ワーク・ライフ・バランスを議論する前に理解するべき「ワーク・ライフ・イデオロギー」

ワーク・ライフ・バランスは日本でもかなり前から議論がされてきました。しかし、ときどき議論がかみ合わなくなることがあります。例えば、そもそもワークとライフはバランスさせるものではない、というような意見が出てくる場合です。これはそもそも、ワークとライフに関する根本的な考え方が異なっていることに起因します。よって、ワーク・ライフ・バランスを実りのある形で議論するためには、その背後にあるイデオロギー(理念や価値観)を理解しておく必要があるのです。イデオロギーが異なれば議論が平行線をたどってしまうからです。Leslie, King, & Clair (2019)は、このような視点から「ワーク・ライフ・イデオロギー」の概念を提唱しました。


Leslieらが提唱するワーク・ライフ・イデオロギーとは、単に、ワークとライフの関係性についての個人の嗜好という意味ではありません。イデオロギーとは、この世界がどうなっているのか、何が真実なのかに関する信念です。よって、ワーク・ライフ・イデオロギーとは、「ワークとライフの関係性についての信念」と定義され、それが、ワークとライフの境界をどうしたいのかという個人の嗜好性にも影響を及ぼすと考えられます。そして、ワーク・ライフ・イデオロギーの多くは、その人々が暮らしている環境や文脈に長い間接している間に影響されて形成されると考えられます。では、ワーク・ライフ・イデオロギーの中身について見ていくことにしましょう。


Leslieらによれば、ワーク・ライフ・イデオロギーは、3の次元の組み合わせ構成されます。1つ目は、ワークとライフに必要な資源(パイ)の総和が固定されているか、拡張されるかという次元です。前者(固定)の場合は、私たちがワークとライフに割ける資源は限られているので、ワークを増やせばライフが減るというようなゼロサム構造になっているとする考え方です。後者(拡張)の場合は、ワークとライフがシナジー効果を起こすなどすれば、私たちが使える資源が増えるという考え方です。2つ目は、ワークとライフはきれいに分かれているのか、それとも相互に依存しているのかという次元です。前者の場合は、ワークとワークは独立しているのでお互いに影響を及ぼさないと考えるのに対し、後者は、ワークとライフは相互に依存しあっているので、ワークで生じた経験(感情、思考、行動など)がライフに影響を与えたり、その反対のケースがあると考えます。3つ目の次元は、ワークとライフでは、ワークが優先されるべきと考えるか、そうでない(ライフが優先もしくはワークとライフは同等)と考えるかという次元です。前者の場合、私たちにとって働くことが最も基本的な活動だという視点に立っており、後者の場合、仕事のみが人生ではないという考え方です。


ワーク・ライフ・イデオロギーは、以下の挙げるような、家族的、職場的、地域的、社会的な環境や文脈に影響されて形成され、先述のとおり、ワーク・ライフ・バランスに関する個人の嗜好性に影響を与えるとLeslieらは予測しました。まず、人々が資源が限られているような生活環境にいる場合に、ワークとライフに必要な資源の総和が固定されているという考えになりやすく、資源が豊富にある環境の場合には、ワークとライフのシナジー効果によってパイが増えると考えるようになりやすいと予測します。例えば、家族サイズが小さいか大きいか、雇用が安定、充実しているか、人口が密集している地域にいるかいないか、天然資源に恵まれた地域にいるかいないか、などがパイが固定化されているか拡張可能かに影響するというわけです。


次に、様々なことを境界を設けて分離することが多い環境で暮らしている人々は、ワークとライフはきれいに分かれて独立していると考えやすくなるのに対して、様々なことが連続的で境界があいまいな環境で暮らしている人々は、ワークとライフが相互に依存し、お互いに影響を与え合っていると考えやすくなるとLeslieらは予測します。例えば、離婚が多い社会で暮らしている場合かそうでないか、個人スペースがパーティションでくくられたオフィスで働く環境か、大部屋で一緒に働く環境か、人口的な建物で区切られた地域で暮らしているか自然と住居地が一体化したような地域で暮らしているか、旅行や移民受け入れに制限を設けるような社会にいるかいなかなどがワークとライフの境界線の明確さの度合いに影響するというわけです。


さらに、市場原理主義の環境にいる人々は、ワークが中心という発想でワーク・ライフ・バランスを考えやすくなるのに対し、非市場原理主義人間主義)の環境にいる人々は、ライフを重視するかたちでワーク・ライフ・バランスを考えやすくなるとLeslieらは予測します。例えば、核家族が多い環境か、親戚が周りに多い環境か、長時間労働を報いるような報酬形態の職場で働いているかそうでないか、子供が多く町内会が発達している地域で暮らしているかそうでないか、福祉を重視する社会で暮らしているかそうでないかが、ワークが中心かライフを重視するかの度合いに影響するというわけです。


