AIやロボット技術の積極導入は組織のルーチンをどう変えるか

組織の日々の活動を支えているのが、ルーチン(繰り返し)活動であり、ルーチンとは、組織がタスクやサブユニット間の調整に用いる定型的で予測可能な行動パターンとして定義されます。従来は、このルーチンに機械やITによる自動化を導入することで、より効率的、効果的に業務ができるように組織が発展してきました。従来の実務や経営学で前提となっていたのは、このルーチンを担うもっとも重要な主体は人間だということでした。しかし今起こっていることは、AIやロボットといった技術が、人間に匹敵する、あるいは一部は人間を凌駕するような学習能力や判断・意思決定能力を身に着けるようになったことによって、ルーチンにおいてもより重要な役割を担うようになっているということです。

 

もはや、人間にとって技術とは、人間が物事を成し遂げるために受動的に用いられるものという既成概念を超えつつあります。自律性や認知能力を獲得したAIやロボットが、人間と協働しながら組織のルーチンを支えていくという現象が起こっているのです。このような現実を考えるならば、人間のみをルーチンを担う主体としてとらえてきた従来の経営学を更新しなければなりません。この点を踏まえ、Murray, Rhymer & Sirmon (2021)は、AIやロボットのような技術と人間がどのような形で組織ルーチンを担う自律性を分担しあうか(結合自律性)によって、ルーチンが変化する度合い、その変化の予測可能性、そしてルーチンの環境変化への反応の感応度が異なってくること、それらの特徴についての理論化を行いました。

 

Murrayらは、まず、ルーチンを、そのプロトコル作成と行為選択の2要素に分けます。店舗経営を例として考えてみましょう。店舗業務には、店のレイアウトから陳列、発注・在庫管理、顧客対応、支払いなど様々なルーチン業務があります。プロトコル作成は、特定のルーチン業務において状況に応じて異なる行為を行うためのルールづくりです。例えば、商品の売れ行きによって陳列を変えるといったルールです。行為選択は、状況とプロトコルを照らし合わせながら実際の行為を選択することです。ルーチンのプロトコル作成と行為選択を技術と人間のどちらが担うかによって、結合自律性の4つのパターンが考えられます。

 

議論のベースとなるのが、技術が人間のルーチン活動を支援するという従来型の役割分担です。技術が人間の支援をするという意味での支援技術(assisting technologies)による結合自律性ですが、この自律性では、プロトコル作成も行為選択も人間が行います。技術は効率化や一部自動化を通してそれを支援します。2つ目は、人間がプロトコル作成を行い、技術が行為選択をするという捕捉技術(arresting technologies)による結合自律性です。店舗経営の例でいえば、無自店舗となってロボットやAIが顧客対応や陳列、発注管理を自律的に判断して行いますが、そのルール作りは裏で人間が行っているパターンです。

 

3つ目のパターンは、技術が機械学習などを通してプロトコル作成を行い、人間がそれに従って行為選択をするという、増強技術(augumenting technologies)による結合自律性です。店舗経営でいえば、顧客対応や陳列、発注管理などは人間が行いますが、そのルールは裏でAIが作成するというものです。店舗にいる人間は、AIが作成したプロトコル(レコメンデーション)にしたがって行為選択をします。そして4つ目は、プロトコル作成も行為選択も技術が担って人間を介さない自動型技術(automating technologies)による結合自律性です。店舗経営でいえば、例えば顧客対応は完全に無人化され、AIやロボットが学習をして、人間の力を介することなく効果的な顧客対応を行います。

 

では、支援技術による結合自律性との比較において、その他3つのパターンが組織ルーチンの変化度合い、その予測性、環境変化への反応の感応度がどう異なるかについてのMurrayらの理論を説明しましょう。まず、捕捉的技術による結合自律性の場合、人間が定めたルールに忠実に従ってロボットなどが行為選択するので、杓子定規で融通が利きません。それではまずいということでより柔軟性を持たせたり融通が利くようにルールの更新や改変を行うのは人間ですが、人間が直接行為選択をしていないので、どのようにルールを変える必要があるのかについての情報を得るのが難しかったり遅延したりします。そのため、支援技術による結合自律性と比べるとルーチン変化の度合いが小さくなるとMurrayらは論じます。

 

また、ロボットなどの技術は、人間が作成したプロトコルに沿って決められたとおりに行為選択するだけなので、支援技術による結合自律性と比べるとルーチン変化の予測性は高いと論じます。さらに、ロボットのような技術は杓子定規であって、行為選択の結果起こったことを理解したりそこから学習したりフィードバックしたりすることが困難です。つまり環境変化によってルーチンを変える必要性を認識してフィードバックを人間に返すことが困難なため、支援技術による結合自律性と比べると、ルーチンの環境変化への反応の感応度が非常に小さくなると論じます。

 

次に、増強的技術による結合自律性の場合、行為選択をする人間が、ルーチンの更新ニーズを察知した場合には、それを人間が受けてルールの更新や改変を行う場合と、それを学習機能をもったAIが行う場合とを比べると、後者のほうが人間が持つ現状維持バイアスなどの囚われないで更新や改変を行うため、支援技術による結合自律性と比べると、ルーチンの変化度合いは若干高まると論じます。また、同様の理由により、AIが行うプロトコルの更新や改変がブラックボックス化したり人間にとって分かりにくくなったりするのでルーチン変化の予測可能性は若干低くなり、人間は必ずしも杓子定規にプロトコルに従うわけでなく、ルーチンのプロトコルを変えなくても臨機応変に融通を聞かせたり柔軟に対応して行為選択をすることができるので、ルーチンの環境変化への反応の感応度が若干小さくなると論じます。

 

最後に、自動型技術による結合自律性ですが、行為選択をするAIやロボットも判断能力や学習能力があるので、人間が気づかないような微妙な変化についても察知し、それをプロトコルの更新や改変に利用します。よって、支援技術による結合自律性と比べるとルーチンの変化の度合いは非常に大きいと予測されます。また、人間が気づきにくい変化もルーチンの変化に取り入れますし、更新や改変もビッグデータ機械学習に基づいて人間が理解できないような方向にもっていったりブラックボックス化したりするので、ルーチンの変化の予測可能性も非常に小さくなります。そして、同様の理由、そして技術による情報処理や計算能力が高速でもあるので、ルーチンの環境変化への反応の感応度が大きくなると予想されます。

 

ルーチンを自律的に扱う担い手が、人間のみの時代から、技術と人間の結合自律性の時代に移行するようになれば、数多くのルーチンを回しながら活動を行う組織としては、ルーチンごとに結合自律性の種類について選択肢が増えることになります。異なる結合自律性はルーチンの変化、予測可能性、感応度などにおいて異なる影響をルーチンに与えるため、それが組織の生産性や競争力に影響するでしょう。よって組織としては、異なるタイプの結合自律性の特徴をよく理解したうえで選択することが重要となります。また、ルーチンを担う結合自律性の選択肢が増えることは、組織構造や業務の設計、事業戦略など様々な面と関わってくるでしょう。今回のMurrayらの理論化は、技術と人間の結合自律性の時代に組織ルーチンがどう変容していくのかを理解するうえでの第一ステップにしかすぎないともいえますが、このステップを皮切りに、後続する将来研究が、技術と人間との協働た結合自律性という新しい全体に基づいた新しい組織論の発展に寄与していくことが期待されます。

参考文献

Murray, A., Rhymer, J. E. N., & Sirmon, D. G. (2021). Humans and technology: Forms of conjoined agency in organizations. Academy of Management Review, 46(3), 552-571.

