未来への動力をつくる「ビジョン」とはどのようなものか

近年脚光を浴びている「パーパス経営」と切っても切り離せないものが「ビジョン」です。佐宗(2023)によれば、パーパス経営の中でも、ビジョンは、究極的にどこを目指して進んでいくのかという「方向感覚」を示すものであり、企業理念浸透、パーパス経営の推進において、事業が惰性で回っている、社内に新しい取り組みに着手する活気がない、若手社員も目が死んでいる、といった課題がある場合には、「ビジョン」を通した推進力に欠けている状態だと指摘します。

 

ビジョンは、「私たちは将来、どんな景色を作り出したいか?見ていたいか?」という問いに対する答えであり、ビジョンの役割は、周りの人をワクワクさせ、創造性を刺激し、社員やパートナー企業を動かしていく推進力をつくることだと佐宗はいいます。共感・共鳴によってワクワクを生み出すことが必要なので、その景色は感性に訴えかける「絵」や「映像」などの視覚的な表現が適しているともいいます。

 

佐宗によれば、ビジョンとは言えないものの例が「目標」です。「売上規模〇兆円」のような目標は、ビジョンとは言えません。繰り返しますが、ビジョンであることの要件は、社員一人ひとりが、ビジョンが実現した状態をありありとイメージできて、それにワクワクし、毎日仕事にいくのが楽しみになるようなものです。そういう意味で、ビジョンは、がんばれば実現するかもしれない「夢」であると佐宗はいいます。あるいは、自分たちのがんばりで将来つくりだすことができる、ワクワクしながらありありと見ることができる「景色」だといいます。

 

ビジョンとは、自社を超えた多くの関係者からも共感を呼び、あらゆる資産を動かすものでもあると佐宗はいいます。夢を語れば、無形資産が集まる。無形資産が集まれば、有形資産が動くとも表現しています。ビジョンは「夢」「未来の社会の景色」なので、ビジョンが機能するために必要なのは、ステートメントではなく「物語」なのだといいます。では、どのようにしてワクワクするようなビジョンを作っていけばよいのでしょうか。以下のような佐宗は3つのポイントを挙げます。

 

1つ目は「解像度」です。ビジョンを作るためには、自分たちがワクワクする未来の景色をできるだけ具体的に表現する必要があるといいます。つまり、人の生活の細部まで、未来の景色の「解像度」を挙げたほうがワクワクが生まれやすいというわけです。2つ目は「広がり」です。ビジョンは、さまざまな関係者にとって自分ごと化してもらえるように広がりを意識するとよいといいます。例えば、自分たちの組織やビジネスにとっての未来の理想像という、自分たちしかワクワクできない未来よりも、社会や環境への影響まで考えたほうがよいというのです。そして3つ目は「時間軸」です。時間軸を長くとり、10年後よりも先の未来を考える、究極的には自分の死後や100年後でもよいといいます。そうすると、いまやっている事業にこだわる必要がなくなり、思い描くビジョンも変わってくると佐宗は指摘するのです。

参考文献

佐宗邦威 2023「理念経営2.0 ── 会社の「理想と戦略」をつなぐ7つのステップ」ダイヤモンド社

jinjisoshiki.hatenablog.com

パーパス経営は戦略が伴わなければ無意味である

近年は、「パーパス経営」がバズワードとなり脚光を浴びています。バズワードになる前も、企業経営におけるミッションや経営理念、経営哲学の重要性は再三指摘されてきました。よって、パーパス経営という言葉を「ミッション経営」とかに置き換えたりしても、本筋はズレていないといえましょう。バズワードになろうとなかろうと、あるいはブームが去ったとしても企業のパーパスやミッションが経営の本質をついたコンセプトであることに間違いありません。一方、「戦略」はどうでしょうか。「人的資本経営」はバズワードとなりましたが、「戦略経営」は今後もバズワードになりそうもありません。戦略というコンセプトがバズったのは、何十年も前にマッキンゼーやBCGといった戦略コンサルティングファームが表舞台に登場してきたころでしょう。ただ、戦略経営がバズらないからといって、人的資本経営は重要だが戦略経営は重要でないというわけではありません。むしろ、経営を成功させるためには戦略のほうが重要かもしれないのです。

 

上記の議論のように、企業経営における戦略至上主義ともいえるような立場をとる急先鋒として名高い世界的な研究者がリチャード・ルメルトです。ルメルト(2023)によれば、戦略にとって、パーパスもミッションも無意味です。いろんな「ステートメント」作成してパーパスやミッションを強調したとて、それらは直接的には戦略の策定の役には立たないというのです。どうしても何かぶらさげたいのならば格言や金言の類であるモットー程度にとどめ、感情に訴え、気分を高揚させるものにとどめておけばよいと彼はいいます。もちろん、従業員の感情や気分が高揚し、一丸となって企業に貢献しようとする「従業員エンゲージメント」や「組織コミットメント」を高めることは大事ですが、ルメルトに言わせれば、そこに「良い戦略」が伴っていなければ全くの無意味だというわけです。では、ルメルトがそこまで重要だと断言する「戦略」とはいったい何なのでしょうか。

 

