パーパス経営その2:経営トップのビジョン形成力を阻害する要因をどう克服できるか

近年注目が集まっている「パーパス経営」を実践していくうえで経営トップに求められる重要な役割が、企業のパーパスを従業員に明確に伝え、共有を促し、その実現に向けて組織内のあらゆる勢力を結集させるよう導くことです。その際に必要不可欠なのが、トップが発する「ビジョン」だとCartonとLucasは (2018)は論じます。ビジョンは、その言葉のごとく、将来あるべき姿を「見る」ことです。そして、企業のパーパスを従業員間で共有する際に最も適切なのが、生き生きとしたイメージで具体的に目に浮かぶようなビジョンを形成し、伝えることです(こちらの記事を参照)。具体的で視覚的なビジョンが望ましい理由は、それが人々の感覚器官や感情機能を刺激し、その未来を実現したいという憧れや希望やモチベーションを高めるからです。

 

しかし、CartonとLucasは、世の中の経営トップが形成するビジョンの非常に多くが、上記に挙げた理想的なものではなく、抽象的で、具体的なイメージが沸かないもの、すなわち「ぼんやりとしたビジョン」であることを指摘します。その理由は、ビジョン形成力を阻害する要因があり、多くのトップがそれに陥ってしまうからだというのです。そのような阻害要因を克服してパーパス経営を成功させるためのビジョン形成力をトップが身に着けるためには、まず、なぜ多くのトップがぼんやりとしたビジョンを形成してしまうのかのメカニズムを理解することが大切です。では、CartonとLucasが明らかにしたメカニズム、そしてそれを克服する手段とはいったい何なのでしょうか。

 

ビジョン形成力を阻害するメカニズムを理解する鍵となるのが、人間が持つ2つの認知機能の存在を知ることです。1つ目が「意味ベースのシステム」で、2つ目が「経験ベースのシステム」です。意味ベースのシステムは、物事の意味を考えるときのような抽象的な思考を司る認知機能で、経験ベースのシステムは、物事を見たり聞いたり、触れたり味わったりと、感覚器官を通じて経験する際に活性化される認知機能です。ビジョンを受け取る立場からすると、生き生きとした具体的なビジョンは、経験ベースのシステムを活性化することで、感情やモチベーションを喚起することを可能にするといえるでしょう。

 

しかし、ビジョンを形成する側である経営トップはどうでしょうか。実は、経営トップがビジョンを形成する際には、抽象的な意味ベースのシステムが活性化するために、抽象的でぼやけたビジョンを形成してしまうことに陥りやすいとCartonとLucasは言うのです。その理由は大きく2つあります。1つ目は、ビジョンは未来のあるべき姿なのですが、未来というのは未経験の領域であって感覚器官で経験できないため、どうしても未来の意味といった抽象的な思考、すなわち意味ベースのシステムが触発されてしまうのです。2つ目は、ビジョンは言葉で作り、言葉で伝えるものなのですが、人間は言語を使用しているときは意味ベースのシステムが活性化されやすいという特徴を持っているのです。よって、未経験の未来を言葉で考える際には経験ベースのシステムが活性化されず、生き生きと具体的なビジョンを描くことができなくなってしまうのです。

 

では、ビジョン形成力を阻害するメカニズムが分かったところで、経営トップはどのようにしてそれを克服すればよいのでしょうか。そこでCartonとLucasが提案するのが未来への「メンタルタイムトラベル(心的時間旅行)」なのです。これは読んで字のごとく、タイムマシンに乗ったように心の中で未来に旅行をし、そこで具体的に何が見えるのか、何を聞くことができるのか、など、どのような経験ができるのかを想像してみることです。そうすることで経験ベースのシステムが活性化されます。そして、言葉でビジョンを形成するときには意味ベースのシステムが活性化されてしまうのですが、メンタルタイムトラベルで観た情景に基づいて、意識して具体的にイメージしやすい語彙を選び取ってビジョン形成に用います。そうすることで、意味ベースのシステムと経験ベースのシステムがうまく協働しながら、企業のパーパスやミッションを反映しつつ、かつ具体的にイメージしやすいビジョンを形成することが促進されるのです。

 

ただし、上記のようなメンタルタイムトラベルによってビジョン形成力の阻害要因を克服する効果には個人差があることをCartonとLucasは指摘します。人々の思考スタイルを、効率思考型と分析思考型に分けるならば、効率思考型の人がメンタルタイムトラベルの恩恵を享受しやすいというのです。効率思考型の人とは、見たり聞いたりした経験をそのまま言葉に表現してコミュニケーションを取ろうとするような思考スタイルを持つ人です。ですので、メンタルタイムトラベルで得られた視聴覚などによる経験を、そのままイメージしやすい言葉に変換してビジョン形成に役立てることがしやすいのです。

 

一方、分析思考型の人は、見たり聞いたりしたことの意味を考えたり、そこにあるロジックは何かを考えたりするなど、いったん経験したことを分析して抽象的に理解しようとする傾向があります。よって、経験思考型の人は、メンタルタイムトラベルによる経験から言葉を選びとる際に、意味ベースのシステムによる抽象的思考を介在させてしまってビジョンをぼやけたものにしてしまう可能性があるので、効率思考型の人ほどには、メンタルタイムトラベルの効果を享受しにくいのではないかとCartonとLucasは考えました。そして、3つの厳密な実証研究を通じて、彼らの主張と理論モデルが妥当であることを示したのです。

参考文献

Carton, A. M., & Lucas, B. J. (2018). How can leaders overcome the blurry vision bias? Identifying an antidote to the paradox of vision communication. Academy of Management Journal, 61(6), 2106-2129.

 

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