AIと人間の協働は企業の探索行動をどう変えるか

企業は、事業活動において商品やサービスを市場を通して顧客に提供することで利益を獲得し、それによって持続的に発展します。そこでは、安定的に事業活動を行うためのルーチンを確立して維持することが大事であると同時に、日々生じる問題や課題に対処することで事業活動を改善していくことや、新事業創造、新商品開発、事業多角化を含む長期的視点から見た経営戦略を策定して実施するために様々な機会を探索する行動が必要不可欠です。つまり、ルーチン外における様々な問題発見と問題解決をするための探索行動です。従来の経営学で扱ってきた企業行動の理論でも探索行動が重要なトピックとして含まれており、効果的な探索行動が、新たな戦略や事業の創造、既存の事業の改善などにとって重要であると論じられてきました。そこでは、探索を行う主体はもっぱら人間であるという前提が置かれていました。しかし、人工知能(AI)が自律的に学習し、意思決定ができるようになったり、新たなものを生成することができるようになりつつある現在、人間だけが企業の探索行動を主導するという前提が崩れつつあります。

 

Raisch & Fomina (2025)は、さすがに企業の探索行動から人間が排除されることは非現実的だが、少なくともこれからの時代は、企業の探索行動にはAIと人間が協働することが当たり前になっていくだろうと考え、AIと人間の協働が企業の探索行動をどう変えるかについての理論を構築しました。具体的には、企業が探索的行動によって問題解決を図る際のAIと人間の協働のあり方を「ハイブリッド型探索行動(問題解決)」として3つのタイプに分類し、それぞれのタイプごとに、探索行動の結果がどのような特徴を持つのかについての命題を導出したのです。ここでいう企業の探索行動とは、日常のルーチン業務からは解決策が見出せないような新しい問題を解決するために色々と探索する行動を指します。その際、AIには、過去のデータと統計的推論を用いて物事のパターンを特定したり予測するような予測(predictive)AIと、入力されたデータや学習したパターンから新たなデータを生成する生成(generative)AEに分け、それぞれの役割も論じています。

 

RaischとFominaが特定した1つ目のハイブリッド型探索行動は、自動的探索行動で、予測AIと生成AIが人間とは独立して自動的に複数の問題解決策を生み出し、人間がその中から最終的な解決策を選ぶような探索行動です。例えば、自動車メーカーが脱炭素を推進するための超軽量自動車部品の開発において、CO2排出基準をクリアするための何千通りもの設計を予測AIと生成AIにやらせて、最後に人間のエンジニアがその中からベストだと思われるものを選ぶような探索行動です。2つ目のハイブリッド型探索行動は、順序型探索行動で、予測AIが問題を特定し、人間がその問題を解決する方法です。例えば、新たな感染症が出現した際に、その予防や治療においてどの部分に焦点を当てるべきかの特定を予測AIにやらせ、AIが特定した焦点に対して人間の研究者が具体的な解決策を考えるといったような探索行動です。3つ目のハイブリッド型探索行動は、相互作用型探索行動で、予測AIと生成AIと人間が同時に問題の特定と問題解決にあたる方法です。例えば、小売業者が売上を伸ばすための広告のターゲットの選定と広告案の作成を、人間がAIを使いこなしながら行うような探索行動です。

 

では、それぞれの企業探索行動のタイプがどのような問題発見、問題解決アウトプットにつながるのかについて、RaischとFominaの理論を説明しましょう。まず、人間のみで探索行動を行う場合、認知的限界があるゆえに、探索範囲や問題解決の発想について、目先のものに焦点を当てがちです。一般的にはこれをローカルサーチと呼びますが、手堅い問題解決が期待される一方で、非常に新規性の高い問題発見、問題解決や、非常に複雑な問題の対処に難が出てきます。それに対して、基本的にAIが問題発見も問題解決も行って最後に人間が解を選択するような自動的探索行動では、人間が持っているような先入観やバイアスに囚われることなく満遍なく探索することになるため、人間の集団が行う探索行動と比べて探索の幅が広くなる傾向にあると論じます。一方、人間が特定の問題に対して主観的な勘も含めて深掘りしていくようなプロセスがAIにはうまくできないので、生み出される問題解決策の深さが減少することが予想されるとRaischとFominaは予想します。つまり、自動的探索行動の場合には、焦点が定まったローカルサーチではなく、ディスタンスサーチ(広く、浅く、より遠方への探索)になることを予測するのです。ローカルサーチでは解決が難しいような問題には適した方法だと言えるでしょう。

 

次に、順序型探索行動です。この探索行動の最初は予測AIが問題発見プロセスを担当するわけですが、AIは大量データの処理が可能であり、そこからパターン認識を行ったりするため、人間の集団のみで探索行動を行う場合には気づくことができないような発見やポイントの指摘が可能になります。人間は、AIによる問題発見活動から様々なことを学習することが可能で、その学習に基づいて、AIが見つけ出した特定の問題を選んでそれに対する解決策の生成に取り組むことになります。したがって、結果的には人間が特定の問題に焦点を絞って解決策を生み出すため、人間の集団が行う場合よりも、探索の幅は狭くなるとRaischとFominaは予想します。一方、人間がAIの問題発見活動から新たな気づきや学びを得ることでより洗練された問題解決策の考案が可能となるため、問題解決の深さは増大することが予想されるといいます。よって、より洗練されたローカルサーチによる問題解決が求められる場合には適した探索行動だと言えるでしょう。

 

最後は、相互作用型探索行動です。この場合、問題発見から問題解決までの全てのプロセスにおいてAIと人間がお互いに働きかけ合います。そのため、人間がAIが探したりたり特定したりする内容から学習するのみならず、AIも適宜人間からフィードバックやデータを提供されることによって学習するという効果があります。そのため、人間の集団が行うのと比較して、AIの力を借りている分、探索行動の幅が広がることになります。つまり、ローカルサーチのみならず、ディスタントサーチも行うことになると予測します。一方、自動的探索行動の際には、AIに頼っている分、生み出される問題解決策の深みがなかったのですが、相互作用型探索行動の場合には、問題解決にはAIのみならず人間も参加しているので、人間の集団が行う問題解決行動と同様に深掘りが可能になるとRaischとFominaは予想します。よって、ローカルサーチのみならずディスタンスサーチも必要な場合、けれども問題解決の深みも必要な場合には適した探索行動と言えましょう。

