「パーパス経営」+「やってみせるリーダーシップ」の威力

日本では有名な山本五十六の言葉に「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」というものがあります。これはリーダーシップの本質を捉えていると思われますが、特に、最初に始まる「やってみせる」ことが重要であることに異を唱える人は少ないでしょう。しかし、驚くことに、リーダーシップの学術研究では、この「やってみせる」リーダーシップがいかに重要なのかを示す研究が非常に少ないのです。近年のリーダーシップ研究は、カリスマ的リーダーシップ、変革型リーダーシップ、ビジョナリーリーダーシップのように、オーラや言葉でフォロワーを鼓舞するような研究と、サーバントリーダーシップやオーセンティックリーダーシップのような「善良さ、倫理性」を強調するような研究が主流となっている一方で、やってみせるリーダーシップは見過ごされてきたのです。

 

この点に着目し、「やってみせるリーダーシップ」が業績を高めるメカニズムの理論的な理解と実証的なエビデンスを提供したのがEldor (2021)による研究です。Eldorは、とりわけ「やってみせるリーダーシップ」が「パーパス経営」と結びつくときに、従業員のエンゲージメントを引き出すことで強力な効果を発揮することも示しました。分かりやすい言い方をしましたが、やってみせるリーダーシップは、学術的には「Leading by Example(LBE)」と呼ばれています。パーパス経営は「組織のコアバリュー」の明示化という形でEldorの研究では使われています。彼女が具体的に示したのは、小売業界において、リーダーによる「やってみせるリーダーシップ」が従業員のエンゲージメントを高め、それが店舗の生産性およびサービスクオリティを高めること、そしてこの効果が、組織のコアバリューが明示されて浸透している店舗であるほど強かったということです。

 

やってみせるリーダーシップが重要であることは直感的にわかると思いますが、Eldorは、やってみせるリーダーシップが、組織の業績を高めることにいかに貢献するのかについて、戦略論的な視点も交えながら、きちんと理論的に説明しているところがポイントです。戦略的に重要だということは、やってみせるリーダーシップの実践が、リソースベーストビューが示すように、他社が真似できないような持続的競争優位性をもたらすリソースを生み出しているという点です。例えば、具体的になにがリソースかというと、「やってみせる」内容すなわち行動見本です。リーダーが例示する具体的な行動が、組織の生産性を高め、サービス品質を向上する鍵なわけで、組織固有のノウハウといってもよいかもしれません。当該組織のメンバーのみがそれを観察し、参照し、自分の仕事に活かすことができるわけで、他者のメンバーはそれができませんし、単に言葉で伝えられるようなものでもありませんので、ノウハウが外部に流出することも少ないわけです。

 

やってみせるリーダーの元では、組織のメンバーは、リーダーが見本として示す行動が、いかに生産性を高め、サービスクオリティを高めるのかを身体で感じることができます。これは、単に言葉で命令したり指導したりするだけのリーダーシップでは不可能です。そして、リーダーの行動を真似ることは、ロールモデルとして観察学習をすることによって、自分自身もその行動を実践することができることにつながります。当然、それは組織の生産性やサービスクオリティを高めることにつながるはずです。それだけではありません。従業員は、リーダーの行動を学習し、真似て実践するうちに、身体的、認知的、感情的に仕事に自分自身を投入するという意味での「エンゲージメント」を高めます。エンゲージメントが組織内に伝染、伝播することで組織のメンバー全員のエンゲージメントが高まれば、それは業績向上を実現する強い組織につながるわけです。

 

そして、リーダーが頻繁に組織のコアバリューを言葉や文章で明示的に示すことで組織内にコアバリューを浸透させると、組織のメンバーは、リーダーが示す行動見本と、組織の存在意義すなわち究極の目的(パーパス)や、コアバリューとが頭の中で結びつき、腹落ちすることにつながります。組織のパーパスを実現するために具体的に何をすれば良いのかを頭だけでなく身体でも理解できるようになり、組織のパーパスを実現しようというエンゲージメントも高まるのです。組織メンバー全員が、高いエンゲージメントによってパーパスを実現するための行動を実践することで、組織のパーパスの実現を強力に推進する強い組織が出来上がるということです。Eldorの研究は、やってみせるリーダーシップが、パーパスの実現に向けた組織や事業レベルの目に見える効果につながることを理論的、実証的に示した点で、学術的にも実務的にも重要な貢献をしたものだと言えましょう。

参考文献

Eldor, L. (2021). Leading by Doing: Does Leading by Example Impact Productivity and Service Quality?. Academy of Management Journal, 64(2), 458-481.

