心理的安全性が高いと業績を悪化させる危険性:それを防ぐ条件は?

近年、心理的安全性というコンセプトが一世を風靡し、数多くの企業が職場の心理的安全性を高める施策について頭を巡らせています。心理的安全性は、一般的には「自分の思った通り発言したり行動しても危険が及ばない(安全な)チームの風土」というように定義されます。この心理的安全性という概念は、学術的には1990年代の終わりにエイミー・エドモンドソンが博士論文のテーマとして取り上げた頃から経営学分野で広がりつつありましたが、これほどまでに実務家の間で心理的安全性に注目が集まったきっかけとなったのが、2012年にグーグルが「効果的なチームの条件」を調査した結果として発表した「プロジェクト・アリストテレス」でしょう。そこで、チーム業績を高める一貫した条件として示されたのが心理的安全性だったのです。学術研究でも、それをサポートするエビデンスを蓄積する研究が増加し、心理的安全性が高い職場では、従業員の学習やプロアクティブ行動、探索行動、建設的な発言を増加させ、その結果、職場のクリエイティビティ、イノベーション、学習が高まることが示されてきました。

 

しかし、現在の「心理的安全性を高めればチームにとって、そして企業にとって数々の良い結果が生み出され、業績が向上する」といういわゆる「心理的安全性信奉」に一石を投じ、心理的安全性を高めることの危険性を指摘したのがEldor, Hodor & Cappelli (2023)による研究です。Eldorらは、高い心理的安全性はむしろ業績を悪化させる可能性があると指摘し、それを5つの実証調査で示しました。誤解が生じないようにもう少し丁寧に言うと、Eldorらは、心理的安全性が高い職場では、定型業務(標準化された業務、ルーチンワーク)の職務遂行状況が悪くなり、定型業務での成果が下がってしまうと指摘します。そして、ほとんどの業務には定型的・標準的なタスクが多かれ少なかれ含まれているし、企業全体で見ても、提携業務の割合はかなりあります。よって、論理的に考えれば、企業全体で見ても、企業風土としての心理的安全性が高すぎると業績が悪化する危険性があるというのです。もちろん、後述するように、Eldorは、この高すぎる心理的安全性がもたらす弊害を弱める条件も提示しています。

 

Eldorらは、心理的安全性が低いほど業績が高まると言っているわけではありません。心理的安全性の高い風土は、メンバーが対人関係リスクを恐れることなく新しいアイデアや既存業務の問題点を指摘したりすることを可能にします。ですから、クリエイティビティ、イノベーション、環境変化や技術変化への対応がとりわけ重要な業務であれば、心理的安全性が高いほど新しいアイデアや問題解決策が共有されやすくなるのでプラスの効果がありますし、定型業務であっても、ある程度の改善点が必要だったりしますから、適度な心理的安全性はプラスの効果をもたらします。しかし、心理的安全性がとても高い場合、メンバーの関心が定型業務から外れてしまうとという問題があることをEldorは指摘するのです。言わずもがなですが、定型業務は、標準化されたタスクを規則にしたがってきちんと遂行することで業績が高まります。しかし、心理的安全性が高い職場では、メンバーが新しいことを提案したり試してみたり、ブレインストーミング的に色々と議論したり、多少の失敗は許容して試行錯誤したりすることに注意が向きすぎて、決められたことを間違いなく着実に遂行することへの注意関心が薄れてしまうのです。

 

