人的資本経営概論(1)

「人的資本経営」という用語が使われだし、これが一大ブームとなり数年が立ちました。ブームの勢いは衰えを知らず、本ブログとしても無視するわけにはいかなくなってきました。当初から、人的資本経営(ヒューマン・キャピタル・マネジメント)という言葉には違和感を持っていました。なぜならば、人的資源管理(ヒューマン・リソース・マネジメント)の「リソース」を「キャピタル」に代えただけで、これまでの人的資源管理とまったく違うイノベーティブなマネジメントが誕生するのか疑問であったからです。人的資本経営は、人的資源管理もしくは人的資源経営(ヒューマン・リソース・マネジメント)とはまったく異なるマネジメントのあり方を語っているのか、あるいは、なんとなく新鮮な感じがして響きがよい言葉だから流行っているだけなのか分かりませんでした。「人的資源管理」の基本を書いた本を出しても一向に売れないが、同じ内容でタイトルを「人的資本経営」にしたら途端に売れるようになるということはないだろうか。

 

とはいえ実務の世界で流行していることに間違いはないので、上記のような疑問を抱きつつ、人的資本経営の本を何冊か読んでみたところ、これはアメリカを中心に90年代後半から2000年代前半に著名な人的資源管理論の研究者らが発表された学術的知見に基づく人材マネジメントの考え方が輸入され、組み合わされ、花開いたものだということが分かりました。そのような人的資源管理の基本が、昨今のデジタル化によって実施しやすくなったことが火種となり、用語としてはマンネリ化し陳腐化してきた「人的資源管理」という言葉が、「人的資本経営」として生まれまわったのです。そこで、この人的資本経営の基礎となっている90年代、2000年代初頭の書籍をいくつか紹介しましょう。主に2つの系統を紹介します。今回は、スタンフォード大学教授のジェフェリー・フェファーが絡んだ一連の著作です。

 

Peffer, J. 1994. Competitive Advantage Through People: Unleashing the Power of the Work Force. Harvard Business School Press

Peffer, J. 1998. The Human Equation: Building Profits by Putting People First. Harvard Business School Press

邦訳:ジェフリー フェファー 2010「人材を活かす企業: 「人材」と「利益」の方程式」翔泳社

 

上記の2つはどちらも1990年代に出された書籍ですが、当時の言葉で表現すれば、「自社の人材を活かす企業が持続的な競争優位性を獲得する優良企業である」となり、現在の言葉で表現すれば、「人的資本経営を実践する企業が持続的な競争優位性を獲得する優良企業である」ということになります。フェファー教授は、マイケル・ポーター流の「業界での自社のポジショニングこそ競争優位の源泉である」といった考え方や、人材を資本でなくコストととらえがちな企業経営の風潮に一石を投じ、優れた企業は人的資本に投資することによって人材のポテンシャルを最大限に引き出し、企業価値を高めるコミットメント(今風にいえばエンゲージメント)を生み出すような経営を行っていることをエビデンスベースで主張したのです。利益を生み出す方程式の中には、会計情報に記載されるような有形資産のみならず、人材のような無形資産(人的資本)こそ大切であって方程式に含めるべきであることを説いたわけです。

 

当時、今風の言葉でいえば「人的資本擁護派」であったフェファー教授が、「両利きの経営」の著者の1人でもあるチャールズ・オライリー教授とタッグを組んで書かれたのが、まさしく無形資産としての人材のマネジメントを重視する経営を説いた以下の書籍でした。

 

O'Reilly, C., & Pfeffer, J. 2000. Hidden Value: How Great Companies Achieve Extraordinary Results with Ordinary People. Harvard Business School

邦訳:チャールズ オライリー, ジェフリー フェファー 2002 「隠れた人材価値: 高業績を続ける組織の秘密」翔泳社

 

こちらは、今風にいえば、「パーパス経営」と「人的資本経営」を組み合わせたような内容で、人的資本経営といっても、ハイパフォーマーとかスーパースターを高額な報酬を払ってかき集めればよいという話ではなく、逆に、一見すると平凡に見える人材が集まった企業であっても、企業の価値観(パーパスやカルチャー)をしっかりと作り、人材を束ねる企業のほうが強いことを実例を用いてエビデンスベースで解説しています。人的資本は、人材=資本と単純にいっているわけではなく、「ヒューマンな」「人的」な資本であるわけですから、組織のカルチャーなども、人的な資本だといえます。まさに、人材が共通の価値観や存在意義としてのパーパスを通して強固に組み合わさった企業は強いということなのです。

 

フェファー教授やオライリー教授の著作は、企業が人的資本に投資することで競争力を高めていくということはどういうことなのかを教えてくれます。一方、人的資本経営でもう1つ大切な視点は、人的資本への投資が、どのように企業業績に結び付いていくのかを可視化するということです。可視化するということは、そのプロセスを測定し、把握するということであり、測定・可視化できれば、そのプロセスの改善や改革といったマネジメントがしやすくなるということでもあります。次回は、2000年代に活躍した戦略的視点からの「人的資本測定学派」の著作を紹介したいと思います。