 

 

TEDで学ぶ組織行動論(22)アダム・グラント 「「与える人」と「奪う人」—あなたはどっち?」(日本語字幕付き)

TED Conferenceとは、TED(Technology Entertainment Design)が主催している講演会で、学術・エンターテイメント・デザインなど様々な分野の人物がプレゼンテーションを行なう場です。講演会の内容はインターネット上で無料で動画配信されており、多くの著名な人物もここでプレゼンテーションを行っています。

 

今回は、ウォートンビジネススクール教授のアダム・グラントによる「「与える人」と「奪う人」—あなたはどっち?」の動画を紹介します。どんな職場にも、ギバー(与える人)、テイカー(奪う人)、マッチャー(損得のバランスを取る人)という3種類の人々が存在するといいますが、いちばん成功するのはどのタイプなのでしょうか。そして、どのような人々からなる組織が最も成功するのでしょうか。直感とは異なる研究結果を示しながらわかりやすく解説してもらいます。

 

プレゼンテーション動画は日本語字幕つきです。再生時に字幕がでない場合には、動画の下の字幕ボタンを押してください。

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参考文献

アダム グラント (2014)「GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代」三笠書房

TEDで学ぶ組織行動論(21)エイミー・エドモンドソン 「他人同士の集まりをチームに変える方法」(日本語字幕付き)

TED Conferenceとは、TED(Technology Entertainment Design)が主催している講演会で、学術・エンターテイメント・デザインなど様々な分野の人物がプレゼンテーションを行なう場です。講演会の内容はインターネット上で無料で動画配信されており、多くの著名な人物もここでプレゼンテーションを行っています。

 

今回は、ハーバードビジネススクール教授のエイミー・エドモンドソンによる「他人同士の集まりをチームに変える方法」の動画を紹介します。エドモンドソン氏は、「心理的安全性」の概念を提唱し世に広がた研究者として日本でも有名です。本動画では、エドモンソン氏が「チーミング」について解説しています。チーミングは、安定的に仕事をする「チーム」とは異なり、前例のない緊急のあるいは非日常的な問題を解決するなどの目的で人々が迅速に集まるプロセスを指します。チーミングは複雑化する現代社会や現代ビジネスにおいてますます重要になっているとエドモンソン氏は論じ、チーミングを成功させるポイントを解説します。そこには「心理的安全性」の重要性も含まれているのです。

 

プレゼンテーション動画は日本語字幕つきです。再生時に字幕がでない場合には、動画の下の字幕ボタンを押してください。

 

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参考文献

エイミー・C・エドモンドソン (2021)「恐れのない組織――「心理的安全性」が学習・イノベーション・成長をもたらす」英治出版

 

TEDで学ぶ組織行動論(20)リンダ・ヒル 「集団の創造性をマネジメントする」(日本語字幕付き)

TED Conferenceとは、TED(Technology Entertainment Design)が主催している講演会で、学術・エンターテイメント・デザインなど様々な分野の人物がプレゼンテーションを行なう場です。講演会の内容はインターネット上で無料で動画配信されており、多くの著名な人物もここでプレゼンテーションを行っています。

 

今回は、ハーバードビジネススクールの教授であるリンダ・ヒルによる、集団の創造性のマネジメントについての動画を紹介します。ヒルは、イノベーティブな組織をマネジメントするためのリーダーシップについては、既存の考え方を再考すべきだと指摘します。彼女は、イノベーションを導くという事は、ビジョンを創造したり周りの人間に遂行のモチベーションを 与えることではなく、創造性が生まれるメカニズムや必要とされる能力を理解した上で、革新的な問題解決という難題に人々が進んで取り組める「場」を創りだすことだと言います。詳細は動画にてご確認ください。