ルメルトによれば、戦略とは、「困難な課題を解決するために設計された方針や行動の組み合わせ」であり、戦略の策定とは、「克服可能な最重要ポイントを見極め、それを解決する方法を見つける、または考案する」ことです。最重要ポイントに全力で集中することで、直面する課題を乗り越える方法を見つけ出すわけです。最重要ポイントとは、困難で複雑な課題を構成する要素のうち、最も重要かつ解決可能な要素を指します。そして、混沌とした状況を整理して最重要ポイントを見定め、ここをアタックすれば成功すると呼びかける役割を果たすのが戦略的リーダーであるとルメルトは喝破します。たしかに高邁なパーパスやビジョンを掲げて全社員を引っ張る「ビジョナリーリーダーシップ」の重要性を指摘する声もあります。しかし、全力で立ち向かえば行けそうだと思わせてくれるからこそ他の人はこのリーダーに従うとルメルトはいうのです。手も付けられそうもなかった問題がなんとかなりそうだと感じられることが重要だというわけです。

 

ルメルトは、戦略課題は決定的に重要であると同時に現実的に取り組み可能でなければならないと言います。では、このような戦略策定の要諦はどこにあるのでしょうか。まず、戦略とは「勝てるゲームをプレイすることだ」という格言があることをルメルトは指摘します。つまり、「勝てる」ところにフォーカスするのが戦略の要諦です。他といちばん差をつけられそうなところはどこかを考えるのです。そして、それを実現するうえで「難しいと感じたところ」を「とことん考える」ことが重要だとルメルトはいいます。課題を注意深く診断し、その構造を徹底的に分析し、最重要ポイントをとことん考えるわけです。そして、粘り抜く、類推する、視点を変える、暗黙の前提を言語化する、つねに「なぜ」と問う、無意識の制約に気づく、といった方法を用いて考え抜くのです。

 

ルメルトによれば、企業経営における戦略的有効性とは、自社にだけ生み出すことのできるユニークなバリューを創出し、かつ、その生み出した価値を競争相手による浸食や模倣から守ることに尽きます。戦略的拡張とは、ユニークバリューをより多くの買い手または他の類似製品またはその両方に拡張することが重要です。そして、企業における活動つまり事業は、消費したリソース以上のものを生まないのであれば不要であるとルメルトは断言します。会社が成長するためには、そうした不要な事業を刈り込み、成長が期待できる事業にフォーカスすることが必要だというわけです。また、競争の激しい状況では、反応時間が極めて重要な意味を持つといいます。新しいチャンスが見えてきたとき、逆に懸念すべき兆候が現れたとき、真っ先に反応した企業が勝つことが多い、最初に兆候をとらえて反応した企業が優位に立つ、勝敗を分けるのは機敏さであるというわけです。

 

これまで述べてきたように、戦略は経営の成功にはなくてはならないものです。ですから、パーパス経営と戦略経営を混同しないことが重要です。これらは車の両輪のようなもので、パーパスで社員を奮い立てて一体化しつつ、優れた戦略を策定して最も難しい課題の突破口を見出し、それをテコに果敢に前進することが大切だといえるのです。

文献

リチャード・P・ルメルト 2023「戦略の要諦」日本経済新聞社

組織変革・社会変革のための4段階プロセス

複雑化が進む現代社会では、組織や社会において困難な課題を多くの人々の力を結集して解決していく必要に迫られています。社会全体でいえば、地球環境破壊、社会的不平等、国際紛争、エネルギー、生命倫理など、企業や組織でも、グローバル化ダイバーシティ、デジタル化、安全、ウェルビーイング、など対応しなければならない課題は枚挙にいとまがありません。とりわけ、資本主義制度のもとで活動する企業や組織は、自らの存在意義(パーパス)として社会に貢献すると当時に、確実に利益を稼ぐことで経営活動を持続させなければなりません。そのために、急速に複雑化し、変化や不確実性が激しい環境に適応できるよう、組織を変革しつづけなければなりません。また、複雑な社会課題を解決するためには、1つの組織のみでは不可能であるため、多くの組織を巻き込んだ連携を組んで課題に立ち向かう必要があります。そのために、個別の努力の限界を超えて、協働を通じて大きな変化を生み出していく必要があります。

 

しかし、組織や社会システムはそれ自体、生き物のように振る舞うとストロー(2018)は指摘します。そこでストローは、ずっと手がつけられなかった、大きな、もしくは根本的な課題を解決するために、システム思考を活用しながら、組織変革・社会変革を実現する具体的な方法を解説します。キーワードは、「コレクティブ・インパクト」です。カニアとクレイマーによれば、コレクティブ・インパクトとは、異なるセクターから集まった重要なプレーヤーたちのグループが、特定の複雑な社会課題の解決のために、共通のアジェンダに対して行うコミットメントであるとストローは説明します。そして、コレクティブ・インパクトの成功条件として、「共通のアジェンダ」「共通の測定手法」「相互の補強し合う活動」「継続的なコミュニケーション」「バックボーン組織」というポイントを挙げています。

 

ストローは、上記のような組織変革・社会変革を実現するための、4段階のプロセスを紹介しています。それは「変革の基盤を築く」「今の現実に向き合う」「意識的な選択を行う」「乖離を解消する」の4つです。

 

