「透明性の錯覚」が人事評価でのネガティブ・フィードバックを阻害する

人事評価(人事考課、人事査定、業績評価)の目的の1つは従業員のパフォーマンスの向上です。この目的を実現するためには、評価後の面談などを通じて評価結果を本人に正しくフィードバックすることが重要です。フィードバックによって従業員の職務遂行における問題点や課題を明確にすることで、それを改善することによるパフォーマンスの改善が見込まれます。しかし、良く知られている事実として、「フィードバックのインフレーション」という現象があります。これは、評価結果のフィードバックが全体的にポジティブなものに偏ってしまい、とりわけ従業員のパフォーマンスの改善のためにネガティブなフィードバックをする必要があるのにも関わらず、それが伝わらないという現象です。


これまでの人事評価の研究では、評価結果が歪められる理由として、いくつかのポイントが吟味されてきました。まず、評価者が、被評価者のパフォーマンスを正しく評価できないというもので、これには注意、記憶、判断、認知バイアスなどによる影響が研究されてきました。そもそも評価者が正しい評価ができないのであれば、正しい評価結果が被評価者に伝わるはずがありません。これらの研究は、正しい評価を行うための評価者訓練のような実践につながっていきました。次に、たとえ評価者が被評価者のパフォーマンスを正しく評価できたとしても、ネガティブな評価を本人に伝えるのを躊躇するために、意図的にフィードバックをインフレさせるというものです。これは、評価者はネガティブフィードバックを本人にしたくないというモチベーションがあるという知識につながり、そのモチベーションをなくし、ネガティブフィードバックを奨励するような施策へとつながります。


しかし、正しい評価結果が本人に伝わるためには、これだけの研究成果ではまだ不十分です。Schaerer, Kern, Berger, Medvec, & Swaab, (2018)によれば、これまでの研究で焦点が当たってこなかったのは、評価者が正しい評価をしていても、その評価が本人に伝わらない「無意識的な」メカニズムがあるという点です。つまり、これまでの研究では、「意識的に」正しい評価結果を伝えたくないということは指摘されてきましたが、無意識的なプロセスによって正しい評価結果が伝わらなくなってしまうという点にあまり着目されてこなかったのです。Schaererらによれば、無意識的に正しい評価結果の伝達を妨げてしまう犯人は、「透明性の錯覚」というものです。透明性の錯覚とは、自分の心の中は相手から透けて見えているという錯覚、すなわち、私たちは自分の考えや感情を相手が理解していると思い込みすぎる傾向があるという錯覚を指します。透明性の錯覚が生起している場合、自分が何らかの説明を相手にした場合に、相手は、自分が想定しているほど理解していないという事態が起こります。つまり、正しい情報が相手に伝わらないということです。


Schaererらは、人事評価のフィードバックの場面に透明性の錯覚を適用し、一般的に、評価者が思っているほど、正しい情報が被評価者に伝わらないという仮説を立てました。具体的にいえば、評価者面談などの場面で、評価者は被評価者に対して、曖昧な言い回しをしたり、婉曲表現を使うなどして言いたいことをぼかすことがよく行われます。評価者からみると、それでも言いたいことは伝わっていると思いこんでいるのですが、被評価者の側からみれば、真意がよく理解できない、表面的にのみ受け止める、といったことが起こると考えられるわけです。そして、とりわけネガティブな評価のフィードバックの場合、それが透明性の錯覚によって評価結果が相手に正しく伝わらないことを予想しました。その理由は、ネガティブな事項ほど、評価者本人の心の中に強い印象をもたらすため、その心の中の印象を伝えようとするときに、透明の錯覚が作動すると考えられるためです。ポジティブな評価の場合、そのような印象が生じにくいため、事実を淡々とそのまま伝えるというようなことになり、透明性の錯覚が作動しにくいと考えられます。


無意識的な透明性の錯覚によって、正しい評価結果とりわけネガティブな評価結果が本人に伝わらないということであれば、それを阻止するための方法は、評価者に、評価結果を正しく伝えることを意識させることです。正しく伝えようという意識が高まれば、話し方、伝え方に注意が向くため透明性の錯覚が軽減され、知らない間に間接的、婉曲的な表現をしてしまって言いたいことが曖昧になってしまうというような事態を和らげることができると考えられます。Schaererらは、サーベイや実験を取り入れた6つの調査を段階的に実施することにより、これらの理論および仮説が経験的にも妥当であることを実証しました。

参考文献

Schaerer, M., Kern, M., Berger, G., Medvec, V., & Swaab, R. I. (2018). The illusion of transparency in performance appraisals: When and why accuracy motivation explains unintentional feedback inflation. Organizational Behavior and Human Decision Processes, 144, 171-186.