なぜ日本企業では仕事や成果と賃金がリンクしていないのか

濱口(2011)は、他の国と比べてもかなり特殊な日本的人事制度のあらゆる性格を生み出す原型となっているのが「職務限定のないメンバーシップ契約」であるという明快な視点を提供しています。つまり欧米などの他国では、職務要件に基づいて仕事を遂行することに対する雇用契約なのに対し、日本では、そのような職務に従事するかをあらかじめ決めず、企業のメンバーとして仕事に従事することに基づく契約だというわけです。このような契約が、歴史的にどのように形成されてきたのかが、法制面との絡みで詳細に説明されています。


このような視点から見ると、なぜ日本では、職務や成果と賃金がリンクしていないのかがよく理解できます。これは、日本企業にも特有な人事異動や配置転換、出向・転籍の仕組みとも絡んでいます。そもそも、メンバーシップ契約であって雇用契約で職務を限定していないのだから、賃金事態を職務にリンクさせることの有意義性が薄れているのが現状です。したがって、賃金決定については、従事する職務に関係なく、一定期間ごとに賃金を上昇させる定期昇給が基本となっていました。また、メンバーシップ契約である以上、企業が従業員の面倒を生活面も含めて見るという視点もあり、そこから生活補償給的な思想が生まれ、年功的な賃金に発展していったのも事実でしょう。


年功的な賃金といっても、従業員が一律に一定の割合で昇級できるわけではなく、査定や考課によって賃金の上昇幅に差がでるようになっていることも周知の事実です。ただしこれは、職務成果に基づくものではなく(一部はそうかもしれませんが)、潜在的な能力(職務遂行能力)や、労働意欲、忠誠心といった、企業のメンバーとして優等生であるかどうかがモノサシになっていたといえます。メンバーである以上、どれだけ会社に対する忠誠心が強いかが問題となるのは当然でしょう。ただし、そういった全人格的な評価が主観的にならざるを得ないのは仕方がないところです。だからこそ、主観的要素を含まない年功的な部分が多かったともいえるのでしょう。


濱口によれば、日本企業に特有な人事異動や配置転換も、急速な技術革新に対する生産性向上運動の一環として成立し、それが、職務や成果と賃金との分離を促進する要因になったと指摘しています。実は、政策や企業側としては、職務給を確立することによって同一職務(労働)同一賃金の実現を考えていたといいます。しかし、実務的には、絶え間ない技術革新において、陳腐化された職務に従事する従業員を解雇して、新しい技術を必要とする職務遂行が可能な従業員を雇うのではなく、陳腐化された従業員を配置転換して教育することによって、雇用を維持しながら生産性向上をめざす方向が望まれたのです。この際、職務に応じて賃金が決定される職務給であると様々な支障が生じますが、職務と切り離された年功的、潜在能力的な賃金であれば、賃金はあくまでその人の忠誠心や潜在能力などに基づいて決定さえしていれば、会社の意向で従業員を自由に配置転換することが可能になるのです。


このように理解すると、近年わが国で流行した「成果主義」についても、欧米の成果主義と日本の成果主義とでは根本的に違うことがわかります。欧米の成果主義は、あくまで職務給を基礎として、その上に乗っかった成果給になります。つまり、明確に定義された職務の遂行によって支払われる賃金が、その職務の成果に応じて増減するというのが欧米型の成果主義です。それに対して日本型成果主義は、そもそも属人的な年功給や職能給(潜在的な能力に対して支払われる給与)をベースとして、成果に応じた賃金の増減を図ったものです。それがいかに困難な仕組かわかるでしょう。そもそも行う職務が定義されていないのに成果を問われるわけですから、その成果の測定や判断も恣意的にならざるをえず、恣意的、主観的な判断をいかに従業員に納得させるかが成果主義賃金の成否を左右する要因となるからです。