コミュニケーション能力(コミュ力)という考え方が無効である理由

私たちが普段何気なく使う言葉に「能力」があります。仕事ができる従業員は、能力が高いからだと考えます。どのような能力が重要なのかといえば、例えば、採用場面では、「論理的思考力」や「コミュニケーション能力」が重視されるということが良く言われます。しかし、鈴木(2022)は、近年の認知科学の進展を踏まえて、この「能力」という概念は虚構にすぎず、能力を高めることの重要性や、能力が高いとハイパフォーマーになれるといった考え方すなわち仮説は無効だということを示唆します。なぜならば、能力という概念は、実際には観察不可能なのにも関わらず、私達が、素朴な類推によってそのようなものが存在すると思い込んできただけだからというわけです。

 

例えば、コミュニケーション能力(コミュ力)を例にひいて考えてみましょう。コミュニケーション能力の存在を信じるならば、新卒採用の場面で「コミュ力」があると思われる学生を高く評価して採用を決定するかもしれません。しかし、学生間で効果的なコミュニケーションができていたその学生が、入社後は、仕事上での良好なコミュニケーションが全くできないということが起こりえます。これはどういうことでしょうか。鈴木によれば、能力という概念は、アブダクション(簡単に言えば結果を見てその原因を推測する思考法)によって生み出された存在で、この概念に内在しているのは「力」というメタファー(例え)です。力というのは、個体の中(体内や脳内)に備わっていて、それが何かを可能にするという発想に基づいています。そして、力という概念が含意するのは「いつでも・どこでも」という安定性です。

 

論理的思考力やコミュニケーション能力が、本人の内部に備わっており、「いつでも・どこでも」安定的に結果を生み出すことができる「力」であると考えるからこそ、それらの能力を基準に人材を選抜し、さらに入社後の教育などでそれらの能力を高めれば、企業は人材からの高いパフォーマンスが期待できると考えることになります。この考え方のどこが間違っているのでしょうか。鈴木によれば、能力を、人の内部に存在する潜在的な力(パワー)というように捉えるところが間違っているのです。なぜかというと、論理的思考やコミュニケーションがうまくいくかどうかというのには「文脈依存性」があり、同じような認知の働きや行動をしたとしても、文脈によって、できたりできなかったりするからです。ですから、先程のコミュ力の例のように、大学では発揮できてきたことが、仕事場面になるとさっぱりできなくなるというのは自然に起こりうる現象なのです。

 

では、論理的思考やコミュニケーションなど、仕事をしていく上で重要な働きについてはどのように理解すればよいのでしょうか。鈴木が挙げるのは、人間の認知的変化や行動変化を「多様性」「揺らぎ」「文脈依存性」を用いて捉えるということです。認知的視点に焦点を当てるならば、認知的変化を含めた人の知性を、文脈つまりそれが発現する環境から切り離して論じることは適当ではない、と鈴木はいいます。さまざまなリソースが特定の文脈との出会いによって現れたり、隠れたりする、つまり揺らいでいるのが人間の知性なのだと鈴木はいうのです。私達は多様で複数の認知的リソースを用いて活動しており、それが文脈と相互作用を引き起こすので、状況によって賢くなったり愚かになったりするのだというのです。

 

仕事のやり方など、物事の「上達」や「発達」をどのように理解すべきかについての鈴木の解説をもう少し詳しく説明してみましょう。上述からもいえるとおり、人間がものごとを上達させたり、発達することは、特定の能力がない状態から、その能力を有する状態に変化したというわけではありません。そもそも鈴木の考え方では、能力というものは虚構としての仮説にすぎず、実在するわけではない。人間が物事を上達させたり発達することを理解するために鈴木が提示するキーワードは、「認知的変化」「無意識的なメカニズム」「創発」の3つです。

 

まず、練習することで物事が上達する、熟達するという現象を考えてみます。私達は、ある行為を行う際に、さまざまな実行方法あるいはスキルを有しているのですが、それらが環境が要求するものと合致していないのがうまく物事が進まない原因となっています。練習を繰り返すと、その環境にあった作業手順とか用いるスキルが記憶されるという「マクロ化」が起こります。さらに、複数の動作を同時に行うことが可能となる「並列化」が起こります。これらが「認知的変化」であるわけですが、これらは意識の外で働くようになります。すなわち、無意識に物事が円滑に実行できるようになる「無意識化」が起こります。このように、環境とスキルが手を取り合って上達を支えているということができ、新しい環境に置かれた場合や環境変化が生じた場合には、環境と実行との相性が揺らぎを生み出し、その揺らぎがバネとなって新しいスキルが創発します。ここでいう創発とは、不可逆的なものが生まれることを意味します。これが上達のプロセスだと考えられることを鈴木は示唆します。

 

発達はもっと長期的な現象ですが、こちらも似たようなプロセスをたどります。例えば子供から大人へと人間が発達する段階では、1つのタイプの状況に対して、異なる行為を生み出す複数の認知的リソースが併存する状態が存在し、それがもたらす揺らぎがゆえに発達が生み出されます。つまり、発達のある特定の段階においても複数の認知的リソースが利用可能になっており、それらが単一のタイプの状況に対して同時並列的に発火し、競合、協調を通して情報のやり取りを行いつつ、行為を生成します。また環境が各リソースに適合度の異なる手がかりを与えるため、これらの認知リソースが、自らが生み出した行為を通してフィードバック・強化を受けることで各認知リソースの活性パターンが絶えず変化していいきます。そして、初期に頻繁に活性した認知リソースとは異なる認知リソースが支配的になっていく、これが発達の仕組みだと鈴木はいうのです。

 

上記の通り、鈴木の考え方では、上達とか発達というものは、能力がない状態から能力が獲得された状態に移行するものではなく、もともと複数の認知リソースが存在し、それらが競合、協調を重ねながら揺らぎ、状況、環境と相互作用しながら進んでいくものです。このことを踏まえると、人材育成を促進するためには、必要な環境を与え、練習させ、環境と複数のリソースとの相互作用による揺らぎを生成させ、その結果としての知識やスキルの創発を促すことが最も重要であることが示唆されます。鈴木はこれを「創発的学習」と呼び、日本の伝統芸能の技の獲得、熟達の過程などを例にひき、徒弟制のような方法の有効性を示唆します。そこでは最初から目指すものの全体像が提示され、そこに向けて練習を重ねます。弟子は師匠の作り出す世界に潜入しようとするが初めはうまくいかない。師匠から不透明なフィードバックを受けながら、自分の中のリソース、状況の提供する曖昧なリソースを揺らぎながら探索し、新たな目標を生成するという創発的な学習が行われているというのです。

参考文献

鈴木宏昭 2022「私たちはどう学んでいるのか: 創発から見る認知の変化」(ちくまプリマー新書)