日本的経営の原型は天皇制にあるのか

日本的経営といっても様々な要素がありますが、その中でもいわゆる「みこし経営」について考えてみましょう。欧米における企業経営がトップダウンなのに対し、日本企業はボトムアップであるといわれることがあります。別の言い方をすれば、日本企業の経営トップにはリーダーシップが欠如しているとか、頼りないとかいう声も聞こえます。日本のとりわけ大企業のトップは平均的にも高齢で、トップにたどり着く前にかなりの重要な仕事をすでにやってきているとの見方もできます。日本の会社では社長に権力が集中しておらず、むしろ会社を動かしているのは社長より下の階層だと考えられるわけです。社長は祭りたてられて神輿に乗っているに過ぎないというわけです。


齋藤(2010)は、ざっくりとした日本の歴史の説明において、日本はナンバー2の国であると言います。権威のトップと実質的なトップが併存し、権威としてのトップはナンバー1だが、実質的なトップはナンバー2の地位にいたということです。日本では「権威」と「権力」が別々に用いられており、ナンバー1は権威はあるが、その権威を利用して権力を行使しているのはナンバー2だというのです。そして、この原型が天皇制にあると示唆しています。


現在までつづく天皇制を基軸とする統治体制を確立するきっかけとなったのは「大化の改新」であると齋藤は指摘します。これを機に実権を握ったのが中臣鎌足であり、それ以降、日本はずっと藤原氏支配下になったといいます。天皇家の子孫のみが天と交わって神と交信することができると考えられたため、天皇は日々たくさんの儀礼や神事で忙しくなり、実務をすることが困難でした。天皇は権威はあっても忙しくて実務ができないわけです。そこで、天皇に代わって実務を行う摂政や関白などの存在が正当化されていったのです。つまり、天皇の権威を利用して実質的な権力を握ったものが日本を支配してきたのです。


ですから、日本の支配層は次々と変わってきたのに、天皇家は権力とは別のところにいて権威のみをもっているがゆえに、滅ぶことなく現在まで存続しているのだと齋藤は説明します。江戸時代で幕府が政治を行っていた時代でさえ、権威の源泉は依然として天皇にあり、天皇が(実質的支配者の)征夷大将軍を任命するというかたちになっていたのです。


日本的経営も、権威と権力がそれぞれ別のところに存在している統治構造になっているといえるかもしれません。形式上、権威はトップ(社長)が常に持っているが、その権威を利用して権力を掌握し、実際に会社を動かしている層、集団や人物がいるということです。


齋藤は、このような統治システムのメリットを挙げつつも、大きな問題点は権力者の責任の所在が曖昧になることだと指摘します。つまり、権力者の正当性を認めさせているのは、権力者とは別のところにいる「権威」なので、権力者はただ「権威の名のもとに」業務を執行しているだけという言い訳が成り立つからです。公式に意思決定するのは自分ではなく、あくまで権威(社長)だというような感じです。そのため、不祥事が起こった場合に、現場や管理者サイドでは「上から命令されたからやったのだ」という言い訳になり、経営トップとしては「自分の知らないところで部下が勝手にやった」という言い訳につながるわけです。