量子論に学ぶ組織変革

量子論は、私たちが観察するのが困難な微小世界の素粒子の振る舞いを説明するための理論として構築されてきました。量子論が私たちの住んでいる世界の根源的な性質を解明しようとする学問であり、量子論での見解がこの世界の本質をより正確に映し出しているとするならば、そこから私たちはどのようなことを学ぶことができるのでしょうか。ここでは、Lord, Dinh & Hoffman (2015)の考え方を参照しながら、量子論がどのように組織変革の考え方に応用可能なのかについて考えてみます。Lordらの議論はかなり難解なのですが、なんとか咀嚼してみたいと思います。


ふだん私たちが観察可能なモノの世界はニュートン古典力学でも十分に説明可能であるために、私たちの物事の考え方も古典力学的な発想の影響を強く受けていると思われます。個人や組織の振る舞い、そして組織変革についてもそうでしょう。例えば、ボールを投げたときや、月に向かってロケットを発射したときのように、組織には一種のモメンタムあるいは慣性があって、そのモメンタムの正体は、組織が持つエネルギーやベクトルであり、そのモメンタムに沿って組織は一定の方向に向かって進んでいると私たちは考えることでしょう。では、量子論の考え方を用いると、古典力学的な世界の理解や解釈とどう異なった発想に至るのでしょうか。この点についてLoadらが主張するのは、時間のとらえ方を、過去から現在、そして未来へと流れていくものではなく、未来から現在に流れてくるものとして意識するというものです。例えば、いまこの瞬間という「現在」をとらえるさいに、過去から現在に至る時間の矢印としてではなく、未来から現在に至る時間の矢印で考えてみるということです。なぜ、それが必要なのでしょうか。


かなり大雑把な言い方をするならば、古典力学的な世界観は決定論です。つまり、現在の状況が正確に分かれば、未来がどうなるか予測できるということです。そして、過去の情報が現在の状況を知る上で重要な情報を提供するわけです。組織変革に適用するならば、現在の組織は、過去の歴史の蓄積として存在しているので、その蓄積のあり方によっていま組織がどのような立ち位置にあり、どちらの方向に進んでいるのかが分かることになります。そして、その情報に基づいて、この組織が今後、どのような方向に進んでいくのかが分かると考えるのです。これは、過去→現在→未来という時間の矢印に沿ったいわゆる常識的な発想だと言えましょう。しかし、量子論では異なる考え方を採用します。Lordらによれば、量子論では過去→現在→未来といった形で物事が連続的に推移しているのではなく、過去および現在と未来とは質的に異なっていると理解します。つまり、現在と未来は非連続であり、未来については私たちが想像する以上に数多くの可能性があると考えるのです。これは裏を返せば、現在も過去とは質的に異なっており、過去からの連続としての結果ではなく、過去に内在していた数多くの可能性の1つが実現したにすぎないと考えるのです。すでに決定済みの過去を振り返るならば、過去から現在に至る筋道は必然的であったかのように思いますが、実はそうではなく、まったく異なる現在をもたらす他の道筋が起こる可能性も数多くあったのだが、そのような可能性は実現に至らなかっただけだということです。


現在にはあまりに多くの可能性が内在しているため、過去や現在の情報だけでは未来への道筋は予測できないが、未来が決まった後に、逆向きの時間の矢印で考えることによって現在やさらにその後ろにある過去への道筋が分かる。現在に内在している数多くの可能性のうちどれが実現するのか予測ができない。しかし、未来から現在を眺めるならば、その数多くの可能性のうち、どれが、どのようなプロセスで実現していくのかが分かるということです。どういうことかというと、現在が内包する数多くの可能性の多くは、なんらかの制約によって発現できない状況にある。つまり、このままでは可能性のままで終わってしまい、実現はしない。けれども、なんらかの理由で、その制約条件が外れていくことによって、その可能性が、他の可能性を押しのけて実現し、それが未来となるわけです。組織変革の文脈でいうならば、組織が今後どのように変化していくかについて、そこにいる人々が想像する以上に多くの可能性を内在している。そして、そのうちのどの可能性が実現するのかは、どの制約条件が外れていくかに左右されるが、そのような外れ方は、個人、集団、組織といった多層的な要素の相互作用で決まってくるのです。