変革の第一段階は、「変革の基盤を築く」ことで、全体的に変化の準備を整えることです。これには、次の3つのステップが含まれています。1つ目のステップは、主要な利害関係者を巻き込むことです。具体的には、利害関係者になりうる人々を特定し、その人たちを個別に、そして全体としても巻き込む戦略を設計して実行します。2つ目のステップは、人々が実現を望むことと現在の立ち位置について最初のイメージを描くことによって、共通の基盤を確立することです。具体的には、理想的な結果についての共有ビジョンを描き、現時点で何が上手くいっていて、何が上手くいっていないのかについての概要を掴むことです。3つ目のステップは、人々の協働する能力を構築することです。具体的には、人々がシステム思考を活用し、難しい問題をめぐって生産的な対話をする能力や、今の現実に対する責任を引き受ける内面的な能力などを開発します。

 

変革の第二段階は、人々が「今の現実に向き合う」ことを支援することです。それによって、「何が起こっているのか」「なぜそれが起こっているのか」についての共通理解を構築するのみならず、自分がこの現実を生み出す原因にもなっている事実を受け入れるようにすることです。この時点では、理想的な未来についてより明確で豊かなイメージを描くことよりも、現実をより深く掘り下げることで「自分達の現在地を理解したいし、理解されたい」という欲求に答えることを優先します。具体的には、さまざまな要素が、時間の経過の中でどのように相互に作用し、ビジョンの実現を後押しするのか、損なうのかについて、関係者を巻き込みながら自分たち自身の大まかなシステム分析を行います。そうすることで、人々の行動に影響を及ぼす「メンタル・モデル」を浮き彫りにし、気づき、受容、新たな選択を促す触媒的な対話を生み出します。

 

変革の第三段階は、人々が、自分が本当に望んでいることに寄与するように、「意図的な選択を行う」ことを支援することです。その結果として、自分の最高の志を実現することの恩恵だけでなくコストも十分に認識しつつ、その志に対して全力で取り組む姿勢を構築します。具体的には、第二段階で明らかになった「現状維持を是認する議論(現在のシステムの短期的な便益)と、変化する場合のコスト(労力、時間、投資など)を明らかにします。次に、これを第一段階で描かれた、望む変化への議論(変化した場合の便益と、変化しない場合のコスト)と対比させます。そして、両方の便益を実現する解決策を生み出すか、その両者間での難しいトレードオフを進んで受け入れます。これらの意識的な選択を行い、人々が呼び寄せられていると感じるものや、生み出したいと心から願っているものを浮き彫りにするビジョンを通じて、その選択を活性化させます。

 

変革の第四段階は、第三段階で確認した「心から望んでいること」と、第二段階で明確にした「現在地」との「乖離を解消する」のを支援することです。また、システム上のレバレッジポイント(構造のツボ)を見つけ、継続的な学習と幅広く人々を巻き込むためのプロセスを確立します。具体的には、コミュニティからの意見を参考にしながら、因果関係のフィードバックを配線し直したり、メンタルモデルを変容させたり、選んだ目的を強化したりして、レバレッジの効いた介入策を提案し、練り上げます。そして、継続的に利害関係者を巻き込み、長期的なロードマップの一部として検証プロジェクトを組み込んだ実行計画を策定し、集めるべきデータを精査したり、利害関係者から得た意見による定期的な計画の評価・修正を行い、追加リソースの開発、機能する施策の拡大によって利害関係者の関与を拡大するプロセスを実行します。

 

これらの段階、ステップは必ずしも直線的には進まず、例えば、第四段階で学んだことが、継続する循環プロセスの中で新たに始まる第一段階にフィードバックされるといったことが起こります。この循環プロセスに十分な時間をかけることが極めて重要だとストローは主張するのです。

参考文献

デイヴィッド ピーター ストロー 2018「社会変革のためのシステム思考実践ガイド―共に解決策を見出し、コレクティブ・インパクトを創造する」英治出版

 

システム思考で学ぶ「偶然を味方にするキャリア術」

予期せぬ生じる偶然をチャンスと捉え味方にしていくことは、自分のキャリアを切り開いていく上でとても重要です。そして、この考え方を土台にした理論の代表格が、クランボルツの「計画された偶発性」であったり「セレンディピティ」であったりします。そして、当ブログでも「エフェクチュアルなキャリアデザイン」を提唱しています。今回は、この「偶然を味方にするキャリア術」を、システムダイナミクスあるいはシステム思考という視点から理解してみます。この考え方のポイントは、予期せぬ出来事や偶然に思える出来事というのは、実は、自分がその一部となっている複雑なシステムの挙動によって生じたものであることを理解するというものです。そうすることで、なぜそのような驚くべきことや偶発的なことが起こるのかが分かり、それらを生み出すための方策や、それを自分に有利になるように活用するための示唆が得られるわけです。

 

自分のキャリアに大きな影響を与える出会いとか出来事とか、それらが予期せぬ形で生じること、偶然の産物と思えることは、全くのランダムな出来事であったり奇跡であるというわけではなく、ちゃんと理由があるということなのだし、神様の目から見たらきちんとした因果関係に基づいて生じた必然的なことでもあるわけです。例えば、よく分からないけれども突然、どんどんと成功するようになって運が味方しているとしか考えられない場合とか、逆に、坂道を転がり落ちるように失敗してしまい、運が悪いとしか言いようがないように思える場合、あるいは、何を試しても状況が変化せず、ずるずると悪化してしまう場合、むかし会ったことのある人から突然転職の誘いが来たなど、いろんなことが起こるでしょう。これらの現象には本当は理由があるのですが、私たちは神様ではないので、そのメカニズムを正確に把握することも、その挙動を正確に予測することもできないため、予期せぬ出来事とか運だと知覚するのです。

 