 

プレゼンテーション動画は日本語字幕つきです。再生時に字幕がでない場合には、動画の下の字幕ボタンを押してください。

 

参考文献

リンダ・A・ヒル、グレッグ・ブランドー、エミリー・トゥルーラブ (2015)「ハーバード流 逆転のリーダーシップ」日本経済新聞出版

 

ケネディ大統領のリーダーシップとNASAから学ぶパーパス経営

「なぜ私たちの企業は存在するのか」といった企業の存在意義を中心とした経営を行う「パーパス経営」が注目を集めています。企業のメンバー全員が一体となって企業の究極的な目的であるパーパスの実現に向けて力を結集できるならば、それが企業の長期的な成功につながることを想像することは難しくありません。しかし、いくら企業のリーダーが崇高なパーパスを従業員に対して雄弁に語ったとしても、とりわけ大企業の末端で働いているような従業員から見れば、「確かにそのパーパスには共感できるけど、私が日々行っている仕事とどうつながっているんだろうか」と思ってしまうかもしれません。つまり、崇高で抽象的な企業パーパスと目先の日常業務とがかけ離れていて関連性を見出すことができず、その結果、従業員は、パーパスを「自分ごと」としてとらえることができない状態に置かれます。その場合、パーパスがその従業員の仕事にやりがいをもたらすわけでもなく、高いモチベーションやエンゲージメントが期待できるというわけでもありませんので、企業業績を高める力を引き出すこともできないままになってしまいます。

 

つまり、パーパス経営においてとりわけ重要なのは、従業員が、企業のパーパスと自分の仕事とがどうつながっているのかを理解することなのです。現実として目の前にある自分の仕事が、企業の崇高なパーパスとどうつながっているのかが分かれば、すなわち、目の前にある仕事をしっかりとこなしていくことが企業のパーパスの実現につながることに腹落ちできれば、従業員はパーパスを自分ごとしてとらえるようになり、パーパスを実現するために頑張ろうという活力がみなぎり、その結果、企業全体で従業員の努力が結集され、企業の業績も高まっていくことが予想されるのです。では、具体的に、末端の従業員に、崇高で抽象的なパーパスと目先の具体的な仕事のつながりを理解してもらい、仕事のやりがいを感じてもらうためにはどうすればよいのでしょうか。この問題に着目したのがCarton(2018)です。Cartonは、ケネディ大統領の下でアポロ11号の月面着陸を成功させたNASAの事例を詳細に調べることで、パーパス経営を成功させるための「パーパスを通じて従業員の仕事の意義、やりがいを高めるための方法」についてのヒントを導き出すことに成功しました。

 

Cartonがケネディ大統領およびNASAのリーダーシップおよび従業員の反応を詳細に調べて発見したのは以下のような内容です。通常、NASAを含め組織には複数の目的が相互連関的に存在しており、NASAにおいても「国家に資する宇宙技術開発」「太陽系探索を通じた科学の発展」「宇宙における米国の存在感の実現」の3つの目的があったのですが、ケネディ大統領は、NASAの究極的なパーパスを「太陽系探索を通じた科学の発展」に集約しました。そうすることで、NASAの存在意義すなわちパーパスがシンプルで分かりやすいものになりました。しかし、崇高で分かりやすいパーパスであっても、このままでは、NASAの現場で働く数多くの従業員が、NASAのパーパスと目先の仕事とのつながりを見出して「自分ごと」としてとらえることにはつながりません。そこでケネディ大統領は「1970年までに人類を月に着陸させ、無事に帰還させる」という、当時からすればとんでもない目標を発したのです。「太陽系探索を通じた科学の発展」というNASAの究極的なパーパスから、「人類の月面着陸」という締め切りのある具体的な目標を導いたことで、NASAのリーダーや従業員にとって、NASAがどの方向に、何を目指しているのかが一気に明確になったのです。

 

