募集と採用選考の人事経済学1ー自己選択の促し方

以前のエントリーで、人事の経済学的理解とは、人事管理の仕組み(職務設計、採用、育成、賃金、評価など)によって、人間はどのように行動するのか(例、求職者はどのように就職活動するのか、従業員はどのように働くのか)。そして、その結果として企業は目的(例、利益の最大化)をどの程度実現できるのかということだという説明をしました。今回は、人事経済学的アプローチで、企業の募集や採用選考について考えてみましょう。


経済学的思考では、ロジカルに議論を展開する前に、まずは前提を明確にます。ここで前提とするのは、働く個人も、募集・採用する企業も、利益(もしくは幸福)を最大化するように行動する、平たく言えば、損得勘定で行動するということです。それ以外はひとまず捨象します。働く人、あるいはこれから就職する学生は、自分が負担するコスト(金銭的費用や努力や時間)に比べて得られる効用(平たく言えば収入)が長期的に見て最大化するような企業を選んで、その企業に応募します。採用されれば、コストに比した収入が最大化している限り、その企業にとどまって働き、別に収入を最大化する機会が見つかれば、その企業を離職します。収入が十分に蓄積されて遊んで暮らせるようになった場合は、遊ぶことが本人にとっては利益(=幸福)の最大化になるので、同じく離職するでしょう。要するに、常に制約条件のもとで自分の幸福度が最大になるように行動するということです。


人材を採用する企業も、自らの利益が最大化するように行動します。具体的には、自分の会社で、支払う報酬や付随するコストよりも大きな経済的価値を生み出してくれる人材に応募してもらい、その中から企業にとっての利益が最大になるような人材を選別し、その人材が、支払うコスト以上の経済的価値を生み出してくれるかぎり雇用し続ける。そうでなくなった場合、例えば、支払う費用よりも生み出す経済価値が小さくなってしまった場合は、確たる法的理由があれば解雇し、そうでない場合は自発的に離職してもらうように仕向けることになります。


ここで留意すべき前提は、人材と企業は労働市場を通してマッチングが行われ採用に至るわけですが、お互いが、ベストの選択をするための情報が十分に行き渡らない、よって情報の非対称性が生じているということです。例えば、求職する側は自分の情報はすべてもっていたとしても、採用する企業は短時間しかその人から情報を得ることができないため、応募者の情報をすべて入手できません。当然ながら、利益を最大化しようとする応募者は、自分に有利な情報のみを企業に提供しようとするので、企業は、本人の短所がどのようなものか、それがどれだけ企業にダメージを与えるものなのかが分かりません。同じことが、魅力的な人材を集めようとする企業が発する情報についても言えます。企業は、自分の会社が良い会社であるという情報のみを提供しようとします。よって、働く個人も企業も、変な相手をつかんでしまわないための工夫が必要になります。


そこで、企業が望ましい人材に応募してもらい、その中からベストの人材を採用するために、むしろ、情報の非対称性の中で行動する人間の特徴を逆手にとることで目的を実現できることを論理的に示し、その方法について議論するのが、人事経済学の1つの特徴です。そのロジックを簡単にいえば、相手の分からない情報を必死で探し出そうとするのではなく(そうしてもよいのだが、そうするとコストがかかる)、「相手が自分だけが知っている情報のみを用いて損得勘定を行わせることで、自己選択させるように仕向ける」とうことです。もう少しかみ砕いていえば、企業にとってほしい人材にとって得するように、企業にとってほしくない人材にとって損をするように、募集や選考方法を工夫するということなのです。企業が欲しくない人材を落としていくよりも、欲しくない人材が自分から去っていく(あるいは応募しない)ほうが、楽だし経済的なわけです。


このような自己選択を促す募集・選考方法に活用しやすい行動特性に、シグナリングというものがあります。求職する個人も採用する企業も、すべての情報が手に入らないなかで暗中模索するのではなく、自分にとって有利な情報は積極的に相手に発信しようとします。例えば、企業は、高給であることを示すことで、自社が良い会社であるというシグナルを発します。個人は、一流大学に合格することで、自分が優秀であるというシグナルを獲得・発信しようとします。よって、企業から見れば、募集・選考において、「シグナルを有効活用する」という原則を導くことができます。


「シグナルを有効活用する」ということの具体例は、「優秀な人(企業にとっての経済価値を最大化してくれる人)であれば楽に取得できる資格などを採用条件として求める」ということです。例えば、「公認会計士を応募条件とし、その職については高給を保証する」というものです。優秀な人であれば、それほど時間とお金をかけずに公認会計士資格を取得でき、それで高給の職にありつけるのですから、そのような人が応募してくるでしょう。一方、公認会計士取得に多大の時間とお金がかかる人の場合は、その努力やコストが割に合わないのでそもそも応募をしてこないでしょう。こうすることで、企業側が選別しなくても、応募者側のほうで「自己選択」して優秀な人のみが応募してくることになるのです。半ば暗黙的に行われている学歴重視の採用は、同じようなロジックに基づいています。もちろん、企業が欲しい人が入社したいと思えるほどの高給を提示する、しかし企業が欲しくない人からみると、結果的に損をしまうような報酬レベルであるということも前提となります。ですので、例えば高学歴を条件としながらも必要以上に高給にしてしまうと、何浪してでも一流大学に合格したいという人が出てきてしまいます。損得勘定でいえば、何年も浪人をすることで生涯年収が減ったとしてもそれでも一流大学卒とういシグナルを得ることのメリットのほうが大きいと考えるからです。


ポイントを整理すると、情報の非対称性を逆手にとって、応募者が自分の情報を使って自己選択をするように仕向ける募集・選考の方法の1つの考え方は、応募するのにコストがかかるが、入社できたらメリットが大きいようにすることです。自分の能力や会社への貢献度に自信のある人ならば、それだけ優秀なのだから応募するのに必要なコストも低く、得することが多いので応募する。そうでない人は、多大なコストをかけて応募しても割に合わないので応募してこないようになるのです。


それでも、自己選択効果が強く働かず、ほんとうは企業にとってほしくない人材、すなわち企業にとって経済的価値を生み出してくれない人材が間違って入ってしまう可能性もあります。この可能性を考慮し、さらに自己選択効果を強化させるためには、入社後1~2年の試用期間を置き、その間は低収入だが、正社員になった後は高収入が保証されるようにするという方法があります。試用期間中に能力がないと分かったり、期待される成果が出せない人材は、試用期間後に正社員になれず、放出されてしまいますので、自分のもっている情報(正確な能力情報)から、そのようなリスクを冒したくない人は応募してこないでしょう。試用期間後に確実に正社員になれるほどの能力と自信をもっている人のみ応募してくることになるでしょう。いわゆる、アップ・オア・アウト(最初は有期雇用で、一定期間内に期待される成果を出せば終身雇用権を与える)という仕組みも似たようなロジックで説明できます。