 

さらにRaischとFominaは、それぞれの探索行動の効果性を限定する状況要因を理論化しました。その1つが時間です。AIは高速な計算が可能ですし、人間のように疲労感を覚えませんので、あまり時間がなく短時間で探索しなければならないケースのように時間的制約が大きい状況では、人間の集団が行う探索行動と比較すると、とりわけ自動的探索行動の場合に、幅広く問題発見のための探索を行う効果性が高まります。その代わり、時間が限られている分だけ、問題解決の深みはさらに犠牲になると考えられます。また、順序型探索行動の場合には、時間的制約が問題発見の範囲をさらに狭くし、人間も時間を節約するために特定の問題に焦点を当てて取り組むので、問題解決の深みは増すことになると予測します。

 

状況要因のもう1つの変数は、対象分野に関する専門性です。企業が探索行動を行う際に、全く新しい課題に対応したり、新しい事業分野への進出を検討するなど、その対象における専門性がない場合は、AIが人間による専門性の欠如を補う働きをすることが考えられます。その結果、自動的探索行動の場合は、その特徴がより顕著になることが予想されます。つまり、企業がすでに有している専門性に頼ることなくAIが自律的に探索行動をすることによって、広く浅くといったディスタンスサーチの特徴がさらに顕著になるでしょう。一方で、人間がより積極的に関与する探索行動では、専門性の欠如が探索行動の効果性にブレーキをかける可能性があります。よって、順序型探索行動の場合には、その幅がさらに狭くなり、深さも抑制されると予想されます。相互作用型探索行動の場合も、その幅は抑制されて狭くなるでしょう。

 

RaischとFomina が構築した理論は、企業の探索行動をもっぱら人間が担ってきた時代が終焉し、AIが企業経営の表舞台に姿を現し出した時代において、企業行動論、企業の探索行動理論を更新していくための第一歩を踏み出したものだと言えるでしょう。AI時代における企業行動論の発展のための後続の研究が期待されるところです。

参考文献

Raisch, S., & Fomina, K. (2025). Combining human and artificial intelligence: Hybrid problem-solving in organizations. Academy of Management Review, 50(2), 441-464.

 

AIの実装は組織学習にどのような影響を及ぼすか

組織の大きな特徴の1つとして、物事や行為を安定的に繰り返すルーチンを有しているというものがあり、組織は、様々なルーチンを組み合わせることで業務を推進し、顧客に商品やサービスを提供したりします。そして、環境変化などに応じてこのルーチンを変化(進化)させるというのが、伝統的な組織学習論が論じる組織学習のポイントです。組織のルーチンそのものについては、人やモノが関わっており、機械化や情報技術の発達で自動化、効率化が進むことは常識となっています。しかし、従来の組織学習理論では、このルーチンを変えるという意味での「組織学習」そのものの担い手はもっぱら人間だという前提を置いていたように思われます。

 

しかし、この常識が覆されつつあるのが近年の機械学習を伴うAIの発展です。実際に意思決定をしたり学習したりするのは人間だけではなく、機械(AI)も自律的に意思決定したり学習したりするようになってきました。そのため、過去に時代にはもっぱら人間が行ってきた組織の意思決定を、機械学習を行うAIによる意思決定に徐々に置き換えていく動きが想定されます。その場合、組織学習の特徴はどうなっていくのでしょうか。ここでのポイントは、人間の意思決定や学習とAIの意思決定や機械学習とでは特徴が異なるため、その特徴の違いが、これまでは人間が主導となってきた組織学習の仕組みに影響を与えるということです。この点を反映して、Balasubramanian, Ye & Xu (2022)は、意思決定を人間からAIに置き換えるにつれ、組織学習がどんどんと近視眼的になっていくメカニズムを理論化しました。

 

Balasubramanianらは、意思決定を人間からAIに置き換えることで生じる組織学習メカニズムの変化を、ルーチンの多様性の減少と、ルーチンの背後にある知識の低下というように2つ挙げています。まず、ルーチンの多様性の減少について説明しましょう。人間は一人ひとり能力も性格も異なっていますし、学習の特徴や度合いにも多様性があります。その人々が集まっている組織では、ルーチンといってもまったく同じことが正確に繰り返されるのではなく、揺らぎや多様性が存在します。この揺らぎや多様性は、実は環境変化などに応じた組織学習の原動力となりうる要素です。一方、機械学習では、過去のデータに基づいた統計的アプローチによって、もっとも適合性の高い解を見つけ出そうとします。そうなると必然的に、組織におけるルーチンも特定のものに収斂していく傾向があり、ルーチンの多様性が減少するとBalasubramanianらは論じます。

 

ルーチンの背後にある知識の低下については、機械学習がもっぱら過去のデータを用いて推論するのに対して、人間の場合には、社会的文脈を理解したり、暗黙知を扱ったりできるため、組織が行う様々なルーチンの背後にある知識について、豊かさや深みをもっているとBalasubramanianらは論じます。一方、AIが行う機械学習はもっぱら過去のデータに基づいており、社会的な文脈や因果関係といった概念を理解できません。人間が暗黙知を使って思考できるのに、AIや機械学習形式知しか扱えないというのも、ルーチンの背後にある豊かで深みのある知識を獲得したり理解できない原因となります。この特徴は、ルーチンの多様性を減少させる要因にもなっています。

 

次に、Balasubramanianらは、人間の意思決定をAIと機械学習による意思決定に置き換えていくことに起因するルーチンの多様性の減少と、ルーチンの背後にある知識の低下が、3つのタイプの組織学習の近視眼に結び付くと論じます。1つ目の近視眼は、長期的視点の無視というものです。機械学習によるAIの意思決定は、過去のデータに基づいて常に目先にある問題の最適解を探そうとします。そもそもAIには長期的視点という概念や意味を理解することができません。AIは、目の前にある課題を最大限に効果的に行うように意思決定したり、ルーチンを修正したりすることは得意ですが、過去に過度に囚われることなく何が起こるか分からないような未来を想像したりすることは不得手です。それをしようと思ったら、多様な視点(多様なルーチン)や、ルーチンの背後にあるリッチな知識が必要なのです。

 

近視眼の2つ目のタイプは、様々なルーチン間の相互依存性を見過ごす近視眼です、組織は様々なルーチンを組み合わせて消費やサービスを生み出すわけですが、当然そこには相互依存性があります。AIによる機械学習は、過去のデータに依存し、形式知しか扱えないので、この範囲内で把握できるルーチン間の相互依存性(例えば、過去のそれぞれの相互作用から推論できるもの)は把握できますが、ルーチンを運用している人々が扱う暗黙知や過去のデータからは見えてこない顕在化していない相互依存性といったものを把握することができません。これらのような相互依存性の把握についても、ルーチンの多様性やその背後にある豊かで深みのある知識が必要なわけです。