しかし、システムダイナミクスやシステム思考を援用すれば、上記のようなシステム挙動の仕組みがある程度は分かってくるので、知らない人と比べると随分と有利な立場に自分の身をおくことができるのです。メドウス(2005)のシステム思考の入門書などが指摘するように、とても複雑な挙動をするシステムであっても、それは、2つのタイプのフィードバック(自己強化型ループとバランス型ループ)と、フィードバックの時間的遅れ(アクションを起こして、それがフィードバックとして返ってまでに時間がかかること)の組みあわせとして成り立っており、それが、成長、停滞、衰退、振動、ランダムな動き、進化といった経時的なパターンを生み出します。自己強化型ループは、増幅型、自己増殖型、雪だるま式のもので、好循環もしくは悪循環を生み出すループです。バランス型ループは、安定を求め、目標を追求し、あるいは調整を図るループです。そして、フィードバックループの時間的遅れはシステムの制御を複雑で難しくする原因になります。

 

上記のとおり、システムは、自己強化型ループ、バランス型ループ、時間的遅れが組み合わさってできていると考えることができ、これが複雑に組み合わさっていると、システムの挙動がしばしば私たちをびっくりさせることになります。その原因は、私たちの知覚や思考が単純で直線的(線形)であるのに対して、現実の世界で諸現象を生み出すシステムは非線形であるところにあると言えるでしょう。フィードバックループや時間的遅れが含まれるシステムが線形的な挙動をすることはほとんどあり得ないからです。このような非線形から生まれたびっくりさせられる諸現象が、システムの真っ只中に至り、システムを観察する人の「主観」では、予期せざる出来事とか、偶然とか運によってもたらされた出来事に映るのだと考えられるのです。

 

例えば、仕事において突然物事が好転しだしたと思ったら、成功が成功を呼ぶような状態となって飛ぶ鳥を落とす勢いが生まれ、爆発的にキャリアが発展することがあります。これは、システムの中において何らかのきっかけで自己強化ループが発動した結果だと解釈することができます。例えば、自分が良い仕事をして評判が高まる。その評判を聞きつけた人が良い仕事を紹介する。その仕事は良い仕事なので業績がさらに高まる。そうするとそれが更なる評判の向上につながる。評判がさらに高まれば、もっと良い仕事が来る、といったような自己強化ループが働いていると考えられます。

 

しかし、このような爆発的な成功、成長はいつまでも続かないのが世の常です。なぜなら、システムの中で、そのような爆発をある一定の水準で安定させようとするバランス型ループが働いていたり、逆に、物事を悪化させる方向で増殖させる自己強化ループを発動させるトリガーがあったりするからです。後者の場合、どこかで好循環の自己強化ループが悪循環の自己強化ループにとって代わられるようになり、成功から一転して坂道を転がり落ちるように失敗していく現象につながるのです。ただ、爆発的な成長の例と同様に、底なし沼に落ち続けることも稀で、どこかでバランス型ループや好循環を生み出すループが発動しはじえることも多いのです。

 

別の例だと、仕事において業務改善の必要性を感じ、改善のための施策を立案して実行してみても一向に状況が改善しない場合があります。これは、現在の状態を保つためのバランスループが働いていて、そこから逸脱するような改善策を講じても、その反対の力が作用して元に戻ってしまうという構造になっているのかもしれません。元に戻る力が相対的に強いと、状況が段々と悪化するということも生じます。また、フィードバックの時間的遅れが働き、効果が目に見えるまでの十分な時間が経っていない可能性もあります。時間的遅れに関していうならば、過去に名刺交換をした程度の人から直接ビジネス提案のメールが届き驚き、結果的に成立につながったということもあるでしょう。これも、過去にその人に対して起こったアクションが、本人はとっくに忘れてしまっていても、機が熟すまでの時間的遅れを伴ったフィードバックループが働いて自分に返ってきたと解釈することが可能です。

 

自分はそれほど強力なリーダーシップを発揮していないのに、自分の周りにいる人々が勝手に相互作用をしはじめた結果、自分のチームでいろいろなプロジェクトが発足したり大きな成果が生まれたりすることもあるでしょう。これは、複雑なフィードバックシステムが絡み合ったシステムが「自己組織化」した結果、システム全体が進化している状況を示唆しています。自己組織化が発動すると、システムから特異なパターンが出現してくるため、それがクリエイティビティやイノベーションにつながったりするのです。またそれらがシステムにおいて連鎖反応を起こし、効果が広範囲に普及していくプロセスも生じえます。システムの中のレバレッジポイントの理解も重要です。レバレッジポイントとは、小さな力でシステム全体に影響を与えることができるような点です。この点を適切に変えれば、物事は改善しますが、反対に変えてしまうと物事を悪化させる原因となります。メドウスによれば、システムが複雑化するにつれ、その挙動が予期せぬものになるため、レバレッジポイントもあまりにも直感に反するが多いといえます。

 

さて、これらのシステムダイナミックス的な世界の理解、もしくはシステム思考が私たちのキャリアのマネジメントに与える実践的示唆はどのようなものでしょうか。まず、キャリアを考える私たちが知っておくべきことは、自分自身も社会を構成するシステムの一部であり、自分の行動がシステムを形作ったりシステムに影響を及ぼすとともに、システムからの影響も受ける存在だということを理解することです。例えば、自分自身がいろんな人やモノと繋がっていくと、広範なネットワークの一部に自分が位置付けられます。ネットワークは人的ネットワークのみではありません。場所とか物理的なモノとのつながりというのも含みます。ネットワークが複雑であれば、そのシステムの挙動も複雑で、時にはびっくりさせられることもあります。また、ネットワークでつながっている人やモノが多様であれば、それらが相互作用を起こして自己組織化し、自分にとっても新たなチャンスが生まれる可能性も高まるでしょう。

