事業アイデアの創造的改訂プロセスを左右する「心理的オーナーシップ」と「創業者のアイデンティティ」

新規事業を創造していく上で、創業者のオリジナルな事業アイデアは大変重要ですが、それだけでは成功にこぎつけません。新規事業の創造に携わっていく中で、創業者は利害関係者(投資家や潜在顧客など)から様々なフィードバック(批判、改善提案など)を受け、それらを考慮しながらオリジナルな事業アイデアを実現可能なアイデアに改訂していく必要があります。当然、そこでは、創造性(経営学の文脈で重視されるのは新規性と有用性)も求められます。これまでの多くの研究では、事業アイデアの創造的改訂プロセスがうまくいかない要因として、情報不足に焦点が当たりがちでした。つまり、いくら外部からフィードバックをもらったとしても、創造性を発揮できるほどの情報が不足しているために、新事業を成功に導くための改変が実現しないというものです。しかし、Grimes (2018)は、事業アイデアの創造性改訂プロセスを阻害する要因として、創業者が、自身のオリジナルな事業アイデアや自分自身のアイデンティティに対する「こだわり」が創造的改変の障害になる可能性を、詳細な質的調査によって導き出しました。平たく言えば、創業者が自分自身の存在やアイデアの独自性、思い入れに強いこだわりを持つがゆえに、外部からの意見に耳を貸さなくなるということです。


Grimesは、59人の創業者および彼らの事業アイデアに対してフィードバックを行った人々を対象とした詳細な質的調査により、「創造的改変のアイデンティティ・ベース・モデル」を導出しました。このモデルで重要となる概念は「心理的オーナーシップ(事業アイデアへの所有感)」「アイデア・ワーク(事業アイデアの改訂方法)」「アイデンティティ・ワーク(自分のアイデンティティの確認や修正)」、そして「創業者のアイデンティティ」です。まず、どんな創業者でも、自分が作り上げたオリジナルな事業アイデアに対しては「これは創業者としての自分が考えた、自分自身の事業アイデアである」という心理的オーナーシップを有しているはずです。この事業アイデアが、外部から様々な批判や改善提案などのフィードバックにさらされた場合、どうなるでしょうか。創業者は、ほいほいと外部の意見をどんどん取り入れて事業アイデアを変えていってしまうでしょうか。Grimesによれば、そうとは言えません。彼のモデルでは、自分の事業アイデアに対する外部のフィードバックを受けた時点で、3つの反応が考えられます。1つ目は、自分の持つ「こだわり」が再確認されることで、事業アイデアに対する心理的オーナーシップを増々強める反応です。2つ目は、自分の事業アイデアをより抽象的なものに昇華させることで、具体的な細部まで心理的オーナーシップを和らげる反応です。つまり、抽象的にはこだわりを持っているが、細部に対しては柔軟に対応するということです。3つ目は、あくまでビジネスであるとかゲームであると割り切ることで、こだわりを捨て、事業アイデアに対する心理的オーナーシップを弱めるような反応です。


外部からのフィードバックに対する上記の3つの反応の違いは、創業者がフィードバックをどのように生かして事業アイデアの創造的改変を行っていくのか(アイデア・ワーク)、そして自分の創業者としてのアイデンティティをどう変えていくか(アイデンティティ・ワーク)に大きく影響することをGrimesは示唆します。まず、こだわりを再確認し、心理的オーナーシップを維持するような創業者の場合、フィードバックとしての批判や改善提案に対して防衛的になります。よって、事業アイデアの改変も周辺的なものにとどまり、コアな部分はかたくなに維持しようとするでしょう。また、このようなタイプの創業者は、自分は「ビジョナリー創業者」というようなアイデンティティにこだわるでしょう。つまり、自分は、外部からの批判を超越して、強い使命感、理念、ビジョンに動かされて事業を創造しようとしていると考えることでしょう。次に、事業アイデアを抽象化して心理的オーナーシップを和らげる創業者の場合、外部からのフィードバックを考慮し、自分の事業アイデアを修正しようとするでしょう。もちろん、オリジナルな事業アイデアへのこだわりを捨てたわけではありませんので、変えたくない部分と変えるべき部分のバランスを取ることになるでしょう。また、創業者の内面的には使命感や理念に動かされながらも、外部に対してはある程度妥協してビジネスとして割り切って意見を取り入れていく部分も見せるでしょう。最後に、オリジナルな事業アイデアへのこだわりを捨てる創業者は、外部からのフィードバックを積極的に取り入れ、事業アイデアを「リエンジニアリング」するでしょう。このタイプの創業者は、自分自身を「科学的創業者」と位置づけ、よく知られた「成功の方程式」に従うことでビジネス上の成功やゲームの勝者を目指すようになるでしょう。


上記で、新規事業アイデアに対する外部からのフィードバック、それに対する心理的オーナーシップの変化、アイデア・ワークやアイデンティティ・ワークについて3つのパスがあることを見てきましたが、オリジナルなアイデアやビジョナリー創業者としてのこだわりを強化するような創業者の場合、自分自身の独自性と他の創業者からの差異性を重視するようになり、創業者同士あるいは利害関係者が集まるコミュニティーから距離を置くようになるかもしれません。逆に、オリジナルなアイデアや使命感、理念へのこだわりというのを捨て、ビジネスというゲームに勝つことを優先する科学的創業者としての役割に徹するような創業者の場合、外部の意見を積極的に取り入れ、創業者同士や利害関係者が集まるコミュニティーに溶け込んでいく一方で、自分の独自性や他の創業者からの差異性は維持できなくなることが考えられます。その中間に位置する、内面の使命感やビジョンと外部への柔軟な対応を使い分ける分離型の創業者の場合は、他の創業者との差異性とコミュニティーへの溶け込みの両方のバランスを取っていくことになるでしょう。