 

近視眼の3つ目のタイプは、極端な失敗や極端な成功を予測できない近視眼です。組織のルーチンの中には、極端な失敗をもたらしてしまう可能性のあるルーチンがまぎれこんでいたりします。ルーチンにある程度多様性がある場合には、そのようなルーチンが顕在化する前に、異なるルーチンによって相殺されたり排除されたりする能力を組織が有していると考えられますし、ルーチンの背後にある豊かで深みのある知識というのも、そういった極端な失敗の可能性を想像することを可能にするはずです。しかし、AIによる機械学習によってルーチンの多様性が減少し、背後にある豊かな知識も欠如していくと、過去のデータのみに基づいて目先にあるタスクや課題に最適なルーチンの構築や修正に焦点を当てることによって、誤って極端な失敗をしてしまう可能性のあるルーチンを選択してしまい、そこに収斂させてしまうリスクがあるわけです。逆に、ルーチンの多様性が減少することから、極端な成功をもたらすルーチンが選ばれる確率は小さくなってしまいます。

 

最後に、Balasubramanianらは、これまで議論されてきたような、機械学習によるAIに意思決定を代替していくことに伴って、組織学習がどんどんと近視眼的になっていくメカニズムを左右する状況要因について整理しています。1つ目は、予期せぬ環境変化が起こる頻度や強度です。Balasubramanianらによれば、予期せぬ環境変化が起こる頻度や強度が低い場合には、機械学習によるAIの意思決定は強みを発揮しますので、近視眼性がそれほど不利に働きませんし、予期せぬ環境変化が起こる頻度や強度が強い場合も、AIの意思決定は、人間の限定合理性や変化抵抗を克服するという強みを発揮できるので人間による意思決定と比較して近視眼性が深刻になることもありませんが、予期せぬ環境変化が起こる頻度や強度が中程度になる場合に、もっとも近視眼性のリスクが顕在化すると論じます。

 

状況要因の2つ目は、ルーチンの複雑性で、ルーチンが複雑でかつ形式知化できないような要素が増えるほど、AIによる近視眼性が深刻になるとBalasubramanianらは論じます。状況要因の3つ目は、因果関係の普遍性で、普遍性のある因果関係を扱う場合には、AIは因果関係の意味は理解できなくても、過去のデータに基づいてそれらしきパターンを認識することができますが、因果関係に局所性や特殊性がある場合には、AIはそれを理解することができないので、AIによる近視眼性が深刻になると論じています。Balasubramanianらの論文では、上記のような機械学習をするAIの活用によって組織学習に変化をきたすメカニズムを、最後にシミュレーションモデルを構築することで示しています。

参考文献

Balasubramanian, N., Ye, Y., & Xu, M. (2022). Substituting human decision-making with machine learning: Implications for organizational learning. Academy of Management Review, 47(3), 448-465.

 

AIの実装を通じて競争優位性を有する組織能力をどう開発するか

デジタル技術の発達に伴う今の時代は第4次産業革命の真っただ中であると言われていますが、その主役の座を占めるのが間違いなく人工知能(AI)でしょう。現在著しい発展を遂げつつあるAIがこれまでと違うのは、AIが自分自身で学習をし、主に認知的な業務を自律的に行うことができるだけの実力をつけつつあるということです。もちろん、AIが人間が行っている判断や意思決定などの認知的な業務を完全に代替するだけの能力はありませんが、学習によって進化するアルゴリズムを用いた判断や意思決定、強力、高速、正確な計算能力、大量のデータを処理できる能力などについては人間をはるかに凌いでいるため、これら特定の認知能力を有効に活用していくことで企業が競争優位性を獲得することができそうです。

 

しかし、伝統的な組織論や戦略論は、このようなAIの出現を想定していない時代に作られたものですから、これらをそのまま当てはめて現在起こっている経営現象を理解するには難があります。これからの時代は、伝統的な組織論や戦略論が時代遅れとなり役立たなくなる可能性すらあるのです。よって、AIがどのように企業の競争優位性やそれを実現するための組織能力の向上に寄与するのかについて、新たな経営理論が求められます。AIの役割を踏まえた新たな経営学の理論構築は、第4次産業革命以降の組織や戦略のあり方に大きな示唆を与えることでしょう。今回は、その先鋒として提唱された、Kemp (2024)による、AI駆動型競争優位性に関する論考を紹介します。Kempは、AIの特徴を踏まえたうえで、AIがどのように競争優位性につながる組織能力の向上とその活用に寄与するのかについて、競争優位性を考えるうえでAIが持つ問題点を整理し、AIをどのように組織に実装していくと競争優位性を獲得できるかについての理論を構築しました。

 

まず、組織の競争優位性を考えるうえでのAIの問題点について整理しましょう。Kempによれば、AIはいわゆる汎用技術(general-purpose technology)なので、IT化やデジタル化のように、多くの企業が導入してしまえば、遅れる企業が競争優位性を損なうにしても、それ自体が競争優位性を生み出すわけではありません。また、AIが扱う情報や知識はすべて客観的に扱うことが可能な形式知であって、人間が持っているような暗黙知を扱うことができません。AIが形式知を使って合理的かつ正確な判断や意思決定ができるようになる学習能力を有しているにしても、人間が得意とする「言葉では説明できないノウハウ」といった暗黙知を扱えません。暗黙知はなかなか外部に移転されなく真似しにくいので競争優位性につながりやすいですが、形式知はそうではありません。そして、AIは目の前のタスクをこなすことに焦点をあてるために近視眼的になりやすいという問題があります。いわゆる経営者が野生の勘を活用する戦略的構想力といった能力を有していません。

 

上記のようなAIが持つ問題点を踏まえつつも、企業が競争優位性を獲得するための組織能力の開発にAIをどう実装していくのか。これを考えるためには、まず、AIの実装を通して競争優位性を獲得する組織能力の特徴を押さえておく必要があります。Kempによれば、それには3つあります。1つ目は、企業特殊性で、他社が真似することができないような組織能力を築き上げるようにAIを実装していくことです。2つ目は、組織能力開発コストで、AIを実装した組織能力開発をできるだけ低コストで実現することで他社が追随することができないようにすることです。3つ目は、環境との適合性で、新たに開発する組織能力が、その組織がおかれているビジネス環境や経営環境に適合するようにAIを実装していくということです。この3つの条件を満たすような形でAIを実装していけば、競争優位につながる組織能力を開発することができるのだとKempは論じます。

 