 
逆に、自分があまり他の人々やモノとつながっていない場合、自分を含むシステムがシンプルなものであるために、挙動もシンプルなので変わったことやびっくりすることは起こりにくいと言えます。「計画された偶発性」や「セレンディピティ」で指摘されるような予期せぬ出来事や偶然も起こりにくいため、これらの機会を活用することもできません。ですから、「計画された偶発性」や「セレンディピティ」を高めるためには、まずはいろんな人やモノとつながって自分が複雑なシステムの一部となること、そして、その複雑なシステムに対して何らかのアクションを取ることで、システムの挙動を生み出し、それを確かめること。そして、びっくりするような挙動があった場合、その原因を想像して、それが自分にとってチャンスだと感じる場合はそれを活用することです。例えば、自分を成功に導く自己強化ループが作動し始めたと感じた場合、その挙動を支配するレバレッジポイントを探し出して、自己強化ループをさらに強化することを検討するとよいです。
 
もちろん、システムの複雑な挙動は自分にとって不利となる状況を生み出す可能性も十分ありますから、そうなった場合にも、慌てずにそれが生み出される仕組みを想像、分析し、まちがったアクションを起こさないこと。つまり、ネガティブな自己強化型ループをさらに強めたり、そのループを抑えようとするバランス型ループを弱めてしまうなど、状況をさらに悪化させてしまうようなことをしないよう心掛け、不利な状況を改善するための適切なアクションを探し出すということになるでしょう。さらに、システムにはフィードバックの遅れがあることを理解するならば、自分が起こしたなんらかのアクションが、「風が吹けば桶屋が儲かる」の諺が示すように、自分が忘れたころに思いがけない形で返ってくることもあるので、何かアクションを起こして反応がなかったとしても、アクションを起こして「種をまき続ける」ことも大切だといえましょう。
 
なお、誤解を避けるために付け加えると、システムダイナミクスの知識やシステム思考を駆使して自分の周りのシステムを理解出来たら、自分の思い通りにそれを制御することで自分のキャリアマネジメントに適用できると考えるのは不適切です。メドウスも強調するように、自己組織的で非線形的なフィードバック・システムは、本質的に予測不可能だからです。その代わり、メドウスは複雑なシステムを制御することを放棄し、「システムとダンスを踊る」ことを推奨するのです。この考え方は、「計画された偶発性」や「セレンディピティ」とも親和性があるものであり、「エフェクチュエーション」でいっている、自分がコントロール可能な部分のみに集中することとも整合性がある話なのです。
 
最後に、今回紹介したシステム思考で学ぶ「偶然を味方にするキャリア術」のポイントをまとめておきます。
  • いろんな人やモノとつながることで自分が社会における複雑なシステムの一部となり、そのシステムにいろいろと働きかけてみることで、自分のキャリアの発展に影響を与えるような予期せぬ出来事や偶然だと思われるびっくりするようなシステムの挙動が生み出されるような確率を高める。
  • 自分の周りでキャリアの発展(専門分野、昇進・昇格、転職、配置転換、ワークライフなど)に関連してどのようなフィードバックループや時間的遅れが生じているか、どのようにそれらが組み合わさっているかを想像したり分析し、実際に生じているシステムの挙動と照らし合わせて理解してみる。
  • 自分のキャリアに影響を与えるかもしれない予期せぬ出来事、びっくりするような出来事が起こった際に、それが生じた原因やメカニズムをシステム思考を用いて分析してみる。
  • システム思考を用いて自分のキャリアを有利な方向に導くような好循環を維持する方策、自分のキャリアを悪化させるような悪循環を断ち切る方策、あるいは自分のキャリアに停滞感があるときに現状から抜け出す方策などを考え、その効果を試行錯誤的に試して反応をみる。そしてうまくいかない場合は修正し、うまくいった場合はそれをさらに実施する。

抽象的なまとめにはなりましたが、自分の過去のキャリアの軌跡、成功した人、失敗した人のキャリアストーリーなどを今回のフレームワークを用いて解釈してみると、このフレームワークの理解が進み、自分のキャリアへの応用の仕方のヒントが得られると思います。

参考文献

ドネラ・H・メドウズ 2015「世界はシステムで動く ―― いま起きていることの本質をつかむ考え方」英治出版

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イノベーションにつながる「最高の発想」を意図的に生みだす方法

歴史を変えるような画期的ななビジネスや商品、あるいは革新的なマネジメントの改善などにつながるようなイノベーティブなアイデアはどのように生み出されるのでしょうか。これに関しては、ニュートンのリンゴのように、何かの拍子に突然ひらめく(アイデアが降臨する)ものだという理解が多いのではないでしょうか。これに対して、アイエンガー(2023)は、イノベーションにつながる「最高の発想」を意図的に生みだす方法を提唱しています。この方法を用いると、天才のみならず、あるいは運に100%頼ることなく、多くの人が素晴らしいアイデアにたどり着くことが可能だといいます。アイエンガーが提唱するこの画期的な方法の根底にある考え方は、「新しいものごとは、それらをつくる要素が新しいのではなく、要素を組み合わせる方法が新しいのだ」ということで、言い換えるならば、「イノベーションとは、複雑な課題を解決するための、古いアイデアの新規かつ有用な組み合わせである」というものです。

