組織設計の人事経済学1ー組織パフォーマンスを最大化する意思決定構造

人事管理で重要なのは、自社にとって必要な人材を獲得し、その人材を活用して企業業績を最大化することです。そのために、過去の人事経済学シリーズでは、募集と採用選考教育投資と人材維持、そして報酬・昇進・評価について解説を行ってきました。しかし、いくら優秀な人材を獲得し、その人材に教育投資をし、インセンティブを与えても、アウトプットを生み出すための組織や職務が社内にいる人材の能力を最大限に活用できるように設計されていなければ企業は業績を最大化することはできません。そこで今回は、組織内の人材を活用しながら、組織パフォーマンスを最大化するためにはどのような意思決定の構造が求められるのかについて、組織を経済システムになぞらえるかたちで経済学的な視点から考えてみたいと思います。今回も、例によってラジアー&ギブス(2017)を参考にします。

 

経済学的アプローチとは、企業にせよ、人材にせよ、平たくいえば損得勘定に基づいて自分が得をするように行動するという目的合理性を前提とし、それが環境における様々な制約条件やトレードオフに直面した際に、どのように行動し、どのような結果をもたらすのかを理解することでした。このような考え方に基づき、今回はどちらかというと企業の視点に焦点を当て、組織のパフォーマンスを最大化するための意思決定の仕組みをどのように設計するのかを理解することにします。何の制約条件もなければこれは簡単なことで、組織内に存在する情報を最も効果的に活用することで最善の意思決定を繰り返せばよいだけの話です。しかしそこには非現実的な前提が含まれており、それが今回考える制約条件に値します。その前提とは、意思決定をする人間が全知全能であること、そして、組織が意思決定するために必要な組織内の情報が瞬時に利用可能であることです。

 

上記の2つの前提が、今回焦点を当てる、2つの制約条件に値します。それらは、組織で雇用した人材の能力(情報処理能力)と、情報を扱うコスト(情報伝達コスト)です。まず、人間の情報処理能力には限界があります。経済学では、限定された合理性という概念で表現したりします。よって、組織で働く人々の情報処理能力の限界という制約条件を受け入れつつ、無理なく彼らの情報処理能力を活用して意思決定するととができるように意思決定構造を設計することが重要になります。つぎに、意思決定に重要な情報は組織内のあちこちに散らばっており、組織内に局在する人材によって保有されていたりします。良質な意思決定のためにこれらの情報を伝達するには時間やコストがかかることを考慮する必要があり、この制約条件を受け入れつつ、最良な意思決定をするための構造を設計する必要があるわけです。

 

では次に、組織を一国の経済システムになぞらえて意思決定の優劣について考えてみましょう。過去には、市場メカニズムを基本した経済活動を行う資本主義国家と、中央集権的な計画経済を採用する社会主義国家とがありました。しかし、20世紀末のソビエト連邦の崩壊により、中央集権的な計画経済が劣っていることが露呈しました。これは、国家レベルでは中央集権的な計画経済が意思決定の面でも劣っていることを意味しています。ではなぜ、市場メカニズムを重視する資本主義経済のほうが意思決定の面でも優れているといえるのでしょうか。それには、アダムスミスのいう「見えざる手」が関連しています。つまり、市場メカニズムというのは、中央の存在しない完全に分散化された個々の意思決定(例、売買)を基本としていても、国家(あるいは社会)全体として富が最適配分されるような意思決定をしていることに等しい結果を得ることができるというわけです。まさに「見えざる手」なのですが、メカニズム的には、取引価格にすべての情報が集約されることで個々の取引主体が自分自身の損得勘定に基づいて取引を行っても、全体としてみると最適な意思決定が実現するという理解になります。

 

もし上記のロジックが正しいとするならば、組織の運営においても、市場メカニズムを最大限に取り入れ、中央のない分権的な意思決定構造を持っていれば少なくとも意思決定という視点においては組織パフォーマンスが最大化することになります。現代風にいえば、完全なるフラット型組織です。しかし、ほんとうにそうでしょうか。経済学的に考えるならば、おそらく、組織にとって最適な意思決定構造というのは、完璧に中央集権的なものと、完璧に分権化されたものの中間のどこかにあるはずで、その度合い(集権か分権のバランスのあり方)が、組織を取り巻く様々な制約条件の状況によって変わってくるということになりそうです。では、どのようにして組織の意思決定パフォーマンスを最大化するような最適解が導かれるのか考えてみましょう。

 

