「やらされ感」の正体は心理的オーナーシップの欠如

仕事の場面でしばしば耳にする不思議な言葉に「やらされ感」というのがあります。いわゆるモチベーションが沸かない状態であろうことは推測できますね。「やらされ感」と聞くと、その正確な意味はさておき、なんとなく感覚がわかる気がしますし、多くの人が経験したことがある(あるいは現在経験中の人もいる)のではないでしょうか。


この「やらされ感」の正体は、学術的にいうと、心理的オーナーシップ(所有意識, psychological ownership)の欠如だと考えられます。仕事における心理的オーナーシップとは何かというと、一言でいえば、それが「私の仕事だ」と感じられるかどうかということです。つまり、やらされ感すなわち心理的オーナーシップ(所有意識)の欠如というのは、何らかの理由でやらなければならない仕事なのにも関わらず、それを自分の仕事として感じられていない状態だと考えられるわけです。その背後には「なぜ自分がそれをやらなければならないのか=やらされているから仕方なくやる、当事者意識もない」という思いがあるということなのでしょう。


Pierce, Kostova, & Dicks (2001, 2003)によれば、心理的オーナーシップとは、対象を自分のものと感じられる心の状態を示しており、対象は、具体的で物理的なものから、抽象的で概念的なものまでが含まれます。例えば、「これは私の机だ」「ここは私の仕事場だ」というのは具体的で物理的であって、実際に(法的に)所有しているという場合も含まれますし、「これは私のプロジェクトだ」「これは私のアイデアだ」というのはより概念的で非物理的な対象であって、法的に何かを所有しているわけではない場合も含まれます。自分の仕事や職場に心理的オーナーシップを持つならば、情熱を持って働くことが可能となり、業績の向上やコミットメントの高まり、職務満足度の向上など多くの望ましい効果が得られることがわかっています。


ではなぜ、私達が仕事に情熱を向けるために心理的オーナーシップが必要なのでしょうか。それは、人間はそもそも所有欲というものが本能として備わっているからオーナーシップを持ちたいと考えるのだという見方もありますし、オーナーシップへの欲求は社会性の中で身についたものであるという見方もあります。どちらが正しいかはさておき、Pierceらは、心理的オーナーシップは、人間がもつ3つの基本的動機、すなわち自己決定や有能感への動機、自己アイデンティティへの動機、そして自分の棲家のような場所がほしいという動機に基づいていると論じます。社会的な肩書、好きなもの、自分の縄張りなどを所有する(手に入れる)ことで、上記に挙げたような人間の基本的な動機が満たされるというわけです。


では、どのようなプロセスが、仕事や組織に対する心理的オーナーシップを高めるのでしょうか。Pierceらは、3つのルート(通路)を提示しています。1つ目は、対象に対するコントロールです。自分がその仕事やプロジェクト、組織などをコントロールすることができるという感覚が高まれば、それらに対する所有感覚が生まれてきます。2つ目は、対象に関する密接な知識です。対象に対する知識が増え、対象を知れば知るほど自分と対象とのつながりが強まり、対象は自分の一部すなわち自分の所有物のような感覚が生まれてきます。3つ目は、対象に対する自己投資です。仕事や組織に対して多くお時間と労力を投資するならば、自分自身からその対象に対してエネルギーが投入されることとなり、それが所有感覚を高めることにつながります。


Pierceらの研究では、複雑性の高い仕事であるほど心理的オーナーシップが高まること、あるいは、ハックマンとオールダムの職務特性理論で扱われている5つの職務次元(スキル多様性、タスク同一性、タスキの有意義性、フィードバック、自律性)が高いほど、それらはコントロール感覚、親密な知識、そして自己投資を通じて心理的オーナーシップを高めるという理論も展開しています。心理的オーナーシップの研究はこれからもたくさん行われるでしょうが、心理的オーナーシップが高まるメカニズムをよく理解して経営で実践することにより、従業員の「やらされ感」が減らすことが可能になるでしょう。

参考文献

Pierce, J. L., Jussila, I., & Cummings, A. (2009). Psychological ownership within the job design context: Revision of the job characteristics model. Journal of Organizational Behavior, 30(4), 477-496.

Pierce, J. L., Kostova, T., & Dirks, K. T. (2001). Toward a theory of psychological ownership in organizations. Academy of management review, 26(2), 298-310.

Pierce, J. L., Kostova, T., & Dirks, K. T. (2003). The state of psychological ownership: Integrating and extending a century of research. Review of general psychology, 7(1), 84.

