従属と働きかけ)という4要素を基本とする、リーダーシップ行動のモデルを考案しました。陰陽・老荘思想の考え方を適用するならば、企業の経営者が長期的視点から企業経営を実践する際には、上記4つのお互いに対立する要素を陰陽の循環的な動きで捉え、動きながらバランスを取るということが望ましい経営ということになります。例えば、現在の利益を確保しつつも、将来の利益のための投資を行う。ただし、この2つは対立しており、現在の利益を確保しすぎると将来への投資が細ってしまうし、将来への投資を増加しすぎると現在の利益がなくなってしまう。よって、常に両方を睨みながら動く。そして、どちらかが強すぎて極まってしまう場合には、反対の要素に力を注ぐことを示すサインであると捉え、立場を逆転させる、といったような企業経営が行われることになります。

 

ZhangとHanは、独自に構築した企業のトップマネジメントのリーダーシップモデル(paradoxical leader behavior in long-term corporate development: PLB-CD)の測定尺度を用いた実証研究を中国で行い、長期的視点に立つCEOほど、PLB-CDを行うこと、そして、PLB-CDを行うCEOがいる企業ほど、R&D投資が多く、マーケットシェアが高く、企業の評判が良いことを実証的に示しました。ZhangとHanの研究は、陰陽・老荘思想とも馴染みが深い文化圏における東アジアのサンプルを用いた研究であるので、今後は、西洋においても陰陽・老荘思想と関連の深いリーダーシップ行動が企業の長期的持続性に良い効果を与えるのかの実証研究が期待されます。そういった研究が蓄積されていくならば、陰陽・老荘思想に基づくアジア発の企業経営理論が今後隆盛していくことも考えられます。

参考文献

Zhang, Y., & Han, Y. L. (2019). Paradoxical leader behavior in long-term corporate development: Antecedents and consequences. Organizational Behavior and Human Decision Processes, 155, 42-54.

 

論語から学ぶ日本的組織経営

日本の組織経営は世界から見てもユニークな点が多くあります。そして、それが戦後の日本の高度成長を支えてきたともいえるし、その後の失われた30年といった低空飛行の原因となっているともいえましょう。それに関して守屋(2020)は、日本においては、論語をはじめとする儒教が、日本の人々の無意識の価値観に影響を与えていると指摘します。それは、日本の教育や産業界の実践が儒教の影響を受けているので、そこで育った人々は必然的に儒教的な価値観を当たり前だと思うようになるからです。守屋が著書において詳細に説明する儒教的な日本の無意識の価値観は以下の10項目に集約可能です。

  1. 年齢や年次による上下や序列のある関係や組織を当たり前だと思う
  2. 生まれつきの能力に差はない、努力やそれを支える精神力で差はつく
  3. 性善説で人や物事を考える
  4. 秩序やルールは自分たちで作るものというより、上から与えられるもの
  5. 社長らしさ、課長らしさ、学生らしさ、先生らしさ、裁判官らしさなど、与えられた役割に即した「らしさ」や「分(役割分担と責任)」を果たすのが何よりいいこと
  6. ホンネとタテマエを使い分けるのを当たり前と思う
  7. 理想の組織を「家族」との類推で考えやすい
  8. 組織や集団内で、下の立場の「義務」や「努力」が強調されやすい
  9. 教育の基本は「人格教育」
  10. 男尊女卑

まず、上記の10項目がどのように日本の教育に影響を与えてきたかを見てみましょう。守屋がしているように対応させて説明するならば、日本の教育では、①年次による先輩・後輩関係が当たり前、②できないのは努力が足りないからだと考える指導(努力・精神主義)、③子供は基本的にいい子というタテマエ(性善説)、④学校が一方的に決めた校則をとにかく生徒は守らされる、⑤学生らしさ、先生らしさ、校長らしさなどが求められる、⑥生徒の個性化はタテマエで、集団指導に頼る、⑦先生がお父さん・お母さんで、生徒が子供たち、⑧現場の教員に対する過剰な負担の押し付けを当然視する、⑨日本の学校教育は「徳育」を担うことが大きな柱、⑩女性管理職、特に女性校長の比率の低さ、となります。さらに、教育の大前提として、②の努力・精神主義に加え、⑪集団の帰属重視、集団の教育力を活かす、⑫「気持ちを考える」ことこそ人格教育の基本、という価値観があることを守屋は指摘します。

