制度とは経済学的ゲームである

日本の人事管理は、終身雇用制度、年功序列制度で成り立ってきたといわれることがあります。ここでいう制度は、法律や規制で作られたものという意味合いのみならず、日本のビジネス社会で慣習や規範となっている方法という意味合いも含まれています。職能資格制度といえば、意図的に作られた制度ですが、終身雇用制度は、日本の社会の発展とともに自然にできあがってきた制度とか規範といえるかもしれません。後者を含む広義の「制度」を、人々が共通に持っている了解だとしましょう。このような定義に従えば、意図的に作られた制度でも、それが形骸化して実質的に機能していなければ、ここでいう制度には含みません。


さて、青木(2014)は、こういった「制度」の形成や変容は、経済学のゲームの理論を用いて説明が可能であるといいます。そもそも、経済学のゲーム理論は、微積分のような自然科学から借用された分析方法ではなく、人間の相互作用の結果の分析に適した特有の数学理論に依拠したものです。そこには、ゲームの各プレイヤーがそれぞれゲームの進む先をお互いに読み、各々のモチベーションに基づいて行動選択するという姿がモデル化されているのです。青木は、ゲーム理論にしたがい、制度の本質は繰り返されまた将来も繰り返されると一般的に認知されているような社会的ゲームのプレーの特徴的なパターンであるといいます。


このように青木は、特定の「制度」の存在は、ゲームの均衡を反映しているのだといいます。ゲームの均衡を示す特徴的なパターンが実効的な法、社会規範などに具現化されたものが、制度の実態形態です。例えば、日本の終身雇用制度やメインバンク制度は、外部の第3者が強制したのではなく、ゲームのプレイヤー間の相互作用の中で、それらのような自己拘束性のある秩序が維持されてきた結果として確立された実態形態だというわけです。「他の人々が終身雇用というルールに従っている限りは、自分も終身雇用というルールに従うのが最適な戦略」というナッシュ均衡が生じているということです。制度を、ゲームの参加者による「共通認識」「共通予想」と考えれば、そういうものが人間行動になんらかの規則性を生み出していると考えるわけです。青木は、人間社会はすべてゲームとして類推できるとまでいいます。


しかし、このような状態(=制度)がずっと継続するわけではありません。さまざまな環境変化などが起こると、ゲームの均衡状態としての制度が、みなが当たり前だとはみなされなくなります。日本の人事管理でいえば、長期経済不況、デフレ、グローバル化、技術革新、世代交代などにより、ゲームでの共有予想が崩れ、不安定状態が生じるようになります。そして、制度も1つの均衡から別の均衡へと移っていくことが考えられます。これは、終身雇用が相互依存的均衡として存在しても、ゲームが繰り返し展開されていくと、ゲーム形を定義しているいろいろなパラメータの値が変わり、それが、いままでは適当であるとされてきた選択や戦術がナッシュ均衡ではなくなり、戦略を変えるプレーヤーが出てくることを意味します。こうした事態がクリティカル・マスで起きてくる状態が、制度的な移行の過程であると青木は説明します。


終身雇用制度であれば、それが当たり前だった世代から、終身雇用にこだわらない世代に移ってきています。しかし、革命のようにいっきに制度変化が訪れるということはなく、長時間かけて変容していくと予想されます。青木は、終身雇用の例でいえば、制度が変容するのに一世代すなわち30年かかるといいます。それは、社会的埋め込みとか社会的規範のように、社会的な交換というドメインにおける均衡では慣性があって、人間関係のあり方などはゆっくりと変化するからです。組織における制度は相対的には変えやすいといっても、それが労働市場や金融市場などのあり方と補完的でなければ組織は維持されないと考えられるのです。