年功的人事、成果主義的人事とフェアネス

わが国の人事管理における、伝統的な年功的運用と、近年普及した成果主義とでは、従業員と組織との交換関係(employee-organization relationshp: EOR)において異なるモードをとっており、年功的運用は、社会的交換関係(social exchange relationship)をより重視してきたのに対し、近年の成果主義は、経済的交換関係(economic exchange relationship)の重要度を高めてきたといえます。もちろん、どちらの人事制度も、社会的交換関係と経済的交換関係のミックスなのですが、それぞれの相対的な重要度が異なるという意味です。


そこで、人事管理上重要となってくるのが、フェアネス(公正または公平性)の視点です。フェアな人事を行うことは、従業員の士気を高め、維持するのに不可欠だからです。このフェアネスのポイントが、それぞれの人事管理で異なるわけです。そのメカニズムは、上記に上げた社会的交換と経済的交換の違いによって理解できます。


まず、近年の成果主義は、狙いとするところは明確です。従業員と組織との経済的交換関係を重視していこうとすることは、従業員が一人ひとり行う職務を明確に定義し、その職務の遂行と品質によって、適正な額の報酬を与えていこうというのが一番シンプルな成果主義の考え方です。これが、短期的な視点に基づいた経済的交換です。ですから、フェアネスを考えるのに一番大切なのは、この交換がフェアかどうか、すなわち、担当職務と報酬との関係が適正価格を反映しているかどうか、そして業績に応じて報酬を変える場合には、業績の測定が正確かどうか、業績に応じた報酬の増分が適正化どうか、といったかたちで経済的交換の適正さ、公正さに注目が行くことになります。


それに対して、伝統的な年功的人事運用の場合、交換される対象として重要になってくるのは、経済的資源よりも社会的資源となります。社会的資源とは、例えば信頼の交換であったり、好意の交換であったり、尊厳・尊敬の交換であったりするわけです。このような人事管理の場合、経済的な報酬は、従業員の生理的・安全欲求を満たすのに十分であればそれである程度よく、大事なのはむしろ社会的な交換のフェアネスです。よって、年功的運用のように、従業員同士の給与の格差が小さいからといって、それが即、悪平等だとか不公平だとかいう感情にはつながらないのです。


では、どのような形で年功的人事運用が、フェアネスを実現しているのでしょうか。それは、再三指摘している、社会的交換に関するフェアネスなのです。例えば、仕事をがんばって成果をあげている従業員に対しては、それを単に金銭で報いるのではなく、本人に対して他者よりもたくさん信頼し、その信頼に値する重要な仕事、責任の重い仕事を与えるのです。「組織から信頼された、責任の重い仕事を与えられた」というのは、社会的交換から見ると重要な報酬であり、本人は、組織から与えられた高い信頼や尊敬に感謝し、その信頼や尊敬に報いようと努力するのです。そのようにがんばって貢献してくれる従業員に対して組織は感謝し、さらなる信頼と、重要な地位や仕事を与えるわけです。このようにして、長期的な互恵関係が続いて行くわけです。


だから、給与水準は年功的であっても、社会的交換においてフェアであれば、従業員は一所懸命働こうとするのです。正確にいうならば、年功的運用であっても、成果や能力に応じて、実は給与に差がつきます。しかし、その差は微々たるものです。なぜならば、給与の絶対額の違い、すなわち経済的価値の違いに意味があるのではなく、給与の差が示している(社会的)情報に意味があるからなのです。ちょっとだけでも給与が同僚よりも高いということは、それだけ組織に認められている度合いが同僚より高いということだと従業員は解釈し、それに喜びを感じ、それに報いようとするわけです。それがきちんと納得のいく形でできれいれば、年功的人事運用であっても、フェアネスを確保できるわけです。


つまり、従業員と組織との経済的交換関係を重視する人事管理モードであるならば、経済的観点からのフェアネスがより重要となってくるのに対し、従業員と組織との社会的交換関係を重視する人事管理モードであるならば、社会的観点からのフェアネスがより重要となってくるのだといえましょう。