 

そして、日本の教育を受けた人々が学校を卒業すると同時に間髪入れず入社する会社という組織、大きく言えば日本の産業界においても、上記に挙げた10+2の項目に対応する形で儒教的な価値観を整理することができると守屋は言います。それが以下の13項目です。

  1. 年功序列(①上下や序列関係が当たり前)
  2. 社員は全員、社長ないしは役員候補(②生まれつきの差はない)
  3. 残業や異動を断らないのが出世の基本(②努力・精神主義
  4. 不祥事の温床となるチェックの甘い体制(③性善説
  5. 社員がどう働くかは、基本的に会社が決める(④受け身の秩序・ルール)
  6. 社長らしさ、課長らしさ、新人らしさが求められる(⑤らしさと分のしばり)
  7. 会議でホンネを言わず、飲み会でこぼす(⑥ホンネとタテマエ)
  8. 社長がお父さんで、社員が子供たち(⑦家族主義)
  9. アルバイトや契約社員にまで過剰な責任と労働(⑧下の義務偏重)
  10. 仕事は修行の場で、人は仕事で磨かれる(⑨人格教育)
  11. 男女の賃金・待遇差別(⑩男尊女卑)
  12. 職場やチームのなかで、新人は育まれる(⑪集団指導)
  13. 空気を読んだり、忖度のうまい人間が出世しやすい(⑫気持ち主義)

そもそも儒教は、「秩序の維持や安定」を実現するために政治利用されてきた思想でもあります。ですから、「序列を重んじる」「親や上司、先輩のいうことを聞く」「空気には逆らわない」といった価値観の縛りが強まれば、「そのまま何もせず流されるのが最適な行動」となることを守屋は指摘します。そこに家族主義的な要素である濃密な人間関係、助け合い、育み合いが入ってくると、組織内の結びつきや人間関係を深める一方で、身内の悪事や失態、時代遅れの事項への処理のしずらさを生んでしまうというのです。また、企業が流行に乗じて経営理念やパーパス、ダイバーシティを高らかに謳ったとしても、それはあくまでタテマエであり、ホンネでは過去の誰かから与えられたものとしての古いやり方や慣習を変えられず、なんとなく維持しつづけているというようなことになるわけです。

 

例えば、守屋によれば、アメリカの社会では、「個」が重視されるがあまり、人々は「自分は何者なのか」というアイデンティティを常に考えなければなりません。ですから、会社の理念やパーパスが重要で、それと照らし合わせることで、自分のアイデンティティと整合性があって納得して働くことができる会社を見つけます。それが実現するまで何度か転職することも容認されます。一方、日本では、与えられた環境や組織に適応することが重視されるので、会社の理念やパーパスが掲げられていても、それはお飾りに過ぎないと守屋は言います。「自分は何者なのか」ということを考えない者同士がなんとなく結びついて「和」や「同」を作り、次々と上から与えられる役割や地位を果たしていきながら、定年までなだれ込むというのが、最近までの日本企業の姿だったというわけです。

 

そして、理想の組織を家族との類推で考えやすい儒教では、組織や集団を長期にわたって維持していくために、親が子を持ち、その子が親になり、また子を持ち、その子も親になって、、、という家族関係と対応する形で、組織においても、上司が部下を持ち、その部下がやがて上司になって部下を持ち、その部下も、、、といった連鎖を内部でうまく成り立たせることで、前の世代から伝えられてきた良き制度や文化、しきたりを、未来の世代へとうまく受け渡していくことが安定した秩序維持の基盤だと考えます。これが、受け渡しの順番や育む/育まれる関係としての「序列や上下関係」、自分の子や部下、後輩を、過去の遺産を引き継ぐ人材に育てていくという「伝統に価値を置く姿勢」につながっているというのです。日本の会社において、先輩は後輩をOJTを通して育てていくのが当たり前という風土はそこからきています。部下や後輩を育てることで上司や先輩も育つので、お互いに育み合いながら組織としての総合力を高めていくというのが日本の組織の強さでもあったことを守屋は示唆するのです。