権力を手中に収めた人の行く末はどうなるのか

組織行動論においては、組織やチームの人々を動かすために必要な能力として「リーダーシップ」が思い浮かぶことでしょう。しかしそれは一面的な見方に過ぎないかもしれません。現実的には、組織を動かすのに最も重要なのは「権力」だという考え方もあるでしょう。権力とは、対人関係のような関係性における重要な資源のコントロールの度合いを意味します。重要な資源をコントロールできる側が権力を持ち、コントロールできない側は、重要な資源を得るために権力を持つ側に依存することになります。つまり、権力を持つということは、他者に対して影響力を行使することができる、すなわち他者を自分の意志に従わせることができるわけです。したがって、組織を動かしていくためには権力を手中に収めることが最も効果的な手段だということもいえるわけであり、実際、組織内において権力を手に入れるために「社内政治」のような状況が生まれるわけです。


では、特定の人物が実際に権力を手中に収めることに成功した場合、その人の行く末はどうなるのでしょうか。権力を維持し、成功を続けることができるのでしょうか。あるいは、失墜したり没落したりして最終的には権力を手放さざるを得なくなるのでしょうか。Anderson & Brion (2014)は、権力に関する研究を整理し、以下のような見解を導いています。まず、世の中の仕組みや特徴として、権力を手に入れた人々は既得権益を守るために現状を維持しようとします。意外なことに、権力を持っていない人々も、現状の状態を容認し、現状維持に傾くとのことです。このように、社会的な構造が現状維持に向かう場合には、権力を手中に収めた人々にとっては、権力維持に有利に働くことになります。また、権力を手に入れることによって、本人の感情、認知、行動に変化が生じ、それが権力維持に貢献することもAnderson & Brionは指摘します。例えば、権力を持っている人ほど、ポジティブな感情状態を維持し、精神的に健康であってストレスを感じにくく、第三者からもポジティブな評価を受けるといいます。これらの傾向は権力維持に貢献します。また、権力を持っている人ほど、長期的に目標を設定しやすく、楽観的に構えて目標の追求を行いやすくなります。さらに、権力を持っている人ほど、機会追求的な行動をとり、束縛されにくく、政治的能力に磨きがかかり、自分に有利なかたちで政治行動を行ったりすることができるようになります。これらもすべて、権力維持に貢献すると考えられます。


一方、Anderson & Brionによれば、権力を手に入れることで生じる考え方や行動の変化は、権力を失う可能性を高める方向にも働きます。権力を失う理由としては、非倫理的な行動に手を染めやすくなること、意思決定にバイアスがかかることで過ちを犯すこと、競争関係に巻き込まれて敗北することが挙げられます。例えば、社会的な特徴として権力者は複数存在し、否応なしにライバル関係が生じます。権力争いが起こるわけです。また、権力を手に入れることで、非倫理的な行動に手を染める可能性が高まるということもいえます。権力を持つことで、他者をモノのように扱ったり、公正かつ丁重に扱おうとする意識が薄れたり、より高圧的に接するようになりがちです。また、権力を手に入れることでより自己保身的になり、それがデータの改ざんや騙しなどの不正行為を引き起こす可能性を高めます。さらに、権力を手に入れることで傲慢になって意思決定にバイアスがかかったり他者のアドバイスに耳を貸さなくなることで重大な過ちを犯す可能性を高めます。それ以外にも、権力を手に入れることで安心したり油断したりして脇が甘くなることで、ライバルに弱みにつけこまれたり足元をすくわれる機会を与えてしまうことにもつながりがちです。これらはすべて、権力者が堕落し、失墜し、最終的に権力を失ってしまう可能性を高めると考えられます。


上記のように、権力を手に入れた人物は、権力を維持することに有利な状況を獲得するのと同時に、権力を失墜する可能性を高める思考や行動を発展させる可能性も高めることをAndersen & Brionは指摘するのです。では、どのような条件のときに権力が維持され、どのような条件の時に権力が失墜するのでしょうか。Anderson & Brionのレビューによれば、まず重要な条件が、権力を手に入れた人物が、それを自己利益の追求や自己保身のために用いようとするのか、あるいは集団や組織のために用いようとするのかにあるということです。権力者が自己利益の追求や自己保身的な行動を増大させれば、それは非倫理的な行動、不正、意思決定の過ち、ライバルとの競争の激化を招き、権力を失う可能性を高めるでしょう。一方、権力者が、集団や組織に献身的な行動を増大させれば、それは周りからの信頼や支持を勝ち得ることにつながるため、権力を維持させることにつながるでしょう。


では、権力を手に入れた人物が、自己利益追求的あるいは自己保身的な行動に出る場合と、集団や組織に貢献しようとする行動に出る場合を分ける要因は何なんでしょうか。Anderson & Brionのレビューによれば、まずは、そもそも権力を手に入れようとする動機が何かによります。権力を手に入れたい動機が、自己利益の追求や自己保身ということであるならば、とうぜん権力を手中に収めた後にはそのような行動が待っていることでしょう。一方、集団や組織に貢献するために権力を握ることを志向した場合には、権力掌握後もそのような行動が期待されることになります。権力を手に入れれば、もともとの性格すなわち本性をさらけ出しやすくなるので、その人物がもともと自己中心的で自己利益追求的な性格の持ち主なのか、社会的で他者に対して協力的な性格なのかが権力への動機にも連動していることでしょう。

参考文献

Anderson, C., & Brion, S. (2014). Perspectives on power in organizations. Annual Review of Organizational Psychology and Organizational Behavior, 1(1), 67-97.