創業者が、自身のオリジナルな事業アイデアへのフィードバックを受けた後、これまで見てきたような3つの異なるパスのどれをたどるのかに影響を与える要因として、Grimesは、集合的意味形成(センスメーキング)と、創業者の創造性発揮経験の2つを挙げています。集合的意味形成とは、事業アイデアの外部からのフィードバックを受けてそれに対応するのは創業者1人だけではなく、創業者を含めたチームであることに基づいた考えです。つまり、創業者も、チームとして外部からのフィードバックを検討する上で、他者からの影響も受けるということです。創造性発揮経験については、創業者が、過去にどのような創造性発揮経験をしてきたのか、例えば、幅広い事業や商品開発を経験しているのか、狭い分野にとどまった創造性発揮経験をしているのかというよな違いが、外部からのフィードバックへの対応に影響をするというものです。


どのタイプのパスをたどることが、事業アイデアの創造的改訂の成功、ひいては事業そのものの成功につながるのかは一概に言えません。しかし、Grimesの研究は、外部の批判や意見をとりいれつつ、事業アイデアを育てていくようなプロセスに影響するのは、創造性そのものや情報不足といった、情報的な側面のみならず、創業者の心理的オーナーシップやアイデンティティといった「こだわり」が強く影響していることを示している点で、創業プロセスの理解に新たな視点をもたらした研究成果だと言えるでしょう。

参考文献

Grimes, M. G. (2018). The pivot: How founders respond to feedback through idea and identity work. Academy of Management Journal, 61(5), 1692-1717.

「透明性の錯覚」が人事評価でのネガティブ・フィードバックを阻害する

人事評価(人事考課、人事査定、業績評価)の目的の1つは従業員のパフォーマンスの向上です。この目的を実現するためには、評価後の面談などを通じて評価結果を本人に正しくフィードバックすることが重要です。フィードバックによって従業員の職務遂行における問題点や課題を明確にすることで、それを改善することによるパフォーマンスの改善が見込まれます。しかし、良く知られている事実として、「フィードバックのインフレーション」という現象があります。これは、評価結果のフィードバックが全体的にポジティブなものに偏ってしまい、とりわけ従業員のパフォーマンスの改善のためにネガティブなフィードバックをする必要があるのにも関わらず、それが伝わらないという現象です。


これまでの人事評価の研究では、評価結果が歪められる理由として、いくつかのポイントが吟味されてきました。まず、評価者が、被評価者のパフォーマンスを正しく評価できないというもので、これには注意、記憶、判断、認知バイアスなどによる影響が研究されてきました。そもそも評価者が正しい評価ができないのであれば、正しい評価結果が被評価者に伝わるはずがありません。これらの研究は、正しい評価を行うための評価者訓練のような実践につながっていきました。次に、たとえ評価者が被評価者のパフォーマンスを正しく評価できたとしても、ネガティブな評価を本人に伝えるのを躊躇するために、意図的にフィードバックをインフレさせるというものです。これは、評価者はネガティブフィードバックを本人にしたくないというモチベーションがあるという知識につながり、そのモチベーションをなくし、ネガティブフィードバックを奨励するような施策へとつながります。


しかし、正しい評価結果が本人に伝わるためには、これだけの研究成果ではまだ不十分です。Schaerer, Kern, Berger, Medvec, & Swaab, (2018)によれば、これまでの研究で焦点が当たってこなかったのは、評価者が正しい評価をしていても、その評価が本人に伝わらない「無意識的な」メカニズムがあるという点です。つまり、これまでの研究では、「意識的に」正しい評価結果を伝えたくないということは指摘されてきましたが、無意識的なプロセスによって正しい評価結果が伝わらなくなってしまうという点にあまり着目されてこなかったのです。Schaererらによれば、無意識的に正しい評価結果の伝達を妨げてしまう犯人は、「透明性の錯覚」というものです。透明性の錯覚とは、自分の心の中は相手から透けて見えているという錯覚、すなわち、私たちは自分の考えや感情を相手が理解していると思い込みすぎる傾向があるという錯覚を指します。透明性の錯覚が生起している場合、自分が何らかの説明を相手にした場合に、相手は、自分が想定しているほど理解していないという事態が起こります。つまり、正しい情報が相手に伝わらないということです。


Schaererらは、人事評価のフィードバックの場面に透明性の錯覚を適用し、一般的に、評価者が思っているほど、正しい情報が被評価者に伝わらないという仮説を立てました。具体的にいえば、評価者面談などの場面で、評価者は被評価者に対して、曖昧な言い回しをしたり、婉曲表現を使うなどして言いたいことをぼかすことがよく行われます。評価者からみると、それでも言いたいことは伝わっていると思いこんでいるのですが、被評価者の側からみれば、真意がよく理解できない、表面的にのみ受け止める、といったことが起こると考えられるわけです。そして、とりわけネガティブな評価のフィードバックの場合、それが透明性の錯覚によって評価結果が相手に正しく伝わらないことを予想しました。その理由は、ネガティブな事項ほど、評価者本人の心の中に強い印象をもたらすため、その心の中の印象を伝えようとするときに、透明の錯覚が作動すると考えられるためです。ポジティブな評価の場合、そのような印象が生じにくいため、事実を淡々とそのまま伝えるというようなことになり、透明性の錯覚が作動しにくいと考えられます。