Kempは、上記のごとく組織にAIを実装していくために「AIを基礎づける(Grounding AI)」「AIを括りつける(Bounding AI)」「AIを再鋳造する(Recasting AI)」の3つを重要な条件として挙げています。AIを基礎づけるとは、組織が、戦略的な方向性やリソース配分において、それらを積極的にAIに振り向けることによって、AIを経営戦略・組織戦略に組み込んでいく作業です。これを意図的に行わなければ、先述のように、単にAIを汎用技術として業務の効率化のような無難な施策に落とし込むことで終わってしまい、競争優位性のための活用になりません。AIをしっかりと事業戦略や組織戦略に基礎づけることができれば、次に考えるべきなのがAIを括りつけることで、これは、AIを基礎づけることで構築した企業特殊的なノウハウを簡単に他社に真似されないように防御することです、AI技術は模倣されやすいので、重要なノウハウが外部に漏れたり盗まれたりしないような防衛策が必要です。そして、AIをカスタマイズして組織内の他の文脈に埋め込んでしまうことで模倣されにくくします。これが、AIの再鋳造です。

 

Kempは論文において異なる特徴をもったAIの存在を想定してより詳細な議論を展開しておりますが、今回はスペースの関係でそこまで踏み込むことはできません。ですので、今回は、Kempが構築するAI駆動型の競争優位性を実現するためのAIの実装理論のもっとも基本的な部分のみを紹介しました。まとめると、AIが有している競争優位性に関する問題点を克服しつつ、AIが持つ威力や可能性を最大限に活かしていくために、組織が「AIを基礎づける」「AIを括りつける」「AIを再鋳造する」の3つを効果的に実施することができれば、企業は、企業特殊的なAI駆動型競争優位性を獲得することができ、そのような組織能力が他社に模倣されたり他社に浸透してしまうのを防ぐことができるとKempは論じるのです。

参考文献

Kemp, A. (2024). Competitive advantage through artificial intelligence: Toward a theory of situated AI. Academy of Management Review, 49(3), 618-635.

 

キャリア・アイデンティティの動的平衡モデル

私は何者なのかを問う自己のアイデンティティは、人が生きていく意味づけを行ううえでたいへん重要な概念です。そして、仕事をする上ではとりわけ「私は職業人として何者なのか」というキャリア・アイデンティティが重要です。キャリア・アイデンティティ如何によって、仕事のやりがい、モチベーション、組織へのコミットメントなどさまざまな要素が影響を受けるからです。キャリア・アイデンティティに関連する概念で最も有名なのは、エドガー・シャインが提唱したキャリア・アンカーでしょう。自分は職業人として何者でありたいか、何を大切にするのかといった変わらない価値観(アンカー、錨)を意味するもので、しっかりとしたキャリア・アンカーを持っていれば、環境が変化してもそれに流されたりすることなくしっかりと自分のキャリアをデザインできると考えます。

 

しっかりとしたキャリア・アンカー、そして安定したキャリア・アイデンティティが確立されれば、人は仕事にやりがいを持ち、生き生きと働くことができると思うかもしれません。しかし、現実を想像した場合、キャリア・アンカーやキャリア・アイデンティティは一度確立されたらずっと変わらないものなのでしょうか。Sugiyama, Ladge, & Dokko (2024)は、そうは考えません。むしろ、キャリア・アイデンティティはダイナミックに変化しうるものだと考えます。そこでSugiyamaらは、動的な意味あいを込めた「キャリア・アイデンティファイング(identifying)」という表現をします。ここでは、キャリア・アイデンティティの動的プロセスと呼ぶことにしましょう。Sugiyamaらは、この動的プロセスには、現在のキャリア・アイデンティティを維持したいという力と、キャリア・アイデンティティを変化させたい、環境変化に合わせたいという力の両方がせめぎ合って緊張関係が生じていると考えます。

 

ワーク・キャリアは私たちの加齢や成長とともに段階を踏んで、あるいは連続的に進展していくものであり、当然、ビジネス環境や職業環境も変化するので、端的にいえば、働く人も働く環境も両方変化し続けます。Sugiyamaらは、キャリア・アイデンティティを維持したいという力と、環境変化に適応してキャリア・アイデンティティを変化させたいという力のせめぎあい、すなわち緊張関係を中心とするキャリア・アイデンティティ動的平衡モデルを構築しました。このモデルが示唆するところは、私たちのキャリア・アイデンティティは常に変化しているわけでもないし、ずっと維持されてるわけでもない。本質的に不安定で両方が共存しており、動的平衡の状態にある。そして、キャリア・アイデンティティを維持しようとする力と変化しようとする力のダイナミックな関係がさまざまな出来事によって影響を受け、それによってキャリア・アイデンティティは漸進的にあるいは不連続に変化していくということです。以下、このモデルのプロセスを具体的に見ていきましょう。

 

私たちは常に、自分は何者かを問うているわけではなく、同様に、常にキャリア・アイデンティティを意識しているわけではありません。ですが、大小に関わらず、時折、それを意識せざるを得ないようなイベントに遭遇します。例えば、ヘッドハンターから連絡があった、仕事で失敗した、会社の業績が傾きリストラが始まった、昇進した、異動辞令が出た、などです、とりわけ、自分のキャリア・アイデンティティに影響を及ぼすような出来事を、トリガー(引金)とSugiyamaらは呼びます。これは、これまで、キャリア・マネジメントを維持しようとする力と変えようとする力がバランスして平衡状態にあったものにショックが加わってその平衡状態が一瞬崩れることも意味します。トリガーが生じると、これまでのキャリア・アイデンティティを維持する力と、トリガーに関連した環境変化に適合させる形でアイデンティティを変化させようとする力の新たな緊張関係が生じます。ここでは例として、技術者として専門職的に会社で働いてきた人が、管理職への昇進を打診されたことをトリガーとして考えてみましょう。

 

企業において専門職から管理職に昇進することは、キャリアにとっても、キャリア・アイデンティティにとっても大きな変化を意味します。当然、本人はそれに応じるか悩むでしょう。この過程では、技術者としてのアイデンティティを維持しようとする力と、企業の管理職としてのアイデンティティに変化しようという力の2つが共存しています。技術者から管理職にアイデンティティを激変させることが難しいからこそ、悩むし、かつ緊張関係が生じるのです。Sugiyamaらのモデルでは、この緊張関係は3種類あります。1つ目は個人的な緊張関係で、技術を追求したいという思いとマネジメントを通して会社に貢献したいという思いのせめぎ合いです。2つ目は、人間関係的な緊張関係で、技術者の仲間や所属学会など専門性に基づくつながりと、管理職として、経営幹部や同僚の管理職といった会社経営に関するつながりとの緊張関係です。3つ目は、集団的な緊張関係で、技術者集団の一員としての自分と、会社のマネジャー集団の一員としての自分の緊張関係です。

 