ではなぜ、組織変革の文脈において、量子論的な発想で未来から現在に至る時間の矢印を想定するのが大切なのでしょうか。それは、古典力学的な発想で、過去からの必然の成り行きとして現在があり、過去から現在に至る延長線上として未来を想定するならば、本来、数多くの可能性が内在しているべき現在の組織の状況を見落としてしまい、起こりうる未来に対する想像や予想の幅をものすごく狭めてしまうことになるからなのです。つまり、私たちの未来に対する予想が、この世界の本質からあまりにもかけ離れたかたちの狭いものしか想定していなければ、そのような未来が実現するような形でしか制約条件を外していくことができないので、他の内在する可能性は実現しないまま消え去ってしまいます。結果的に、組織はあたかも過去から現在、未来において一定の方向性を持ったまま動いているかのような錯覚に陥り、かつそのようにしか実際に組織が動いていかないわけです。それでは組織変革は成功しないでしょう。数多くの組織変革の可能性を、人々が貧弱な想像力によって自ら消し去ってしまうのですから。組織変革を担う人々の発想があまりにも貧弱になってしまうのならば、組織変革のためのブレークスルーさえも起こせないということです。


そうではなく、現在とは質的に大きく異なる未来を想像力・創造力を駆使して想定し、そのような未来が決定あるいは実現されたものとして、そこから現在に向けて逆向きに時間を流してみたらどうでしょうか。そうすることで、その未来に向かっていく道筋が明らかになることでしょう。例えば、明るい未来を想定し、そこから逆向きの時間的発想で時計の針を逆回転してみる、あるいはビデオの映像を未来から現在へ逆回ししてみると、どのような制約条件が徐々に外れていって、どのようなプロセスでだんだんとその「決定された未来」に向かっていくのかが想像できます。そしてそのような想像力を働かせるということは、逆にどのような制約条件が外れれば想定された未来に向かうのかが分かっているということでもあるので、それが実際の組織における個人、集団、組織といった多層的な活動にも影響を与え、想像したものと同じようなパターンで制約条件が外れていくことも十分可能なわけです。


組織の人々が視野狭窄に陥っていれば、そのような制約条件の存在さえ気づきませんが、組織の人々が来るべき未来の可能性を意識していれば、かれらの活動が、それを実現するための制約条件の解放に寄与することが考えられます。別の言い方をすれば、組織の人々が、あるべき組織の未来を「引き寄せる」、あるいはあるべき未来の側から組織を「引き寄せる」わけです。決して、過去や現在の組織の状況を無視するわけではありません。しかし、過去から現在に至る物事の展開を必然だったと考えたり、その延長線上で未来を考えたりしないこと。古典力学的な世界ではそれが正しいのかもしれないが、量子論の世界ではそれは正しくない。過去において実現しなかった数多くの可能性がどのようであったのかについて想像をめぐらし、また、現在に内在している数多くの可能性について想像をめぐらすことで、古典力学的な発想では成しえないほど圧倒的に幅広い「起こりうる未来」を想像することができる。そして、それらのどれかが発現したものとして、現在とは非連続であって質的にも異なる未来を大胆に設定してみる。そのような未来がどのような力で現在を引っ張ろうとしているのかを想像してみる。そうすることで、過去から少しずつ押し出される形で発現している現在ではなく、未来から少しずつ引っ張られる形で発現している現在へと、現在のとらえ方を変えることが大切なのだと言えましょう。

参考文献

Lord, R. G., Dinh, J. E., & Hoffman, E. L. (2015). A quantum approach to time and organizational change. Academy of Management Review, 40(2), 263-290.

今こそ「成果主義」の原点に立ち返ろう

企業人事の世界では、企業業績を高めるために人事管理の面からできることとして、様々な取り組みがなされてきました。とりわけ近年では、グローバル人材の発掘・育成、ダイバーシティ・女性活躍の推進、働き方改革プレミアムフライデーなど、様々な取り組みが流行しています。しかし、現在の状況を俯瞰するならば、日本の企業は、いまこそ「成果主義」に立ち戻る必要があると言えるのではないでしょうか。