無意識的な透明性の錯覚によって、正しい評価結果とりわけネガティブな評価結果が本人に伝わらないということであれば、それを阻止するための方法は、評価者に、評価結果を正しく伝えることを意識させることです。正しく伝えようという意識が高まれば、話し方、伝え方に注意が向くため透明性の錯覚が軽減され、知らない間に間接的、婉曲的な表現をしてしまって言いたいことが曖昧になってしまうというような事態を和らげることができると考えられます。Schaererらは、サーベイや実験を取り入れた6つの調査を段階的に実施することにより、これらの理論および仮説が経験的にも妥当であることを実証しました。

参考文献

Schaerer, M., Kern, M., Berger, G., Medvec, V., & Swaab, R. I. (2018). The illusion of transparency in performance appraisals: When and why accuracy motivation explains unintentional feedback inflation. Organizational Behavior and Human Decision Processes, 144, 171-186.

ライバル企業に移籍した社員の心理と行動をアイスホッケーのデータで理解する

企業は人で成り立っています。企業にとって人材は命であり、企業競争力を大きく左右するのも人材です。しかし、企業はすべての人材を新卒採用から内部で育てていくわけにはいかず、優秀な人材を外部から引き抜くという手段も取らざるを得ません。とりわけ、ライバル企業からスター社員などの優秀な人材を引き抜くことの効用については、ヒューマン・キャピタルやソーシャル・キャピタルの理論からも議論されてきました。例えば、ライバル企業から優秀な人材を引き抜くことは、その人材が持つ新たな知識やスキル(ヒューマン・キャピタル)を獲得することができると同時に、ライバル企業から、その知識やスキルを消滅させることになります。また、その人材が持っている人脈(ソーシャル・キャピタル)も同時にライバル企業から奪うことができます。よって、ライバル企業から優秀な人材を引き抜くことで、自社の競争力を高めると同時に、ライバル企業の競争力を弱めると考えることができると考えられるわけです。


しかし、上記のようなヒューマン・キャピタルやソーシャル・キャピタルの理論では、実際にライバル企業に移籍した人材が、どのような心理状態となり、どのような行動に出るのかについての説明がありません。確かに、上記の理論からは、ライバル企業への人材の移動で、企業競争力の源泉となる知識・スキルや人脈も移動することは分かるのですが、それが企業競争力につながるためには、本人が進んで移籍先企業に貢献しようとする意欲が必要不可欠です。しかし、アイデンティティやアイデンティフィケーションの理論によると、ライバル企業に移籍した社員の心理や行動はそう単純ではありません。何故ならば、通常、とりわけ優秀な社員であるならば前職でもそれなりの厚遇を得ていたはずですし、前職の企業にも愛着があると思われるからです。よって、ビジネス上の直接対決が避けられないライバル企業同士の場合、本当にその社員が、心理的かつ行動的に、ライバル企業ではなく自社の味方になってくれるかというところが重要です。


Grohsjean, Kober, & Zucchini (2016)は、このような問題意識に立ったうえで、アイデンティティおよびアイデンティフィケーションの理論に基づいた論考を行い、導きだされた予想を、アメリカのナショナル・アイスホッケー・リーグ(NHL)が公開している膨大な試合データを用いることで解明しようとしました。アイスホッケーに限らず、プロスポーツでは、選手がライバルチームに移籍するということは良く起こります。かつ、プロスポーツの場合、選手情報や試合結果などの詳細な各種データが蓄積されており、それらが公開されていることが多いです。よって、プロスポーツのデータを活用することは、本テーマのように、ライバル企業に移籍した社員がどのような心理状態に陥り、どのような行動をするのかを知るための研究をするのにうってつけだといえるのです。


さて、Grohsjeanらは、アイデンティティ理論で展開されている「集合的アイデンティティ」と「関係的アイデンティティ」の違いに着目することによって、以下のような原理を導き出しました。集合的アイデンティティあるいはアイデンティフィケーションは、自分自身を集団や組織の一部として位置付けるような同一化もしくは同一化プロセスを指します。例えば、「私は〇〇社の社員である」というような認識であって、集団や組織への愛着、帰属意識を表します。集合的アイデンティティの概念を用いると、ライバル企業に移籍した社員の場合、前職の企業と移籍先の企業との両方に同一化することは、とりわけそれらの企業がライバル同士で直接対決がある場合には困難となります。ライバル企業同士でなければ、過去に所属した企業、現職の企業ともに愛着および帰属意識を持つことは可能でしょう。しかし、今働いている会社は、ライバル企業の成功を阻止し、ライバル企業に打ち勝つ必要があります。そうなると、社員の心理としては、移籍先の企業の一員として早く集合的アイデンティティを確立し、過去の企業に対するアイデンティティを解消する必要性に迫られます。それを可能にするためには、社員は、過去に在籍した企業に対してよりライバル心、敵対心を抱き、それ基づいた行動をするとGrohsjeanらは予想しました。


