日本的人的資源管理「サラリーマン・モデル」はどのように形成されたのか

日本の人事管理は世界的にみても独特な面を持っています。その1つが、「新卒採用」と「終身雇用」がセットになった、いわゆる「サラリーマン・モデル」です。菅原(2014)によれば、このような日本的雇用システムは、学校を卒業すると同時に就職し、1つの会社で長期にわたって勤続勤務するという特徴を持っています。毎年、桜が咲く頃に、大量の若者が学校卒業から間断なく一斉にビジネスの世界に移動していくのです。では、このような制度はいつ成立したのでしょうか。


菅原は、新卒採用と終身雇用に特徴づけられる日本の人事管理は、次の3段階で形成されてきたといいます。1番目が20世紀(明治期)初頭に会社経営を担う上級職員ないしその候補者のみを対象に、新卒採用・終身雇用が成立した制度です。2番目が、両世界大戦間(大正・昭和初期)に、新卒採用・終身雇用の制度が上級職員だけでなく、補助的な管理業務に携わる中下級職員も含めたホワイトカラー社員全員を対象とするものとなったということです。3番目が、戦後に、新卒採用・終身雇用の制度の制度が、ホワイトカラー社員だけでなく、肉体労働に従事するブルーカラー労働者を含めた従業員全体を対象とするようになったということです。つまり、日本的雇用システムの成立の歴史は、その対象が絶えず段階的に下降し、拡大していった歴史だと菅原は説明します。


新卒採用については、もともと、企業が大学との信頼関係を築き、大学で学ぶスキルの内容が高度に専門的で限定的な修了者、特に理工系の修了者を中心に、大学からの斡旋によって継続的かつ安定的に採用することから始まったと菅原は解説します。すなわち、専門的かつ限定的なスキル・タイプの労働力については、企業と学校の制度的な「結びつき」が発生し、学校とのリンケージを制度的基盤として「埋め込まれた労働市場」としての新規学卒者の定期採用が始まったのです。しかし、日本では、新規採用の対象者は両大戦間にホワイトカラー全体へ、そして戦時・戦後の大きな制度変革を経て、高度経済成長の時代には従業員全体へと広まっていったといいます。


菅原の紹介する日立製作所のケースにおいても、1920年代後半以降に新卒採用と終身雇用の制度が同時に定着し、これらが相互補完的に機能するホワイトカラーの人事管理システムが形成されたことが示されています。なお、企業と大学とのリンケージを中核とする制度で行われた「指定校制度」は、高度経済成長の時代に労働力不足が深刻になると、会社訪問のような形で「制度」を飛び越えて企業と学生が直接接触する動きが広がり、1970年前後を境に指定校制度が急速に衰退し、その代わりに「自由応募制度」が普及、定着するようになったといいます。


また、橘川(2014)によれば、主に専門経営者によって経営される大企業での「協調的な労使関係を基盤にして、従業員利益の最大化を目指す経営」としての「日本的経営」も、サラリーマン・モデルの形成に寄与しているといえましょう。小堀(2014)によれば、協調的な労使関係は、戦後の民主化に伴って形成された工職混合型(ホワイトカラーとブルーカラーの同居)の労働組合による急進的な労働運動が1950年代に失敗を重ねる中で、工職混合型の穏健な企業内労働組合の形成によってなされてきました。その中で、ホワイトカラーとブルーカラーの身分格差や待遇格差に対する問題意識が労働組合内で広がり、労使協議の結果として、当時ホワイトカラーのみに適用されていた長期勤続制度がブルーカラーにも適用された、すなわちブルーカラーのホワイトカラー化が起こったと考えられています。


このようにして長期雇用が企業の従業員全体に広まってくると、従業員間に、同一企業に勤続して生産性向上に寄与し続けることで査定を高めようとする競争意識と、ホワイトカラーとブルーカラーの垣根が低まったことで両者が協力して生産性向上に取り組むことが容易になったと小堀は論じます。この競争と協力の過程で、各企業の生産工程で独自の経験・ノウハウや制度が育まれ、企業特殊的な熟練の蓄積が生産性向上につながったのだと言います。職能給に基づく定期昇給は、各従業員の企業特殊熟練の程度を評価すると同時に、競争を長期間持続させることで熟練の向上を喚起する役割を担っていました。なぜなら、各従業員の企業特殊熟練の獲得は、勤続年数、仕事への姿勢、企業への忠誠心に左右されるからです。


その他、サラリーマン・モデルを支える仕組みとして、長期的視点からの経営目標、水平的で柔軟な組織構造、企業内の部門間移動・内部昇進などが挙げられます。橘川は、これらの仕組みが、生産現場においてインクリメンタル(漸進的な)技術革新につながる応用技術の開発という点で大きな成果を挙げたと指摘します。とりわけ、生産技術開発などで成果を上げるためには、研究、設計、生産、営業など各部門が密接なコミュニケーションを保ち、必要な情報が自由に流れることが極めて重要であるが、この点に関して、水平的で柔軟な組織構造や、部門間の人事異動などが重要な役割を果たしたと言えるのでしょう。