さて、例えばヨーロッパでは、ワークとライフを明確に区分し、夏には長期休暇をとるなどの生活スタイルが多いのに対し、日本では、家庭に仕事を持ち込んだり有給休暇を消化しないことが問題になったりしていますが、これを、ワーク・ライフ・イデオロギーの概念を使って解釈するとどうなるでしょうか?ヨーロッパの地域は比較的豊かであるため、ワークもライフも両立できるという考え方の人が多く、また、物事を分離する傾向があるため、ワークとライフを分離して考える人が多いと思われます。また市場原理よりも福祉を充実する国が多いことから、ライフ中心の価値観が形成されたのだと思います。


一方、日本の方は、特に都市部においては住環境がそれほど充実していないので、ワークとライフのパイが固定していると考えがちだけれども、物事を分離せず境界が曖昧な環境なので家庭に仕事を持ち込んだり休日でも社内行事に参加したりする。そして戦後の高度成長に代表されるように長時間労働による経済のキャッチアップが国や企業で重視されてきたこともあって、特に男性はワークが中心のイデオロギーになりがちで女性は男性のそれに理解を示すようになったと考えられるのです。ただ、イデオロギーというものは固定しているわけではなく変わりうるので、日本においても若者や女性、新興企業などに対しては従来とは異なるワーク・ライフ・イデオロギーが浸透する(あるいはすでに浸透している)ことは十分に考えられるのでしょう。

参考文献

Leslie, L. M., King, E. B., & Clair, J. A. (2019). Work-life ideologies: The contextual basis and consequences of beliefs about work and life. Academy of Management Review, 44(1), 72-98.

なぜ戦略コンサルティングファームは超長時間労働から抜け出せなくなってしまったのか

戦略コンサルティングファームは、学部生や大学院生(MBAなど)の間で特に人気の就職先の1つだと言われています。しかし同時に、戦略コンサルティングファームは、一般では考えられないほど長時間働く職場であるという話も広がっています。近年、日本でも「働き方改革」が叫ばれ、世界的に見ても、ワークライフバランスなど長時間労働とは逆のトレンドがあるにも関わらず、戦略コンサルティングファーム長時間労働は異常だと言えるかもしれません。この点に注目したのが、Blagoev と Schreyögg (2019)です。 Blagoev と Schreyögg は、なぜ、戦略コンサルティングファームでは時代と逆行するような超長時間労働が慢性化しているのかという問いへの答えを見つけるべく、ある大手戦略コンサルティングファームC社のドイツ支社を歴史的な視点から詳細に分析しました。

 

実は、Blagoev と Schreyöggによれば、もともと戦略コンサルティングファームC社の仕事は(少なくともドイツでは)長時間労働ではなかったのです。1980年代までは、ドイツの平均的な企業と比べて極端に労働時間が長かったわけではありません。しかし、Blagoev と Schreyöggが突き止めたのは、その後、自然発生的に生じた長時間労働を伴う暫定的な業務構造が、2つの「ポジティブ・フィードバック・ループ」によってどんどん強化され、その結果、長時間労働を伴う業務構造が、簡単には改善できないほどに固まってしまった、すなわち「ロック・イン」されてしまったのだという現象です。以下で、もう少し具体的に説明しましょう。

 

まず、1980年代までの戦略コンサルティングファームC社の基本的な業務スタイルは、優れた戦略を描いた提案書を作成し、それをクライアント企業に提供するというものでした。これを、Blagoev と Schreyögg はアウトプット志向型の業務構造と呼びます。アウトプット志向型の場合、コンサルタントがクライアント企業にいく頻度はそれほど多くなく、日々の業務の多くを、自社のオフィスでのデスクワーク(分析や資料作り)に充てていました。しかし、1990年ごろから状況が変わってきます。戦略コンサルティングファームC社は、アウトプット志向型だけでなく、コンサルタントがクライアント先に常駐して、クライアントと密に関わる、プロセス志向型の業務構造を始めました。これは必ずしも、戦略的に行われたわけではなく、ある意味試験的あるいは自然発生的に生じたスタイルなのですが、この「クライアント常駐型」が、顧客企業からの支持を得て、どんどん拡大していったのです。

 