一方、関係的アイデンティティあるいはアイデンティフィケーションは、自分自身を、人間関係の一部として位置付けるような同一化もしくは同一化プロセスを指します。集団や組織といった集合的なものは含まれません。例えば、過去に所属していた企業内では、同僚同士としての人間関係が存在します。このような人間関係は、ライバル企業に移籍した後でも、同僚関係から、元同僚との関係へと形を変えて継続することが可能です。とりわけ、一緒に働く中で同僚が友人となり、切っても切れない絆が形成されるならば、それはライバル企業に移った後でも維持することが可能です。ライバル企業同士の集合的アイデンティティが、「両者並び立たず」という状況にあるので、社員は現職、前職のどちらかを選ばざるをえず、その結果として、過去の企業へのアイデンティティを解消する必要があるのですが、人間関係を中心とするアイデンティティの場合は、「両者並び立たず」ということにはなりません。前職の元同僚との人間関係として、友人関係のようなものを維持させればよいですし、そうすることのメリットも多くあります。そのため、Grohsjeanらは、社員は過去に在籍した同僚に対しては敵対心を抱かず、相手に対する競争的な行為には及ばないと予想しました。


さて、問題は、上記のような予想が本当に正しいかを実証的に示すことなのですが、Grohsjeanらが着目したのはアイスホッケー・リーグでした。アイスホッケーはスポーツの中でもかなり攻撃性の高いスポーツで、ゲーム中に相手選手に対して攻撃的なアクションを仕掛ける「チェック」という行為があります。しかも、公式試合でのチェックは子細に記録されます。Grohsjeanらは、NHLが所有している試合データから、他チームから移籍してきた選手が、どのチームのどの選手にチェックをかけたのかを統計的に分析しました。その結果、予想と整合する結果が得られたのです。例えば、他チームから移籍してきた選手は、自分が過去に所属していたチームと対戦していたときほど、そうでないチームと対戦していたときよりも、多くのチェック行為を行っていることが分かりました。しかし、そのような選手は、自分が過去に所属していたチームメートの選手に対しては、そうでな選手よりもチェックを行うことがありませんでした。


Grohsjeanらは、NHLのデータの分析を通じて、ライバルチームに移籍した選手は、過去に所属していたチームに対する集合的アイデンティティをいち早く解消していること、他方では、過去に所属していたチームメートとの関係的アイデンティティはそのまま維持していることを支持する結果を得たことになります。この研究結果は、企業経営にいくつかの示唆をもたらします。まず、社員は、会社に対するアイデンティティと人間関係に対するアイデンティティを分けて考えており、とりわけライバル企業に移籍した場合には、両者のアイデンティティに対する心理的、行動的な対応を使い分けていることが示唆されます。よって、例えば、ライバル企業に自社の重要な人材を引き抜かれる恐れがある場合には、その社員の社内人脈を充実させるように企業がサポートすることはよい効果をもたらしそうです。なぜならば、引き抜かれた社員は、自社に対してライバル心は抱いても、元同僚に対してはライバル心を抱かないため、実害が少なくなるからです。また、ライバル企業化から人材を引き抜こうとする企業は、チーム全体として引き抜くなど、人間関係も含めてまること移籍させるような手段を用いるならば、移籍してきた社員が心置きなくライバル企業の成功を阻止し、自社の味方になってくれる可能性が高いことも示唆されます。

参考文献

Grohsjean, T., Kober, P., & Zucchini, L. (2016). Coming back to Edmonton: Competing with former employers and colleagues. Academy of Management Journal, 59(2), 394-413.

シェアード・リーダーシップの本質

リーダーシップと聞けば真っ先にイメージされるのが、組織やチームのメンバーよりも一段上にたった1人のリーダーが組織やチームをリードする(引っ張っていく)様子ではないでしょうか。これを伝統的なリーダーシップだとするならば、それに加えて今後ますます重要度が高まってくると思われるのが、1人のリーダーが引っ張るのではなく、チームのメンバー全員がなんらかの形でリーダーシップをシェアするような「シェアード・リーダーシップ」だと思われます。その理由は、環境変化が激しく、複雑性の増すこれからの時代、組織やチームのメンバー全員が自律性をもって柔軟に動いていくことが求められるからです。その際に、1人のリーダーに頼ることなく、臨機応変にメンバー全員がリーダーシップをとっていくことが重要だと考えられるのです。Zhu, Liao, Yam, & Johnson (2018)は、このようなシェアード・リーダーシップの近年の研究動向をレビューしたうえで、現時点での概念定義の明確化および組織やチームにおいてどのようにしてシェアード・リーダーシップが機能するのかを整理しています。


まず、シェアード・リーダーシップとはどのようなリーダーシップを指すのかの定義から入りましょう。Zhuらによれば、シェアード・リーダーシップの特徴として3つが挙げられます。1つ目の特徴は、シェアード・リーダーシップは、メンバー間で水平的に影響力を与え合うプロセスだということです。これは、伝統的なリーダーシップが上から下へといった垂直的な影響力を行使するプロセスとは対照的です。2つ目の特徴は、シェアード・リーダーシップは、チームのメンバー間で自然的に発生するようなプロセスを示しているということです。よって、シェアード・リーダーシップは、特定の公式なリーダーによる活動を示しているのではなく、組織やチーム全体の現象として捉えるほうが適切だということになります。そして3つ目の特徴は、チームメンバー間で権力や影響力が分散されているということです。伝統的なリーダーシップであれば、権力や影響力が1人のリーダーに集中すると思われるのとは対照的な特徴だといえましょう。


