神経組織行動学の可能性

組織行動学とは、組織における人間行動の特徴や法則性を解明することによって、組織のマネジメントに役立つ知識の蓄積を図ろうとする学問です。近年、この組織行動学にニューロサイエンス(神経科学)の知見を融合させようという試みが見られるようになりました。これは、神経経済学や神経マーケティングなど、神経科学によるムーブメントの一環のように思われますが、このような試みによって、神経組織行動学という分野も発展することが考えられます。この神経組織行動学はいったいどのような前提に立つ学問であり、まだどのような可能性を秘めているのでしょうか。BeckerとCropanzano(2010)による展望を基に考えてみたいと思います。


従来、組織行動学が前提としていたのは、組織全体の特徴や、それを形成するサブグループ(部署やチーム)の特徴の基礎にあるのは、個人の行動であるということです。ゆえに、個人行動が組織行動学の最小の分析単位であり、その個人行動を、パーソナリティや能力、動機付け、意思決定などの要素に分けて理解しようとしてきました。


しかし、神経組織行動学は、そういった組織内における個人行動も、それを規定する生物学的要因があり、とりわけ神経系が重要な鍵を担っていると考えます。そもそも人間は動物(生物)であるため、生物学的な特徴が人間行動に影響を与えると考えるのは自然でしょう。その中でもとりわけ人間らしい行動となると、私たちの脳を特徴づける神経系が最も重要な規定要因になると考えられるわけです。脳の神経系は、人間の合理的な思考のみならず、情動や無意識的な思考もつかさどっています。極端な要素還元主義に陥る危険性はありますが、人間行動の基礎は神経系にあるわけで、神経系の理解が、組織の特徴、グループやチームの特徴、さらには組織で働く個人の特徴といった組織行動に絡むすべての要素のもっとも基本的な規定要因となるという前提に立つのが、神経組織行動学なのです。


では、神経組織行動学という分野が成立するとするならば、実際にどのような萌芽的な研究がおこなわれているのでしょうか。それについては、例えば、人間が無意識に相手を真似ようとしたり、感情移入をしたりする行動的特徴の基礎にある「ミラーニューロン」の知見を組織行動にも適用しようとする研究がでてきています。ミラーニューロンを中心とする神経系の働きによって、人々が相手を無意識的に真似ることによって親近性を高めたり、共感能力を持つことによって組織内の協調行動や紛争解決、コーディネーションを可能にすると考えるわけです。


私たちが、特定の対象に対して無意識的に形成してしまう態度についても、それをもたらす神経学的基礎があると考えられます。脳神経の働きによって、半ば無意識的、自動的に特定の態度を私たちが抱いてしまうということです。それらが、組織内における特定の集団や人々に対する差別意識をもたらしたりすることが考えられます。また、公平性の判断や公平感情の喚起には、脳内において特定の部位が活動することがわかってきています。とりわけ、公平に扱われた場合と、不公平に扱われた場合とで興奮する部位が異なることなどがわかってきました。


このように、神経科学の知見を融合することによる神経組織行動学は、組織におけるさまざまな現象、そしてそれを生み出す個人の行動の特徴を理解する上でのもっとも基本的なメカニズムの理解に貢献していく可能性を秘めていると言えるでしょう。とりわけ、従来の組織行動学はともすると人間の行動を、意識的な行為であるという前提のもとで分析しがちであったのに対し、神経組織行動学では、むしろ人間の神経系で無意識的に行われていることが、実際の行動に大きな影響を与えるという点を重視するという面において、組織行動の理解に新たな貢献を行っていく可能性があるといえましょう。

文献

Becker, W. J. and Cropanzano, R. (2010). Organizational neuroscience: The promise and prospects of an emerging discipline. Journal of Organizational Behavior, 31: 1055–1059.