日本が「マーケティング後進国」なのはなぜか

日本企業のマーケティング力はどれだけ優れているのでしょうか。そもそも「マーケティング」とは何でしょうか。私が大学生として就職活動をしていた頃、「マーケティング」という響きに一種の憧れをいだきながらも、入社後に具体的にそのような部署に入り、そのような仕事をすることをイメージできた日本企業は皆無に等しかったことを覚えています。かろうじてイメージできるのは、「営業部」に所属して販売活動をするという仕事のみ。この点に関し、森岡(2016)は、「日本企業のほとんどはマーケティングができていない」と喝破します。そして、その理由に、日本企業の組織、人事、風土が大きくかかわっていることを指摘します。特に、日本企業の多くがマーケティングのキャリアを伸ばすような構造ではないといいます。


森岡によれば、営業や販売が「商品を売る仕事」なのに対し、マーケティングは「消費者理解の専門家」として「商品を売れるようにする仕事」「売れる仕組みを作る仕事」です。また「マーケティング思考」は、すべての仕事の成功確率をグンと上げるし、マーケティングの力によって企業は劇的に変わると森岡はいいます。なぜならば、マーケティングは、会社が「消費者視点の会社」に変わることを可能にし、マーケターが、会社のお金の使い道や従業員たちのあらゆる努力を、消費者にとって意味のある価値に繋がるようにシフトさせるからです。マーケティング・ドリブンの会社では、マーケティング責任者に大きな権限が与えられ、マーケターが「消費者を代表して」「消費者からの視点で」、社内においてクリエイティビティや技術力をもった人々の才能と努力を向ける焦点を明確にすることで、消費者価値を最大にする商品やサービスを提供することを実現するのです。


では、マーケティングが日本で発達してこなかった理由、すなわち、日本がマーケティング後進国である理由は何でしょうか。森岡によれば、マーケティングは「自由競争市場」において、「市場への参入と退出の自由」「価格設定の自由」「商品開発の自由」が尊重されるアメリカのような土壌で企業が生き残るために発達した学問であるのに対し、日本では長期にわたって本当の意味での自由競争から縁遠かったと言えます。戦後日本の経済の歩みは、自由競争よりも政府や当局が主導する統制を重視してきたわけです。日本はそのやり方で高度経済成長を実現できたのですが、そのプロセスにおいては、各企業が競争よりも当局との友好関係の構築や維持に注力することが優先され、マーケティングへの逼迫した需要が大きくならなかったのだと指摘します。このような背景から、企業の上層部にマーケティングの経験がないため、顧客視点に立ったマーケティング・ドリブンの会社にしようとしても、具体的にどうやった組織を作り、誰を雇って、どうやって社内運用すればよいか分からないのだという現状も指摘しています。


また、日本企業の終身雇用制度や年功序列制度が、日本においてマーケティングが根付かなかったもう1つの原因であると森岡は指摘します。もともと日本になかったマーケティングという考え方を取り入れるには、どこかで有能なマーケターを中途採用しなければならなかったのですが、終身雇用制度や年功序列制度のもとでは給料と年齢が合わず、それが実現しなかったのだということです。活躍するマーケターは若くして役職や年収を上げていくのに対し、社内水準よりも高額な報酬を必要とするマーケティングの専門家を雇い入れる土壌が日本企業にはなかったと論じます。このように、給料と年齢が日本企業の風土に合わないため、日本にいる優秀なマーケターがどんどん外資系企業に集まってしまうという状況がおきており、現状が改善されなければ、それが加速していくのではないかと森岡はいうわけです。


一方、日本の終身雇用制度や年功序列制度は、企業が「技術」を獲得していくという面においてはフィットしていたのだと森岡は説明します。右肩上がりの経済成長時に、日本の大企業の多くが技術の優位性を信じ、「良い製品を作れば売れる」ことを信じてきたのだというのです。1人の人間が1つの企業の具体的な技術課題に特化できる、長期間かけないと獲得できない多くの技術領域を習得できる、長期間に分かって技術者と企業の利害を一致して共有できることなど、技術者が会社を転々としながら個人の利害を追求するようなやり方では得ることのできない多くの成果を、間違いなく企業側にもたらしたのが日本的な人事制度であったといえるのでしょう。このように、日本企業における技術志向の隆盛が、逆にマーケティングの発展を遅らせてしまったのだと森岡は論じるのです。


では、企業が生き残っていくためには、「技術力」と「マーケティング力」のバランスをどうとっていけばよいのでしょうか。森岡は、技術力とマーケティング力の両方を手に入れた企業が勝つとしたうえで、これからの時代は、マーケティング優勢で技術力を活用する会社が、オススメの企業形態だと指摘します。


ところで、マーケティングの重要性を標榜する森岡氏が、「カネ、ヒト、モノ、情報、時間、知的財産」のうち、企業にとって最も大切な経営資源は「ヒト」である断言しているところが印象的です。その理由は「ヒト」だけが、6つの経営資源のすべてを増減させたり使いこなしたりすることができるからです。また「ヒト」こそが多くの企業において最も不足しているリソースだともいいます。したがって、会社の中で最重要な部署は「人事部」だと思うと述べています。CEOが最初に雇うべき最も大切な人は「人事のリーダー」だといいます。人事のリーダーさえ優秀であれば、マーケティングでもファイナンスでも優秀な人材を雇うことができるし、採用のみならず、社内の人材を有効活用するための組織構造、評価制度や報酬制度、組織風土の整備、社内の人的資源を増やすための有効な社内トレーニングも生み出すだろうと論じています。つまるところ、成長する会社とは人的資源を成長させ続けることができる会社なのだと森岡は述べています。