しかし「人類の月面着陸」という目指すべき具体的な姿が明確になったところで、NASAの数多くの従業員の日常の仕事が即座にパーパスと結びついて活力が生まれるというわけではありません。なぜならば、当時の状況からすれば、それは実現できるかもわからない途方もなく遠い目標だったからです。まさにその目標は、NASAで働くすべての従業員がその共通目標の実現のためにベクトルを1つに集約し、精魂込めて働き続けることでしか実現しないような高い目標であるわけですが、繰り返し言うとおり、現場で働いている従業員が、目先の自分の仕事とその高い目的やパーパスとのつながりを見出せなければ、目標に向かって全力投球することにはならず、そのような状態がNASA全体に生じていれば、従業員のベクトルの方向はバラバラとなり、「人類の月面着陸」など実現不可能な絵空事として片付けられてしまったことでしょう。では、不可能を可能にするためにケネディ大統領やNASAのリーダーは何を行ったのでしょうか。

 

人類の月面着陸を実現するためには、NASA全体でとてつもない量の知識、技術、努力を集積させなければいけませんでした。そしてそれはとてつもなく長いステップを一歩一歩積み重ねることで実現に近づいていくものです。しかし、ケネディ大統領やNASAのリーダーが行ったのは、そのように途方もなく長いプロセスを、3つの大きなマイルストーンに区切って、人類の月面着陸に到達するためのサブ目標を設定したことです。それが「マーキュリー計画有人宇宙飛行を実現する)」「ジェミニ計画宇宙船と物体をドッキングさせる)」「アポロ計画(人類を月面に着陸させる)」でした。実際にこのような難易度の高いプロジェクトの場合、無数にある課題の地道な解決を繰り返すことによって目標の達成に近づいていくものなのですが、サブ目標や道筋を細かく分割しすぎなかったところがポイントです。このマイルストーンの設定によって、途方もなく遠い目標と思われた人類の月面着陸が、ステップを踏むことで実現可能であるという道筋をNASAの従業員間で共有することに貢献したのです。適度な数で分かりやすいマイルストーンが示されたことで、NASAの各部門では、それを実現するために何をいつまでにすべきかを考えることができるようになりました。

 

NASAにおいて「太陽系探索を通じた科学の発展」という抽象的であるが究極的なパーパス、「人類の月面着陸」というビジュアルに頭の中で思い描くことが容易だが難易度が非常に高い目標、そして、目標到達への道筋を分かりやすく示す「3つのマイルストーン」が従業員間で共有され、それに向かった活動が進められていくなかで、NASAの従業員は、しだいに自分の仕事とNASAの目標とをつなげられるようになったとCartonは分析しています。つまり、上記のものが日常においても繰り返し言及され、共有されることで、NASAの従業員は、私たちのチームはその共通目標の実現にどう貢献するのか、私自身はどう貢献するのか、を自問するようになり、「私の仕事は人類の月面着陸を実現するために貢献することだ」と思えるようになっていったというわけです。もちろん、これ自体はNASAのパーパスが従業員に浸透しているというわけではありません。あくまで、彼らの日常の仕事とNASAの具体的な目標が結びついたという段階にすぎません。締め切りのある目標というのは、それが終わってしまうと従業員が目標を失うことになり方向感を失ってしまいます。よって、NASAのパーパスの浸透のためにはさらなる工夫が必要になります。

 

そこで重要になってくるのが、「人類の月面着陸」というのは、それを実現すること自体が目的というわけではなく、すなわちそれは究極の目的を実現するための1つの通過点であるわけで、それは「太陽系探索を通じた科学の発展」という究極なパーパスが反映された目標なのであるということをNASAの従業員に理解してもらうことです。つまり、「人類の月面着陸」は、NASAの究極的なパーパスの「シンボル」なのだということです。ケネディ大統領やNASAのリーダーたちが、コミュニケーションをするときに適切に言葉を選び、シンボルとしての月面着陸という側面を強調していくことで、従業員には、「私の仕事は(月面着陸というシンボリックな目標に貢献することを通して)、NASAの究極的なパーパスである科学の発展に貢献しているのだ」と考えられるようになっていったとCartonは指摘しています。ここまでくれば、NASAの従業員の日々の仕事がNASAの究極的なパーパスと結びついたことになります。そしてそれは、NASAの従業員が、NASAのパーパスの実現に向けて精魂込めた仕事と努力を結集させることにつながったのだと解釈できるのです。