 

では、上記のような特徴は日本の社会や会社にだけ当てはまることなのでしょうか。お隣の中国や韓国ではどうなのでしょうか。これについては、古代の思想としての論語を受け継いだ儒教の価値観は、日本のみならず儒教文化圏といわれる中国や韓国にも共有されているものもあるわけですが、こうした価値観自体の有無や比重の置き方、そこからの発展のさせ方、他の思想との関係(日本でいえば神道や仏教)、地理や風土の影響などを受けて、日中韓の違いは生まれてきたと守屋は指摘します。

文献

守屋淳 2020「『論語』がわかれば日本がわかる」(ちくま新書)

 

パーパスなき求心力・忠誠心を武器にしていた日本企業

近年、流行が広がりつつある「パーパス経営」。これは、社会における企業の究極の存在価値を基軸に経営を進めていこうとする思想ですが、これはもともとはジョブ型雇用を前提とする欧米企業のためにつくられた、極めて合理的な発想に基づいているといえます。つまり、欧米における企業は、その存在意義・目的を実現するために必要なジョブが集まったシステムだと考えられるのであり、企業のパーパスに共感した人材が、その中の1つのジョブ(ポジション)を担当することで、目的に実現に向けた一翼を担うということだからです。つまり、企業のパーパスが明確であれば、その実現に向けたジョブやタスクのコーディネートが容易になり、その実現に情熱を注ぐ人材を獲得し、活用できるということなのです。従業員から見れば、企業のパーパスに共感し、それゆえにそれを実現するためにその会社で働き、担当する職務に注力しているというところがポイントです。パーパスを基点にして経営を進めていくことが理路整然と説明可能なのが欧米企業の仕組みなのです。

 

一方、日本企業の場合は、戦後の高度成長期において、パーパスを基点としてジョブや社員を束ねるというような合理的な考え方に基づいた経営をしなくても、組織の求心力や社員の忠誠心を獲得する仕組みを作り上げたことで世界を席巻することができたのだと考えられます。なぜならば、戦後の日本が作り上げた企業すなわち「会社」は、運命共同体であって大家族のようなものであったからです。これは、いわゆる「メンバーシップ雇用」と「終身雇用」という日本に特殊な雇用形態からも明らかです。メンバーシップ雇用の意味合いは、運命共同体もしくは大家族の一員となることが、入社するという意味であり、いったん入社して会社という共同体の一員になれば、よっぽどのことがないかぎり追い出されることがないというものです。入社や入社後に職務を限定しない理由は、運命共同体のメンバーが、あるいは大家族のみんなが、お互いに助け合って働くことで、一族を繁栄させることを目的とするためです。

 

つまり、日本企業の場合は、運命共同体で大家族的な会社の発展を最優先させるために忠誠心をもって滅私奉公する社員を獲得できるような仕組みが確立していたわけです。少し考えるとわかりますが、一般的には、家族のような集団にパーパス(存在意義)は必要ありません。なぜ家族が存在しているかといえば、そうすることで生きながらえることができるからで、家族のパーパスは何かと問われれば、一族子孫が繁栄することだと言えましょう。もちろん、崇高な家訓をもった格式高い家族もあるでしょうが、一般的にはそうではありません。家族がさらに集まった農村や集落でも、運命共同体であることは変わりませんから、みなで力を合わせ、協力しあい、役割分担しながら農村や集落の維持と発展を支えることが最優先です。日本の会社はそのような運命共同体の代替でもあったので、辞令一本でいろんなところに行き、部署や担当職務が変わってもそれに没頭し、会社が苦しいときには歯を食いしばって乗り切ろうとする、忠誠心の高い社員を有する競争力のある組織になれたわけです。

 

