フォロワーシップ型経営からリーダーシップ型経営へ

過去の日本企業は、高度経済成長とともに驚異的な発展を遂げました。また、国際的にも高い競争力を維持してきました。これら日本企業の強さを支えていたのは、上司ではなく部下の力、あるいはトップマネジメントではなく現場の力だったといえるのではないでしょうか。


つまり、リーダーよりもフォロワーのほうが企業の強さを実質的に支えてきたといえそうです。そして、優秀なフォロワーの卒業が管理職であり、部下が汗水たらして働く中、あさ職場で新聞を読む余裕を与えられるなど、名誉職的な側面があったのかもしれません。優秀な現場を卒業すれば役員、副社長、社長と昇進できますが、これもご褒美的な側面があったのかもしれません。また、日本企業は「みこし型経営」だと言われることもありましたが、これもある意味「お飾り」としてのトップマネジメントを優秀なみこしの担ぎ手が支えてきた姿を皮肉的に表現したものといえましょう。


これは、原材料を輸入して加工した製品を輸出するという加工貿易型の国際競争力モデルの中、日本企業で働く人々は大多数が日本人であり、フォロワーシップ能力の高い日本人、すなわち物分りが良くお上の意向を察して動ける従順な日本人を国を挙げて教育してきた成果だといえるかもしれません。このような従順なフォロワーばかりの国であり組織であれば、リーダーシップはあまり重要ではないと考えられます。例えば、リーダーシップ理論の中に、リーダーシップの代替物理論というのがあり、部下の能力が優秀な場合や、集団としての凝集性が高い場合にはリーダーシップの重要性が低下する(代替される)という考えがあります。


日本人ばかりの職場で、同質的で粒がそろい、従順な人材ばかりであれば、職場では空気が共有され、皆が空気を読み、上の考えを察して動きます。トップや上司は多くを語ることなくとも以心伝心で部下が動いてくれます。これは、かつての日本企業のモデルが、たとえ売り上げの多くを輸出などによる海外販売に頼っていたとしても、多くの基幹業務を日本国内で行うという一国型モデルになっていたがために余計に実現しやすかったのでしょう。また、キャッチアップ経済といわれるように、国家や企業の目標が比較的明確であったため、戦略的思考がトップに求められませんでした。自明な目標に向かってフォロワーがしっかりとやるべき仕事をこなしてくれれば企業業績が向上していったのでしょう。これをフォロワーシップ型経営と呼んでみましょう。


しかし時代は変わりました。いまや、日本国内のみならず、世界中に日本企業の拠点や基幹業務が拡大し、海外において新商品や新サービスを開発できる能力が企業の競争優位につながり、そして国籍を問わず世界から優秀な人材を集めて彼らの力を結集できることが企業を成功させるための重要な要因になりつつあります。そこで重要なのは、これまでの日本企業のようなフォロワーシップ型経営から、真のリーダーシップによる牽引が企業競争力の鍵となるリーダーシップ型経営への転換だと思われます。


例えば、世界中から国籍を問わず優秀な人材を集めるとなれば、空気を共有することが難しくなり、言語障壁やコミュニケーションの障壁が出てきます。それでも、一人ひとりは荒削りだが生きが良く、水さえ与えれば勢い良く及ぶ魚のような逸材です。実力はあっても放任していたら単にカオスになってしまうだけの人々の集まり。この人々をうまく束ね、ベクトルを統一し、集団や組織としての成果に結実させていく。これこそが、これからの日本企業の管理職やトップマネジメントにも求められるリーダーシップ能力ではないでしょうか。


では、どうすれば日本企業においても有能、多様、荒削りな人材を束ね、成果につなげるリーダーシップ能力が身に付くのでしょうか。さまざまな見解があると思いますが、必須な条件が、若いうちからそのようなリーダーシップをとる環境に身を置き、練習するということです。実際に多様な人材をまとめるような経験なくして、そのようなリーダーシップは身に付かないでしょう。よって、働く個人や企業の課題は、いかにしてそのような機会を作り出し、そこでの練習を繰り返すかということになるでしょう。