クライアント常駐型すなわちプロセス志向型の業務構造の場合、コンサルタントは、平日の日中は、常にクライアント先にいてクライアントの社員と会議をしたり一緒に動いたりしています。そうなると、アウトプット志向型の時に行っていたデスクワークや社内会議を自社オフィスで行う時間がなくなってしまいます。そのため、コンサルタント達は、クライアント企業の通常業務が終了した後に自社オフィスに戻り、夜間にデスクワークや社内会議をするようになっていったのです。夜間にデスクワークをやらないと、翌日またクライアント企業に出向かないといけないし、クライアント企業からは翌日までにやってほしい宿題が出るので、夜間にやるより他ないわけです。クライアントにも、「わが社は爆速で仕事をしてくれるエンジンを購入しているのだ」という認識があったという指摘もあります。これが、戦略コンサルティングファームC社の超長時間労働の端緒となったのです。

 

上記の端緒は、暫定的に生まれたクライアント常駐型の業務スタイルの中で、必要にせまられて対応した仕事のやり方でした。しかし、長時間労働を伴うこの業務構造が、2つのポジティブ・フィードバック・ループで強化の一途をたどります。1つ目のループは外部ループと Blagoev と Schreyögg が呼ぶもので、クライアント常駐型が顧客の支持を得て収益の爆発的な拡大を生み出したことです。 収益が増えるのだから、C社も、どんどん常駐型を拡大、優先させていきます。その結果として、C社では常駐型のコンサルティングが主流となり、日中はクライアント企業に常駐し、夜間に自社オフィスでデスクワークや会議を行う業務スタイルが定着し、それが当たり前のごとく強化されていったのです。

 

2つ目のループは内部ループと Blagoev と Schreyögg が呼ぶもので、社内の様々な仕組みや施策が、長時間労働を伴う常駐型の業務が定着する方向に接近していったことです。例えば、このころから、長時間労働を厭わない、若くて体力、知力、気力のあるエリート学卒者を高給で採用する動きが加速していきました。また、深夜まで仕事をするコンサルタントを支えるために、タクシー券の支給とかランドリーサービスなどの支援も始まりました。つまり、C社の働き方が、世間一般の働き方からすると常軌を逸するような長時間労働になり一般的な仕事感覚を持ったコンサルタントでは勤まらなくなってしまったため、長時間労働を厭わない優秀な若者を採用し、その若者に高給を与え深夜残業も快適にできるような環境を準備することになったわけです。それが長時間労働を伴う業務スタイルを助長させることになったといえるのです。

 

外部フィードバックループは、経済的成功がさらなる経済的成功を生むように長時間労働を伴う業務構造を固定化させる方向に働き、内部フィードバックループでは、社内のあらゆる制度や施策がお互いに補完しあって長時間労働を行うコンサルタントを支援する環境を整えることとなり、こちらも長時間労働を伴う業務構造を固定化する方向に働きました。その結果、C社の長時間労働を伴う業務構造は、簡単には壊せないほど強固なものとなり、いわゆる「ロックイン(動けなくなる)」状態に達したのだと Blagoev と Schreyögg は分析したのです。そして、ロックインされてしまった長時間労働をともなう業務体質は、その後、その業務体質が機能不全の兆候を見せた後も、いくつかの改善策をもっても変えることができないくらいに強固なものになってしまったといいます。簡単には壊せなくなってしまったがゆえに、C社が、ワークライフバランス施策など、長時間労働を解消しようとする施策を打とうとしても、成功することなく、慢性化してしまったのだというのです。

 

さて、Blagoev と Schreyögg の上記の分析は、経営学や組織論に対してどのような含意をもたらしているのでしょうか。従来の経営学や組織論では、組織は、外部環境に適応しようとする存在であると捉えがちでした。ですから、時代の流れとして長時間労働を解消する方向に動いているのであれば、その時代的趨勢に適応しようとして、戦略コンサルティングファーム長時間労働を解消する方向に業務改革を行うはずです。しかし、現実は違っていました。Blagoev と Schreyögg は、組織が外部環境に適応しようとするのではなく、逆に、外部環境から逸脱するような内部環境を作り出す、すなわち自社独特の仕事のペースを生み出すプロセスが働くことを示したのです。具体的には、社会一般の働き方や時間感覚とは逸脱した長時間労働を当たり前のように行う内部構造を戦略コンサルティングファームは作り出したのだといえるでしょう。それを説明するメカニズムが、外部と内部の2つの「ポジティブ・フィードバック・ループ」と、それによってもたらされる「ロックイン」だというわけです。

 

ですから、戦略コンサルティングファームに限らず、慢性的に長時間労働を厭わない職場体質になってしまっている一般企業や、ダイバーシティの重要性を頭では理解していながらも、現実にはいっこうにダイバーシティが進んでいない職場体質になってしまっている企業など、変革ができない企業の多くが、似たようなメカニズムによってロックイン状態に陥ってしまっている可能性があります。その場合には、表面的な小手先の施策では問題が解決できないこと、よって根本的な改革ないしは実験を繰り返すことによるロックインからの脱却を目指さなければならないということを肝に銘じる必要があるでしょう。

  

参考文献

Blagoev, B., & Schreyögg, G. (2019). Why Do Extreme Work Hours Persist? Temporal Uncoupling as a New Way of Seeing. Academy of Management Journal, 62(6), 1818-1847.