成果主義という言葉は10年以上前にに流行しましたが、現在、成果主義を声高に叫ぶ人はほとんどいません。しかし、とりわけ現在では「働き方改革」がさかんに叫ばれていますが、成果を伴わない働き方改革、すなわち労働時間を減らすだけの試みは、企業の業績低下や競争力の低下につながることを助長するだけで終わってしまう可能性があります。では何がいちばん大切なのか。それは、生産性を高め、これまでよりも短い時間で、これまでよりも大きな成果を出すことです。ここでは、成果主義を、賃金がうんぬんとか、人事部の隠れた本音(人件費を圧縮したい)とかとは別次元で考えたいと思います。すなわち、成果主義の根本的な語感に立ち返り、成果主義とは「成果を出すことに注意を集中する経営や働き方」であると定義しましょう。出すべき成果を明確にし、それを職場で共有し、スピード感を持って成果を実現することに全精力を集中する。そして、成果を出したらさっさと帰宅して豊かなライフを楽しむのです。


これは具体的にどういう経営、どういう働き方を意味するのか。それは、出すべき成果を明確にし、成果を出すために本当に重要なことのみに集中することです。そして、成果につながらない無駄な作業は廃止し、優先順位が低いものは思い切ってカットし、成果を出すために使える資源を総動員することで、働く時間を短くする代わりに、働いている時間は成果を出すことに集中し、素早く実行するということです。ここで誤解してほしくないのは、成果を出すことに集中するといっても、短期的な成果のみを追い求めるわけではないということです。当然、長期的に成果を出し続けていく、あるいは将来大きな成果を出すために投資をすることも、成果主義としては重要な考え方だということです。


働く側としての意識として推奨したいのは「時間当たりの付加価値」すなわち「1時間にどれだけの成果につながる価値を生み出したか」を意識することです。例えば、労働時間と年収をもとに、自分がもらっている報酬の時給を計算したとしましょう。そうしたら、今自分がやっていることは、最低での自分の時給の2倍とか3倍とか、あるいはそれ以上の価値を生み出しているかということを常に意識することです。自分の時給の何倍もの価値を生み出しているからといって、その価値はどこにいってしまうのか、労働搾取ではないのか、などとは考えないようにしたいものです。今の時代、そのような高い生産性を維持し、その結果として高い成果を出し続けているならば、自然と報酬もそれに合わせて上がっていくものです。なぜなら、企業はそのような人材を欲しているのであり、そのような人材は過去の工業化時代のような生産力を持たない労働者とは違うのです。もはや、価値を生み出すのは生産設備ではなく、人材だと言えましょう。また、組織を共同体として考えるならば、ある程度生み出した成果の分配方法を平準化して組織メンバー全員がハッピーになれるような工夫が必要な場合もあるでしょう。要するに、成果を生み出したあとの分配は後で考えるとして、まずは、成果を高めることに集中しようというのが、成果主義の目的でもあるわけです。


さて、1時間なんらかの活動をしたら、そのたびに、どれだけの価値を生み出したかを意識しましょう。例えば、会議をしたらどうだったか、外回りをしたらどうだったか、研修を受けたらどうだったか。生み出した価値というのは、短期的な成果につながる価値や、その活動によって将来生み出される成果を現在の価値に割り引いたものです。毎日、例えば8時間働いたら、8時間分の報酬をはるかに上回る価値を生み出せたかどうかを計算してみることです。これを毎日実践する。そして、時間あたりに生み出す価値を最大化するためになんでもやってみる。勉強をして新しいことを覚え、仕事に使えるものはどんどん試していく。うまくいかなくても、それで将来成果が出せるような教訓を得た場合、それは重要な価値が生み出されたことになります。そして、自分が利用できる資源、モノ、カネ、情報、人脈などは何であっても活用する。これを毎日続けていれば、知らない間に、無意識的に、常に時間当たりの付加価値を意識して仕事をするようになるでしょう。


組織で働く人全員がこの時間あたりで生み出す価値に意識を集中するならば、皆が一丸となって、価値を生み出さない活動を削減し、皆が協力することで、時間当たりに生み出す価値がさらに高まる方法を生み出すことも可能になるでしょう。それには、仕事や業務内容のみならず、会議の仕方、休憩時間の取り方、オフィススペースの配置や談話スペースの活用など、さまざまな事柄が改善・改良の対象となります。また、IT化やAIの活用によって生産性が一気に改善することが予測できるのであれば、トップダウンで一気にやってしまうということも考えられるでしょう。また、短期的に出すべき成果と、長期的に出していく成果とのバランスを戦略的に考え、短期的に出すべき成果のみについては、例えば仕事に費やす全時間の30%くらいでさっさとやってしまう。そして、のこりの70%の仕事時間は、長期的な成果を生み出すための「投資」に費やす。これも戦略的な成果主義です。


