「沈黙」の組織行動学

上下関係のある組織や職場では、上司やマネジメントに対して何か言うべきことがあっても、つい口をつぐんでしまうことがあります。何か大切なことや建設的な意見があって、それが喉まで出かかってもとっさの判断で黙ってしまったり、知らぬふりを決め込んだり、自分の心のうちだけにしまっておこうとしたりします。そういった意見や提案は、実際に発言して受け入れられれば組織や職場にとって望ましい改善につながるかもしれないのに、従業員がそれを言わずに沈黙を貫いてしまうことは、組織にとっても機会損失になるでしょう。


ではなぜ、従業員は往々にして大事なことを発言しないで黙りこんでしまうのでしょうか。Detert & Edmondson (2011)は、この組織における「沈黙」の原因の一つとして、従業員の心の中に「〜という災いを被るから〜するべからず」といった教訓やルールが刷り込まれているからだと考えます。彼らはこれを「暗黙の発言理論(implicit voice theory)」と名付けました。暗黙理論(implicit theory)とは、それが正しいという明確な証拠はないにもかかわらず、いつしか本人が身に付けた物事の道理というか考え方(theory)です。自然に身についたものであって、かつそれは常識だという思い込みがあるので、普段それほど意識しないけれども確実に実際の行動に影響を与えるとも考えられます。


暗黙の発言理論とは、「特定の状況下において意見や提案を口にすることは危険である」という(本人にとっては常識として認識しているがゆえに普段は意識しない)考え方です。これは決して、例えば本人が実際にそれによって被害を被ったり、そういう事例を目撃したなど、なんらかのかたちで身をもって確認されたものではありません。ただ、いつからかそれを「常識」だと思い込んでいるがゆえに、普段は特に意識することなくても、とっさの状況下で言うべきことを言わずに口をつぐんでしまう結果につながると考えます。Detert & Edmondsonによる調査の結果、5つの代表的な暗黙の発言理論が特定されました。


1つ目は「対象への思い入れ理論」です。何か意見や提案をしようと思っている対象(プロジェクトや社内手続き)には、それに強い思い入れを持っている人物(上司など)が存在するので、意見を口にすることはそういった人物を暗に批判していると受け取られかねないから危険であるという暗黙理論です。いくら建設的で客観的には望ましい意見であっても、それは既存のプロジェクトや手続きに対する批判と受けとめられかねないという先入観が関与しています。


2つ目は、「証拠や解決案の必要不可欠性理論」です。なにか意見や問題点の指摘などをしようと思ったら、必ずそれが正しいという証拠を準備したり、具体的な解決策を準備しておかないといけない。それらを持たないで不用意に発言することは危険であるとう暗黙理論です。とにかく問題点やアイデアを口にすることが大切な場面であっても、そうすることによって墓穴を掘る、自爆するのではないかという恐れが関与しています。慎重に理論武装したり証拠を押さえるまでは安易に発言しないという傾向につながります。


3つ目は「上司を飛び越えるな理論」です。なんらかの意見や提案を口にすることによって、それが上司を飛び越えたさらに上の上司や上層部の耳に入ることによって、上司が自分をないがしろにされたと思われると危険であるという暗黙理論です。上司に対する忠誠心があるならば、それは上司に対してのみ内密に発言するべきで、職場で声高に発言したりしてはいけないという先入観が関与しています。


4つ目は「上司に恥をかかせるな理論」です。上司の上司でなくても、上司以外の人がいる前で職場の問題や改善策などを指摘したりするならば、それは上司のマネジメントの無能さを暗に示したりするなど、上司を辱めることにつながりかねないから危険であるという暗黙理論です。上司に恥をかかせないように、あらゆることについて上司に最初に打ち明けないといけないという先入観が関与しています。


5つ目は「自分の出世に響くぞ理論」です。何か意見や提案をしたさいに、それが間違っていたり不適切であったり、試みが失敗に終わったりすることによって自分自身の出世が危ぶまれるから危険であるという暗黙理論です。間違いや失敗を恐れずに発言することが組織や職場にとっては大切なことであっても、このような暗黙理論があれば、従業員は慎重にならざるをえません。よって、不用意な発言をしないよう口をつぐんでしまうことにつながると考えられるのです。

文献

Detert, J. A.,& Edmondson, A. (2011). Implicit voice theories: taken-for-granted rules of self-censorship at work. Academy of Management Journal, 54, 461-488.