 

社会人はどのようにしてソーシャル・ネットワーキング・サービスと付き合っているのか

フェイスブックツイッターなど、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を利用することが当たり前の時代になってきました。SNSは、知人や友人との付き合いかたも変えつつあります。例えば、SNSが普及する以前では、基本的に人付き合いは1対1の関係でした。しかし、SNSが普及すると、SNSでつながりコミュニケーションを行う人々の数も格段に増え、多くの人々に対して一斉にメッセージを投稿したり情報開示を行ったりすることが一般的になりました。そしてSNSを使いこなすことでいろいろなメリットが得られるようになりました。このような時代の趨勢の中、友人関係が生活の中心を占める学生とは異なり、友人関係のみならず仕事上の付き合いもある社会人にとっては、どのようにSNSと付き合っていくのかについて頭を悩ませることもあるでしょう。なぜならば、仕事上いろいろなタイプの人と付き合ったりつながったりする必要がある社会人の多くは、友人同士で行うようなくだけた交流のみをSNS上で行うわけにもいかず、仕事とプライベートとで異なる自分を使い分けたり、仕事とプライベートでの人との付き合い方を変えたり必要があることが多いためです。


Ollier-Malaterre, Rothbard, & Berg (2013)は、社会人によるSNSとの付き合い方には、その人の特徴に応じた複数のタイプがあることを理論化し、それぞれのタイプごとにSNSの利用が仕事上でどのような結果をもたらすのかについてのフレームワークを構築しました。鍵となるのが、SNSのようなオンラインにおける仕事とプライベートの境界をどのように設定するかというSNS行動すなわち「オンライン境界マネジメント」です。Ollier-Malaterreらは、社会人が、仕事とプライベートとの境界を明確に設けることを好むか否かと、SNSにおいて、ありのままの自分をさらけだす傾向があるか、あるいは望ましい自分の姿を演出する傾向があるかの2軸を用いて、SNSの付き合い方の4つのタイプを導き出しました。そして、それぞれのタイプごとに、SNSの使用がその人の仕事上の評判や好感度にどう影響するかについて予想しています。


まず、仕事とプライベートの境界を設けず、自分自身をさらけ出すタイプの人は、「オープン型」のSNS行動をとります。これは、SNSにおいて仕事上の知人とプライベートの友人と分け隔てなくつながり、すべての人々に対して同じようにメッセージを投稿したり情報公開をしたりします。しかも、SNSにおいては、良い面も悪い面も含めて、ありとあらゆる投稿や情報開示を行い、ありのままの自分をさらけ出そうとします。Ollier-Malaterreらは、このようなオープン型のSNS行動は、仕事面において、平均的には評判を落としたり好感度を下げることにつながりやすいことを指摘します。なぜならば、オープン型の人は、プライベートでの活動や写真などで多少ふざけた投稿を行うなど、仕事上求められる行動規範から逸脱したような投稿をつながっている全員に対して一斉に行ったり、場合によっては友人関係のみならば許されるようなネガティブな投稿をつながり全員に向けて行ったりすることで、仕事上の付き合いしかない人から見ると違和感を感じるようなことが生じやすいからです。


次に、仕事とプライベートの境界を設け、自分自身をさらけ出すタイプの人は、「投稿対象選別型」のSNS行動をとります。これは、例えば、仕事上の付き合いの人はリンクトイン、プライベートの友人はフェイスブックというように仕事上とプライベートのネットワークを異なるSNSサービスで使い分けたり、同じSNSでも仕事上の知人にはプライベートの領域や投稿へのアクセスを制限したりします。そして、プライベート上の友人のつながりのみに、ありのままの自分をさらけ出すような投稿を行います。Ollier-Malaterreらは、このような投稿対象選別型のSNS行動は、仕事面において、評判を落とすことはないが評判を高めることもなく、平均的には好感度を下げることにつながりやすいことを指摘します。なぜならば、投稿対象選別型のタイプであれば、仕事上の付き合いの人に自分をさらけだすようなプライベートな投稿を見せないことから、オープン型の人がするように評判を落とすような投稿がSNSでつながっている仕事上の知人に伝わらないこと。しかし、SNSを通じて本人の評判を挙げるような情報も伝わらないこと、そして、プライベートな領域から仕事上の知人をシャットアウトするような行為が、彼らを阻害したり彼らにたいして冷たい態度だと受け取られたりする可能性があるからです。


