日本における解雇規制の論理

日本は、正社員の解雇規制が厳しい国と言われています。企業が、いったん雇った正社員を簡単に解雇することに対しては強い規制が敷かれているために、正社員を簡単に解雇できる社会にはなっていないということです。解雇規制の緩和をめぐる論議もなされています。では、なぜ日本でこのような厳しい解雇規制が存在するのでしょうか。


これには様々な説明の仕方があるでしょうが、濱口(2013)は、判例法理の視点や、日本の「メンバーシップ型社会」、そして企業による「採用の自由」との抱き合わせによる説明をしています。ごく簡単に表現するならば、他国のように「ジョブ型」ではなく「メンバーシップ型」の雇用形態をとっている日本企業および日本の社会においては、企業に採用時の自由を許容する代わりに、解雇の自由に関しては厳しく制限するということになります。


もう少し詳しく説明しましょう。日本以外の多くの国で行われている「ジョブ型社会」では、採用においては、欠員となっている特定のジョブを遂行する能力や技術を持ち合わせている人物を採用することになります。それゆえ、ジョブの定義(職務記述書)は必要不可欠であり、ジョブの内容に基づき、ジョブの遂行に関連した能力やスキルのみで応募者を判断し選別するのが適切だとされます。そして、それ以外の要素で選別するならば、それは「雇用差別」として厳しく糾弾される可能性があります。ジョブ型社会では、特定の職務に雇用される前に個人がどこかで職業能力やスキルを習得済みであることが前提となっており、それが採用選考の基準となるのです。


それに対し、メンバーシップ型社会の日本の場合、学校を卒業したばかりの、なんの経験もスキルもないまっさらな若者に、企業負担で教育訓練を施し、OJTによるスキル習得と定期人事異動方式を組み合わせながら、企業内において彼らを昇進させていく仕組みになっていると濱口は説明します。会社に入る前も入ってからも、どんな仕事をするのか(命じられるのか)は本人にもわからないわけですから、上に挙げたジョブ型社会のように、個々のジョブと個人を結びつけるような雇用および採用選考の原理が成り立たないことになります。


したがって、日本における採用(大多数を占める新卒採用)とは、新規採用から定年退職までの数十年間同じ会社のメンバーとして過ごす「仲間(メンバー)」を選抜することだと解釈できます。「メンバーシップ型雇用」といわれる所以です。そのようなメンバーを選ぶためには、属人的な要素を含め、応募者を丸ごと評価し、メンバーとして適切かどうかを判断せざるを得ません。実際、信条が異なることにより会社が雇用を拒否することを違法としない判例があることを濱口は紹介しています。つまり、ジョブ型社会では「雇用差別」と捉えられかねない基準で採用選考を行うことについて、日本の判例法利は寛容であるということです。


何十年という長期にわたって「同じ釜の飯」を食うメンバーを選ぶのだから、信条も含めた幅広い属人的な要素を勘案して採用選考を行う自由を会社に認めるということは、裏を返せば、「それだけ慎重に判断してメンバーとして雇い入れた社員なのだから、その社員を簡単に解雇するということはありえない」という論理につながります。もし、雇い入れた後で社員を簡単にクビにできるのであれば、それこそ、ほとんど根拠のない単なる差別によって場当たり的に応募者を選抜している(適当な基準で選んでハズレだったらクビにすればよい)と受け止められることになってしまいます。


日本における厳しい解雇規制は、企業に対して採用の自由を大幅に認めてあげているのだから、適当でいい加減な採用をしないようにプレッシャーをかける意味での正当性を持った規制なのだと考えられます。解雇権を濫用させないということは、採用の自由という権利を濫用させないようにするための縛りでもあったというわけです。