人事のプロが語る「フェア・マネジメント」

労務行政研究所(編) (2011)では、人事のプロから働く人たちへの時代を生き抜くメッセージが収録されています。その中から、「フェア・マネジメント」に関するコメントを紹介したいと思います。


ソニーの元人事部統括部長の桐原氏は、ずっと「フェアネス(公平さ)」という考え方や精神を心がけてきたといいます。単純に「フェア(公平)」を求めると、「アンフェア(不公平)」になりやすい。そして人事では、万人がフェアと思うものはない。管理職と専門職、男性と女性、日本人と外国人、いろいろな切り口でフェアを追及するというのが、桐原氏の信条だといいます。時と共に何がフェアかも変わってくるというのです。「会社員は会社の従属物ではない。会社と従業員は対等の関係でなければならない。この関係もフェアネスが大切。会社は、個人が活躍できる舞台であるべきなのだ」という考えを桐原氏は述べています。


日本電気顧問の秋山氏は、「人事は公平・公正なチェンジエージェントたれ」といいます。人事は、共同社会ができたときからあった機能であり、古今東西変わらない本質は「公平・公正であれ」ということなのだといいます。情実とか保身など正しくないことをしない人事でないといけない。仕組みや制度だけのものではなく、組織風土として公平・公正さが必要だと指摘します。


堀場製作所の野崎氏は、「オープン&フェア」な処遇ルールの提供こそが人事の役割だといいます。オープンとは、ゲームを始める前にルールを明らかにすることです。フェアというのは、誰にでも手を挙げるチャンスがあることだと野崎氏は説明しています。「オープン&フェア」の考え方に基づいて、管理職が部下を処遇するために使えるツールを提供することが、人事の役割だと考えていると述べています。

フェア・マネジメントの方法

日本の会社が戦略や人事改革、組織改革などで思い切った手を打てないのは、フェアネスに関する危惧からだと思います。思い切った手を打つ場合、従業員すべてにとってポジティブな結果を生む保障はありません。場合によっては、特定の従業員にとって残念な結果に陥る場合もあります。その際に、フェアであることを担保できなければ、職場内において大きな不満を生み、それが会社に多大な影響を及ぼしかねないことを恐れるわけです。


実際、フェアネスを担保できないまま実行する施策は失敗に終わることが多いでしょう。その例が、10年ほど前に流行した「成果主義」の導入です。会社経営や人事処遇の成果志向を徹底し、成果に応じた処遇を行うと言う成果主義の理念に賛成する人は多かったものの、実際には、それをフェアに運用する仕組みの構築ができなかったがためにうまくいかなかった会社が多いと言われています。


このようなことを恐れるならば、会社としてこれから生き延びるためには大胆な変革が必要であると考えていたとしても、フェアネスを担保できないがために従業員のモラルの大幅な低下などのリスクが大きすぎて大胆な策を講じることはできないでしょう。しかしそれによって経営の根本的な変革が遅れれば、それだけ企業経営も苦境に立たされることになるでしょう。したがって、日本企業が、今後、戦略や組織面で思い切った策を着手するためにも、日頃からフェア・マネジメントを徹底して社員からの信頼を獲得しておく必要があります。


個人的に見聞きする海外の事例などから、トップマネジメントがまず経営においてフェアであることを根本的な哲学として重視し、それをきちんと実践している会社が成長しているように思えます。決して社員に対して優しいだけの「ぬるま湯」な経営ではなく、むしろ業績を高めるために高い成果を従業員に要求する厳しいマネジメントを行っています。しかし、一方で、マネジメントにおいてはフェア・プレーに徹しています。そうすることによって、社員からの信頼を勝ち得ているように思えます。優秀な社員が辞めていくということも少ないでしょう。そう考えると、従業員に対する期待や処遇に関しては従業員に厳しく、信賞必罰も辞さず、しかし何事にもフェアである会社が伸びていくように思えます。


しかし、フェアネスの概念には、人間尊重の精神が基本にあることも忘れてはなりません。つまり、ルールや結果においてフェアでありさえすればよいということではないのです。もっと大事なのは、会社として社員ひとり一人を尊重し、大切に扱うという基本姿勢です。厳しいからこそ、従業員に対する気配り、心のケアもかかせないでしょう。例えば、残念な結果に陥ってしまった従業員に対しての精神面でのフォローも欠かせないということです。つまり、厳しくとも思いやりのある会社、そして何事においてもフェアであることが大切なのだといえましょう。

フェア・マネジメントのススメ

スポーツの世界でもっとも大切なことの1つは、フェア・プレーの精神です。フェア・プレーなくしては、スポーツを行う選手も、それを観戦する人も、スポーツを楽しみ、それによって幸福な気分になることなどできません。スポーツマンシップとしてフェアであることはスポーツに携わる人間としての品性でもあり美学でもあります。フェアな競争を通じて初めて、誰もが納得するかたちで勝敗が決まり、そしてチャンピオンが決まります。負ければ悔しいですが、素直な気持ちで勝者をたたえることができるでしょう。


ひるがえって、企業経営についてはどうでしょうか。マネジメントの世界において、このフェア・プレーの精神が徹底しているでしょうか。フェアであることが大切なのは誰もがわかっていながらも、実際のマネジメントの場面では、フェアとは思えないことがしばしば起こるのではないでしょうか。そういうことがしばしば起これば、スポーツの選手や観戦と同様、従業員はやりきれない思いを抱くに違いありません。それは従業員の士気やコミットメントに悪影響を及ぼし、人材の活躍を通じた企業の発展を阻害する大きな要因となりましょう。


