高度成長期に「完成」した日本型人事管理モデル

森口(2013)は、いわゆる日本的人事管理モデルは、製造業大企業を中心に、第一次世界大戦から高度経済成長期にかけて、半世紀にわたる労使の攻防と協調の中で次第に形成されてきたのだと説明します。また、その形成過程は、経済合理性に導かれつつも、急速な重工業化や軍事統制、民主化といったその時々の歴史的事件を色濃く反映しているとも指摘します。森口は、日本自適人事管理モデルの形成プロセスを、重工業大経営に萌芽が見られた戦間期(1914-37)、軍事統制の影響を受けた戦中期(1938-45)、労使の激しい攻防に彩られた戦後激動期(1945-55)、生産性向上に結び付いた高度成長前期(1955-65)の4段階にわけて説明しています。


森口によれば、産業化初期すなわち20世紀初頭の日本の大工場では、外部労働市場から経験工が臨時採用され、企業による教育訓練は行われず、職長が個々の職工に臨時仕事を配分し、賃金は一般的技能もしくは出来高で支払われ、頻繁な自発的離職と解雇で雇用期間は短く、労使関係は相互の不信に彩られ、ホワイトカラーとブルーカラー労働者の間には身分制度ともいうべき待遇格差があったと指摘します。つまり、戦間期では日本型人事管理モデルの構成要素はどれひとつとして成立していなかったというわけです。


これが戦間期に入ると、工業化の進展とともに企業規模が拡大し、一部の企業で上級ブルーカラー(エリート職工)を対象とする新規学卒者の定期採用・企業内訓練・内部昇進という人事管理政策が開始されたと森口はいいます。また、軍需による重工業の急拡大で、渡り歩く職工の定着率を高めるため、ホワイトカラーや役付き職工に限定されていた定期昇給や期末賞与、退職手当などのさまざまな勤続奨励策を工員に対しても導入したと指摘します。そして、1930年代後半には、民営大企業を中心に工員の勤勉と継続雇用を奨励する一連の人事管理政策が見られるようになり、一部の大企業では職工の実質賃金と勤続年数の間に相関が観察されるようになりました。ただし、不況期には大量解雇が行われ、経営者と労働者の間には圧倒的な差があり、ホワイトカラーとブルーカラーの待遇格差は依然として大きかったといいます。


戦時体制下においては、官僚の主導により民間企業の労務管理政策に対しても大幅な国家干渉が行われたと森口は述べます。ただし、戦時下の労働統制の多くは、実質的には戦間期の大企業の人事管理政策を踏襲し、それを全国の企業に義務付けるものであったとも述べています。つまり、政府の規制は、民間大企業で行われていた人事政策を標準化し、より広範囲に普及させる役割を果たしたと指摘しているのです。その結果、戦時期には広範囲の企業において、新規学卒者の定期採用が職業紹介所の仲介によって行われ、企業内「養成工制度」が義務化され、賃金に年齢給の要素が加わり、定期昇給が全工員に義務付けられ、転職と解雇は禁止され、産業報国会によって工職混合の組織が導入され、ホワイトカラーとブルーカラー労働者の平等の理念が導入されたといいます。ただし、このような法令は必ずしも実効性を伴わなかったともいいます。


戦後占領期になると、民主化の波を先取りする形で労働者の組織化が進展し、1948年までに大多数の企業で工員組合と職員組合の統合が起こり、工職混合の「従業員組合」が成立していきます。これらの組合の主導で「身分制度」が撤廃され、日本企業におけるブルーカラーとホワイトカラー労働者の一元的な人事管理が実現したと森口は解説します。また、経営者に対して史上初めて攻勢に立った労働者側は、ドッジ政策やGHQの政策転換を機に経営側からの反撃にあいました。そして長期抗争の結果、主要大企業で急進的な組合は従業員の支持を失い、より協調的な第二組合が成立していきます。この組合が合理化への協力を前提に「労使協議制」という情報共有と事前協議のシステムを作り上げ、雇用保証を実現する仕組みを編み出していったといいます。


そして高度成長期には、大企業における人事管理政策が生産性向上を目的とする小集団活動と結びつくことによって日本型人事管理モデルが完成し、その経済合理性が揺るぎないものとして確立したのだと森口は説明します。具体的には、高校進学率の向上に伴い中卒者のみならず高卒者がブルーワーカー労働者として採用されるようになって人的資本の質が向上し、ブルーカラー動労者の高学歴化を契機にホワイトカラーとブルーカラーの昇給体系を完全に一本化する「職能資格制度」が提唱され、給与が職務から切り離されることでより柔軟な職務配置と広範なローテーションによる技能形成が可能となったといいます。こうして、新規学卒者の定期一括採用、体系的な企業内教育訓練、職能資格制度に基づく定期昇給・昇格、少集団活動による労働者参加、定年までの雇用保証、企業別組合と労使協議制、ホワイトカラーとブルーカラー正社員の一言管理といった7つの政策が相互に有機的に結びついた「日本型人事管理モデル」が完成したのです。