企業の存在意義といったようなパーパスを意識しなくて求心力・忠誠心を武器にすることができた日本企業は、戦後のアメリカに追いつけ追い越せといったように国をあげた目標が明確であった時代、良いものを安くといったようにやることが明確であった場合には物凄い威力を発揮できました。モーレツ社員が滅私奉公で働きまくる日本企業の経営は、そもそも企業が運命共同体的ではない欧米企業に真似できるはずもなく、脅威以外の何物でもなかったでしょう。しかし、過去のようなクリアな国家戦略や目標がなくなった現代において、各企業が自社の存在意義であるパーパスを意識した経営が必要だと叫ばれるようになってきていることは周知のとおりです。しかし、日本企業の特徴を考えた場合、経営におけるパーパスの役割について、欧米企業と日本企業ではロジックの順序が逆になってしまい兼ねないところには注意が必要です。どういうことかというと、欧米のパーパス経営のロジックが「社会から必要とされる存在意義を果たすことで会社が発展できる」と考えるのに対し、日本企業のロジックは「会社が発展していくために、社会が必要とするものを提供していこう」と考えがちな点です。

 

なぜならば、運命共同体では、その共同体が存続し繁栄することが何よりも優先されるからです。運命共同体的なロジックに従うならば、社会が必要する究極の存在意義があるから企業が存在するのではなく、社員やその家族がお互いに助け合いながら生活していくために必要だから会社が存在するのです。ですから、日本企業の多くは、社員が働く目的が、会社の発展と、それに伴う家族の幸せというように、会社と家族がつながり、会社が社員の家族の面倒も(間接的に)見るという責任感も芽生えてきました。ですから、パーパスなどを意識しなくても、社員は当たり前のように忠誠心をもって会社に尽くすことが可能で、会社の発展のためであるならば何でもやってやろうとさえ思えたことでしょう。ですから、会社が繁栄できるのであれば、パーパスなどは脇においていろんな事業に手を出すことも起こりうるわけですし、時代の変化に応じて賢く業態を変えながら、アメーバのようにしぶとく生き残るということも可能なのでしょう。

 

欧米の企業には、日本のように会社を運命共同体とか大家族のイメージで捉えることは基本的にはありません。ですから、日本のようにパーパスなき求心力や従業員からの忠誠心など望めるはずもなく、企業で働く従業員の間でパーパスが意識されていなければバラバラになってしまう危険性があるわけです。伝統的には、特にアメリカ企業においては、社員を束ね、求心力を維持するために利用されてきたのは、資本の論理に従った株主価値の最大化と、それとリンクした報酬体系でした。つまり、企業が株主価値の最大化に資する利益を挙げられるかどうかがポイントであり、その利益に貢献できる人材が職務給や成果主義の形で報酬を受け取るというものでした。良かれ悪かれ企業と社員は金銭もしくは経済的交換関係で結びついており、CFOを筆頭としたファイナンスの機能がいかに重要だったかがわかります。しかし、環境破壊や不平等社会などにつながる資本主義の限界や株主至上主義への懐疑が、企業の究極の存在価値に立ち返ろうとするパーパス経営への回帰を招いたわけです。

 

では、日本企業は、これからもパーパスなき求心力・忠誠心を武器とした経営をしていけばよいのでしょうか。おそらくそうはいきません。まず、日本の会社というものが、戦争で荒廃した農村共同体や、仕事を求めて都会に流れ込んできた若者に変わって共同体を提供するという役割を果たしていたことから派生していることを忘れてはなりません。当時は時代からの要請や人々のニーズがあったからこそなのですが、もはや時代は変わり、今の人々が同じようなニーズやメンタリティを持っているわけではありません。また、グローバル化の進展や、ダイバーシティインクルージョンの重要性はますます高まっており、日本の会社であっても、同じ時代背景を共有しない多様なバックグラウンドの人々を包摂していかなければ会社は業務を行っていくことはできないでしょう。ですからこれからは、メンバーシップ雇用や終身雇用に映し出されているような運命共同体としての会社、大家族としての会社はだんだんと衰退し、日本特有のというよりは、世界である程度共通性をもった、あるいは標準化された、働き方や組織のあり方が求められていくのだと思われます。