 

もちろん、Carton自身がいうように、ケネディ大統領とNASAのリーダーシップのケースは、極端な事例にすぎません。ですが、そこから私たちが、企業がパーパス経営を通じて従業員の仕事の意義、やりがいを高め、彼らの力を結集して企業を繁栄させるためのなんらかのヒントが得られることは確かだといえましょう。

参考文献

Carton, A. M. (2018). “I’m not mopping the floors, I’m putting a man on the moon”: How NASA leaders enhanced the meaningfulness of work by changing the meaning of work. Administrative Science Quarterly, 63(2), 323-369.

パーパス経営その2:経営トップのビジョン形成力を阻害する要因をどう克服できるか

近年注目が集まっている「パーパス経営」を実践していくうえで経営トップに求められる重要な役割が、企業のパーパスを従業員に明確に伝え、共有を促し、その実現に向けて組織内のあらゆる勢力を結集させるよう導くことです。その際に必要不可欠なのが、トップが発する「ビジョン」だとCartonとLucasは (2018)は論じます。ビジョンは、その言葉のごとく、将来あるべき姿を「見る」ことです。そして、企業のパーパスを従業員間で共有する際に最も適切なのが、生き生きとしたイメージで具体的に目に浮かぶようなビジョンを形成し、伝えることです(こちらの記事を参照)。具体的で視覚的なビジョンが望ましい理由は、それが人々の感覚器官や感情機能を刺激し、その未来を実現したいという憧れや希望やモチベーションを高めるからです。

 

しかし、CartonとLucasは、世の中の経営トップが形成するビジョンの非常に多くが、上記に挙げた理想的なものではなく、抽象的で、具体的なイメージが沸かないもの、すなわち「ぼんやりとしたビジョン」であることを指摘します。その理由は、ビジョン形成力を阻害する要因があり、多くのトップがそれに陥ってしまうからだというのです。そのような阻害要因を克服してパーパス経営を成功させるためのビジョン形成力をトップが身に着けるためには、まず、なぜ多くのトップがぼんやりとしたビジョンを形成してしまうのかのメカニズムを理解することが大切です。では、CartonとLucasが明らかにしたメカニズム、そしてそれを克服する手段とはいったい何なのでしょうか。

 

ビジョン形成力を阻害するメカニズムを理解する鍵となるのが、人間が持つ2つの認知機能の存在を知ることです。1つ目が「意味ベースのシステム」で、2つ目が「経験ベースのシステム」です。意味ベースのシステムは、物事の意味を考えるときのような抽象的な思考を司る認知機能で、経験ベースのシステムは、物事を見たり聞いたり、触れたり味わったりと、感覚器官を通じて経験する際に活性化される認知機能です。ビジョンを受け取る立場からすると、生き生きとした具体的なビジョンは、経験ベースのシステムを活性化することで、感情やモチベーションを喚起することを可能にするといえるでしょう。

 

しかし、ビジョンを形成する側である経営トップはどうでしょうか。実は、経営トップがビジョンを形成する際には、抽象的な意味ベースのシステムが活性化するために、抽象的でぼやけたビジョンを形成してしまうことに陥りやすいとCartonとLucasは言うのです。その理由は大きく2つあります。1つ目は、ビジョンは未来のあるべき姿なのですが、未来というのは未経験の領域であって感覚器官で経験できないため、どうしても未来の意味といった抽象的な思考、すなわち意味ベースのシステムが触発されてしまうのです。2つ目は、ビジョンは言葉で作り、言葉で伝えるものなのですが、人間は言語を使用しているときは意味ベースのシステムが活性化されやすいという特徴を持っているのです。よって、未経験の未来を言葉で考える際には経験ベースのシステムが活性化されず、生き生きと具体的なビジョンを描くことができなくなってしまうのです。

 