上記のような緊張関係が顕在化すると、私たちは「アイデンティティ・ワーク」に取り組むことになります。アイデンティティ・ワークとは、自己のアイデンティティを強化したり、変化させたり、修復したり、安定させたりする取り組みの総称として理解してください。先ほど例に挙げた人物が、悩んだ挙句、最終的に管理職への昇進を受け入れる意思決定をしたとするならば、その際に、技術者としての自分と、管理職としての自分を両立する手立てはないかと考えたかもしれません。その結果、管理職になっても技術についてはキャッチアップを怠らず、同僚の管理職のみならず技術者とも交流を続け、技術面でも貢献していこうと思うに至るかもしれません。どのような方向にキャリア・アイデンティティが向かうのかは、アイデンティティ・ワークのあり方次第なのですが、いずれにせよ、維持したい、変化させたい、という2つの力の緊張関係をやりくりしたり折り合いをつけることが不可避であって、それが動的なキャリア・アイデンティファイングの本質だとSugiyamaらのモデルは示唆するわけです。

 

その結果、キャリア・アイデンティティに新たな平衡状態が生まれます。先ほどの例でいけば、昇進した技術者は、その結果、技術もわかる管理職としてのアイデンティティが新たに構築されたといった感じです。ただ、平衡状態と言っても、完全に静止しているという意味ではありません。Sugiyamaらが「動的平衡」と行っているように、日々の出来事には小さなものも含めて、自分のキャリア・アイデンティティを意識する機会はよくありますので、維持しようとする力と変化しようとする力は小刻みに押し合いへし合いしているわけです。つまり、せめぎ合っている。綱渡りとか自転車に乗っているように、ゆらゆらと揺れながらバランスをとっている。それが「動的平衡」なのです。それはそもそも、キャリア・アイデンティティを維持しようとする力と変化させようとしている力が活性度の違いに関わらず常に同居しており、内在化しているからです。

 

そしてそういった動的な平衡状態は、別の重要な出来事が生じた際にそれがトリガーとなって再度揺らぐことになり、再び、キャリア・アイデンティティを維持する力とトリガーに応じて変化させようとする力の緊張関係が活性化します。先ほどから例として挙げている人物で言えば、ここでのキャリア・アイデンティティを維持しようとする力は、技術もわかる管理職という昇進時にアイデンティティ・ワークによって新たに形成されたキャリア・アイデンティティ、そして変化させようとする力は、技術者としての自分ではなく、経営幹部として会社経営に特化したキャリア・アイデンティティを志向します。今度は役員への昇進話が出て、役員になれば、流石にもう、現場レベルでの技術面でのキャッチアップや貢献は難しくなりそうだというような状況です。

 

そういった緊張関係を再びアイデンティティ・ワークによってやりくりし、それ如何によって、また新たなキャリア・アイデンティティが生まれてきます。そして、再び、キャリア・アイデンティティ動的平衡状態が生まれます。人生におけるキャリア・アイデンティティの進展は、このようなプロセスの繰り返しだとSugiyamaらのモデルは示唆するわけです。

 

以上をまとめると、私たちのキャリア・アイデンティティというのは、本質的に安定することはなく、不安定なものです。そして、静止していることはなく、常にダイナミックに変化しつつあります。不安定でダイナミックである理由は、アイデンティティを維持しようとする力と、環境に応じて変化しようとする力が同居しているからです。普段は、その2つが小刻みにバランスをとっている「動的平衡」の状態にありますが、キャリアの方向性に影響を与えるようなイベントが起こると、それがトリガーとなって動的平衡が崩れ、新たな緊張関係が活性化します。アイデンティティ・ワークによってそれをやりくりすることで、以前とはやや異なるキャリア・アイデンティティ動的平衡状態が生まれます。このようなプロセスが繰り返されることで、私たちのキャリア・アイデンティティは、連続的もしくは断続的に変化していくのです。

 

Sugiyamaらのモデルで重要なポイントは、ここで描かれるキャリア・アイデンティティの動的なプロセスは個人の主観的な経験であって、客観的なキャリアの変化、すなわちキャリアアップとかキャリアチェンジとは異なるということです。客観的なキャリアチェンジが起こるずっと前から、キャリア・アイデンティティは変化することもあり、キャリアチェンジと同時にアイデンティティも変化するとは必ずしも言えません。また、客観的なキャリアチェンジが生じなくても、日々の仕事における出来事がトリガーとなって、キャリア・アイデンティティが変化していくことも当然起こりうるわけです。客観的なキャリアの状況に関わらず、私たちのキャリア・アイデンティティは日々揺らいでおり(動的平衡)、キャリアチェンジにつながる出来事であるないに関わらず、何らかの出来事がトリガーとなってこれまでの動的平衡のバランスが崩れて新たな緊張関係が顕在化し、そのため、異なる動的平衡の実現に向かった緊張関係のやりくり、アイデンティティ・ワークが起こることをモデルとして示したところに大きな貢献があると言えましょう。

参考文献

Sugiyama, K., Ladge, J. J., & Dokko, G. (2024). Stable anchors and dynamic evolution: A paradox theory of career identity maintenance and change. Academy of Management Review, 49(1), 135-154.

 

女性によるキャリアの水平展開を阻む「ガラスの壁」

これまでの経営学研究では、女性のキャリアを阻む障害として「ガラスの天井」「ガラスの崖」「ガラスのエスカレーター」などが特定されてきました。ガラスの天井は、女性が管理職やリーダーに昇進するのを阻む天井を指し、ガラスの崖は、組織が危機に陥ると女性がリーダーに選ばれやすいが、危機であるがゆえに失敗してキャリアにダメージを負いやすいという意味での崖を意味し、ガラスのエスカレーターは、男性優位の組織における女性とは正反対に、女性が多数いる組織では男性がエスカレーターに乗ったかのようにリーダーに昇進しやすい現象を指します。お気づきとは思いますが、これらのように女性が男性と比べて不利な状況にあることを示す現象は、階層をもった伝統的なピラミッド型組織を想定しています。

 

しかし、これからの時代は、産業構造の変化やテクノロジーの発展などに伴い、組織はフラット化して階層がなくなっていき、雇用も流動化し、兼業・副業も含め非典型的雇用を含む多様な働き方が増えてくると思われます。このような方向に時代が変化すると、働く人々のキャリアは必ずしも同じ組織に長期間雇用され組織の階層を登っていくようなものではなくなり、さまざまな組織を渡り歩いたり、自律的に複数の仕事をこなしたりと、垂直というよりは水平方向にキャリアを展開することでチャンスを見出し活躍の場を広げていくという道が出てきます。そうなると、伝統的な組織で男性よりも不利な状況に置かれてきた女性にはチャンスが巡ってくるのでしょうか。例えば、伝統的な正社員といえば男性が多いですが、非典型的な雇用というと女性も多くいることから、これからの時代では女性にとって不利な状況は解消されていくのでしょうか。

 