さらに、仕事とプライベートの境界を設けないが、望ましい自分自身を演出するタイプの人は「コンテンツ選別型」のSNS行動をとります。これは、オープン型のようにSNSにおいて仕事上の知人とプライベートの友人と分け隔てなくつながり、すべての人々に対して同じようにメッセージを投稿したり情報公開をしたりしますが、投稿する内容を注意深く選別し、自分の評判や好感度を高めるような情報のみを開示しようとします。つまり、仕事およびプライベートのあらゆる知人、友人に対して、自分のイメージをよくするような情報を一斉配信するような行動です。Ollier-Malaterreらは、このようなコンテンツ選別型のSNS行動は、平均的にはその人の仕事上の評判および好感度を上げることを指摘します。なぜならば、基本的に投稿の内容や情報開示が、望ましい自分を演出するものであり、それが社会人からみても仕事上の行動規範にあったものであることが多いからです。


最後に、仕事とプライベートの境界を設け、かつ望ましい自分自身を演出するタイプの人は「ハイブリッド型」のSNS行動をとります。これは、仕事上の付き合いの人とのつながりと、プライベートの友人たちとのつながりを区別したうえで、それぞれのつながりに対して、もっとも自分の評判や好感度を高めるような投稿を注意深く選別して行うような行動です。これは、仕事上のつきあいの知人、プライベートでのつきあいの友人それぞれに対して、自分のイメージをよくするような情報をもっとも効果的に発信するようなSNS行動です。Ollier-Malaterreらは、このようなハイブリッド型のSNS行動も、平均的にはその人の仕事上の評判および好感度を上げることを指摘します。これは、コンテンツ型の行動と同様に、社会人の知人とのつながりに向けて発せられる投稿や情報開示は、社会人からみても仕事上の行動規範にあった、望ましい自分を演出するものであることが多いからです。


上記のように、社会人のSNS行動のうち、「コンテンツ選別型」と「ハイブリッド型」のような「オンライン境界マネジメント」を行う際、望ましい自分を演出するための投稿コンテンツを注意深く選別する必要があるため、それなりのスキルを必要とし、時間と手間もかかります。SNSではたまに不用意な発言や投稿をして炎上したり失笑を買うなどの「失敗」や「事故」が起こります。このような失敗があると一気に評判や好感度を下げることにつながりますので、注意が必要であるのと同時にスキルyや時間と手間も必要とされるわけです。つまり、「オンライン境界マネジメント」のスキルが高い人ほど、SNSで「コンテンツ選別型」もしくは「ハイブリッド型」の行動をとることで、仕事上の評判や好感度を高めることにつながるというわけです。ただし、ハイブリッド型のほうが仕事上のネットワークとプライベートのネットワークを使い分けながら、かつ投稿するコンテンツも使い分ける必要があるため難易度が高いといえましょう。また、Ollier-Malaterreらは、社会人のSNS行動は不変であるわけではなく、人生のライフイベントやライフステージの変化や、知人、友人からのフィードバックなどによって変化する可能性があることも指摘しています。

参考文献

Ollier-Malaterre, A., Rothbard, N. P., & Berg, J. M. (2013). When worlds collide in cyberspace: How boundary work in online social networks impacts professional relationships. Academy of Management Review, 38(4), 645-669.

ワーキングマザーになるということ:妊娠した女性社員にとってのアイデンティティの試練

働く人は誰しも、キャリアの節目において、職業上のアイデンティティを変化させる必要性が生じるでしょう。例えば、平社員から管理職になるとき、異なる分野へ移動するとき、海外勤務を命じられた時、転職するとき、独立したときなどです。しかし、私たちが職業上のアイデンティティを変化させる必要に迫られるのは、なにも仕事上の節目だけではありません。仕事ではなくプライベートや家庭上の役割の変化などの影響も受けるのです。Ladge, Clair & Greenberg (2012)は、このようなアイデンティティ変化の例として、働く女性が妊娠したときを挙げます。これはすなわち、私生活において「母」になることを意味するため、私生活のみならず、仕事面でも大きな変化が生じる可能性があるわけです。


それまでバリバリに仕事をこなしてきた女性も、母親になり、子育てという重要な役割を担うようになれば、これまでの仕事のやり方に修正が必要になるかもしれません。そうすると、仕事人として、そして家庭における自分自身のアイデンティティにも修正が求められることになります。Ladgeらは、実際に妊娠した女性ワーカーが、アイデンティティへの試練に対してどのように考え、どのように行動するのかについて、丹念なインタビュー調査を行って、モデルを構築しました。


