生命科学から学ぶダイバーシティ・マネジメント

高橋(2021)は、生命科学の研究者として、そしてベンチャー企業の経営者として、「生命の原理や原則を客観的に理解した上で、それに抗うことで主観的な意志を生かして行動できる」と説きます。そうすれば、自然の理に立脚しながらも希望に満ちた自由な生き方が可能になるというのです。今まさに新型コロナウイルスと戦っている時代の真っただ中にいますが、私たちの世界では次々と課題が現れます。そのような世の中で絶望しないために、課題を解決し続ける状態を維持することが大切だと高橋は言います。次々に現れる課題に諦めず、思考して行動することで、人類は常に前進することができるのだというのです。

 

高橋は、このような考え方を、予測不能な未来に向けて組織を存続させるにはどうすればよいかについても展開させています。つまり、これまで変化を前提としながら進化し、生存してきた生命に関する知識を、組織や会社づくりに応用することで学べることは多いというのです。高橋が自らの会社経営で参考にしていることの1つは、「多様性の本質は同質性にある」ということです。一見矛盾した命題ですが、何が違うかという差異に注目すると同時に、何が同じかという点にも注目しないと、多様性(ダイバーシティ)の本質を見失うことになるというのです。

 

高橋によれば、多様性を考えるには、差異の前提となる土台が必要です。それが同質性ということになりますが、企業でいえば、まずはある目的を達成したいと考える「同質性」を持つものをまず集め、多少の環境変化にも対応できる手段として多様性を確保するというのが本来の意味での多様性のありかただといいます。すなわち、企業にとっての目的とは、企業理念や企業文化に賛同した人たちとともに社会的価値を生み出していくことであり、その目的に賛同しているという「同質性」を前提(土台)として、年齢・性別・国籍・人種などに関係なく、異なる才能や背景を持つ人たちが集まることこそが真の意味での多様性(ダイバーシティ)だというわけです。

 

また、生物における多様性の本質は、多様な生物種があることで生命全体として生存確率を上げていることだと高橋は説明します。どのような環境変化があるのか、あるいはどのような変異が環境に適応できるのか、事前に予測したり意図をもって作り出したりすることはできないため、とにかくあらゆる可能性を試すしかないということです。ある種が絶滅するなどの失敗を寛大に許容し続ける生命の様子は「失敗許容主義」と表現できるといいます。多様性を作り出すことや失敗許容主義は、短期的にみると非効率的な戦略に見えますが、長期的には効率の良い生存戦略となると高橋は論じます。これは企業が生き残る戦略のヒントとなるでしょう。

 

さらに、生命において変化する方法は2つあり、1つは「個体としての成長」で、もう1つは「種としての進化」ですが、これは企業にとっての「既存事業の売上増」と「新規事業の立ち上げ」の2つの手段とよく似ていると高橋は指摘します。事業は一定期間順調に成長しても、S字曲線が示すように、生命の仕組みでは個体は無限に成長せず、やがて老いていくのと同じように、単体事業で成長し続けることはなく、事業には寿命があります。よって企業は、新規事業の立ち上げを通じて新たなものを作り出し、多様性を維持することが、全体の生存確率を高めることにつながるというのです。

 

そして高橋は、空間軸や時間軸における多様な視点を使い分けること、客観的な情報を大切にしつつも主観を重視することの重要性を唱えます。まず、生物は「個体として生き残り、種が繫栄するために行動する」という特徴から視野が狭くなりがちであること、そして私たちは脳の学習機能によってどうしても過去の経験に影響を受けがちであることを指摘し、純粋に物事を受容する「フラットな視点」を持つこと、広くも狭くも自由に視野を設定する能力を身に着けることが重要だといいます。

 

経営に関して言えば、経営理念やミッションは滅多に変化させてはならない一方で、戦略や戦術は状況に応じて短期間で柔軟に変えていくことが可能です。また、新しい技術や戦術を導入するのにかかる時間と、組織体制を変えるのに必要な時間は異なります。つまり、企業にも複数の時間軸が存在するので、その前提に合わせて動いていく必要があると高橋はいうわけです。また、組織内や取引先との認識のずれや意思疎通での問題は、思考枠としての視野が共有されていないことによることが多いので、視野を共有すればほとんどの問題は解決するといいます。

 

そして、ビジネスにおいて客観的な情報は必要だが、特に不確実性の高い環境であればあるほど、過去の情報から客観的に予測する際のエラーが大きくなり、客観的情報の積み重ねだけではたどり着けない未来があるため、主観的な判断が重要になるのだと高橋は論じます。企業経営においてきわめて重要なビジョンやストーリーは、主観から生まれるものであり、新たな課題に対しては新たなストーリーを示し続けることが課題解決のために不可欠であると高橋は主張するのです。

参考文献

高橋祥子 2021「ビジネスと人生の「見え方」が一変する 生命科学的思考」News Picks Publishing