しかし、Lee, Koval, & Lee  (2023)は、個人のキャリアが水平展開するような状況になっても、女性に対してまた別の障害が存在するため、依然として女性は男性と比べて不利な状況に置かれると主張します。それは女性がキャリアを水平展開することを阻害する「ガラスの壁」と呼ばれるものです。垂直にキャリアの階段を上ろうとしてもガラスの天井にぶち当たり、水平にキャリアを展開しようとしてもガラスの壁に阻まれてしまうという八方塞がりな状況が存在し、その原因となっているのが、社会に蔓延するジェンダーバイアスステレオタイプだというのです。以下において、Leeらがどのような論を展開しているのかを説明していきましょう。

 

まず、働く人々が組織に頼ることなく自律的にキャリアを展開してく際には、「キャリア進歩のパラドックス」に対処する必要があります。例えばフリーランサーを考えてみます。フリーランサーがキャリア進歩のために新たな顧客を見つけるためには、その顧客が求めているスキルを有していかなければなりません。しかし、経験をしないことにはそのスキルは身につきません。企業で働いていればOJTなどでスキルを身に着ける機会がありますが、フリーランスの場合には、自分がスキルを持っていないのに依頼してくる顧客もなく、かといって仕事を通してスキルを訓練する機会も得られないので、スキルアップもできません。このようなキャリア進歩のパラドックスに対処するために推奨されてきたのが、最初は特定の専門スキルを磨いて自分の地位や評判を確立したうえで、徐々にそのスキルの幅を広げて新たな顧客を獲得していくキャリアの水平展開です。

 

キャリアの水平展開は、最初はスペシャリストからスタートし、徐々に経験やスキルの幅を広げてジェネラリストになっていくことで顧客基盤を拡大し、活躍の場を広げ、キャリアを進歩させていくという方法です。Leeらはこれを「進歩的な役割拡大」と呼んでいます。では、進歩的な役割拡大を通したキャリアの水平展開は、男女関わらずうまくいくものなのでしょうか。ここでLeeらは、女性は「ガラスの壁」に阻まれるので男性よりもうまくいかないことを主張するのです。ではどうして女性にのみガラスの壁があるのか。それは、男性のイメージが主体的、活動的であるのに対し、女性のイメージは関係重視で優しく主体的でないというステレオタイプ、そして、女性は男性と比べて理性的でなく感情的なので状況に流されやすいというステレオタイプが社会に蔓延しているからなのです。

 

ですので、男性が先ほど説明した進歩的な役割拡大によってキャリアを水平展開しようとすると、周りからは、本人が自分の専門性を軸に主体的かつ理性的にキャリアをつくろうとしていると半ば好意的に捉えられる可能性が高いのに対し、女性が同じようなキャリアの横展開をしようとすると、周りからは、顧客の事情や気分や感情などいろんなことに流されて場当たり的に働いているというように主体性のなさ、節操のなさを感じてしまう可能性があるというのです。男女でまったく同じ行動をしていたとしても、ジェンダーバイアスステレオタイプのせいでこのような差ができてしまうわけです。

 

進歩的な役割拡大を行う男性の場合は、主体的にキャリアを作っていると周りからみられるので、本人の能力を好意的に評価することににつながるし、顧客も、その男性は自分が依頼した仕事にちゃんとコミットしてくれると思うでしょう。しかし、同じことをしている女性の場合は、場当たり的に働いているように見えることが能力を過小評価することにつながり、感情に流され、不安定なので自分が依頼した仕事に十分にコミットしてくれないのではないかと疑ってしまったりします。男女でこのような印象の違いができてしまうならば、顧客がどちらに仕事を依頼するかといえば、男性のほうに依頼することが多くなってしまいます。よって、女性は仕事を受注するうえで男性に対して不利な状況に置かれることになります。このようなことが繰り返されれば、女性は「キャリア進歩のパラドックス」に対処することができず、キャリアの水平展開がままならなくなってしまうのです。これがガラスの壁の正体です。

 

Leeらは、研究対象をフリーランサーに絞ったうえで3つの調査を行い、上記の説が妥当かどうかを検証しました。最初の2つの調査は、韓国におけるK-Popミュージックのソングライター(作詞・作曲家)をフリーランサーとして対象とした調査です。調査1Aではアーカイブデータを分析し、ソングライターがスペシャリストから自分のキャリアをスタートさせた後に、進歩的な役割拡大を通してソングライターとしてのキャリアの水平展開を図っていく様子を確認し、そして、そしてそのようなキャリアの水平展開の恩恵を受けているのは男性のみであって、女性はそのような水平展開の恩恵を受けないことを確認しました。

 

調査1Bでは、サーベイ調査を用いて、複数の役割をもって水平展開している男性のソングライターは、単一の役割を持っている男性のソングライターよりも主体的であってかつ能力も高いと評されるのに対し、同じような女性のソングライターはそのようには評価されないことを確認しました。調査2では、舞台を韓国から米国に移し、フリーランスの業界も映画業界に代え、米国の一般的な人々に対してシナリオ実験を行いました。その結果、女性のフリーランサーで進歩的な役割拡大を通したキャリアの水平展開を行っている場合には、同じような男性と比べて主体性がないと評価され、能力やコミットメントも低いと評価されることを明らかにしました。

 

Leeらの実証研究はフリーランサーのみを対象としたものでしたが、今回紹介し、実証調査でも確認されたような「ガラスの壁」は、時代の変化とともに組織に頼ることなく自律的なキャリアが求められるような状況や、雇用が流動化するがゆえに、外部からみた本人の能力やスキルの把握が難しいような状況になればどんな職業でも起こりうることをLeeらは示唆します。つまり、時代の変化、新しい組織のあり方や働き方の進展とともに、たとえガラスの天井、ガラスの崖、ガラスのエスカレーターのような状況がなくなりつつあったとしても、新たにガラスの壁が際立つことで依然として女性によって不利益な状況は継続する可能性が高いとLeeらは警鐘を鳴らすのです。

参考文献

Lee, Y. G., Koval, C. Z., & Lee, S. S. (2023). The glass wall and the gendered evaluation of role expansion in freelancing careers. Academy of Management Journal, 66(4), 1042-1070.