まず、女性ワーカーにとって「初めての妊娠」というライフイベントは「職業人として自分はどのような人物なのか」「家庭では自分はどんな存在なのか」といったアイデンティティにゆらぎをもたらします。母親になったあと、自分自身のこれらのアイデンティティがどのように変化するのか、確信が持てなくなるのです。したがって、彼女たちは、妊娠中に、子供ができたあとの自分自身の複数のアイデンティティのあり方に関して思いを馳せることになります。「ワーキングマザーとしての自分は、これまでの職業人としての自分と違うのだろうか、違うとすればどう違うのだろうか」「母親という新たな役割が仕事以外で加わることで、私は仕事と家庭の役割をいかにしてこなしていけるのだろうか。仕事人としての自分と、母親としての自分をどう統合したり使い分けたりするのだろうか」「仕事と母親としての育児、家庭などで優先順位をどうすればよいのだろう」というようなことを考えるわけです。


次に、妊娠した女性ワーカーは「子供が生まれた後に、職業人としてそして母親としてなりたい自分とはどんなものか」「これら2つの役割をどう演じ分けたり統合するのか」といったことについてイメージを作っていきます。そして、母親になった後には、職業人としての自分のあり方を変更しなくてはならないといったようなことに気づくようになります。職業人としても、母親としても、これまでの自分とは少し違った自分になる必要があるということを認識するようになります。


そして彼女たちは、職業人としてそして母親として、これまでの自分とは異なるアイデンティティを再構築しなければならないという認識に対して異なる形で反応するようになります。大きく3つの反応の仕方があります。1つ目は、アイデンティティの変化の必要性を否定するという反応です。妊娠という事実に危機感をいだきつつ、でも今までの仕事における自分とこれからの仕事における自分はなんら変化しない、したくないという考えをするわけです。2つ目は、アイデンティティ変化の必要性のことはいったんどこかに置くなど、アイデンティティの変化を延期するというものです。そういうことは(実際に母親になってからとか)後で考えようというわけです。3つ目は、妊娠中であっても、母親になった後の新しいアイデンティティに移行し始めるという反応です。ワーキングマザーになるという事実を受け入れて積極的にそのような状況に適応していこうという態度だといえましょう。


Ladgeらのモデルでは、働く女性が初めての妊娠で経験するアイデンティティへの試練への反応は異なるわけですが、これには、女性ワーカーが働く職場の組織的な文脈や、個人的な文脈が影響すると考えます。組織的文脈としては、会社の公式な制度として、妊娠やワーキングマザーをサポートする仕組みが整っているかどうかの知覚や、同僚などとのインフォーマルなやりとりで感じる、ワーキングマザーに対する職場の肯定的もしくは否定的な態度です。個人的な文脈としては、妊娠そのもの経緯や事情(高齢妊娠など)、女性ワーカー自身の母親がワーキングマザーだったのか専業主婦だったのか、彼女たちの夫や家族のサポートや、母親と仕事を両立することに対する態度や意見などです。



Ladgeらは、このようなモデルを示しながら、企業としても、ワーキングマザーに対するワークライフバランスの支援のみならず、女性社員が初めて妊娠したときから、彼女たちが職業上そして家庭上のアイデンティティ変化への試練をうまく乗り越えられるよう、心理面などでも何らかのサポートを行っていくことの重要性を論じています。

参考文献

Ladge, J. J., Clair, J. A., & Greenberg, D. (2012). Cross-domain identity transition during liminal periods: Constructing multiple selves as professional and mother during pregnancy. Academy of Management Journal, 55(6), 1449-1471.

ワーク・ライフ・バランス実現への壁

わが国では、育児休暇や短時間勤務などの制度導入をはじめとするワーク・ライフ・バランスの施策推進が叫ばれてきましたが、長時間労働問題なども解消にいたらず、現実問題としてはワーク・ライフ・バランスが十分に普及できていないといえます。そこには、政策などが理想としているワーク・ライフ・バランスを実現させる壁があるからだと考えられます。


この問題にかんして、八代(2011)は、わが国では従来からワーク・ライフ・バランスが実現できていなかったのではなく、日本的雇用慣行のなか、別のかたちでワーク・ライフ・バランスが実現できていたのだと指摘します。それは、仕事に専念する夫と就業せず家事・子育てなどに専念する妻とのあいだでの「家族単位でのワーク・ライフ・バランス」です。


