行動経済学を体系的に会得してビジネス・経営に役立てよう

近年、「行動経済学」が脚光を浴びています。行動経済学とは何かを一言でいうならば「人々の経済行動の理解と説明に焦点を絞った心理学」もしくは、「経済学の衣をまとった心理学」だと言えます。本質的には「人間の判断や意思決定に関する心理学」なのですが、それを「行動経済学」と言い換えるとなんとなく高尚かつ実用的なイメージが高まります。一般的には「経済学」の方が「心理学」よりも大学でも歴史があって伝統的な学部・大学院が確立しており、国家や産業の発展、人々の幸福に直結している感じがします。ノーベル心理学賞はなくてもノーベル経済学賞はあります。実際、おそらく最初に行動経済学というネーミングを提唱した心理学者のカーネマンは「ノーベル経済学賞」を受賞しています。その功績もあって、あえて行動経済学を名乗ることで、伝統的であるがゆえに経済学にしか馴染みがない人々が心理学に関心を持ち、心理学の扉を叩く格好のきっかけも提供しているのです。

 

余談はさておき、「ナッジ」を始めとする行動経済学で発見されたさまざまな法則性やコンセプトは、ビジネスや経営において役立つものが多く、それが実際にビジネスや経営に応用されていると思われる例は山ほどあります。よって、行動経済学をマスターして自分の武器とすることで、数多くのメリットが得られるわけです。しかし、相良(2023)は、行動経済学はまだ新しい分野であるがゆえに、さまざまな発見や理論が断片的に並列している状態で、体系だっていないために初学者には学習が難しいことを指摘します。そこで、相良は、行動経済学をわかりやすく体系化することで、初学者の人が学習しやすいような工夫を行いました。もちろん、行動経済学の分野をクリアに体系化することはまだ難しい段階であることを相良も認めているのですが、今回はあくまで「行動経済学を始めて学ぶ人」のために体系化を優先したとのことです。

 

では相良が生み出した新しい行動経済学体系を紹介しましょう。まず、これまでの行動経済学では、少なくとも58の主要な理論が存在すると相良は言います。58もの別々の理論を1つずつマスターするのは至難の業です。相良は、行動経済学を「人間の『非合理な意思決定』のメカニズムを解明する学問」と定義した上で、この主要な理論のグループを、まず3つのカテゴリーに分類します。それは、(1)認知のクセ、(2)状況、(3)感情、です。認知のクセとは、私たちが有している「脳」の「認知のクセ」が、私たちの意思決定に影響をするから非合理的になるという考え方に基づいたカテゴリーです。状況とは、私たちが置かれた「状況」が意思決定に影響を及ぼすという視点に立ったカテゴリーです。そして、感情は、私たちが経験するその時々の感情が、意思決定に影響するという視点に基づくカテゴリーです。

 

最初に、「認知のクセ」のカテゴリーに入る主要な理論ですが、代表的なものが、「システム1」「システム2」という、人間の意思決定で用いられる思考システムの区分です。人間が意思決定する際に、熟考を基本とするシステム2ではなくシステム1に依存すると、人間の進化で獲得したような脳に埋め込まれた直感的な意思決定システムを利用することになるために非合理的な判断や意思決定が多くなります。そこから生まれた様々な法則性には「メンタル・アカウンティング」「自制バイアス」「埋没コスト」「ホットハンド効果」「確証バイアス」「真理の錯誤効果」などがあると相良は言います。また、人間の五感が認知のクセに影響するという「身体的認知」「概念メタファー」や、時間感覚が認知のクセに影響するという「双曲割引モデル」「計画の誤謬」などもこのカテゴリーに含まれます。

 

次に、「状況」のカテゴリーに入る主要理論には、人は状況に「誘導される」「決定させられる」という考えに基づく、「系列位置効果」「単純存在効果」「過剰正当化効果」などが紹介され、そして、多すぎる情報や多すぎる選択肢が人の判断を狂わせたり意思決定できなくする「情報オーバーロード」や「選択オーバーロード」、何をどう提示するかに意思決定が影響される「プライミング効果」「プロスペクト理論」「アンカリング効果」「フレーミング効果」「おとり効果」などが紹介されています。最後の「感情」のカテゴリーに入る主要理論には、ポジティブな感情による意思決定効果としての「拡張ー形成理論」や「目標勾配効果」、ネガティブ感情による効果、コントロール感や不確実性が感情に影響することに伴う効果などが紹介されています。

 

相良は、最後に、行動経済学を「自己理解・他者理解」「サステナビリティ」「ダイバーシティ・エクイティ・インクルージョン(DE&I)」に応用した例を紹介しています。このように、行動経済学は、様々な実践に応用可能な実用性の高い学問であり、まだ発展途上の学問でもありますので、行動経済学を体系的に学んでビジネスや経営の実践に活用していくことには計り知れないメリットがあるかもしれません。行動経済学は、心理学が経済学に進出することによって経済学が抱える限界(人間は合理的に行動するという前提に縛られた限界)を突破してしまったことで「心理学が最強の学問である」ことを証明してしまったような例なのですが、異なる学問が融合することは珍しいことではありません、自然科学の世界では、量子力学なども、化学の世界に物理学が進出したようなものですし、現代生物学は物理や化学の知識なしには成立し得ないでしょう。狭い範囲の学問に縛られず、学際的に研究・実践が進むことがいろんな意味で望ましいのです。

参考文献

相良奈美香 2023「行動経済学が最強の学問である」SBクリエイティブ