 

アイエンガーによれば、画期的なイノベーションを起こすのに、あるいは複雑な問題に対して画期的な問題解決を図るためには、新しいアイデアが必要であるわけではありません。既存のアイデア、古いアイデアであってもよいのです。ただ、既存のアイデア、古いアイデアを「新規的かつ有用なかたちで」組み合わせることがポイントなので、それを可能にする方法を「システム化」して「手順」として示すことで、多くの人がその手法を用いてイノベーションを起こすことが可能になります。これを、アイエンガーは大きなアイデアを生むエビデンスベースの手法という意味を込めて「Think Bigger の6つのステップ」と命名しました。Think biggerアプローチの要諦は、大きなアイデアを得ることで解決したい複雑かつ重要な問題を小さな要素に分解し、それぞれの要素ごとに既存のあるいは古いアイデアを収集、整理し、それらのいろいろな組み合わせ方を検討することで、「新規かつ有用な」組み合わせを発見するということです。

 

アイエンガーの「Think Bigger の6つのステップ」は、イノベーションの事例を分解して、それらを生み出した思考プロセスを明らかにした結果として生まれたエビデンスベース(証拠に裏付けられた)手法です。ただ、6つステップといっても、イノベーションは一直線には進まないことを肝に命じるべきであることをアイエンガーは強調します。6つのステップからなるロードマップは示すものの、ステップ間を行ったり来たりするプロセスも含まれますし、急いで取り組むものではなく、じっくりと時間をかける必要もあります。それを踏まえたうえで、各ステップについて説明していきます。ステップ1は、「解決すべき課題を正しく選び、それをしっかり理解する」ことです。これは必ずしも簡単なことではないとアイエンガーは指摘します。つまり、時間と的確な判断が必要となります。例えば、選ぶ課題は、これまで誰も解決していないほどに困難だが、夢物語のままで終わらないものである必要があります。取り組む価値があって、有用な解決策につながるような定義を選ぶことも大切だといいます。

 

ステップ2は、ステップ1で設定した大きな課題を、小さなサブ課題に分解することです。どんな重要な課題も、複数の小さな課題でできているとアイエンガーは説明します。サブ課題をたくさんリストアップし、5〜7個に絞りこんでいきます。そしてステップ3で、課題を大局的な見地から捉え、3つの重要な当事者(あなた、ターゲット、第三者)を特定し、それぞれが解決策に何を望んでいるかを洗い出します。これが「全体像スコア」につながり、複数の解決策の中から最終的に1つ選択する際の判断基準になるといいます。ステップ4では、サブ課題ごとに、すでにある解決策を探してリストアップしていきます。新しいアイデアである必要はないので、自分の領域内、領域外いろいろと探し回って、成功した解決策の「戦略的模倣」を行います。ステップ5では、収集した解決策を選択マップに整理し、それらをいろいろな方法で組み合わせ、ぴったりあてはまる「新規かつ有用な」組み合わせが見つかるまで繰り返します。最後のステップ6では、自分が作り出したアイデアを第三者がどう見るのかを吟味します。「第三の眼」でものごとを捉えるということです。

 

もちろん、「Think Bigger の6つのステップ」を使ったからといって必ずしも問題がうまく解決するいうわけではないし、これで世界中の困難な課題を解決できるというわけでもないアイエンガーはいいます。しかし、この方法は、イノベーションのプロセスを分解し、偉大なイノベーターたちが新しいアイデアを生み出した方法を体系化したものなので、この方法の真髄を理解すれば、「自分にもできる」と自信をもてるはずだとアイエンガーは主張するのです。

参考文献

シーナ・アイエンガー 2023「THINK BIGGER 「最高の発想」を生む方法:コロンビア大学ビジネススクール特別講義」NewsPicksパブリッシング

行動経済学を体系的に会得してビジネス・経営に役立てよう

近年、「行動経済学」が脚光を浴びています。行動経済学とは何かを一言でいうならば「人々の経済行動の理解と説明に焦点を絞った心理学」もしくは、「経済学の衣をまとった心理学」だと言えます。本質的には「人間の判断や意思決定に関する心理学」なのですが、それを「行動経済学」と言い換えるとなんとなく高尚かつ実用的なイメージが高まります。一般的には「経済学」の方が「心理学」よりも大学でも歴史があって伝統的な学部・大学院が確立しており、国家や産業の発展、人々の幸福に直結している感じがします。ノーベル心理学賞はなくてもノーベル経済学賞はあります。実際、おそらく最初に行動経済学というネーミングを提唱した心理学者のカーネマンは「ノーベル経済学賞」を受賞しています。その功績もあって、あえて行動経済学を名乗ることで、伝統的であるがゆえに経済学にしか馴染みがない人々が心理学に関心を持ち、心理学の扉を叩く格好のきっかけも提供しているのです。

 