そもそも、長期雇用保障・年功昇進・賃金を特徴として持つ日本的雇用慣行は、暗黙のうちに「夫は仕事、妻は家事・子育て」の家庭内役割分担を前提としていたのだと八代は指摘します。したがって、女性にとって、子育て後の継続就業が容易でなかったりするのは、それが日本的雇用慣行(とその暗黙的前提)と基本的に矛盾するからだということになります。政策的に推進しているワーク・ライフ・バランスの実現を困難にしているのは、日本的雇用慣行だということです。


雇用が長期的に保証され、賃金が年々増加する環境を正社員に与える代償として、正社員は慢性的な長時間労働、頻繁な配置転換・転勤といった拘束性の強い就業形態に従事してきました。これは、経営から見れば生産性の向上につながっているといえます。なぜならば、日本的雇用慣行の中では、企業内部で長時間働き、かつさまざまな仕事を経験してきた従業員が豊富におり、これが競争力を生み出す人的資本となります。つまり、日本的雇用慣行のおかげで、日本企業は競争力を支える手厚い人的資本を組織内部に蓄積することが可能だったいうことです。


また、普段から長い労働時間は、企業にとって貴重な人的資本である従業員の「稼働率」をできるだけ高めることに寄与し、かつ不況期に雇用を守るため、残業時間を削減する余地を確保するという機能を果たしてきたのだと八代は指摘します。このようにして、日本企業は、世帯主である男性正社員に集中的な教育投資を行い、長時間労働によって稼働率を高めると同時に、専業主婦を養えるだけの生活費を支払うことによって、暗黙のうちに「家族ぐるみでの雇用」の形態を維持してきたのだといいます。


よって、このような日本的雇用慣行を夫婦がともに働く世代に同じように強いるならば、とりわけ女性は家事・子育てと仕事とのいずれかを選択せざるをえない状況に陥り、女性の就業率が高まれば出生率が低下するという関係に陥ってしまいます。よって、専業主婦つきの男性正社員の働き方を前提とした日本的雇用慣行を見直すことが、女性の就業継続と子育ての両立を図るには有効な手段だと八代は指摘します。厳格な雇用保障はたしかに専業主婦を養う世帯主にとっては何を犠牲にしてでも必要なものですが、一家に2人の稼ぎ手がいる場合には、厳格な雇用保障の見返りとしての慢性的な残業や転勤命令のほうがより大きな犠牲を強いるものになるというわけです。

働きやすい環境が生んだ長時間労働問題

わが国においては、従来から長時間労働が大きな問題となってきました。長時間労働が改善されないことが、ワークライフバランス(仕事と生活の調和)や、女性活用などが進展しない要因となっているとも考えられています。この長時間労働問題は、皮肉にも日本企業が「働きやすさ」を整備した結果として生じた可能性について考えてみたいと思います。


日本企業が作り出した働きやすい環境は、例えば手厚い福利厚生に代表されます。大手企業ともなれば、通勤手当はもとより、独身寮や社宅、社内預金制度などが完備されています。福利厚生以外にも、社内でのリクレーションの充実(宴会、旅行、運動会、家族ぐるみで参加できるイベント)も挙げられましょう。これは一言でいえば、社員が家庭生活における「余計なこと」「面倒なこと」に煩わされることなく仕事に集中できるよう、住まいのこと、資金運用のこと、さらには冠婚葬祭の支援まで、家庭生活におけるあらゆる面において企業がサポートしようとする体制を築いてきた結果だと言えましょう。大企業で配置転換に伴う転勤の辞令が下りてから赴任地での着任までのプロセスを驚くほどスピーディに短期間で行えるのも、企業が引越しに伴う金銭面、労力面で全面的にサポートしてくれるからでしょう。


多少皮肉を込めて言うならば、日本企業によるこうした手厚いサポートは「社員が余計なことを考えずに安心して長時間労働できる」ような環境を整えたのだといえましょう。


さらに、企業では暗黙裡に若いうちに結婚することを勧奨してきたと考えられます。いわゆる社内恋愛、社内結婚、そして女性社員の「寿退社」のシステムです。これは企業にとっても様々なメリットをもたらしてきたと考えられます。