限定倫理性のメカニズム:なぜ倫理的だと思っている人が非倫理的な行動をしてしまうか

企業の不祥事や政治家による失言など、モラルに欠ける非倫理的な行動がもたらす事態がしばしば起こります。一方、私たちの多くは、自分は平均以上に倫理的であるという判断する傾向があると言われます(全部足し合わせて平均以上になることはありえないのですが)。このようなことから考えられるのは、多くの非倫理的行動は、自分自身はそれほど非倫理的ではない(少なくとも人並みには倫理的である)と思っている人によってなされている可能性が高いということです。このような状況の背景にあるのが、人間が持っている「限定倫理性」のメカニズムだということを、Tenbrunsel, Diekmann, Wade-Benzoni & Bazerman (2010)は指摘します。Tenbrunselらによると、限定倫理性とは、サイモンによる「限定合理性」になぞらえた概念で、人は、自分は倫理的である、あるいはそうありたいと思っていても、実際には自分の倫理基準に反する行動をとってしまう傾向があるという法則・メカニズムを指します。


Tenbrunselらは「私たちは、普段は自分は倫理的だと思っているが、実際の行動場面では非倫理的になってしまう。しかし、その行動の後でも、自分は倫理的だと思っている」というように、行動の前後を通じて自分が非倫理的な行動をしているという自覚が薄いために、実際の非倫理的行動が是正されにくいといいます。なぜそのようなことが起こるのかというと、私たちの内面には、「こうあるべきだ」という自分と、「こうしたい」という自分という2つの自分が同居しており、自分の行動を予測したり、自分の行動を振り返ったりするときには、理性的・合理的かつ理想追求的な「こうあるべきだ」という自分が思考をコントロールしているのに対して、実際に行動するときになると、感情的衝動・現実主義・動物的本能などに支配された「こうしたい」という自分が顔を出し、「こうあるべきだ」という自分を押しのけて行動してしまうからだと主張します。Tenbrunselらは、これを「行動場面における倫理性の後退(ethical fading)」と呼びます。また、このような倫理性の後退は、その人を取り巻く状況によって引き起こされることが多いと言います。


上記のような限定倫理性のメカニズムには、多くの心理学的な証拠があるとTembrunselらは言います。まず、人間は、将来の自分の行動を予測する際に、多くの心理的なバイアスに影響され、必要以上にポジティブな予測をしてしまうという「将来予測エラー」が起こります。例えば、私たちは、必要以上に自分の倫理性を過信したり、楽観的に将来を予測したりします。つまり、倫理性が問われるある特定の場面に遭遇したとき、実際の自分以上に自分は倫理的に行動できるという自信や楽観性が優位になるわけです。また、私たちは、遠い将来になればなるほど、具体的・個別的にではなく抽象的・一般論的に考えるようになり、具体的であるがゆえに現実主義的な思考をするのではなく、抽象的であるがゆえに理想主義的な思考をするようになります。したがって、自分の行動予測も「自分ならこうするだろう、こうしてしまうかもしれない」という現実的予測ではなく「自分ならばこうするべきだ」「自分はこうありたい」という理想主義や自己保身・自己奉仕欲求に影響された希望的予測を行うことになるのです。このようなメカニズムによって、普段私たちは、自分は少なくとも人並みには倫理的だし、実際に倫理的に行動するだろうと思うわけです。


しかし、実際に倫理性が問われる場面で行動する際には、状況が一転してしまいます。実際の行動場面は具体的な状況に埋め込まれており、その中で、特定の行動に対して倫理性が問われるという意識が薄らいでしまう可能性が高まります。例えば、多少非倫理的な行動をしてもそれに起因する悪影響は小さく、そのような行動をしない場合に実利的にデメリットがある場合です。このような場合、本人の頭の中では、損得勘定や打算的発想が優勢されてしまい、倫理的な発想が後退してしまいがちです。その行動は得か損かという損得勘定や経済的合理性に左右されて行動する場合、その行動には倫理性が問われるという意識がされなくなってしまい、その行動は良いか悪いかという倫理的判断無しに行動することになります。結果的に、経済的なメリットはあるが自分の倫理基準に反している行動をとってしまうことになります。実際の行動場面では、明らかに倫理性が問われるという場合もあって、その場合には行動に際して明確な倫理判断が伴いますが、そうではなく、その行動に倫理性を問われるのかどうかが曖昧であるケースも意外と多いのです。また、実際の行動場面では、短視眼的な動物的防衛本能や感情に支配された「こうしたい」という思考が優先され、無自覚的・突発的に行動してしまうケースも多くあります。この場合も、行動の際に倫理判断が行われず、結果的に非倫理的行動をとってしまう可能性が高まります。