余談はさておき、「ナッジ」を始めとする行動経済学で発見されたさまざまな法則性やコンセプトは、ビジネスや経営において役立つものが多く、それが実際にビジネスや経営に応用されていると思われる例は山ほどあります。よって、行動経済学をマスターして自分の武器とすることで、数多くのメリットが得られるわけです。しかし、相良(2023)は、行動経済学はまだ新しい分野であるがゆえに、さまざまな発見や理論が断片的に並列している状態で、体系だっていないために初学者には学習が難しいことを指摘します。そこで、相良は、行動経済学をわかりやすく体系化することで、初学者の人が学習しやすいような工夫を行いました。もちろん、行動経済学の分野をクリアに体系化することはまだ難しい段階であることを相良も認めているのですが、今回はあくまで「行動経済学を始めて学ぶ人」のために体系化を優先したとのことです。

 

では相良が生み出した新しい行動経済学体系を紹介しましょう。まず、これまでの行動経済学では、少なくとも58の主要な理論が存在すると相良は言います。58もの別々の理論を1つずつマスターするのは至難の業です。相良は、行動経済学を「人間の『非合理な意思決定』のメカニズムを解明する学問」と定義した上で、この主要な理論のグループを、まず3つのカテゴリーに分類します。それは、(1)認知のクセ、(2)状況、(3)感情、です。認知のクセとは、私たちが有している「脳」の「認知のクセ」が、私たちの意思決定に影響をするから非合理的になるという考え方に基づいたカテゴリーです。状況とは、私たちが置かれた「状況」が意思決定に影響を及ぼすという視点に立ったカテゴリーです。そして、感情は、私たちが経験するその時々の感情が、意思決定に影響するという視点に基づくカテゴリーです。

 

最初に、「認知のクセ」のカテゴリーに入る主要な理論ですが、代表的なものが、「システム1」「システム2」という、人間の意思決定で用いられる思考システムの区分です。人間が意思決定する際に、熟考を基本とするシステム2ではなくシステム1に依存すると、人間の進化で獲得したような脳に埋め込まれた直感的な意思決定システムを利用することになるために非合理的な判断や意思決定が多くなります。そこから生まれた様々な法則性には「メンタル・アカウンティング」「自制バイアス」「埋没コスト」「ホットハンド効果」「確証バイアス」「真理の錯誤効果」などがあると相良は言います。また、人間の五感が認知のクセに影響するという「身体的認知」「概念メタファー」や、時間感覚が認知のクセに影響するという「双曲割引モデル」「計画の誤謬」などもこのカテゴリーに含まれます。

 

次に、「状況」のカテゴリーに入る主要理論には、人は状況に「誘導される」「決定させられる」という考えに基づく、「系列位置効果」「単純存在効果」「過剰正当化効果」などが紹介され、そして、多すぎる情報や多すぎる選択肢が人の判断を狂わせたり意思決定できなくする「情報オーバーロード」や「選択オーバーロード」、何をどう提示するかに意思決定が影響される「プライミング効果」「プロスペクト理論」「アンカリング効果」「フレーミング効果」「おとり効果」などが紹介されています。最後の「感情」のカテゴリーに入る主要理論には、ポジティブな感情による意思決定効果としての「拡張ー形成理論」や「目標勾配効果」、ネガティブ感情による効果、コントロール感や不確実性が感情に影響することに伴う効果などが紹介されています。

 

相良は、最後に、行動経済学を「自己理解・他者理解」「サステナビリティ」「ダイバーシティ・エクイティ・インクルージョン(DE&I)」に応用した例を紹介しています。このように、行動経済学は、様々な実践に応用可能な実用性の高い学問であり、まだ発展途上の学問でもありますので、行動経済学を体系的に学んでビジネスや経営の実践に活用していくことには計り知れないメリットがあるかもしれません。行動経済学は、心理学が経済学に進出することによって経済学が抱える限界(人間は合理的に行動するという前提に縛られた限界)を突破してしまったことで「心理学が最強の学問である」ことを証明してしまったような例なのですが、異なる学問が融合することは珍しいことではありません、自然科学の世界では、量子力学なども、化学の世界に物理学が進出したようなものですし、現代生物学は物理や化学の知識なしには成立し得ないでしょう。狭い範囲の学問に縛られず、学際的に研究・実践が進むことがいろんな意味で望ましいのです。

参考文献

相良奈美香 2023「行動経済学が最強の学問である」SBクリエイティブ

 

エフェクチュアル・キャリアデザイン入門

経営学では20年ほど前に提唱され、近年になって実務界にも広がってきているコンセプトとして「エフェクチュエーション」があります。これは、優れた起業家が実践する原則としてアントレプレナーシップ分野の研究で用いられている概念です。吉田・中村(2023)は、エフェクチュエーションを分かりやすく説明するとともに、この原則は、起業家のみならず多くの人々にも活用可能な考え方であることを示唆しています。そこで本ブログでは、エフェクチュエーションの考え方をキャリアに応用した「エフェクチュアル・キャリアデザイン」という考え方を提唱します。以下においてこれを簡潔に説明したいと思います。

 

吉田・中村によると、従来の経営学では、まず目的を設定し、目的に対して最適な手段を追求する方法を重視してきました。当然経営には不確実性がつきものですが、それに対しては、まずは内外環境を分析し、不確実性を考慮した上で、目的に対する正しい要因を特定し計画を立てることを重視します。これをコーゼーション(因果論)と呼びます。目的を実現するための因果を重視するという目的主導の考え方です。一方、エフェクチュエーション(実効理論)の考え方は、起業のように不確実性が極度に大きな環境では、目的主導ではなく手持ちの手段を所与としてそれを活用することで生み出せる効果(エフェクト)を重視する手段主導の考え方で、エフェクチュエーション概念の生みの親であるサラスバシー教授が優れた実践家が実際に行っていることから導いた原則です。