まず、企業の中核を担う男性正社員にとって、若くして結婚して専業主婦の奥さんが家庭を守るようになれば、自分の身の回りのことに気を使うことなく仕事に集中できます。もしも独身時代が長ければ、早く退社して夜は合コンをしたりデートをしたりと、仕事以外の遊びに気を取られてしまい、仕事に集中できなくなるでしょう。また、当然のことながら家事も含め自分の身の回りのことは自分で面倒を見なければいかませんから、その分時間が取られます。ですから、できるだけ若いうちに結婚をしてもらって、夜も含めて1日の大半を仕事に費やしてもらいたかったのです。昔の時代の女性社員は、社内では男性正社員を仕事面で支え、結婚してからは妻として男性正社員を家庭で支えるという役割を担っていたのではないでしょうか。夫は妻がいないと身の回りのことは何も自分でできない。給料は妻に渡してしまい、家計は妻が仕切り、小遣い制になっているなど、男性が会社での仕事以外のことは何もできなくても、それだけ仕事に集中できるのだから大いに結構ということだったのでしょう。


また、社内結婚であれば、寿退社して専業主婦になった奥様方は、元社員として会社の様子をよく知っており、男性社員が長時間働くことについての理解も示してくれるでしょう。このように、間接的にも男性正社員の長時間労働をサポートしてくれるわけです。なおかつ、女性社員が若い年齢で寿退社してくれるということは、企業の人件費的にも大きなメリットがありました。年功序列型賃金制度のもとでは、社員の年齢が上がればそれは人件費負担につながります。しかし、女性社員の場合、若い年齢で退職し、その穴埋めとしてさらに若い社員を雇うということで、安めの人件費で労働力を回転させることができたわけです。

仕事観や会社のイメージは日米でどう違うか

わが国でも、日本企業と外資系企業とでは、職場の雰囲気や社員の特徴がかなり違うと感じることがあります。例えば、日本企業で正社員として働いている場合、「明日に突然、解雇されるかもしれない」と考えるのはほぼ非現実的でしょう。それだけ、雇用の安定が社会制度や法規制で守られていると言えましょう。しかし、外資系企業の場合、突然の解雇が起こりうる世界です。そしてそういった危機感が、職場での張りつめた緊張や規律、そして従業員のモチベーションにつながっているように感じます。外資系企業で働く人々は、それをむしろ当たり前のように感じているところもあります。


そもそも、このような雇用慣行の違いは、日本と外国における仕事観や会社イメージの違いを表していると考えられます。そこで、少々感覚的な話になりますが、典型的な比較として、日本とアメリカにおける仕事観や企業観の違いについて記述してみようと思います。


アメリカ人にとって、人生や生活のもっとも基本的なベースとなるコミュニティは「家族」でしょう。家族や親族という人と人とのつながりが、アメリカ人の心の拠り所となり、自分を含めた家族を支えるために、職業を持ち、外で仕事をこなして金銭を得るという考え方です。もちろん、自分の職業や仕事が生きがいとなりうるわけですが、あくまで人と人とのつながりのベースは家族なのです。だから「私はバンカー(銀行家)である。バンカーとして生計を立て、家族を支えている」というような感覚になります。よって、事情によって自分が行う仕事がなくなり「申し訳ないが、明日からの仕事はなくなった」と言われれば、バンカーとして、次の仕事をすぐに探すわけです。ここで「自分はバンカーだ」というアイデンティティは変わらないのがミソです。


それに対し、日本の場合、とりわけ大企業に就職するということは、「会社というコミュニティー、家族の一員になる」ことを意味しています。だからこそ、自分は何者か(バンカーなのか、エンジニアなのか)というアイデンティティなしに、何の仕事をするのか、どの部署に行くのかもわからないまま就職することができるのです。「○○会社の社員である」というのがアイデンティティだからです。これは、人と人とのつながりとしての心の拠り所が、会社にもあり、場合によってはそれが家族よりも強いことを示唆しています。会社は、自分の人生や家族を支えてくれるコミュニティーである。だから、会社が発展するために、社員全員が一丸となって、手分けして仕事をこなす、というのが仕事のイメージです。自分の職業を、バンカーやエンジニアというくくりで捉えないゆえんです。企業で正社員として働く男性社員が、朝速くから夜遅くまで仕事をし、家庭を顧みぬ暇がないとしても、それほど罪悪感が生じないと考えられます。もちろん、妻や子供に申し訳ないと思うでしょうが、会社も人と人とのつながりとしての心の拠り所になっているので、自分自身に対してそれほどのダメージにならないのでしょう。


したがって、日本企業で働く正社員にとっては、会社から解雇されるというのはアイデンティティ崩壊の危機に至るほどの大事件となりうるわけです。家族のようなコミュニティから追放されるということは、心の拠り所から追放されることを意味し、心をズタズタにされかねません。だからこそ、それは日常においてはあってはならないことであるというコンセンサスが社会でできあがっているのでしょう。


先述したように、上記の話はあくまで感覚的かつデフォルメされたイメージはあります。けれども、日米の仕事観、企業観の違いを示す見方ではあると考えられます。