つまり、多くの業務の場合、従業員の認知リソースとか注意リソースを、定型業務としての標準化されたタスクとクリエイティビティやプロアクティビティが求められるタスクに配分する必要がありますが、心理的安全性がとても高い職場だと、後者へのリソース配分が優先され、前者へのリソース配分が疎かになりがちです。繰り返しますが、どんな業務でも定型タスクと非定型タスクがありますし、組織全体で見てもそうですから、定型タスクが大きな割合を占めるような業務の場合や、定型業務がかなりの割合を占める企業全体をみた場合は、高い心理的安全性が業績を悪化させる要因となるわけです。この論理に従うと、高い心理的安全性が業務を悪化させることを防ぐ条件についても理解することが可能です。それはすなわち、従業員が定型タスクから気持ちが外れてしまったり定型タスクを軽視しないような環境を作ることが有効だということになります。Eldorらは、「集団的説明責任(collective accountability)」を、高い心理的安全性の業績への弊害を防ぐ境界条件であると論じました。これは、自分達がやるべきことをきちんとやっているかの説明責任をチーム全体で共有することです。そうすることで、定型業務による業績を疎かにしない体制が維持できます。

 

これまでの議論から得られる心理的安全性の法則性を一旦まとめましょう。心理的安全性が高い職場では、クリエイティビティやイノベーション、環境変化への対応、チーム全体としての学習を促進するような従業員の行動が望めます。これを定型業務に当てはめて考えると、業務の改善を可能にするための話し合いなどにはプラスの効果があるので、心理的安全性が低いよりは、ある程度の心理的安全性が確保されている方が業績にプラスの効果をもたらします。しかし、そのレベルを超えて心理的安全性が高まりすぎると、今度は業務の改善や試行錯誤、失敗からの学習、イノベーティブな業務改革の提案などに従業員の意識や活動が引っ張られ、標準的なタスクを決められた規則に従ってきちんと遂行することが疎かになりがちとなり、その結果、定型業務の業績を下げるネガティブな効果を生み出してしまいます。企業の日々の活動を考えても、業務全体の半分以上は提携業務でしょうから、企業全体の風土として心理的安全性が高すぎる場合は、同様の論理によって業績が悪化する危険性を高めます。ただし、チームメンバー全体として定型業務の遂行と業績に責任を持つ説明責任が共有されていれば、このようなネガティブな効果を和らげることが可能です。

 

Eldorらは、5つの調査を通じて注意深く、上記の理論が妥当であるかを検証しました。Study 1では、知識労働者による役割内パフォーマンス(提携的な業務)を上司によって評価されたデータを用いました。Study 2では、病院勤務の看護師を対象に、病院に記録されている業績評価のデータを用いました。Study 3では、バイオ医療業界の従業員による役割内パフォーマンスを上司によって評価されたデータを用いました。Study 4では、ハイテク企業のユニットレベルで、ユニットレベルの業績の評価データを用いた分析を行いました。Study 5では、小売業界から各小売店のデータを4年間にわたって収集し、小売店のビジネス業績のデータを用いて分析しました。Study 1と2では、心理的安全性と業績との関係を、Study 3から5では、それに加えて集団的説明責任の調整効果を含めた関係を分析しました。その結果、心理的安全性が高まるにつれて業績は向上するが、一定のレベルを超えて心理的安全性が高まると、逆に業績が悪化していくという関係性が確認されました。

 

Eldorらの研究は、心理的安全性は万能であり、心理的安全性を高めることこそがどんな組織、どんな職場、どんな業務でも有効であるという「誤った」認識に釘を刺すものです。特に実務家の場合、表面的な効果、メディアなどによって誇張された効果に踊らされ、短絡的な思考で心理的安全性を高めようと躍起になってしまう危険性があります。学術研究も然りで、これまでの心理的安全性の学術研究は、心理的安全性のポジティブな側面のみに脚光を当ててきたきらいがあります。学術も実務も、特定のコンセプトや考え方を盲信することなく、常に批判的な態度で接し、物事の本質を理解し、その理解に基づいた正しい実践を行おうと努力することが結果的には業績を高める良い実践につながると思われます。

参考文献

Eldor, L., Hodor, M., & Cappelli, P. (2023). The limits of psychological safety: Nonlinear relationships with performance. Organizational Behavior and Human Decision Processes, 177, 104255.