では、ビジョン形成力を阻害するメカニズムが分かったところで、経営トップはどのようにしてそれを克服すればよいのでしょうか。そこでCartonとLucasが提案するのが未来への「メンタルタイムトラベル(心的時間旅行)」なのです。これは読んで字のごとく、タイムマシンに乗ったように心の中で未来に旅行をし、そこで具体的に何が見えるのか、何を聞くことができるのか、など、どのような経験ができるのかを想像してみることです。そうすることで経験ベースのシステムが活性化されます。そして、言葉でビジョンを形成するときには意味ベースのシステムが活性化されてしまうのですが、メンタルタイムトラベルで観た情景に基づいて、意識して具体的にイメージしやすい語彙を選び取ってビジョン形成に用います。そうすることで、意味ベースのシステムと経験ベースのシステムがうまく協働しながら、企業のパーパスやミッションを反映しつつ、かつ具体的にイメージしやすいビジョンを形成することが促進されるのです。

 

ただし、上記のようなメンタルタイムトラベルによってビジョン形成力の阻害要因を克服する効果には個人差があることをCartonとLucasは指摘します。人々の思考スタイルを、効率思考型と分析思考型に分けるならば、効率思考型の人がメンタルタイムトラベルの恩恵を享受しやすいというのです。効率思考型の人とは、見たり聞いたりした経験をそのまま言葉に表現してコミュニケーションを取ろうとするような思考スタイルを持つ人です。ですので、メンタルタイムトラベルで得られた視聴覚などによる経験を、そのままイメージしやすい言葉に変換してビジョン形成に役立てることがしやすいのです。

 

一方、分析思考型の人は、見たり聞いたりしたことの意味を考えたり、そこにあるロジックは何かを考えたりするなど、いったん経験したことを分析して抽象的に理解しようとする傾向があります。よって、経験思考型の人は、メンタルタイムトラベルによる経験から言葉を選びとる際に、意味ベースのシステムによる抽象的思考を介在させてしまってビジョンをぼやけたものにしてしまう可能性があるので、効率思考型の人ほどには、メンタルタイムトラベルの効果を享受しにくいのではないかとCartonとLucasは考えました。そして、3つの厳密な実証研究を通じて、彼らの主張と理論モデルが妥当であることを示したのです。

参考文献

Carton, A. M., & Lucas, B. J. (2018). How can leaders overcome the blurry vision bias? Identifying an antidote to the paradox of vision communication. Academy of Management Journal, 61(6), 2106-2129.

 

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「パーパス経営」を成功させるトップのビジョン形成力とは

近年、企業の存在意義といった目的(パーパス)を基軸とする「パーパス経営」への注目が高まっています。これはまさに、なぜ企業が存在するのかや企業経営の本質とは何かを言い当てるような思想であり、至極まっとうな考え方であるといえましょう。しかしながら、いくら崇高で優れたパーパスを持った企業であったとしても、それが企業の従業員全員に行きわたり、十分に共有されていなければ、結局は企業業績に結び付くことは難しいといえます。なぜならば、企業の従業員が一丸となって、企業が有する究極のパーパスを実現するために力を結集することができて初めて企業はその目的に向かって前進する(持続的に企業業績をあげつづける)ことができるからです。

 

では、究極の企業目的に向かって企業のかじ取りを行う経営トップとしては、どうすればパーパスを従業員に行きわたらせ、共有させ、企業業績につながるような集団行動を生み出すことができるのでしょうか。そこでカギになってくるのが、経営トップのビジョン形成力だということを、Carton, Murphy, & Clark (2014) は示唆します。そして、Cartonらは、具体的にどのようなビジョンが、そしてどれに加えどのようなバリューがもっとも企業パーパスの共有と企業業績につながるのかを明らかにしました。それと同時に、多くの経営トップが不適切なビジョン形成をしてしまっていることを指摘したのです。では彼らは何を発見したのでしょうか。

 