 

非線形な人生の転機をライフストーリーで乗りこなす

ファイラー(2024)は、私たちが生きている時代の特徴は、自らの人生が予測できないこと、つまり、線形ではなく非線形で、日を追うごとにますますその傾向は強まっていると言います。ただ、紆余曲折が生じても、それを乗り越える方法さえ知っていれば対応がより容易になり、失敗に対しても寛容になれると言います。バタフライ効果に象徴されるような環境の非線形システムは、この世界の本質を表しているといえましょう。そして、世界が非線形的なのだから、自分の人生も非線形的であるとファイラーはいうわけです。非線形の人生には、より多くの人生の移行期が存在します。人生は移り変わりの中にあるのです。では、どのようにこの非線形な人生を乗りこなしていけばよいのでしょうか。

 

非線形の人生では、予定通り運ばなかったり、進路から逸脱したり、同時発生したり、順序が狂ったりということが起こるとファイラーは指摘します。また、彼が行ったインタビューでは、誰もが、流動的、気まぐれ、変化しやすい、順応性があるといった表現をしたと言います。そして、ストレス要因、危機、問題など、人生における日々の流れを阻害する出来事や経験があって、ファイラーはそれを「破壊的要因」とか「ライフクェイク(人生地震)」と呼びます。例えば、愛、アイデンティティ、信念、仕事、身体という領域で破壊的要因が生じます。そしてなんと、人は平均して、およそ1年から1年半ごとに、ひとつの破壊的要因に遭遇し、そのたびに人生が揺さぶられるというのです。

 

ファイラーは、線形人生を歩んでいくうえで最も重要な約束事は規則性だが、非線形性がもたらす最も重要な結末は不規則性だといい、まさに「人生は移り変わりに中にある」と主張します。私たちの人生は、好調、不調、&、感嘆符、モンスターのような変化球、思いがけない幸運、回り道や曲がりくねった道、自分の人生にしか見られない明確な特徴に翻弄されます。そのように紆余曲折が生じても、それを乗り越える方法さえしっていれば対応が容易になると言うのですが、その方法の中心に位置するのが、「人生こそ、あなたが自分自身に語る物語である」という考え方です。つまり「ライフストーリー」です。人間心理の中心的概念は「意味」であり、自分自身の意味を形成するのが各個人の中心的役割だと言うのです。

 

私たちは、どんな人間になりたいのか、どんな物語を語りたいと願っているのか、何が私に意味を与えてくれるのかというように、人生における究極の問いに対する答えを提示するよう求められているとファイラーは説明します。変化の時代に如何に意味をつくるかということです。そして、非線形性は、大きな混乱や不確実性に抗うのではなく、それらを受容すべきことを示唆していると言います。ファイラーは、バランスのとれた生活に必要な3つの要素、そして、人生を物語る際の人生の形や形状変化によって影響を受ける要素として「意味を示すABC」を提唱します。Aは「行為主体性 (Agency)」で、Bは「帰属意識 (Belonging)」で、Cは「大義 (Cause)」です。

 

ファイラーによれば、Aの行為主体性は、自らの人生に対して主導権を持ち、仕事などを通して自分をコントロールしている感覚に関連していることから、人生のアップダウンを線(ライン)として語る「私個人の物語」に対応しています。Bの帰属意識は、親密な個人的関係の構築とその維持から生まれる感覚を基本とし、家族、支援グループ、地域、国、職場などの人間関係(サークル)が中心となる「私たちの物語」に対応しています。そして、Cの大義は、その人が信じる自分より大きな何かであって、拠り所となる北極星(スター)のような大義を貫こうとすることで目的意識と自己犠牲の精神をもたらすことから「あなた方の物語」に対応しています。

 

意味のABCのどれもが人生の物語の構成要素であるわけですが、人生の形や形状変化によってどれに相対的重みを置くかが変わってくるとファイラーは論じます。とりわけ、破壊的要因、ライフクェイクによって人生に余震が起こったり形状変化をきたす際には、行為主体性(ライン)、帰属意識(サークル)、大義(スター)の相対的重みが調整され、人生の物語が書き換えられたりすると言います。例えば、自己中心的な志向(行為主体性)から、サービスや対人関係をより重視する人間への方向転換や、帰属意識から大義への転換、また、大義を中心に人生を築いてきた人が疲れてしまって行為主体性の重視に転換することなどをファイラーは挙げています。

 

人生の移行期には、過去に別れを告げる「長い別れ」、別の自己認識に向かってよろよろと歩く「面倒な中間期」、新たな自分を受け入れる「新たな始まり」の3つのステージがありますが、移行期も非線形なので、これがこの順番に直線的に起こるわけではなく、無秩序に起こるとファイラーは論じます。誰もがそれぞれ異なるパターンで3つの局面を出入りするというわけです。例えば、人は得意な局面には引き寄せられ、苦手な局面では足を取られるといった具合です。そして、人生の以降は思うよりも時間がかかるとも指摘します。平均的には4〜5年だということです。この一時的で不安定な、変化しやすい人生の移行期には、儀式を作り出すこと、新たな物語を組み立てることの有用さをファイラーは説きます。

 

儀式には、個人的なもの(タトゥーを入れるなど)、集団的なもの(パーティを開くなど)、名前の変更(姓の変更や宗教名をつけるなど)、清めや浄化(ダイエット、髭を剃るなど)を挙げています。儀式は意味をもたらす行為なので、私たちが人生の中で、行為主体性、帰属意識大義の3つがすべて剥奪されていると感じているときに、その感覚を取り戻すのに役立つのだとファイラーは言います。そして、自分自身の物語に新たな情報を加え、最新のものにすることが、人生の大きな変化を生き抜くのに不可欠な行為であると言います。成功に至る個人的な物語を語る際の特徴としては、現在と過去の時間を用い、そのあいだに意識的に距離を設ける、ポジティブな言葉を使って語る、エンディングを確定させる、といったものが含まれると言います。

 

ファイラーの主張をまとめますと、私たちの人生は物語なのであって、時間の経過とともに多種多様で重要な出来事が起こり、主人公たちが解決しようとする問題が存在し、ときに興味深い偶発的事件が起こります。しかし、物語自体に意味があるわけではなく、語り手、聞き手、あるいはその両者が物語に意味を与えなければならないのです。私たちが自分の人生の物語(ライフストーリー)に意味を与える必要があるということです。自分の人生の物語から汲み取る主要な意味、すなわち人生のテーマには、苦悩、自己実現、奉仕、感謝、愛といったものがあるとファイラーは説明します。

 

ファイラーによれば、私たちの誰もが、物語を構築し、物語を生きています。その物語こそが私たち自身なのです。そして、人生の移行は、自伝的機会であり、ライフストーリー全体に再検討を加え、見直しを図り、再出発を期するための機会なのです。自分の人生の物語を他者と共有することで、意味の3つのABCがすべて豊かになります。なぜならば、まず、物語は私たちに力を与え、同時に行為主体性の意味も教えてくれるからです。そして、物語は私たちを結びつけ、帰属意識をもたらしてくれるからです。さらに、物語は私たちを刺激し、目的、焦点、大義を与えてくれるからです。人生を曲がりくねった川に例えるならば、たとえ人生がとめどなく流れ、変化し、脅かし、狂気をもたらすとしても、あえて潮に身を任せ、激流の中で踊ることを選択すべきなのだというのです。

参考文献

ブルース・ファイラー 2024「人生の岐路に立ったとき、あなたが大切にすべきこと」クロスメディア・パブリッシング(インプレス)