Tenbrunselらは、私たちは非倫理的な行動をとってしまっても、後でその行動を振り返るときにも心理的バイアスなどによって、自分の行動が非倫理的であったと自覚しにくくなる証拠も提示しています。例えば、私たちは、自分は正しい人間だと思っていたいので、仮に非倫理的行動をとってしまったとしても、意識的あるいは無意識的にそれを取り消す「物理的・心理的洗浄」を行うことを示唆します。例えば、非倫理的な行動を補うような行動を後でしたり(物理的洗浄)、特定の行動は自分の非倫理性に起因するものではなく、他の避けられない要因によるものだったと帰属したり、自分の行動を正当化したりします(心理的洗浄)。また、私たちの記憶はだんだんと色あせ、記憶の内容がだんだんと抽象的になり、具体的な状況を忘れていきます。そのような抽象的な記憶にたいして、その正当性を支持するような他の記憶や情報が加わることにより「自分の行動はおおよそは倫理的なものであった」という態度が形成されるようになります。これらのメカニズムには、私たちの自己保身的・自己奉仕的な欲求や、記憶の可塑性が影響しているわけです。さらに、私たちは、特定の倫理基準を若干下げることについてはそれほど抵抗感を持ちません。「これくらいの小さな逸脱ならば、あえて非倫理的だとは言わないだろう」「他の人もやっているから大した問題ではない」というように、求められる倫理的な行動基準のバーを下げるわけです。しかし、これが繰り返されるならば、どんどん倫理性基準のバーが下がってしまい、いつしか、明らかに非倫理的な行動であっても、本人から見たら許容範囲、非倫理的ではないという判断につながりかねないでしょう。これらのメカニズムから、実勢に非倫理的な行動をしたとしても、なお、自分は倫理的な人間だという自覚を維持することになるわけです。


上記のような「限定倫理性」のメカニズムが顕在化している限り、私たちが無自覚的に非倫理的行動をとってしまう可能性はなくなりません。したがってTenbrunselらは、これらの限定倫理性メカニズムを十分に理解したうえで、それらを防ぎ、非倫理的行動を抑制するようなアドバイスを提示しています。例えば、自分の行動を予測する際に「こうあるべきだ」という自分のみならず「こうしたい」という自分に耳を傾ける機会を作る、実際に行動する際には「こうあるべきだ」という自分を呼び起こし「こうしたい」という自分を抑制するような工夫をする、過去の行動を振り返るさいに、過去の記憶や解釈を歪めるようなメカニズムの発動を抑えるような工夫を行うなどです。

参考文献

Tenbrunsel, A. E., Diekmann, K. A., Wade-Benzoni, K. A., & Bazerman, M. H. (2010). The ethical mirage: A temporal explanation as to why we are not as ethical as we think we are. Research in Organizational Behavior, 30, 153-173.

組織内コーディネーションの統合モデル

組織活動のもっとも本質的な機能の1つが「コーディネーション(調整活動)」です。組織内では様々なタスクが遂行されており、これらを上手にコーディネートして初めて組織として意味のあるアウトプットが出せるからです。別の言い方をすれば、組織内コーディネーションの巧拙が組織のパフォーマンスや成功を左右すると言ってもよいでしょう。そして、時代の変化とともに経済環境や産業構造が変われば、組織内コーディネーションのあり方も変わってくるでしょう。では、これからの時代に求められる組織内コーディネーションを、どのような切り口で考えていけばよいのでしょうか。Okhuysen & Bechky (2009)は、これまでの組織内コーディネーションに関する文献を整理するとともに、組織内コーディネーションの統合モデルを導き出しました。


Okhuysen & Bechkyは、組織内コーディネーションが必要となった起源から話を始めます。アメリカを例に挙げると、産業が勃興する契機となった鉄道の敷設です。鉄道網で乗客の乗降、貨物の運搬、列車の衝突回避、運行管理などにおいてコーディネーションが必要になり、その結果として、合衆国のタイムゾーンが標準化されたり、時刻表が生まれたりしました。標準化された時刻表がコーディネーションの起源の1つだと言えます。その後の大規模工業化の進展により、効率的なモノづくりのためのコーディネーションが重要となりました。そこから出てきた考えが、仕事やタスクの設計を通じたコーディネーションで、代表的なのがテーラーの科学的管理法です。もう1つが、組織構造における責任権限等や管理過程の設計を通じたコーディネーションで、代表的なのがファイヨルの管理論です。ただし、これらのコーディネーション理論は、材料や製品といった目に見えるものの動きが把握可能なモノづくり的コーディネーションでした。モノづくりを効率的に行うためにタスクの専門家・配分やスケジュールや責任権限体系をいかに設計するかという問題に終始しており、対象となるモノが目に見えるため、問題点の把握や解決もしやすいものでした。


しかし、時代が変わり、工業化の時代からサービス経済化が進むと、コーディネーションの対象となるものが無形のものになり、把握が難しくなってきます。また、製造の仕事と異なり、創造性やデザイン性が求められる仕事も増え、組織の境界も曖昧になってきます。モノづくりののように、決まった時間にきまったタスクを予定通り遂行するための公式なルールや手続きを設計することでコーディネーションが可能となるわけではないのです。より不確実性が高く、流動的な環境の中で、働いている人々がリアルタイムで状況を判断しながら公式ルールのみならずインフォーマルな対応を通じて仕事をコーディネートしあうようなプロセスが必要になってきます。よって、上記に挙げたようなモノづくり的なコーディネーション理論では不十分ということになります。Okhuysen & Bechkyは、このような新たな時代の状況を考慮し、組織内コーディネーションを「集合的なパフォーマンスを生み出すためにインプットをコントロールするための、その都度その都度展開される文脈依存的なプロセスおよび相互作用のあり方」と定義します。