このように、成果主義の原点に立ち返ることで、働いているときは成果を出すことに集中し、成果を出すために生産性を最大限に高め、時間当たりの付加価値を意識して高速に仕事をする。その分、労働時間は減らす。つまり、時間あたり付加価値を最大化することで労働時間を減らしてかつ成果を高める。それによって得られた時間を、ライフの充実に充てることで、ワークもライフも充実したものとなることでしょう。

「販売の科学」をマスターして一生モノのスキルを身に着けよう

モノやサービスを売る力すなわち販売力はビジネスの基本です。いくら良いものであっても販売の仕方を間違えれば売れません。また、販売力を身に着ければどのような業界でも活用することが可能なので、ビジネスパーソンにとっては「一生モノ」の財産となることでしょう。しかし、Hoffeld (2016)は、販売力に関する多くのトレーニングが、逸話的なものや非科学的なものであるがゆえに、場合によっては販売力を阻害しているケースさえあると指摘します。では、真に成功する販売の方法とは何か。Hoffeldは、それを「科学的証拠」すなわちエビデンスに求めます。つまり、科学的な裏付けのある販売方法をとれば、確実に販売力がアップすることを主張するのです。


その方法とは、人間の脳がどのようなステップで販売に関する判断や意思決定を行うのかを的確に理解し、脳が下す意思決定のステップに自然に沿うようなかたちでアプローチをしていけばよいということです。非科学的な販売方法をとるならば、人間の脳の働きに逆らうような働きかけをしてしまうので失敗してしまうのです。Hoffeldの提唱する販売の科学は、まさに人間の購買意思決定に関する科学的な証拠に基づく自然なアプローチだと言えるのです。


では、Hoffeldの提唱する販売の科学を簡単に説明していきましょう。まず、私たちは、ある特定の商品やサービスに関するメインのメッセージからの影響と、それ以外の周辺的な状況による影響の2つの影響を受けながら購買意思決定をします。周辺的な状況とは、例えば、私たちは機嫌が悪いときに大きな買い物の意思決定をしないでしょうから、最初に「ご機嫌いかがですか」と聞くことが有効となるでしょうし、たった1つの選択肢を提示されて購買を迫られるよりも、複数の選択肢が提示されてどちらかを選択するようなアプローチをされたほうが実際に購買する確率が高まるでしょう。これらの周辺的な状況については、行動経済学でのバイアスの知識や、社会心理学における他者の影響(人は、他の多くの人が買っていますよというメッセージに弱いなど)の知識を詳しく学習することで理解が深まります。


次に、実際の脳の働きに自然に従うかたちでメッセージを伝えていく方法については、最初のステップとして、現状における顧客の問題点や、「マーケティングのジョブ理論」でいうところの「やるべき仕事(ジョブ)」を認識してもらうというものがあります。そもそも現状に問題がなければ、あるいはやるべきジョブがなければ、新たなアクションをとる必要もないので購買に動きません。しかし、そのような問題が顧客自身も気づいていないような潜在的なものである場合、現状について質問を投げかけていくのが効果的なアプローチになります。そこから、何かアクションを起こす必要があると顧客自身が気づくことが1つの前進になります。そして、今そのアクションが必要だという認識を喚起させることも重要です。緊急性を感じなければ、「先延ばし効果」が生じてなかなか購買には至りません。そのうえで、自社の製品やサービスが、その問題を解決する、すなわちニーズを満たすことを知ってもらうように働きかけることになります。そして、他業界や他社ではなく、自社の製品やサービスがその問題解決に最適であることを示さなければなりません。


さて、ここまでで、顧客が自ら、現状で抱えている問題(あるいはやるべきジョブ、ニーズ)を意識し、いますぐアクションを起こす必要性を理解し、問題を解決する(ジョブを遂行する、ニーズを満たす)のに最適な製品・サービスがあることを知ったことになります。これで顧客は自社の製品やサービスを買ってくれる、すなわち販売は成功しするかといえばそうではありません。人間は、頭(理性)ではその必要性がわかっていてもなかなか行動に移せないことがあるからです。このままでは顧客が本当に商品やサービスを購入してくれるかわかりません。では、何が決め手となるのでしょうか。それは「感情」です。脳科学や心理学などでは、感情が私たちの行動に多大な影響を及ぼしていることが科学的に明らかになっており、その知識を用いることが必須です。要するに、人は感情で動くのです。


