優秀だが「ものわかりの悪い」人たちを束ね、実力を出させる人材マネジメント

戦後から高度成長期、そして安定成長期にかけて、日本企業が行ってきた人材マネジメントを一言でいうと「ものわかりの良い従業員を前提とした人材マネジメント」だと言えるのではないでしょうか。これは、典型的な日本人であれば、言われてみないとわからないことかもしれません。なぜならば、日本の社会や教育制度そのものが「物わかりのよい国民」を育てるようにできていたからです。小中高大学、そして就職した後も、そのような国民になる訓練を徹底的に受けてきたのだといえましょう。


ものわかりが良い従業員とは、上司や同僚の意図を察することができること、集団の中で自分がどのようなかたちで貢献できるのかを考え、あえて他の人からやかましく言われなくても自分の役割を自覚して仕事ができる人々のことです。日本企業の従業員は、いわゆる「問題社員」と言われる人を除けば、ほとんどがこういった従業員で構成されてきたと考えられますし、現在もそうなんだろうと思います。


しかし、これから大切にしていかなければならないのは、こういった「ものわかりの良い従業員を前提とした人材マネジメント」では扱いづらい「能力の高い問題社員」だと考えられます。なぜならば、まず世代交代が進めば、現在とは違う価値観をもった若者が増えてくること、いわゆる男性正社員以外の多様な従業員、非正規社員や女性従業員の割合および企業収益への貢献度が増えてくること、そしてグローバル化に伴って国内外で日本人以外の従業員が増えてくることが予想されるからです。さらに、知識社会が進展すれば、一人の突き抜けた人が多大なイノベーションを起こし、会社に大きく貢献するケースも増えてくると思われるからです。そういった多様な人々の中には、能力があっても「ものわかりが悪い」ために、典型的な日本の企業社会では浮いてしまう人たちがいると思われます。


例えば、外国人のように典型的な日本人でなければ、能力が高くても「ものわかりが良い従業員」になるのは至難の業ですし、そもそも生まれ育ったバックグラウンドなどからいっても、それは不可能に近いのかもしれません。だからといってそういった人たちを敬遠するのならば、それは企業にとって宝の山を放置していることになります。こういった「能力は高いがものわかりの悪い人々」の受け皿となるのは、小さなベンチャー企業であったり、起業する能力があれば自分で起業したり、外資系企業で働いたり、日本を出て海外で働いたり、さもなければ日本では活躍の場が得られずに冴えない人生を歩むということになるでしょう。だからこそ、そういった「お宝もの」である人たちを「使いこなす」人材マネジメントを実現させることができれば、企業はより強くなっていくことが可能なのだと考えられます。


例えば、「能力は高いがものわかりの悪い従業員」は、言われなくても自分自身で集団の中で自分をどう生かしていくか、どういった役割を担っていくのかを自分で考えて行動することは難しいといえましょう。そもそも「空気を読めない」し、「言われなくても察する」ということをしません。そういった人たちは、放置していては自分たちの実力を発揮できないため、会社にとっても本人にとってもハッピーな状態にはなりえません。しかし、彼らには磨けば光る魅力的な能力が眠っているのです。自分でそれをうまく使いこなせないのならば、誰かがそれを引き出してあげればよいのです。だからこそ、そういった人たちの「磨けば光る部分」を見つけ、そういった能力が生かされるように、組織が、あるいはマネジャーが彼らをうまく束ね、マネジメントすることが求められるのです。これこそが真の「マネジメント」だといえますし、マネージャーが本来持っているべき力量だと思われます。


「ものわかりの良い従業員」ばかりで成り立っていた日本企業は、このような人材マネジメントをする必要がなかったし、実際にしてこなかったので、「能力は高いがものわかりの悪い従業員」を束ね、彼らの強みを最大限に発揮させることで組織のパフォーマンスを最大化するようなマネジメントを実践するのは困難だと言わざるをえないでしょう。そのような力量をもったマネージャーを育ててこなかったし、組織全体でそういった人をマネジメントしやすいような人事制度その他の仕組みを整備してこなかったからです。しかし、それができるようになった企業が、他の企業よりも一段と人材マネジメント能力を高めることになり、ひいては他社と比較しても高業績につながる競争優位性を獲得することができるのでしょう。