Okhuysen & Bechkyは、先行文献から、上記の定義で理解される組織内コーディネーションの5つの異なるメカニズムを整理しています。それは、「計画とルール」「オブジェクトと表象」「役割」「ルーチン」「(物理的)近接性」です。計画とルールは、コーディネーションを実現するためにタスクの責任範囲を規定し、資源を割り当て、調整のための合意を得ることを可能にします。オブジェクトと表象は、情報共有を促進し、タスクの足場を作り、お互いに進捗度合いを把握しあい、共通視点を生み出すことを可能にします。役割は、組織内で相互に監視し合い、タスクそのものに代わってそれを行う人材の責任を規定し、共通視点を生み出すことを可能にします。ルーチンは、タスクの遂行を安定させ、タスクの引継ぎを円滑にし、集団の凝集性を高め、共通視点を生み出すことを可能にします。近接性は、見える化を促進し、監視やタスクの更新を可能にし、異常事態などの予想・対応をやりやすくし、知識を蓄積し、信頼を形成することを可能にします。


Okhuysen & Bechkyは、上記の5つのメカニズムをさらに統合的に整理し、組織内コーディネーションを「アカウンタビリティ(説明責任)」「予測可能性」「共通理解」の3軸で捉える統合モデルを提唱しました。アカウンタビリティは、誰がどのタスクの責任を持っているかということです。アカウンタビリティが明確になることで、相互に依存しあって仕事をしている人々が、自分が何を責任をもって行うべきかがクリアに理解できるようになります。予測可能性は、組織として生み出すアウトプットにおいて、いつどんなタスクが発生し、どんな順序で何が起こるのかが分かるということです。予測可能性が高ければ、その予測を参照しながら各自が仕事を進めることができます。共通理解は、組織が生み出す業務全体の共通視点を共有し、その全体像の中で各自の担当がどのような位置づけにあるかを理解することです。共通理解が高ければ、各自が全体像を把握しながら仕事を行うことが可能になります。


上記に挙げた「アカウンタビリティ」「予測可能性」「共通理解」の3軸は、先に挙げた「計画とルール」「オブジェクトと表象」「役割」「ルーチン」「(物理的)近接性」によって高めることができます。この3軸を高めることによって、効果的な組織内コーディネーションが実現するというわけです。Okhuysen & Bechkyの統合モデルは、時代の変化を見据え、どのような方法で組織内コーディネーションを図っていくのがよいのかを考えるうえでも役立つフレームワークだと言えましょう。

参考文献

Okhuysen, G. A., & Bechky, B. A. (2009). 10 coordination in organizations: An integrative perspective. The Academy of Management Annals, 3(1), 463-502.

組織デザインの根本原理

現在の経済環境は大きな変化を遂げており、組織のあり方も変わりつつあると言われます。新たな時代に適合する組織デザイン(組織構造の設計)はどのようなものなのでしょうか。ここで経営学的に考える上で重要なのが、「新しい組織デザイン」とは、「旧来の組織デザイン」と比べてどこが新しいのかを理論的に説明することです。そのためには、組織デザインについて、根本的に考える必要があるでしょう。根本的に考えるとは、そもそもなぜ組織が存在するのかの理由にまで遡って考えることです。組織が存在する理由は、組織以外では実現不可能な問題を解決することと同値だといえます。そのような問題の存在が、組織の存在にとっての必要十分条件だというわけです。組織はいったい何で、どんな問題を解決するために存在しているのでしょうか。


上記に照らし合わせて、新しい組織とは何かの理解を助けるために組織デザインの根本原理を考えたのが、Puranam, Alexy & Reitzig (2014)です。まず、彼らが採用する組織の定義は、マーチとサイモンによる「嗜好、保有情報、関心、知識などが異なる個人や集団同士の調整的な活動のシステム」です。また、組織は複数のエージェントからなり、認識可能な境界線があり、システムレベルの目的や目標があり、その目的や目標に対してエージェントが貢献することが期待されているといえます。簡単にいえば、境界線があることと目標を持っていることが、組織をユニークたらしめているとPuranamらはいうのです。


このような組織が、組織デザインによって解決するべき問題、すなわち組織の存在に関わる根本的問題は、2つの大きく分けると「分業」と「努力の統合」になります。さらに分業は「タスク分割」と「タスク配分」に分けられ、努力の統合は「報酬の提供」と「情報の提供」に分かれます。よって、「タスク分割」「タスク配分」「報酬の提供」「情報の提供」の4つの問題が組織をデザインするうえでの根本原理を構成しているといえます。言い換えるならば、組織デザインとは、これらの4つの問題をどのように解決しようとしているのかと言い換えることが可能であり、同じ問題群を解決するための方法が今までなかった新しいものである場合、それは「旧来の組織デザイン」に対する「新たな組織デザイン」として捉えることができるわけです。


分業は、組織目標をそれに貢献するタスクに分割し、それらのタスクを個々の組織メンバーに割り当てることを意味します。組織デザインにおけるタスク分割では、具体的にはワークフローダイアグラムやビジネスプロセスマッピングなどがツールとして使われます。組織デザインにおけるタスク配分では、分割されたタスクを組織内の個人や集団に配分することですが、伝統的には、タスクから役割を定義して、そこに人材を採用してあてがうというようなプロセスになります。