人は、ネガティブな感情状態のときよりもポジティブな感情状態の時のほうが、つまり良い気分のときのほうが購買の意思決定をしやすいことはすでに述べました。さらに大事なことは、人間は、心の奥底において、「何かを失うことを極度に恐れ」「何かを得ることをとても欲する」という特性を持っています。これは理性でも合理性でもなく、動物としての人間が進化の過程で生き残るために培ってきた「本能」なのです。本能であるがゆえに、それらは感情の働きとして発現します。したがって、この感情の働きを後押ししてあげることで、自然と購買の意思決定に導くことができるのです。すなわち、適切な質問を投げかけるなどのコミュニケーション手段を通じて、「今すぐに購入しないと大きな損失を被るかもしれない」「今すぐに購入することで大きなメリットを得ることができる」という感情の働きを活性化させることが、最終的な購買を促すうえで重要だというわけです。


このように、人間が本来もっている脳の働きに自然に沿うようなかたちで販売アプローチを行うことが、販売の成功確率を確実に高めることにつながるといえるでしょう。

なぜコミットメントやモチベーションではなく「ワーク・エンゲージメント」に着目するのか

近年、職場における「ワーク・エンゲージメント」という概念への注目が高まっているようです。エンゲージメントの定義は必ずしも1つに定まっているわけではありませんが、近年の学術研究で多く用いられている意味合いとしては、従業員が生き生きと仕事に取り組む姿勢を示すもので、仕事に対する「熱意」、仕事への「没頭」、そして仕事をするうえでの「活力」がみなぎった状態の3つの次元で表されます。従業員のエンゲージメントが高まれば、組織の業績も高まると考えられています。


しかしながら、以前は「コミットメント」という概念に注目が当たった時期がありましたし、モチベーションについても常に話題になります。しかも、エンゲージメント、コミットメント、モチベーションなどの概念は、一見すると類似した概念のように感じられますので、なぜわざわざ「エンゲージメント」という概念にこだわるようになったのか、混乱するのではないでしょうか。実際、エンゲージメント、コミットメント、モチベーションは、相互に相関しているはずであり、例えば、モチベーションやコミットメントが低いのにエンゲージメントだけが高いというようなことはあまりないでしょう。それもそのはずで、これらの概念はすべて仕事におけるポジティブな従業員の心理状態を示しているからです。ですから、従業員が仕事に関してポジティブな心理状態にあるならば、厳密な意味ではそれぞれの概念に違いはあるにせよ、コミットメントも、モチベーションも、エンゲージメントも高まっていると考えられるわけです。


では改めて、なぜコミットメントやモチベーションではなく、「エンゲージメント」に着目するのか。私見では、これは、類似した概念であっても、コミットメントやモチベーションとエンゲージメントでは、そのコンセプトの背後にある思想が異なるからだと考えています。一言でいうと、コミットメントやモチベーションは、現代経営学をリードしてきたアメリカ的な思想から来たものであり、エンゲージメントはヨーロッパ的な発想からできた概念だと思われるのです。アメリカ的思想のコンセプトの例が、成果主義、目標設定、変革型リーダーシップであり、ヨーロッパ的な思想のコンセプトの例が、ワークライフバランスワークシェアリングウェルビーイングです。


アメリカ的な思想とは、自由競争市場を前提とする中で、組織やそこで働く個人の生産性を高めるにはどうすればよいかという問いが前面に出てくるような発想です。例えば、組織やチームの生産性を高めるために、従業員にコミットしてほしい、業績を高めるためのモチベーションを高めてほしい、コミットメントやモチベーションが高まるようなリーダーシップが必要だというように、マネジメント側からの要望が強く反映されているように思われます。それに対して、ヨーロッパ的な思想とは、やや社会主義的な発想が含まれており、組織や個人の生産性も大切だけれども、従業員の心身の健康や幸福ももっと大切ではないか、という考え方だと思います。つまり、アメリカ的思想と比較すると、労働者目線での考え方が多いということです。


