事業アイデアの創造的改訂プロセスを左右する「心理的オーナーシップ」と「創業者のアイデンティティ」

新規事業を創造していく上で、創業者のオリジナルな事業アイデアは大変重要ですが、それだけでは成功にこぎつけません。新規事業の創造に携わっていく中で、創業者は利害関係者(投資家や潜在顧客など)から様々なフィードバック(批判、改善提案など)を受け、それらを考慮しながらオリジナルな事業アイデアを実現可能なアイデアに改訂していく必要があります。当然、そこでは、創造性(経営学の文脈で重視されるのは新規性と有用性)も求められます。これまでの多くの研究では、事業アイデアの創造的改訂プロセスがうまくいかない要因として、情報不足に焦点が当たりがちでした。つまり、いくら外部からフィードバックをもらったとしても、創造性を発揮できるほどの情報が不足しているために、新事業を成功に導くための改変が実現しないというものです。しかし、Grimes (2018)は、創業者自身のオリジナルな事業アイデアや自分自身のアイデンティティに対する「こだわり」が事業アイデアの創造的改変の障害になる可能性を、詳細な質的調査によって導き出しました。平たく言えば、創業者が自分自身の存在やアイデアの独自性、思い入れに強いこだわりを持つがゆえに、外部からの意見に耳を貸さなくなるというようなことです。


Grimesは、59人の創業者および彼らの事業アイデアに対してフィードバックを行った人々を対象とした詳細な質的調査により、「創造的改変のアイデンティティ・ベース・モデル」を導出しました。このモデルで重要となる概念は「創業者のアイデンティティ」「心理的オーナーシップ(事業アイデアへの所有感)」「アイデア・ワーク(事業アイデアの改訂方法)」「アイデンティティ・ワーク(自分のアイデンティティの確認や修正)」です。まず、どんな創業者でも、自分が作り上げたオリジナルな事業アイデアに対しては「これは創業者としての自分が考えた、自分自身の事業アイデアである」という心理的オーナーシップを有しているはずです。この事業アイデアが、外部から様々な批判や改善提案などのフィードバックにさらされた場合、どうなるでしょうか。創業者は、ほいほいと外部の意見をどんどん取り入れて事業アイデアを変えていってしまうでしょうか。Grimesによれば、そうとは言えません。彼のモデルでは、自分の事業アイデアに対する外部のフィードバックを受けた時点で、3つの反応が考えられます。1つ目は、自分の持つ「こだわり」が再確認されることで、事業アイデアに対する心理的オーナーシップを増々強める反応です。2つ目は、自分の事業アイデアをより抽象的なものに昇華させることで、具体的な細部については心理的オーナーシップを和らげる反応です。つまり、抽象的にはこだわりを持っているが、細部に対しては外部の意見に柔軟に対応するということです。3つ目は、あくまでビジネスであるとかゲームであると割り切ることで、こだわりを捨て、事業アイデアに対する心理的オーナーシップを弱めるような反応です。


外部からのフィードバックに対する上記の3つの反応の違いは、創業者がフィードバックをどのように生かして事業アイデアの創造的改変を行っていくのか(アイデア・ワーク)、そして自分の創業者としてのアイデンティティをどう変えていくか(アイデンティティ・ワーク)に大きく影響することをGrimesは示唆します。まず、こだわりを再確認し、心理的オーナーシップを維持するような創業者の場合、フィードバックとしての批判や改善提案に対して防衛的になります。よって、事業アイデアの改変も周辺的なものにとどまり、コアな部分はかたくなに維持しようとするでしょう。また、このようなタイプの創業者は、自分は「ビジョナリー創業者」だというようなアイデンティティにこだわるでしょう。つまり、自分は、外部からの批判を超越して、強い使命感、理念、ビジョンに動かされて事業を創造しようとしているのだと考えることでしょう。次に、事業アイデアを抽象化して心理的オーナーシップを和らげる創業者の場合、外部からのフィードバックを考慮し、自分の事業アイデアを修正しようとするでしょう。もちろん、オリジナルな事業アイデアへのこだわりを捨てたわけではありませんので、変えたくない部分と変えるべき部分のバランスを取ることになるでしょう。また、創業者は内面的には使命感や理念に動かされながらも、外部に対してはある程度妥協してビジネスとして割り切って意見を取り入れていく部分も見せるでしょう。最後に、オリジナルな事業アイデアへのこだわりを捨てる創業者は、外部からのフィードバックを積極的に取り入れ、事業アイデアを「リエンジニアリング」するでしょう。このタイプの創業者は、自分自身を「科学的創業者」と位置づけ、よく知られた「成功の方程式」に従うことでビジネス上の成功やゲームの勝者を目指すようになるでしょう。


上記で、新規事業アイデアに対する外部からのフィードバック、それに対する心理的オーナーシップの変化、アイデア・ワークやアイデンティティ・ワークについて3つのパスがあることを見てきましたが、オリジナルなアイデアやビジョナリー創業者としてのこだわりを強化するような創業者の場合、自分自身の独自性と他の創業者からの差異性を重視するようになり、創業者同士あるいは利害関係者が集まるコミュニティーから距離を置くようになるかもしれません。逆に、オリジナルなアイデアや使命感、理念へのこだわりというのを捨て、ビジネスというゲームに勝つことを優先する科学的創業者としての役割に徹するような創業者の場合、外部の意見を積極的に取り入れ、創業者同士や利害関係者が集まるコミュニティーに溶け込んでいく一方で、自分の独自性や他の創業者からの差異性は維持できなくなることが考えられます。その中間に位置する、内面の使命感やビジョンと外部への柔軟な対応を使い分ける分離型の創業者の場合は、他の創業者との差異性とコミュニティーへの溶け込みの両方のバランスを取っていくことになるでしょう。


創業者が、自身のオリジナルな事業アイデアへのフィードバックを受けた後、これまで見てきたような3つの異なるパスのどれをたどるのかに影響を与える要因として、Grimesは、集合的意味形成(センスメーキング)と、創業者の創造性発揮経験の2つを挙げています。集合的意味形成とは、事業アイデアの外部からのフィードバックを受けてそれに対応するのは創業者1人だけではなく、創業者を含めたチームであることに基づいた考えです。つまり、創業者も、チームとして外部からのフィードバックを検討する上で、他者からの影響も受けるということです。創造性発揮経験については、創業者が、過去にどのような創造性発揮経験をしてきたのか、例えば、幅広い事業や商品開発を経験しているのか、狭い分野にとどまった創造性発揮経験をしているのかというよな違いが、外部からのフィードバックへの対応に影響をするというものです。


どのタイプのパスをたどることが、事業アイデアの創造的改訂の成功、ひいては事業そのものの成功につながるのかは一概に言えません。しかし、Grimesの研究は、外部の批判や意見をとりいれつつ、事業アイデアを育てていくようなプロセスに影響するのは、創造性そのものや情報不足といった、情報的な側面のみならず、創業者の心理的オーナーシップやアイデンティティといった「こだわり」が強く影響していることを示している点で、創業プロセスの理解に新たな視点をもたらした研究成果だと言えるでしょう。

参考文献

Grimes, M. G. (2018). The pivot: How founders respond to feedback through idea and identity work. Academy of Management Journal, 61(5), 1692-1717.