努力の統合は、組織内における協働と活動の調整を促すことです。協働のほうは、組織内の人々が協力して働くようなモチベーションを生み出す必要があり、それを解決するために組織デザインにおける報酬の提供方法が考案されます。他者の協力を促進する内発的動機付けもしくは外発的動機付けが例として挙げられます。調整を行うためには、組織内の人々の情報を提供する必要があり、組織内でタスクの調整がしやすくなるように組織デザインにおける情報の提供方法が考案されます。例えば、タスク同士の相互依存性をなくし、調整の必要性を減らして情報提供の必要を軽減するようにタスク分割やタスク配分を行う方法や、有用な情報が発信され流れるようなコミュニケーションチャネルを提供する方法などがあります。


Puranamらは、例えば旧来のソフトウェア制作組織と、LinuxWikipediaのようなオープンソースの組織との比較を通じて、旧来の組織デザインと新しい組織デザインを比較しています。そこからもう少し一般化して言えることとして、まず、4つの問題のうち「タスク配分」について、旧来のタスク配分は、組織から個人へタスクを配分するという考え方であったのに対し、新しいタスク配分の方法は、個人にタスクを選ばせるものであると論じています。このような変化が、他の3つの問題への解決方法にも波及していると述べます。例えば協働を促進するための報酬の提供に関しては、個人にタスクを選ばせるということは個人が好きなタスクを遂行することを意味するので、旧来の給料や昇進といった外発的報酬ではなく、新し方法では「好きな仕事ができる」という内発的報酬が重視されることになるでしょう。また、協働に伴うフリーライディングを防ぐために、新しい方法では、規則と罰則によるものではなく、仲間と働くことを良しとする行動規範に沿うことで組織から認められるという報酬提供や、メンバーシップステイタスを高めるこで仲間同士で働くことのモチベーションを高めるという報酬提供も考えられます。


活動の調整を効果的に行うための情報提供については、旧来の方法では対面的な情報提供が重視されていたのに対し、新しい組織デザインでは、組織からタスクを配分するのではなく自分でタスクを選ぶので、人々の働き方や場所の自由度も高まり対面的な情報提供が難しくなります。そこで、新たな情報提供手段としてはITなどを活用した共通基盤の形成が考えられます。自由な働き方をしているメンバーがそれを参照しながら活動を調整するようにするわけです。また、調整の必要が削減されるように、モジュール方のタスク構造を採用するという方法も考えられます。モジュールはそれぞれが独立・完結しているので、他のモジュールとの複雑な調整がなくなります。タスク分割については、旧来の方法では、専門化、個人のスキルや嗜好とのマッチングなどを基準としてタスク分割されてきたのに対して、新しい方法としては「見える化」を重視したタスク分割という考え方があります。これは、各メンバーが、見える化された分割タスクの中から、自分が貢献できそうなものを選択して遂行するという行動につながるわけです。


そもそも組織とは単体ではなく、人々が集まって協働するシステムです。組織内で個々の人々や集団が活動し、それが組織全体としてのアウトプットになっていきます。そこでは、どのようにタスクを分割し配分したうえで組織メンバーに活動してもらうか、ただしタスクを分割し配分しただけでは個々の活動がばらばらになってしまうので、それらの活動をどのように統合して組織全体の目標の実現に向けたアウトプットにしていくかという、分割(分化)と統合の問題が、組織にとってはもっとも本質的な問題であることを、Puramanらは示しているのだといえましょう。

参考文献

Puranam, P., Alexy, O., & Reitzig, M. (2014). What's “new” about new forms of organizing?. Academy of Management Review, 39(2), 162-180.

マネジメント・イノベーションの発生理論

ビジネスの世界では、技術や製品のイノベーションのみならず、経営管理の方法においてもイノベーションが起こります。これを、マネジメント・イノベーションと呼ぶことにしましょう。経営の歴史においては、経営管理の構造、プロセス、手法において様々なマネジメント・イノベーションが発生し、普及しました。事業部制の発明、TQMやトヨタ生産方式、近年では、DCF法、活動原価計算、シックスシグマ、EVA、オープン・イノベーションなど、経営管理の様々な分野においてイノベーションが起こっています。では、マネジメント・イノベーションは具体的にどのように発生するのでしょうか。Birkinshaw, Hamel & Mol (2008)は、マネジメント・イノベーションの発生についての理論を構築しました。


Birkingshawらによれば、マネジメント・イノベーションは「組織目標を実現するために、最新の経営管理の施策、プロセス、構造、技法、創造と実施すること」と定義されます。Birkinshawらは、マネジメント・イノベーションの発生プロセスを4つのフェーズに分けて考えます。ただしこの4つのフェーズは直線的ではなく、後戻りなどフェーズ間の行き来が伴います。その4つとは、(1)モチベーション、(2)発明、(3)導入、(4)理論化とネーミング、です。それぞれのフェーズにおいて、役員や社員など企業内部の人々(チェンジ・エージェント)と、財界関係者、ジャーナリスト、コンサルタントや研究者など企業外部の人々(チェンジ・エージェント)が関わります。