つぎに、シェアード・リーダーシップでは、どのようなリーダーシップがどのようなプロセスによってメンバー間でシェアされるのかについてですが、Zhuらは、これまでの研究では、変革型リーダーシップ、カリスマ的リーダーシップ、交流型リーダーシップ、権限移譲型リーダーシップ、オーセンティックリーダーシップなどの特徴がシェアされていることが示されていると論じています。別の研究では、包括的な意味でのリーダーシップがチーム全体によってなされているという視点もあるという議論もあります。さらに、リーダーシップがシェアされるプロセスについては、チームメンバー全員が時間と空間を共有しながら協働するなかでリーダーシップについても共同で行うようになるという視点や、メンバー内で特定のメンバーが非公式にリーダーシップをとるという状況が交替で行われていく、すなわちリーダーシップのローテーションがチーム内で起こるという視点もあります。


最後に、現在の時点で明らかになっているシェアード・リーダーシップの知見について、Zhuらによって整理されたポイントを説明します。まず、シェアード・リーダーシップの先行要因についてですが、より公式なリーダーによる権限移譲型リーダーシップ、サーバントリーダーシップ、変革型リーダーシップ、謙虚型リーダーシップ、外部リーダーからの支援的なコーチングなどが行われると、チーム内でシェアード・リーダーシップが自然発生しやすいことが示されています。また、より公式なリーダーとメンバーとの良好な関係や、チーム内でのビジョンの共有も重要な役割を果たすと考えられます。チームの特徴としては、目的の共有、支援的な環境、発言機会の多さなどが、またチームタスクの凝集性や、メンバー間の機能的多様性が高い際に協働的なコンフリクトマネジメントがとられる場合にシェアード・リーダーシップが自然発生しやすいことが示されています。


シェアード・リーダーシップがチームに与える効果としては、より短期的あるいは中間的な効果として、チーム内の自信の醸成、メンバー間の凝集性、信頼関係、集団主義的特徴、チーム目標へのコミットメント、コンフリクトの減少、コンセンサスの向上、心理的安全性の向上、チームのポジティブな感情特性などが挙げられます。そして、これらが媒介となって、最終的にはチームタスクのパフォーマンス、プロジェクトの完遂、顧客満足度の向上、メンバーの市民行動の向上によるチームアイデンティティの向上、チームメンバーの職務態度の向上、創造性やイノベーションの促進といった効果が現れることが示唆されています。シェアード・リーダーシップによるこれらの効果については、伝統的なリーダーシップスタイルがシェアされるときよりも、変革型リーダーシップやサーバントリーダーシップのように「新たなジャンルのリーダーシップ」がシェアされるほうが効果が高く、タスクの複雑性や相互依存性が高いほど効果があり、また、意思決定タスクよりも創造性タスク、多様な職務からなるチームタスクのパフォーマンスにより効果があるということが示されています。

参考文献

Zhu, J., Liao, Z., Yam, K. C., & Johnson, R. E. (2018). Shared leadership: A state‐of‐the‐art review and future research agenda. Journal of Organizational Behavior, 39(7), 834-852.

組織やキャリアにおけるアイデンティティ・ワーク

組織行動論やワークキャリア論において近年脚光が当たっている概念が「アイデンティティ・ワーク」です。Caza, Vough, & Puranik (2018)による文献展望によれば、組織場面や職業場面でのアイデンティティ・ワークとは「社会的文脈における集団的、役割的、個人的なアイデンティティ(自分とは何かという意味付け)の形成、修復、維持、強化、更新、または拒絶を目的とした個人の認知的、散漫的、物理的、行動的な活動」というように定義されます。やや分かりにくい定義ですが、要するに、キャリアにおいて、自分とは何かといった「アイデンティティ」を形成したり、修正したり、変更したり、維持・強化したりする活動です。


ではなぜ、近年になってアイデンティティ・ワークが注目されているのでしょうか。まず、「私は何者であるか」というアイデンティティとは人間にとってもっとも基礎的な要素であり、アイデンティティが私たちのキャリアや働きぶりに影響を与えることは明らかだといえます。また、現代のような環境変化が激しい中で、1人の個人がキャリアに関する同じアイデンティティを終身持ち続けることは稀だと考えられます。例えば、かつての日本のように1つの会社に定年まで働き続けるようなイメージは、会社自体が途中で消滅する可能性や個人として転職する可能性などを考えるとすでに崩壊しているといえましょう。むしろ私たちは、職業生活において、主体的に「自分とは何か」というアイデンティティを節目節目で変更したり、社会情勢の変化や働く組織の変化に応じて修正したりすることが求められます。場合によっては、まったく違う自分に生まれ変わる必要が出てくるかもしれません。このような活動を総称して「アイデンティティ・ワーク」として捉えて研究することで、現代社会の文脈における働く人々のアイデンティティに関する理解を学問的見地から深めようとしているのです。


