エフェクチュアル・キャリアデザイン入門

経営学では20年ほど前に提唱され、近年になって実務界にも広がってきているコンセプトとして「エフェクチュエーション」があります。これは、優れた起業家が実践する原則としてアントレプレナーシップ分野の研究で用いられている概念です。吉田・中村(2023)は、エフェクチュエーションを分かりやすく説明するとともに、この原則は、起業家のみならず多くの人々にも活用可能な考え方であることを示唆しています。そこで本ブログでは、エフェクチュエーションの考え方をキャリアに応用した「エフェクチュアル・キャリアデザイン」という考え方を提唱します。以下においてこれを簡潔に説明したいと思います。

 

吉田・中村によると、従来の経営学では、まず目的を設定し、目的に対して最適な手段を追求する方法を重視してきました。当然経営には不確実性がつきものですが、それに対しては、まずは内外環境を分析し、不確実性を考慮した上で、目的に対する正しい要因を特定し計画を立てることを重視します。これをコーゼーション(因果論)と呼びます。目的を実現するための因果を重視するという目的主導の考え方です。一方、エフェクチュエーション(実効理論)の考え方は、起業のように不確実性が極度に大きな環境では、目的主導ではなく手持ちの手段を所与としてそれを活用することで生み出せる効果(エフェクト)を重視する手段主導の考え方で、エフェクチュエーション概念の生みの親であるサラスバシー教授が優れた実践家が実際に行っていることから導いた原則です。

 

エフェクチュエーションには5つの思考様式があると吉田・中村は解説します。それは「手中の鳥の原則」「許容可能な損失の原則」「レモネードの原則」「クレイジーキルトの原則」「飛行機のパイロットの原則」です。以下においては、エフェクチュエーションをキャリアデザインに応用した「エフェクチュアル・キャリアデザイン」に即した形でこの5つの原則を説明します。まず、「手中の鳥の原則」です。これは、自分がすでに持っている「手持ちの手段(資源)」を活用し「手段主導」で何ができるかを発想し着手する思考様式です。主に3つの手段があり、それは「私は誰か」「私は何を知っているか」「私は誰を知っているか」です。さらに「余剰資源」を考慮することも有効だといいます。

 

キャリアデザインにおけるコーゼーションでは、自分が目標とする将来のあるべき姿や目的を明確にした上で、それを実現するための原因となりうる最適な手段を獲得していくことを重視しますが。エフェクチュアル・キャリアデザインでは「私はどんな人間なのか(好きなこと、得意なこと、価値を見出すことなど)」「私は何を知っているのか(知識、スキル、経験など)」「私は誰を知っているのか(人脈など)」「その他に利用可能なリソースはあるか(貯金など)」を理解し(棚卸しをして)、それらを組み合わせることで次の一手として何ができるかを考えることになります。それが、自分のキャリアを発展・進化させるためにまず何をするのかの具体的な行動指針につながるのです。

 

次に、「許容可能な損失の原則」です。これは、期待リターンよりも、許容可能な損失の範囲内でまずは行動を起こすことを意味します。キャリアデザインで言うと、失敗すると路頭に迷ってしまったり人生が破滅してしまうような極端なリスクを負うような行動をしないと言うことになります。例えば、全く畑違いの分野への転職や、大きな借金をしてまでの脱サラによる起業、友人の多くを失うような仕事など、リスクの大きすぎるキャリアチェンジなどがその例です。そうではなく、現在自分が持っている資源の組み合わせ範囲内で投資や活動をする(ビジネススクールに通う、異業種交流会に参加する、余暇を副業に充てるなど)などのアクションが望ましいということになります。

 

そして、「レモネードの原則」は、予期せぬ事態に遭遇した時に、それを前向きに捉え、テコとして活用していく思考様式です。キャリアデザインで言えば、偶然を味方にする能力でもある「セレンディピティ」に近いともいえましょう。「クレイジーキルトの原則」は、コミットをしてくれる可能性のあるパートナーとの出会いを通して、何ができるかを模索していくプロセスで、これをランダムな形の布切れを繋ぎ合わせてユニークなパターンが作られるクレイジーキルトに例えたわけです。レモネードの法則と関連づけると、予期せぬ出会いも含めて様々なパートナーと出会い、それが自分自身の新たな手段(資源)に加わっていくことで、それらを組み合わせて「何ができるか」の可能性が拡大していきます。キャリアデザインに即して言えば、様々な人々との出会いが、自分が有する手段の多様化につながるため、次のキャリアのステップとして何ができるかのオプションも広がっていくことを意味します。

 

最後の原則が、「飛行機のパイロットの原則」です。これは、自分がコントロール可能な活動に集中し、予測でなくコントロールによって望ましい成果に帰結させるという思考様式です。これは、上記の4つの原則によって駆動されるサイクル全体に関わっています。キャリアデザインに即して言えば、コーゼーションでは自分のキャリア目標や目的(例、勤務先の社長になる)に照らし合わせて将来を予測し(例、事業予測、昇進の見通し)、それに従ってキャリアプラン(例、スキルアップ、社内人脈形成)を練ろうとしますが、エフェクチュエーションでは、そもそも未来の予測など不可能という前提に立ち、予測できない未来ではあるが、自分がコントロール可能なものは何かに焦点を合わせるのです。今、手元に持っている手段(能力や人脈)を組み合わせて、キャリアの次の打ち手を考え、実行するのです。

 

上記の5つの原則から分かるとおり、エフェクチュアル・キャリアデザインでは、自分が現在持っている手段主導でキャリアの次の一手として何ができるかを考え、実行し、そのプロセスで生じる偶然性や予期せぬ出来事をテコにしながら、既知の人々や新たに出会う人々との相互作用を繰り返していきます。そのプロセスにおいて新たな手段が加わることで手持ちの手段が増え、何ができるかのオプションも広がり、さらにそれに基づいた行動によって新たな偶然や出会いが生じるという「手持ちの資源の拡大サイクル」が存在します。また、パートナーとの相互作用で生じる新たな目的に基づいて何ができるかを再検討するといった「制約の集約サイクル」も存在します。

 

つまり、エフェクチュアル・キャリアデザインでは、手段主導のダイナミックなキャリア・アクションを通して生じる「手持ちの資源の拡大サイクル」によって、何ができるかの選択肢を広げて将来の可能性を大きくしていく一方で、「制約の集約サイクル」によって、今後のキャリアにおいて自分が最も集中すべき方向性を確立していくというプロセスによって、具体的なキャリアの方向感が定まりつつ将来展望が開けてくるのだと言えましょう。

参考文献

吉田満梨・中村龍太 2023「エフェクチュエーション 優れた起業家が実践する「5つの原則」」ダイヤモンド社