モチベーションフェーズは、企業が新しい経営管理の方法を欲する段階です。例えば、企業において新たな経営課題が生じた場合、その問題解決のために企業内部のエージェントが社内外の情報収集に走ります。問題解決のために企業内部で試行錯誤を実施する場合もあるでしょう。ここでマネジメント・イノベーションにとって重要なのは、企業内部のエージェントが問題を適切に設定できるか、企業が新たな経営管理の模索に対して支援的であるかです。企業外部のエージェントは、そのような企業経営の新たなトレンドや機会を探りあて、個別企業の経営課題を超え、抽象度を高めるかたちで新たな経営管理の方法を模索し、企業内部のエージェントと直接的もしくは間接的に接触します。


発明フェースでは、マネジメント・イノベーションへのモチベーションに基づいて様々な経営管理の方法が試され、その中から特定のものが選ばれていきます。企業内部のエージェントは、経営課題に基づいて新たな方法を探ったり、企業外部における情報やアイデアを自社の経営課題を結び付けて実験的に新たな手法を試したり、試行錯誤を行う中で偶発的に新たな経営管理手法に巡りあったりします。企業外部のエージェントは経営に関する知識を現在進行中の文脈に結び付けたり、既存の経営知識を洗練させたり、企業内部エージェントとの相互作用を通じて、新たな経営管理の方法を生み出します。


導入フェーズは、マネジメント・イノベーションが技術的に企業において導入されていく段階です。企業内エージェントは、新しく発明された経営管理の方法を、企業内での試行錯誤や実験的導入を通じて実施していきます。多くの場合、新たな経営の方法の導入は、企業内からの批判や不満にさらされます。よって、企業内部における肯定的な面と否定的な面の両者を受け入れたうえでそれらを超越したものを導入していくといった弁証法的な実施プロセスが考えられます。外部エージェントは、企業の内部エージェントが中心となる導入を側面から支援します。


理論化およびネーミングフェースは、短期的には実施成果が明確ではないマネジメント・イノベーションの企業内外における正当性を高めていく段階です。企業内部エージェントは、新たな経営管理の方法が、企業の経営方針と一致しており、企業が直面している問題を解決することを論理的に説明する方法を考え、社内から支持が得られるよう、新しい経営管理の方法の魅力的なネーミングを考え、伝達します。企業内で新しい経営管理の方法が獲得すべき正当性には、「実用的正当性(従業員にとってメリットがある)」「道徳的正当性(組織の方針や価値観と一致している)」「認知的正当性(導入効果が論理的に納得できる)」があります。外部エージェントは、企業に招かれて第三者の立場から新たな経営管理の方法の効果性を解説して認知的正当性を高めたり、個別企業を超え、ビジネス社会一般に同様の情報発信をしたりしながら、新たな経営管理の方法の魅力的なネーミングを図っていきます。


上記の4つのフェーズが行ったり来たりを繰り返しながら、マネジメント・イノベーションが発生していくのだとBirkinshawらは提唱したわけです。ただし、すべてのマネジメント・イノベーションが成功するわけではありません。失敗したり衰退して姿を消すものもあるでしょう。今後、ますますこの分野の研究の発展が望まれるところです。

参考文献

Birkinshaw, J., Hamel, G., & Mol, M. J. (2008). Management innovation. Academy of Management Review, 33(4), 825-845.

異なる制度ロジックの並存は組織に何をもたらすのか

組織は社会の掟とか不文律のような見えない力によって動かされます。例えば、日本の大企業がある時期に一斉にホールディングスを設立したり、年功的な賃金を排して成果主義的なものに置き換えたりした動きは、組織が何らかの社会的な圧力に従った結果だと解釈することが可能です。一般的にこういった社会の掟を「制度」といいますが、具体的な制度の深層もしくは背後にあるものとして「制度ロジック」というものがあります。ThornsonとOcasio (1999)によれば、制度ロジックは「社会的に構成され、歴史的にパターン化された活動、前提、価値観、信念」であり、「認知や行動に影響を与えるもの」「日々の活動の組織化の原理を形成するもの」と定義されます。制度ロジックが、具体的な制度という形で具現化されるといっても良いでしょう。


制度ロジックの具体例として、社会レベルではメインの制度ロジックとして家族ロジック、共同体ロジック、宗教ロジック、国家ロジック、市場ロジック、専門家ロジック、企業ロジックがあります。組織や人々は、このような社会レベルの制度ロジックの中に埋め込まれており、それらが今度は組織内の制度ロジックや集団内の制度ロジックの形成に影響を与えていると考えられます。しかし、BesharovとSmith (2014)は、組織の周りや内部には単純に1つの分かりやすい制度ロジックがあるわけではなく、複数の異なる制度ロジックが混在していることを指摘します。また、お互いに相容れないような異なる制度ロジックが並存することで様々な問題をもたらすことが先行研究でも指摘されてきたといいます。これに関して、BesharovとSmithは、異なる制度ロジックの並存にはいくつかのパターンがあり、そのパターンによって組織が影響を受ける内容や度合が異なってくることを理論化しました。