アイデンティティ・ワークにはいくつかのモードがあり、自分の頭の中であれこれ考える「認知モード」、ナラティブ、ストーリー、対話などを通じて行う「散漫的モード」、服装や持ち物、生活環境などの物理的要素を伴う「物理的モード」、そしてアイデンティティに働きかけるために実際に行動にうつす「行動モード」があります。また、ワーク・アイデンティティのタイプとしては、「私は●●社の社員だ」とか「私はエンジニアだ」というように組織や職業と自分とを結びつける「集団的アイデンティティ」、「私は部長だ」「私は企業家だ」といったように役割と自分とを結び地ける「役割的アイデンティティ」、「私は戦略家だ」「私は仲介者だ」といったように自分自身のユニークな特徴や強みなどに基づく「個人アイデンティティ」があります。実際のワーク・アイデンティティは、これらのモードや種類が混在した重層的なものだと理解できます。


さて、Cazaらによると、アイデンティティ・ワーク論においては、複数の理論枠組みを用いて、私たちが、どのようにして(how)、いつ(when)、そしてなぜ(why)、アイデンティティ・ワークを行うのかについて、理論化や実証研究が進められてきました。まず、社会アイティティ理論によれば、私たちは、自分が属する組織、集団、チームなどとどのように自分を結びつけるかという観点からアイデンティティ・ワークを行うと考えられます。所属組織にどっぷりと浸かったアイデンティティもあれば、所属組織とは少し距離を置いたアイデンティティ、あるいはそれに抵抗したアイデンティティの形成もあるでしょう。いつアイデンティティ・ワークが行われるかというと、組織の特徴が変わって、自分のアイデンティティが脅威にさらされたり、所属組織や集団が変わることによってアイデンティティの変更が必要となる場合が考えられます。このようなアイデンティティ・ワークを行う理由は、私たちは常に自分の価値を高めたいと思っており、そのためには、例えば評判のよい組織や職業集団に属していることが重要だからです。また、私たちは何か大きな社会集団に属していたいという所属欲求と同時に、他者とは異なっていたいという欲求もあり、これらの欲求がアイデンティティ・ワークにつながっていくと考えれらます。


次に、批判理論によれば、まず、社会的な通念から、個人が特定の方向性でアイデンティティ・ワークを行うように圧力がかかると考えられます。例えば、「1つの会社に滅私奉公せよ」「辞令一本でどこにでも行きなさい」という社会通念による圧力がかかれば、愛社精神とつよく結びついたアイデンティティを形成し、維持し、強化するような動きになるでしょう。一方、社会的通念は同時に、それへの反発や反抗を生みますから、「会社に頼らず企業家になる」「機会があれば積極的に転職をして専門家になる」といったように、それに抗うようなアイデンティティ・ワークが行われる機会も創出するでしょう。これらのアイデンティティ・ワークは、人々が、社会的通念や特定の圧力によるアイデンティティの強要に抵抗したりする理由があると感じるときにおこると考えられます。そして、その理由は、私たちは、社会的存在であって社会のルールや規範に従うべきであると考える一方で、個性の尊重や自己表現、一貫性などに対する欲求も持ち合わせているからです。


一方、アイデンティティ理論は、対人関係における役割に注目します。よって、私たちは、組織やキャリアにおいて、他者から何を期待されているのかといった役割期待や、例えば、顧客に対応するセールスパーソンでありながら社内では管理職であるなど、複数の文脈で異なる役割がある場合に、それをどう取りまとめたり折り合わせたりするのかといったかたちでアイデンティティ・ワークを行うと考えられます。アイデンティティ理論によれば、例えば社内で昇進したり配置転換があったり、他者からの期待される役割と自分が認識している役割とに齟齬が生じたりした場合にアイデンティティ・ワークが行われることになります。そして、このようなアイデンティティ・ワークが生じる理由は、私たちは、他者が自分をどう見ているのか、何を自分に期待しているのかについて一貫性を維持したいと思っており、それを確認する作業が必要だからだと考えられます。


最後に、ナラティブ・アイデンティティ理論によると、アイデンティティ・ワークは、一種の「自分物語」を作る作業、あるいは「自伝を更新する作業」だと考えられます。私たちのアイデンティティは、今までどのような軌跡をたどってきたのか、そしてこれからどうなっていくのかといった物語(ストーリー)に支えられているのであり、こういったストーリーは、刻々と変化する日々の職業生活において、そのつど、編集、修正、更新などが行われると考えられるのです。とくに、キャリアの節目に差し掛かったときには、大幅なストーリーの再編集、書き直しが必要かもしれません。このようなアイデンティティ・ワークが行われる理由は、私たちは、常に新たな経験を自分の物語、自伝に書き加えることによってストーリーを最新版に更新させていく欲求を持っていること、そのストーリーの一貫性や安定性によって心の平静を保ったり勇気を出したりしたいからだと考えられます。


アイデンティティ・ワークの研究はまだ新しく、今後も活発に行われていくと思われます。アイデンティティ・ワークは、かつての日本のように会社主導で個人のキャリアが左右されるような時代ではなく、自分が主体的に自分のキャリアをデザインしていくことが求められるこれからの時代には、心身の健康を維持しつつ、実りあるキャリアを歩んでいくためには極めて重要な活動だといえます。今後さらにアイデンティティ・ワークの研究成果が蓄積されることで、私たちが有意義な職業人生を送るために有用な知見や洞察が多くもたらされることが期待できます。

参考文献

Caza, B. B., Vough, H., & Puranik, H. (2018). Identity work in organizations and occupations: Definitions, theories, and pathways forward. Journal of Organizational Behavior, 39(7), 889-910.