ではなぜ、スポーツの世界ではフェア・プレーを徹底することが可能なのに、会社の経営ではそれが難しいのでしょうか。それは、スポーツでは明確なルールが定められており、それが厳格に守られるのに対して、会社経営の場面では、マネジメントの実践や意思決定の手続きやルールにおいて曖昧な部分が多く、それがアンフェアだと思わせる扱いを生む原因となっているからだと思われます。


たしかに、会社の経営おける様々な場面において、客観的にフェアだと言えるルールを作ったり実行したりするのは困難かもしれません。しかし、フェアネスの基本精神に立ちかえれば、そういった困難を克服することは可能だと思われます。大事なのは、客観的にどうかというよりも、フェアだとみなが感じることができるかどうか、納得できるかどうかです。フェアネス(fairness: 公平)の同義語であるジャスティス(justice: 公正)は、正義という意味も含んでいます。マネジメントのフェア・プレーを推進するにあたって、人間尊重の精神、正義を追求する精神が前面に出ていれば、従業員はそれを感じ取ることができるでしょう。


フェア・プレーの精神を会社経営の根本的な理念に据え、トップ自らの率先垂範のもと、いかなる状況であろうともフェアであろうとする意志を貫こうとするならば、客観的にフェアなルール設定が困難な状況でも、社員の信頼を獲得することが可能となるのでしょう。

年功的人事、成果主義的人事とフェアネス

わが国の人事管理における、伝統的な年功的運用と、近年普及した成果主義とでは、従業員と組織との交換関係(employee-organization relationshp: EOR)において異なるモードをとっており、年功的運用は、社会的交換関係(social exchange relationship)をより重視してきたのに対し、近年の成果主義は、経済的交換関係(economic exchange relationship)の重要度を高めてきたといえます。もちろん、どちらの人事制度も、社会的交換関係と経済的交換関係のミックスなのですが、それぞれの相対的な重要度が異なるという意味です。


そこで、人事管理上重要となってくるのが、フェアネス(公正または公平性)の視点です。フェアな人事を行うことは、従業員の士気を高め、維持するのに不可欠だからです。このフェアネスのポイントが、それぞれの人事管理で異なるわけです。そのメカニズムは、上記に上げた社会的交換と経済的交換の違いによって理解できます。


まず、近年の成果主義は、狙いとするところは明確です。従業員と組織との経済的交換関係を重視していこうとすることは、従業員が一人ひとり行う職務を明確に定義し、その職務の遂行と品質によって、適正な額の報酬を与えていこうというのが一番シンプルな成果主義の考え方です。これが、短期的な視点に基づいた経済的交換です。ですから、フェアネスを考えるのに一番大切なのは、この交換がフェアかどうか、すなわち、担当職務と報酬との関係が適正価格を反映しているかどうか、そして業績に応じて報酬を変える場合には、業績の測定が正確かどうか、業績に応じた報酬の増分が適正化どうか、といったかたちで経済的交換の適正さ、公正さに注目が行くことになります。


それに対して、伝統的な年功的人事運用の場合、交換される対象として重要になってくるのは、経済的資源よりも社会的資源となります。社会的資源とは、例えば信頼の交換であったり、好意の交換であったり、尊厳・尊敬の交換であったりするわけです。このような人事管理の場合、経済的な報酬は、従業員の生理的・安全欲求を満たすのに十分であればそれである程度よく、大事なのはむしろ社会的な交換のフェアネスです。よって、年功的運用のように、従業員同士の給与の格差が小さいからといって、それが即、悪平等だとか不公平だとかいう感情にはつながらないのです。


では、どのような形で年功的人事運用が、フェアネスを実現しているのでしょうか。それは、再三指摘している、社会的交換に関するフェアネスなのです。例えば、仕事をがんばって成果をあげている従業員に対しては、それを単に金銭で報いるのではなく、本人に対して他者よりもたくさん信頼し、その信頼に値する重要な仕事、責任の重い仕事を与えるのです。「組織から信頼された、責任の重い仕事を与えられた」というのは、社会的交換から見ると重要な報酬であり、本人は、組織から与えられた高い信頼や尊敬に感謝し、その信頼や尊敬に報いようと努力するのです。そのようにがんばって貢献してくれる従業員に対して組織は感謝し、さらなる信頼と、重要な地位や仕事を与えるわけです。このようにして、長期的な互恵関係が続いて行くわけです。


だから、給与水準は年功的であっても、社会的交換においてフェアであれば、従業員は一所懸命働こうとするのです。正確にいうならば、年功的運用であっても、成果や能力に応じて、実は給与に差がつきます。しかし、その差は微々たるものです。なぜならば、給与の絶対額の違い、すなわち経済的価値の違いに意味があるのではなく、給与の差が示している(社会的)情報に意味があるからなのです。ちょっとだけでも給与が同僚よりも高いということは、それだけ組織に認められている度合いが同僚より高いということだと従業員は解釈し、それに喜びを感じ、それに報いようとするわけです。それがきちんと納得のいく形でできれいれば、年功的人事運用であっても、フェアネスを確保できるわけです。


つまり、従業員と組織との経済的交換関係を重視する人事管理モードであるならば、経済的観点からのフェアネスがより重要となってくるのに対し、従業員と組織との社会的交換関係を重視する人事管理モードであるならば、社会的観点からのフェアネスがより重要となってくるのだといえましょう。