Cartonらが発見したのは、優れた企業業績を実現してパーパス経営を成功させるには、経営トップは、将来ありたい姿、あるべき姿などに関する、具体的で生き生きとその状況が目に浮かぶような、視覚的イメージがしやすいビジョンを掲げる必要があるということ、そして、それに加えて、ごく少数のバリュー(価値観)を強調するということです。つまり、パーパス経営を成功させるためのビジョンとバリューのベストな組み合わせは「視覚的にイメージしやすいビジョンの提示とごく少数のバリューの強調」だということを明らかにしたのです。イメージしやすいビジョンとは、例えば「すべての机と、すべての家庭にコンピュータを(1980年当時のマイクロソフト)」「ポケットに1000曲(iPodを開発したアップル)」といったものです。

 

しかし実際は、多くの経営トップが、具体的ではなく抽象的なビジョンを掲げがちであり(例:環境にやさしいまちづくり)、また数多くのバリューを強調することがあることをCartonらは指摘します。つまり、「抽象的なビジョンの提示と数多くのバリューの強調)は、パーパス経営にとっては最もダメな組み合わせなのです。では何故、「視覚的にイメージしやすいビジョンの提示とごく少数のバリューの強調」がベストなのか。それは、そもそもパーパスを全社員と共有するとはどういうことなのか、そして、そこにはどのような認知メカニズムが介在しているのかを理解すればすぐにわかることなのです。

 

まず、企業の究極の目標であるパーパスを共有するには、将来の姿について「皆が同じものを見る」必要があることは当然でしょう。皆が見ている将来の姿がバラバラであっては、そもそもパーパスを共有するための出発点にも立てません。ここに、抽象的なビジョンの大きな問題点が存在します。認知心理学的にいうならば、抽象的な言葉というのは、人間の抽象的な思考は刺激しますが、視覚的な感覚や認識機構を刺激しません。つまり、ビジョンなのに全然視覚的でないので、ぼやけて見えないということになります。見えないビジョンは共有できません。ここから、パーパスを共有するために必須なのは、皆が同じ将来を見ることができるための具体的でイメージしやすいビジョンを提示することの重要性が理解できると思います。

 

次に、皆が同じ将来を見ることができたとしても、これで十分ではありません。それを見た(見せられた)人々は、それが一体何を意味しているのかを「解釈」する必要があります。皆が見ている同じ光景を、今度は皆が同じように解釈することで、企業が目指す究極的な目的としてのパーパスが共有できるのです。それを手助けするのがバリューです。バリュー(価値観)は、何が良くて何が悪いのかといった判断基準を用いて具体的な事象が意味することを解釈することを促します。よって、価値観は少数であるほうが、皆が見ている景色を同じように解釈することにつながるのでパーパスの共有を促進するのです。経営トップが数多くのバリューを強調してしまうと、従業員からすると、見ている光景をいろんな意味に解釈する余地が与えられます。そうすると、共通したパーパスの理解にはつながらないわけです。

 

これまでの話は、系統立てた説明を聞けば、パーパス経営にとって重要なのは「視覚的にイメージしやすいビジョンの提示とごく少数のバリューの強調」だというのは、奇抜なアイデアでもなく、筋の通った、ごく当たり前のことだということが分かるでしょう。しかし驚くことに、経営学の分野では、これが正しいのかどうかを実証的に検証した研究がなかったのだとCartonらは指摘したのです。それが原因かどうかは分かりませんが、世の中には、このシンプルな原則に反するようなビジョンとバリューの組み合わせが多いことも指摘したのです。そこでCartonらは、151の病院のデータを用いた実証調査と62のグループを用いた実験という2つの研究を通じて、このシンプルな原則が妥当であることを実証してみせました。

 

具体的には、リーダーがビジョン形成においてイメージしやすい言葉を多用するのと同時に数少ないバリューを強調する場合に、メンバーのパーパスの共有と、それを実現するための協力体制が最も強化され、その結果、業績も向上したことが示されたのです。これにより、パーパス経営を成功に導くための実践的かつ科学的エビデンスに基づくアドバイスが可能となったのです。

 

参考文献

Carton, A. M., Murphy, C., & Clark, J. R. (2014). A (blurry) vision of the future: How leader rhetoric about ultimate goals influences performance. Academy of Management Journal, 57(6), 1544-1570.