自分で決めた肩書を使うだけで働く人々が元気になる

会社の従業員がいつも元気で生き生きと働いているわけではありません。実際、日本では従業員のワーク・エンゲージメントが世界的に見てもかなり低いという調査結果もあります。また、職場によっては、精神的にきつく、精神的に疲弊する仕事に従事している従業員も多くいます。つまり、なかなか元気を出せないような仕事もあるわけです。そのような状況の中、ちょっとした工夫で従業員が元気になるヒントを提供してくれるのが、今回紹介するGrant, Berg, & Cable (2014)の研究です。彼らが注目したのは、仕事上の「肩書(job title)」を自分で決めさせるという方法です。


肩書だけで人々が元気に働くようになるのだろうかと訝しがるかもしれません。しかし、よく考えてみると、自分自身にとって「名前」が重要であると同時に、「肩書」も非常に重要であることに気づきます。新たな肩書を得たことによって自分に誇りが持てたり、自信が出てきたり、自慢したくなるといった様々なケースが思いつくのではないでしょうか。肩書は自分自身のアイデンティティに深く関わっているのですから重要でないわけがありません。この点に関して、Grantらは、難病と闘う子どもたちを支援する非営利団体の調査を行った際、そこで働く人々のほとんどが、「自己を表現する(真の自分を反映する)ような肩書を自分で作る」というその団体の試みについて言及し、それがいかに、憂鬱間や精神的な疲弊を伴うような業務であっても元気を維持することができるかについて語ることに気づきました。


その団体では、働く人々が「minister of dollars andsense」「lady of laughter and giggles」「royal ambassador of really cool kids」「princess of magical dreams」などの自己表現を伴った肩書を自分で作り、それを職場で利用していました。そこで、Grantは、調査対象となった非営利団体の人々を質的調査によって詳しく調べ、なぜ自己表現的な肩書を自分で決めることが従業員の精神的疲弊を防ぐことにつながるのかの理論を構築しました。その結果、自己を反映するような肩書を自分自身で決めることが、次の3つの効用をもたらし、それが精神的疲弊を防ぐという理論を構築しました。その3つとは、「自己確認(self-verification)」「心理的安全性(psychological safety)」「外部との関係構築、ラポール(external rapport)」です。


まず、自己を表現するような肩書を決めることによって、常に自分の優れた側面、強い側面、自信を持てる側面などを意識しながら仕事に取り組むことができます。これが「自己確認」の効果です。自己確認の理論では、人が逆境に陥ったり失敗したり気分が落ち込んだりしたときに自分の良い面を再確認することで、早くそこから立ち直ることができることが分かっています。よって、自己表現的な肩書を持つことで、精神的に辛い場面であってもうまくそれを乗り切ることができるというわけです。次に、働く人々が、場合によってはユニークでユーモアのある肩書を作って自己表現をしあうことで、職場において、「何か変なことを言ったり変な行動をすると罰せられるのではないか、虐められるのではないか」というような恐れがなくなり、人々が自由に自己表現をしやすくなります。これが心理的安全性という職場風土で、自分で肩書を作るという取り組みが職場の心理的安全性を高めることにつながったというわけです。3つ目に、自分で決めた自己表現的な肩書を持つことによって、初対面の人との会話がはずみ、関係構築がしやすくなります。これが外部とのラポール効果です。


Grantらは、質的調査から得た上記の理論を検証するために、次の研究で、異なるサンプルを用いたフィールド擬似実験を行いました。こちらも、比較的仕事上の精神的負担が大きいヘルスケア関連の団体です。その実験では、実験群と対照群にサンプルを分類し、実験群では、自己表現的な肩書を自分で作るように指示をし、対照群ではそのような指示をしませんでした。その結果、自己表現的な肩書を自分で作った実験群の従業員たちのほうが、対照群の従業員たちよりも、自己確認および心理的安全性の度合いが高まり、仕事によって精神的に疲弊する度合いが小さかったことが分かりました。質的研究で構築した理論が、より科学的なフィールド実験でも支持されたことになります。


Grantらの研究自体は、従業員が元気に仕事ができるように組織が行うちょっとした工夫の1つにすぎないと考えることができるでしょう。大事なのは、このような試みが、働く人々の自己表現を促進することで、自分自身の優れた部分や自信のある部分を常に確認しながら仕事をすることを助け、また、自己表現を含め、思ったことがいえる「風通しの良い」組織風土の形成に貢献しているという面です。それが結果的に人々が活き活きと働くための要因になるというわけです。「従業員に自信をもって活き活きと元気に働いてもらいたい、また、風通しのよい組織風土を作りたい、けれども、それを実現するのは簡単ではない」と思っている場合には、このGrantらの研究にヒントを得て、小さな工夫による大きな効果を目指してみてはいかがでしょうか。

参考文献

Grant, A. M., Berg, J. M., & Cable, D. M. (2014). Job titles as identity badges: How self-reflective titles can reduce emotional exhaustion. Academy of Management journal, 57(4), 1201-1225.