まず、中央集権による計画経済のような組織について考えましょう。この場合、組織で働く人々は、損得勘定に従えば中央からのルールに従うことが最も得をするので、自分勝手なことはせず、規則に従い、計画や意思決定のための情報を中央に伝達します。このような意思決定構造で考慮すべき問題は、中央集権で意思決定をするためには、組織内に局在している情報をすべて中央に伝達するか、さもなくば、無視して意思決定に用いないかどちらかです。前者は情報伝達のコストが組織パフォーマンスを押し下げるし、後者は意思決定の質を下げます。また、情報が中央に集まれば集まるほど、中央で意思決定を行う人材の情報処理の限界を超えてしまい、良質な意思決定ができなくなります。組織内でもっとも意思決定能力の高い人材を中央に集めることが合理的な人材配置となりますが、それでも情報処理能力の限界を超えてしまいます。また、組織の周辺におり重要な情報を有している人材は、それを中央に伝達するのみで自分の情報処理能力を活用することができず、機会ロスにつながります。彼らが能力を活用して重要な情報を扱い、それがイノベーションにつながる機会も失われます。そもそも、中央集権的な組織で働く人々にとって、規則から逸脱する行動は損をすることになりますので、各人材は言われたこと以上の工夫をするインセンティブを有しないのです。よって、これらの問題を解決するためには、組織に市場メカニズムを導入して分権化を進めることで、見えざる手を利用して意思決定の質やイノベーションの発生確率を高めていくことが必要になります。ではどこまで分権化を進めればよいのでしょうか。

 

市場メカニズムを導入した分権化の下では、組織で働く人々は、損得勘定に基づいて自分の持っている情報を活かして自由に意思決定を行います。例えば、局所的であっても良い意思決定をすれば自分の評判(市場でいえば価格)が上がり、収入も増えるので得をします。健全な競争が発生し市場メカニズムが機能すれば、局所的な意思決定は集合的には組織全体にとって最適な意思決定につながります。各人材が自分が得をするように工夫すればイノベーションにもつながるでしょう。では、完全な分権化の問題は何でしょうか。これは、経済学でいうところの「市場の失敗」という状況によって、全体として最も望ましい最適な意思決定につながらないという問題です。そもそも、経済活動がすべて市場を通して行われるのではなく、市場の代わりに組織が存在するのも、それが理由だといえます。市場の失敗の原因の一つが「外部性」です。「ネットワーク外部性」などがありますが、平たくいえば、経済主体同士の取引によって生じるコストや便益を、取引とは関係のない第三者が享受したり負担したりすることになる現象です。外部性が存在すると、組織内における自分自身の活動の損得が他の誰かの活動からの影響を受けてしまうし、自分の活動が他の誰かの損得に影響を及ぼしてしまいます。それから「公共財」の問題もります。こちらも、自分の行動が、第三者の便益に影響を与えるため、市場メカニズムが想定するような効率性が実現しません。これらの問題を防ぐためには、権限を利用して組織内の活動を調整する必要がでてきます。これは、人材の活動の自由を制限するために権限の一部を取り上げ、その権限を使って調整を行うというように、徐々に集権化を進めるプロセスに値します。「規模の経済」という市場の失敗もあります。活動を集中化したほうが効率が良くなるという現象です。これも中央集中化につながる現象です。

 

これまで述べてきたように、完全な集権化と、完全な分権化を比較した場合、それぞれの長所や短所が明らかになるので、組織の取り巻く制約条件を考慮することで、その中間のどこかの地点に、自社の組織の意思決定構造を設計することになります。その判断基準として、ラジアー&ギブス(2017)は、これに関して、以下の4つの論点として整理しています。

  • 中央と現場の知識の双方を効率的に利用すること
  • 必要に応じて意思決定を調整すること
  • 調整された良い意思決定をするための強いインセンティブを与えること
  • イノベーションと適応性を意識すること

 

産業・業界や 組織の規模、業務の特徴などによって、上記の4つの度合いは異なってきますので、各企業は、組織の意思決定パフォーマンスを最大化するために、これらの論点が自社ではどのような状況になっているのかを考慮したうえで、中央集権と分権の間の最適な地点を探しあてることになるのです。

 

また、ラジアー&ギブス(2017)は、意思決定を階層化することで、集権と分権のバランスを考える際に有効であることも述べています。つまり、意思決定は、構想、認可、実行、モニタリングという要素に階層化されているわけですが、いわゆる情報を生み出し、情報を使って実行する段階(構想や実行)では、生の情報に近いところで行う分権化が望ましく、意思決定のプロセスをコントロールするような段階(認可やモニタリング)では、中央で全体をコントロールする集権化が望ましいというわけです。

 

参考文献

エドワード・P・ラジアー, マイケル・ギブス 2017「人事と組織の経済学・実践編」日本経済新聞出版社