募集と採用選考の人事経済学3―常に費用対効果で考える

今回も、ラジアーとギブス(2017)を参考に、募集と採用選考について、経済学的視点から考えてみます。企業が募集と採用選考を通して利益を最大化させるためには、常に費用対効果の視点から考えることが重要です。募集については、広告費用などをかけて、自社にとって価値ある人材からの応募を促します。募集の費用と、それによって得られる効果との比較で、最適な募集の方法と量が決まるでしょう。そして、採用選考の目的は、試験や面接などの選考ツールを用いて志願者が入社後に生み出す経済価値を予測し、その予測を用いて選考するというところにあります。選考ツールは無料ではありません。試験をすればその費用がかかりますし、面接を行えば、面接官が本来、業務をしていたら稼いでいた金額を犠牲にするので、多大な機会コストが生じます。一般論としては、選考ツールに費用をかければかけるほど、志願者が入社後に生み出す経済価値の予測精度があがります。予測精度が上がるほど、採用選考が企業業績を押し上げる効果が上がります。


わかりやすい例を挙げれば、100人の志願者からランダムに20人採用するよりも、試験や面接の上位20人を採用するほうが企業利益が上がりますが、その上がった分が、試験や面接の効果です。この効果を試験や面接を行う費用と比較して、費用を効果が上回る限り、追加費用を加えればよいのです。つまり、もっとお金をかけて、追加投資でもっと予測精度に優れた採用選考ツールを開発すれば、企業利益が上がり続けます。しかし、お金をかければかけるほど選考ツールの精度が上がるわけではなく、だんだんと限界に近づいてくるので、追加費用をかけても利益が増加しない状態になったところで選考ツールの開発をやめるというのが経済学的に合理的な判断となります。また、この例で、志願者が1000人だとすると、上位20人というのは、100人のケースの上位2名分の実力の人ばかりになるので、より企業利益が高まります。つまり、募集と選考の両方にお金をかけることで企業利益が高まることがわかります。


従業員の離職にともなう費用を加味すれば、さらに合理的に、どこまで採用選考ツールにお金をかければよいのか判断できます。従業員が離職したり、リストラをすることの費用が小さい、すなわち企業にとってのダメージが小さいのであれば、極端にいえば、ランダムに採用しても、入社後に選別を行い、報酬以上に経済的価値を生み出す人材のみが企業に残れるようにすれば、前回説明したリアル・オプションの考え方にも関連するかたちで、企業の利益は確保できます。しかし、自発的離職やリストラをすることの費用が高くつく場合、企業はむやみやたらに従業員をリストラできません。よって、利益をもたらさない従業員、逆に損失を生み出す従業員がいても、彼らが企業に居残ってしまい、ずっと利益を押し下げる働きをします。そのような懸念がある場合には、採用選考にお金をかけて将来生み出す利益の予測精度を高め、企業利益に貢献しない従業員を採用してしまうのを防ぐ必要があるのです。


採用選考の際に、志願者が入社後に生み出す利益を予測するといいましたが、ここでも費用対効果に注意をしないといけません。例えば、日本の工場労働者と、A国の工場労働者を比べて、人件費が半分だからA国に工場を移転してA国の工場労働者を雇用しようというのは費用対効果を無視した間違った推論です。人件費(費用)のみに着目し、効果を見ていないからです。大事なのは、絶対的に高いか安いかではなく、割高か割安かです。例えば、A国の労働者よりも日本の労働者のほうが2倍も人件費が高い。けれども日本の労働者のほうがA国の労働者よりも4倍の生産性があるとするならば、日本の労働者のほうが「割安」なのです。ですから、このような状況でA国に工場を移転するのは会社の経済価値を損なう行為なのです。どんなに高額な報酬を支払う必要があっても、割安なのであればどんどん採用するのが合理的な判断です。


この費用対効果の考え方は、何人採用すべきかという問いにも深くかかわってきます。現実的には、採用人数はポジションの数に制限されます。例えば、2つの空きポジションがあるから2名採用するという感じです。しかし、日本はこの点があいまいで、募集職種を明確にせず、総合職や技術職などおおざっぱな枠組みで採用人数だけを決めて採用しています。これは、世界的に見た一般論としては、非常に変な採用の仕方なのですが、人事経済学的に見れば、むしろ、柔軟で合理的な採用をしやすい方法だといえるかもしれません。というのも、経済学的には、1人追加で採用することにより、その追加費用よりも利益の増加率が上回るならば、その状態が続くかぎり採用し続けるのが合理的だからです。


もちろん、経済価値を生み出すからといって、無尽蔵に人材を採用しつづけることは不可能です。採用すればするほど、会社の人員が増え、そうすると管理のための間接コストも増大します。つまり、企業の業務自体が不効率化していくので、新たに採用することのコストが増えてしまうからです。また、業務の効率が悪くなれば、生み出される利益も小さくなります。顧客の絶対数の関係により、人員を増やして事業規模を拡大しても売り上げが伸びなくなることあります。よって、どこかで、追加費用を追加利益が上回らなくなり、そこで採用人数をストップすることになるのです。ただし、ここでいうところの費用対効果は短期的なものではなく、企業がその人材に対して将来支払う費用と、その人材が将来生み出す経済的価値の両者について、現在の価値に割り引いたもの(現在価値)として理解するのが理にかなっているでしょう。


以上をまとめますと、企業は募集活動の工夫に費用をかけることにより、応募者が入社後にもたらす経済価値の期待値が上がるのと同時に、応募者の絶対数が増えることにより、採用選考を行うことの効果を押し上げます。採用選考に費用をかけて選考ツールの精度を高めることで、選抜された人材が入社後にもたらす経済価値の期待値が上がります。さらに、企業が費用を負担して、業績の振るわない社員、すなわち経済的価値を生み出さないか毀損する社員の離職を促すようにすれば、それも企業利益を増加させる方向に働きます。そして、募集、採用選考、業績不振者の離職にともなう利益の上昇は、これらの活動にかかる費用の増加によって押し下げられます。増加する利益が、追加で支払う費用を上回るかぎり、企業はこれらの活動にお金をかけ続けることで企業利益を高め続けることができるのです。同様のロジックで、採用する人数に関しては、追加で採用する人材がもたらす経済価値を、追加で採用することによる費用の増加分を上回る限り、採用し続けるのが企業利益を高めるうえで合理的な判断ということになるわけです。