コミットメントやモチベーションが高ければ、従業員の心身にも良い影響を及ぼすと考えられますが、従業員の心身の健康といった意味合いはそのコンセプト自体には含まれていません。一方、エンゲージメントというコンセプトには、従業員の心身の健康といった意味が直接的に含まれています。なぜならば、エンゲージメントは、ストレスや疲労感やバーンアウトと対立する概念としてとらえられているからです。エンゲージメントは、仕事につぎ込むエネルギーやリソースに満ち溢れている状態であって、そのようなエネルギーやリソースが失われる状態が、ストレスや疲労感やバーンアウトだからです。


また、アメリカ的な発想でコミットメントやモチベーションを高め、格段に生産性があがったとしても、その結果、従業員のエネルギーがすり減って、疲労がたまったり健康を害するようなことがあれば、ヨーロッパ的な発想では受け入れがたいととらえられるのではないでしょうか。このような視点で見るならば、コミットメントやモチベーションといった概念と比べると、エンゲージメントのほうが、長期的には従業員の幸福につながることが想定されている概念だということもできるでしょう。


もし、コミットメントやモチベーションよりもエンゲージメントへの注目が高まる状態が続くようであれば、それは、日本の社会が成熟化に向かっている中で、昔のようなモーレツ社員を推奨するような考え方が衰退し、競争主義のもとで生産性や成長を追い求めるばかりではなく、従業員の心身の健康や幸福の実現にも十分に気を配っていかなければならないという考えが普及し始めている兆候なのかもしれません。

参考文献

Bakker, A. B. (2017). Strategic and proactive approaches to work engagement. Organizational Dynamics, 46(2), 67-75.

ラズロ・ボック氏インタビュー:グーグルの人事管理

今回は、「ワーク・ルールズ!―君の生き方とリーダーシップを変える」の著者でもあり、グーグルの人事担当責任者でもあるラズロ・ボック氏のインタビュー映像を紹介します。9分ちょっとのインタビューで、ボック氏はグーグルがどのように人事管理を行っているのかを簡潔に説明しています。以下にインタビュー前半の主要な要点をまとめてみます。

グーグルでは、無料のカフェテリアや遊び要素満載のオフィスななどユニークな環境が整備されているが、これらの狙いは何か。

  • グーグルの人事制度の狙いは3つある。1)社内コミュニティを形成すること、2)イノベーションを促進する環境を作ること、3)業務の効率性を高めること。そのために、グーグルでは、データ、実験、ユーザー視点に基づいてグーグルで働く従業員にとって理想的な環境を構築しようとしている。

グーグルの従業員を動機づける要素は何か

  • 従業員を動かす原動力としてグーグルのミッション以外に重要なものはないだろう。それに加え、自由、風通しの良さ、情報共有が徹底しており、居心地が良いとは言わないが、従業員が果敢にチャレンジできる心理的安全性が保たれている。

グーグルの人事スタッフの構成はどうなっているか

  • 3分の1は伝統的な人事管理の専門家、3分の1は戦略コンサルティングファーム出身者、前者は人事スキルに優れ、後者は問題解決、ビジネスセンスに優れておりシナジー効果が望める。そして残りの3分の1は、高度なデータ分析ができる博士号取得者などである。

グーグルの人事管理の将来的な課題は何か、経済が停滞した場合にどう対処するか

  • 組織が拡大していく中で、親密な関係をどう保っていくかは課題である。経済が停滞したときは、人事にとってはむしろチャンスかもしれない。というのも、経済が停滞しているときにこそ、会社の真の姿を従業員に見せることができるから。従業員のリテンションには気を使っている。

科学的証拠に裏付けられた「心理資本」に投資して組織や個人の成功を勝ち取ろう

組織ではたらく個人が自分の持っている能力を最大限に発揮することで、組織としても競争力が最大化します。このもっとも基本的な原理原則を実現するために、できるだけ科学的証拠に裏付けられた、すなわちエビデンスベースの知識を活用していきたいものです。今回は、それを可能にする鍵となる、Fred Luthansらによる学術的研究によって生み出された「心理資本」(心理的資本あるいはポジティブ心理資本)という概念を紹介します。英語では、Psycholgoical Capital、略してPsyCapと呼ばれています。個人や組織が心理資本に投資することで、それがポジティブな結果をもたらすことが理論的にも実証的にも確認されているのですから、これを実践しない手はありません。では、そのような心理資本とはどのような概念なのでしょうか。Luthans, Youssef-Morgan & Avolio (2015)は、心理資本を以下のように定義しています。