誰でもパワハラ上司になりうる。そしてそのカギは睡眠の質

パワハラは日本でもよく知られている用語ですが、ごく簡単に言えば「自らの権力(パワー)や立場を利用した嫌がらせ」で、主に上司が部下に対して行う行為を指します。組織行動学の分野では、パワハラと類似する概念として、侮辱的管理行動(abusive supervision)の研究が盛んです。侮辱的管理行動は、公の場で部下を辱めたり、貶めたりするような行動だと定義されます。今回は、侮辱的管理行動の研究を紹介しますが、分かりやすさを優先して、パワハラという言葉で統一します。


さて、一般的には、パワハラをする上司、パワハラをしない上司というように、パワハラという行為は、特定の個人が継続的に部下に対して行うように理解されがちでした。しかし、Barnes, Lucianetti, Bhave, & Christian (2015)はそれに異議を唱え、部下をもつ上司であれば誰もが部下に対してパワハラをする可能性があり、パワハラをしやすい日、パワハラをしにくい日といったように日や状況によって異なることを主張し、それを実証研究で示すことに成功しました。Barnesらは、このように、パワハラのしやすさに個人内変動があることを、自我消耗理論(ego depletion theory)を用いてモデル化しました。パワハラ的行動の個人内要因としてBarnesらが注目したのは、仕事ではなく家庭での睡眠の質と量です。家での睡眠の質や量が悪いと、その上司は次の日に部下に対してパワハラをしがちであり、その場合に、職場全体のエンゲイジメントが下がってしまうことも理論化しました。


そのメカニズムについて説明しましょう。まず、上司であれば、日々の業務において、パワハラをしたくなってしまうような状況が訪れることがあります。例えば、部下が思ったとおりに働いてくれない、部下が大きなミスをした、などが起これば、どんな上司でも多少は怒りがこみあげ、場合によっては部下を怒鳴りたくなることでしょう。部下の行動でなくても、ただでさえ忙しかったり業務上困難な状況に直面したりする管理職はストレスがたまりがちであり、そのストレスのはけ口として部下を侮辱するようなパワハラ的行動への誘惑が生じる可能性があります。しかし、私たちには自己制御(self-regulation)の機能が備わっているため、平時であれば、多くの上司の場合、パワハラ的行動には至らないでしょう。つまり、上司が様々な状況下でパワハラをしたくなる気分になっても、「そのような行動はしてはならない」という自制心が働いて、それを阻止するわけです。


しかし、睡眠の量や質が悪いと、この自己制御の機能が働かなくなります。これが自我消耗理論が示すところで、睡眠不足や睡眠障害によって人間の認知機能の働きが弱まり、自制が利かなくなることを意味します。つまり、昨日よく眠れなかったとか、眠りが浅くて寝た気がしないといった次の日は、全体的に頭が働かず、よって自己制御機能も働かなくなるため、先ほど述べたようなパワハラをやってしまいたくなるような気分に陥ったときに、自制心が利かずパワハラをしてしまうというわけです。よって、前日の睡眠の量と質が悪化すると、自我消耗が起こって自制心が低下し、その結果、部下に対してパワハラ的行動をしてしまう。そして、そのような場面に遭遇した部下ら職場全体としては、仕事に対する取組み姿勢やモチベーションに関連するエンゲイジメントが下がってしまうという一連のモデルを考案し、実証研究を行ったのです。


Barnesらは、上記のモデルを実証するために、百人近くの近くの上司とその部下たち数百人をサンプルとして、経験サンプリング法という方法を用いて10日間毎日調査に協力をしてもらいました。この方法だと、上司の睡眠の状態や自我消耗の状態、パワハラ的行動の状態、エンゲイジメントの状態などのデータを日時ベースで取得し、個人内でそれらの変数が日々どう変動するかを追跡して分析することが可能になります。例えば、睡眠の量と質については、よく眠れる日もあれば睡眠不足に陥る日もあるでしょう。パワハラ的行動についても、それをしない日としてしまう日があるでしょう。それらのデータをくまなく収集し、複雑な統計分析を用いてモデルを検証したのです。その結果、上司の家での睡眠の質(ぐっすり眠れたか、睡眠中にときどき目が覚めてしまったりしたか)が、本人の翌日の自我消耗につながり、それが部下の視点から部下が評価した上司のパワハラ的行動に影響を与え、その結果、部下らのエンゲイジメントが下がることが分かったのです。ただし、睡眠の量についてはこの研究でははっきりとした影響は確かめられませんでした。


Barnesらの研究の結果、上司のパワハラを理解するときに、パワハラをする上司、しない上司というように個人差で分けるよりも、上司であれば誰しもパワハラ的行動を起こす可能性があること、そして、睡眠の質が悪いときに、その翌日に自制心が落ちてパワハラ的行動が出現してしまう可能性が高いことが分かりました。このことから大事なのは、上司の人はパワハラは他人事ではなく自分もやってしまう可能性があることを認識し、そのうえで、常に自制心を保ってパワハラなどの望ましくない行動を起こさないようにするために、十分な休養をとったりストレス対策をとるなどして、自我消耗に陥らないようにすることでしょう。その中の1つの重要な要素が、家庭での睡眠の質ということなのです。逆に言えば、家での睡眠の質が落ちれば、それは仕事においてパワハラ的行動をしてしまうリスクを高め、その結果、職場のエンゲイジメント、業績、生産性などを落とすことにもつながりかねないので注意しなければならないということなのです。

参考文献

Barnes, C. M., Lucianetti, L., Bhave, D. P., & Christian, M. S. (2015). “You wouldn’t like me when I’m sleepy”: Leaders’ sleep, daily abusive supervision, and work unit engagement. Academy of Management Journal, 58(5), 1419-1437.