BesharovとSmithが異なる制度ロジックの並存パターンの分類に用いた次元は、互換性(compatibility)と中心性(centrality)です。互換性とは異なる制度ロジックがお互いに相容れるものかどうかという度合です。互換性が低いということは、複数の異なる制度ロジックが対立していたり矛盾していたりすることを意味します。中心性とは、複数の制度ロジックがどれも組織の機能にとって中心的なものを代表している度合いを指します。中心性が低い状態とは、1つの制度ロジックが組織機能にとってコアな要素を示しており、もう1つの制度ロジックは、そうではなく周辺的な存在であることを意味します。


BesharovとSmithによれば、複数の制度ロジックの互換性と中心性の高低によって、複数の制度ロジックの併存パターンが4つに分類されます。まず、互換性が低く、中心性が高い状態が「争い型(contested)」です。お互いに相容れない制度ロジックが、組織の使命、戦略、目標など重要な組織機能に影響を与えるロジックとして併存しているわけですから、組織のコアに関して曖昧性が高まり、また激しい対立や葛藤が発生しがちな状態だと言えます。例えば、BeharovとSmithは、別の研究の事例で挙げられたマイクロファイナンス会社には、収益を追求する「銀行ロジック」と、経済開発を志向する「開発ロジック」が並存していますが、両方とも組織にとって重要なロジックでありながらお互いに相容れないため、それぞれの制度ロジックを代表する銀行出身の社員とソーシャルワーカー出身の社員とで葛藤が起こりやすいことを指摘します。


互換性も中心性も両方とも低いパターンは「疎遠型(estranged)」です。並存する複数のロジックはお互いに相容れないものなのですが、1つの制度ロジックが組織機能にとって重要なものとして存在し、他の制度ロジックは周辺的なものと考えられているため、争い型の組織ほど曖昧性が高いわけではなく、また争い型の組織ほど激しい対立や葛藤が生じるわけではありませんが、ある程度の対立や葛藤があります。BesharovとSmithは、例として、美術館や博物館を経営する文化組織を挙げています。この組織では、文化資産を守り、文化を保持しようとする「文化保存ロジック」と、資本主義社会のもとで美術館などの経営をうまく行うための「市場ロジック」とが並存していますが、文化保存ロジックの支持者が支配的であって、市場ロジックの支持者の勢力は強くないことを指摘しています。ですが、市場からの圧力にさらされながら経営を行う必要のある組織上層部と、文化保持に重点を置く現場層との間に対立や葛藤が生じることも指摘しています。


互換性も中心性も高いパターンは「連携型(aligned)」です。これは、異なる制度ロジックが並存していても、お互いに相容れるものであってかつ組織機能にとって重要な要素に関わっているため、組織のコアが一致団結しており、異なる制度ロジックが異なる組織のメンバーによって体現され、それらがお互いに一貫性を保ちながら組織の使命、戦略、同一性、コアの構造や活動の形成につながります。したがって、異なる制度ロジックが並存しているからといって、対立や葛藤が起こるわけではなく、それらはほとんどないと言ってよいでしょう。BesharovとSmithは、チャイルドケアを行う組織の例を挙げています。チャイルドケアの法規制に基づく力を持った政府職員が組織運営に対して影響力を持つ一方で、現場の専門職員が現場における幼児教育の実践に影響力を持つというような形で異なる制度ロジックが並存していますが、それらは互換性を持って共存しているといえます。


互換性が高く、中心制が低いパターンは「支配型(dominant)」です。異なる制度ロジックが並存しており、それらは相互に相容れるものですが、その中で1つが組織の重要な機能にとっての支配的な制度ロジックとして存在しています。このパターンについても、互換性が高いため、組織内での対立や葛藤は少ないといえます。BesharovとSmithが例示しているのは、現代建築の業界では、複数の制度ロジックが混在していますが、特定のタイプの会社においては、特定の支配的な制度ロジックが存在するようになっています。例えば、復興主義的建築家に率いられる会社では、専門家ロジックとしての伝統的な美学を追究しつつ、伝統的な価値観を有するクライアントにサービスを提供していく一方で、現代機能主義的建築家に率いられる会社では、商業ロジックの影響を受けた建築方針で、商業的なクライアントに対してサービスを提供していくようになっています。


これらのように、BesharovとSmithは、私たちの社会や組織において異なる制度ロジックが混在し並存しているからといって、それらが必ずしも組織内外での対立や葛藤を生み出す要因になるわけではなく、場合によってはシナジー効果が発揮されたり、対立や葛藤があまり起こらないケースがあることを論じます。そしてその理由は、彼らの理論モデルが示すように、異なる制度ロジックの並存パターンが異なれば、それらが組織に与える影響も異なるからなのです。

参考文献

Besharov, M. L., & Smith, W. K. (2014). Multiple institutional logics in organizations: Explaining their varied nature and implications. Academy of Management Review, 39(3), 364-381.
Thornton, P. H., & Ocasio, W. (1999). Institutional logics and the historical contingency of power in organizations: Executive succession in the higher education publishing industry, 1958–1990 1. American Journal of Sociology, 105(3), 801-843.