以下の4つの特徴を持つ個人のポジティブな心理的状態の開発。その特徴とは、(1)挑戦的なタスクを成功させるために必要な努力を注ぐことを可能にする自信(効力感)、(2)現在そして未来の成功に対する肯定的な状況判断の視点(楽観性)、(3)成功するために、必要であれば道筋を変えてでも目標を実現させようとする辛抱強さ(希望)、(4)問題や逆境に直面しても態勢を維持し、立ち直り、さらにそれらをバネにして成功を勝ち取ろうとする粘り強さ(レジリエンス


つまり、心理資本は、効力感(Efficacy)、楽観性(Optimism)、希望(Hope)、レジリエンス(Resilience)からなる開発可能な心理状態(資源・リソース)です。心理資本や個人の固定されたパーソナリティではなく、トレーニングなどによって開発可能なので、資本として投資の対象となり得るわけです。また、4つの頭文字を並び替えると(HERO)となります。まさに物語の英雄(ヒーロー)です。さまざまな物語の英雄(ヒーロー)が、なぜ英雄たるのか考えてみましょう。おそらく、英雄は、高い心理資本(自信、希望、楽観、粘り強さ)を獲得したからこそ、成功を勝ち取る英雄としての資格を得たのだといえるのでしょう。ですので、心理資本に投資することは、英雄が持っている心理的強さを獲得すること、あるいは、自分自身を物語の英雄に仕立て、そのために必要なこころの力(自信、希望、楽観、粘り強さ)を具備していくことで成功のためのリソースを獲得することだと言ってもいいかもしれません。


では、心理資本が実際に個人や組織を成功に導くポテンシャルを持っていることを示す理論的・実証的根拠について説明しましょう。まず、心理資本の概念は、マーティン・セリグマンらによる「ポジティブ心理学」の流れを汲んで開発された概念です。ポジティブ心理学とは、人間心理における問題や不適応に注意を向けてそれを直すこと(問題解決)に注力するばかりではなく、幸福や成功につながるポジティブな側面を伸ばすことに焦点を当てる学術的視点です。Luthansらがこれを経営学の組織行動論に適用したのが、ポジティブ組織行動論であり、その中の中核的概念が心理資本というわけです。心理資本には4つの特徴があるわけですが、すべてに共通しており、よって心理資本として集約する特性が、(1)自分の内面にある、主体的、コントロール可能的、志向性の感覚、(2)努力への意欲や持続性に基づき、環境や成功可能性を肯定的に捉える傾向です。


では、心理資本が(自信、希望、楽観、粘り強さ)の4つの特徴(リソース)からなる根拠は何かというと、これら4つの要素は、エビデンスベースなポジティブ組織行動論の基準を満たしていることです。その基準とは、まず1つ目に、これらの特徴は、直すべき問題、克服すべき課題といったネガティブな側面ではなく、それらを伸ばすことが成功につながるというポジティブな側面を持った特徴だということです。2つ目は、それが質問紙などによって測定可能であるということです。測定可能だということは、現状を把握し、さらに伸ばしていくなどのマネジメントが可能だということでもあり、その要素が本当に業績を高めるのかの科学的実証研究が可能だということです。3つ目は、それが人の性格のように固定され変化しないものではなく、開発可能な可塑的なものであるということです。投資をして開発可能であるからこそ、それが成功のための重要なリソースとなるわけですから実践的な意義もあります。そして4つ目が、これらの特徴が実際に業績に結び付く科学的エビデンスがあるということです。


Luthansらは、心理的資本をあくまでエビデンスベースの科学的証拠に裏付けされた概念として扱っています。そして、心理資本を構成する4つの特徴について詳しい学術的研究の知見を解説し、その有用性を力説しています。また、どのようにして心理資本を高めていけばよいのかについても解説しています。さらに、この4つの心理的資本の構成要素以外にも、今後、学術的研究が進展すれば心理的資本の他の構成要素として含めることができる可能性のある概念も紹介しています。それらは、創造性、フロー、マインドフルネス、感謝の気持ち、寛容さ、感情知性(EQ)、スピリチュアリティ、オーセンティシティ、勇気です。これらの概念はまだ組織行動論における研究としては新しく、研究も発展途上なため、心理的資本の構成要素として組み込むにはまだ時期尚早だとLuthansらは考えているようです。