 

エフェクチュエーションには5つの思考様式があると吉田・中村は解説します。それは「手中の鳥の原則」「許容可能な損失の原則」「レモネードの原則」「クレイジーキルトの原則」「飛行機のパイロットの原則」です。以下においては、エフェクチュエーションをキャリアデザインに応用した「エフェクチュアル・キャリアデザイン」に即した形でこの5つの原則を説明します。まず、「手中の鳥の原則」です。これは、自分がすでに持っている「手持ちの手段(資源)」を活用し「手段主導」で何ができるかを発想し着手する思考様式です。主に3つの手段があり、それは「私は誰か」「私は何を知っているか」「私は誰を知っているか」です。さらに「余剰資源」を考慮することも有効だといいます。

 

キャリアデザインにおけるコーゼーションでは、自分が目標とする将来のあるべき姿や目的を明確にした上で、それを実現するための原因となりうる最適な手段を獲得していくことを重視しますが。エフェクチュアル・キャリアデザインでは「私はどんな人間なのか(好きなこと、得意なこと、価値を見出すことなど)」「私は何を知っているのか(知識、スキル、経験など)」「私は誰を知っているのか(人脈など)」「その他に利用可能なリソースはあるか(貯金など)」を理解し(棚卸しをして)、それらを組み合わせることで次の一手として何ができるかを考えることになります。それが、自分のキャリアを発展・進化させるためにまず何をするのかの具体的な行動指針につながるのです。

 

次に、「許容可能な損失の原則」です。これは、期待リターンよりも、許容可能な損失の範囲内でまずは行動を起こすことを意味します。キャリアデザインで言うと、失敗すると路頭に迷ってしまったり人生が破滅してしまうような極端なリスクを負うような行動をしないと言うことになります。例えば、全く畑違いの分野への転職や、大きな借金をしてまでの脱サラによる起業、友人の多くを失うような仕事など、リスクの大きすぎるキャリアチェンジなどがその例です。そうではなく、現在自分が持っている資源の組み合わせ範囲内で投資や活動をする(ビジネススクールに通う、異業種交流会に参加する、余暇を副業に充てるなど)などのアクションが望ましいということになります。

 

そして、「レモネードの原則」は、予期せぬ事態に遭遇した時に、それを前向きに捉え、テコとして活用していく思考様式です。キャリアデザインで言えば、偶然を味方にする能力でもある「セレンディピティ」に近いともいえましょう。「クレイジーキルトの原則」は、コミットをしてくれる可能性のあるパートナーとの出会いを通して、何ができるかを模索していくプロセスで、これをランダムな形の布切れを繋ぎ合わせてユニークなパターンが作られるクレイジーキルトに例えたわけです。レモネードの法則と関連づけると、予期せぬ出会いも含めて様々なパートナーと出会い、それが自分自身の新たな手段(資源)に加わっていくことで、それらを組み合わせて「何ができるか」の可能性が拡大していきます。キャリアデザインに即して言えば、様々な人々との出会いが、自分が有する手段の多様化につながるため、次のキャリアのステップとして何ができるかのオプションも広がっていくことを意味します。

 

最後の原則が、「飛行機のパイロットの原則」です。これは、自分がコントロール可能な活動に集中し、予測でなくコントロールによって望ましい成果に帰結させるという思考様式です。これは、上記の4つの原則によって駆動されるサイクル全体に関わっています。キャリアデザインに即して言えば、コーゼーションでは自分のキャリア目標や目的(例、勤務先の社長になる)に照らし合わせて将来を予測し(例、事業予測、昇進の見通し)、それに従ってキャリアプラン(例、スキルアップ、社内人脈形成)を練ろうとしますが、エフェクチュエーションでは、そもそも未来の予測など不可能という前提に立ち、予測できない未来ではあるが、自分がコントロール可能なものは何かに焦点を合わせるのです。今、手元に持っている手段(能力や人脈)を組み合わせて、キャリアの次の打ち手を考え、実行するのです。

 

上記の5つの原則から分かるとおり、エフェクチュアル・キャリアデザインでは、自分が現在持っている手段主導でキャリアの次の一手として何ができるかを考え、実行し、そのプロセスで生じる偶然性や予期せぬ出来事をテコにしながら、既知の人々や新たに出会う人々との相互作用を繰り返していきます。そのプロセスにおいて新たな手段が加わることで手持ちの手段が増え、何ができるかのオプションも広がり、さらにそれに基づいた行動によって新たな偶然や出会いが生じるという「手持ちの資源の拡大サイクル」が存在します。また、パートナーとの相互作用で生じる新たな目的に基づいて何ができるかを再検討するといった「制約の集約サイクル」も存在します。

 

つまり、エフェクチュアル・キャリアデザインでは、手段主導のダイナミックなキャリア・アクションを通して生じる「手持ちの資源の拡大サイクル」によって、何ができるかの選択肢を広げて将来の可能性を大きくしていく一方で、「制約の集約サイクル」によって、今後のキャリアにおいて自分が最も集中すべき方向性を確立していくというプロセスによって、具体的なキャリアの方向感が定まりつつ将来展望が開けてくるのだと言えましょう。

参考文献

吉田満梨・中村龍太 2023「エフェクチュエーション 優れた起業家が実践する「5つの原則」」ダイヤモンド社