量子論に学ぶ組織変革

量子論は、私たちが観察するのが困難な微小世界の素粒子の振る舞いを説明するための理論として構築されてきました。量子論が私たちの住んでいる世界の根源的な性質を解明しようとする学問であり、量子論での見解がこの世界の本質をより正確に映し出しているとするならば、そこから私たちはどのようなことを学ぶことができるのでしょうか。ここでは、Lord, Dinh & Hoffman (2015)の考え方を参照しながら、量子論がどのように組織変革の考え方に応用可能なのかについて考えてみます。Lordらの議論はかなり難解なのですが、なんとか咀嚼してみたいと思います。


ふだん私たちが観察可能なモノの世界はニュートン古典力学でも十分に説明可能であるために、私たちの物事の考え方も古典力学的な発想の影響を強く受けていると思われます。個人や組織の振る舞い、そして組織変革についてもそうでしょう。例えば、ボールを投げたときや、月に向かってロケットを発射したときのように、組織には一種のモメンタムあるいは慣性があって、そのモメンタムの正体は、組織が持つエネルギーやベクトルであり、そのモメンタムに沿って組織は一定の方向に向かって進んでいると私たちは考えることでしょう。では、量子論の考え方を用いると、古典力学的な世界の理解や解釈とどう異なった発想に至るのでしょうか。この点についてLoadらが主張するのは、時間のとらえ方を、過去から現在、そして未来へと流れていくものではなく、未来から現在に流れてくるものとして意識するというものです。例えば、いまこの瞬間という「現在」をとらえるさいに、過去から現在に至る時間の矢印としてではなく、未来から現在に至る時間の矢印で考えてみるということです。なぜ、それが必要なのでしょうか。


かなり大雑把な言い方をするならば、古典力学的な世界観は決定論です。つまり、現在の状況が正確に分かれば、未来がどうなるか予測できるということです。そして、過去の情報が現在の状況を知る上で重要な情報を提供するわけです。組織変革に適用するならば、現在の組織は、過去の歴史の蓄積として存在しているので、その蓄積のあり方によっていま組織がどのような立ち位置にあり、どちらの方向に進んでいるのかが分かることになります。そして、その情報に基づいて、この組織が今後、どのような方向に進んでいくのかが分かると考えるのです。これは、過去→現在→未来という時間の矢印に沿ったいわゆる常識的な発想だと言えましょう。しかし、量子論では異なる考え方を採用します。Lordらによれば、量子論では過去→現在→未来といった形で物事が連続的に推移しているのではなく、過去および現在と未来とは質的に異なっていると理解します。つまり、現在と未来は非連続であり、未来については私たちが想像する以上に数多くの可能性があると考えるのです。これは裏を返せば、現在も過去とは質的に異なっており、過去からの連続としての結果ではなく、過去に内在していた数多くの可能性の1つが実現したにすぎないと考えるのです。すでに決定済みの過去を振り返るならば、過去から現在に至る筋道は必然的であったかのように思いますが、実はそうではなく、まったく異なる現在をもたらす他の道筋が起こる可能性も数多くあったのだが、そのような可能性は実現に至らなかっただけだということです。


現在にはあまりに多くの可能性が内在しているため、過去や現在の情報だけでは未来への道筋は予測できないが、未来が決まった後に、逆向きの時間の矢印で考えることによって現在やさらにその後ろにある過去への道筋が分かる。現在に内在している数多くの可能性のうちどれが実現するのか予測ができない。しかし、未来から現在を眺めるならば、その数多くの可能性のうち、どれが、どのようなプロセスで実現していくのかが分かるということです。どういうことかというと、現在が内包する数多くの可能性の多くは、なんらかの制約によって発現できない状況にある。つまり、このままでは可能性のままで終わってしまい、実現はしない。けれども、なんらかの理由で、その制約条件が外れていくことによって、その可能性が、他の可能性を押しのけて実現し、それが未来となるわけです。組織変革の文脈でいうならば、組織が今後どのように変化していくかについて、そこにいる人々が想像する以上に多くの可能性を内在している。そして、そのうちのどの可能性が実現するのかは、どの制約条件が外れていくかに左右されるが、そのような外れ方は、個人、集団、組織といった多層的な要素の相互作用で決まってくるのです。


ではなぜ、組織変革の文脈において、量子論的な発想で未来から現在に至る時間の矢印を想定するのが大切なのでしょうか。それは、古典力学的な発想で、過去からの必然の成り行きとして現在があり、過去から現在に至る延長線上として未来を想定するならば、本来、数多くの可能性が内在しているべき現在の組織の状況を見落としてしまい、起こりうる未来に対する想像や予想の幅をものすごく狭めてしまうことになるからなのです。つまり、私たちの未来に対する予想が、この世界の本質からあまりにもかけ離れたかたちの狭いものしか想定していなければ、そのような未来が実現するような形でしか制約条件を外していくことができないので、他の内在する可能性は実現しないまま消え去ってしまいます。結果的に、組織はあたかも過去から現在、未来において一定の方向性を持ったまま動いているかのような錯覚に陥り、かつそのようにしか実際に組織が動いていかないわけです。それでは組織変革は成功しないでしょう。数多くの組織変革の可能性を、人々が貧弱な想像力によって自ら消し去ってしまうのですから。組織変革を担う人々の発想があまりにも貧弱になってしまうのならば、組織変革のためのブレークスルーさえも起こせないということです。


そうではなく、現在とは質的に大きく異なる未来を想像力・創造力を駆使して想定し、そのような未来が決定あるいは実現されたものとして、そこから現在に向けて逆向きに時間を流してみたらどうでしょうか。そうすることで、その未来に向かっていく道筋が明らかになることでしょう。例えば、明るい未来を想定し、そこから逆向きの時間的発想で時計の針を逆回転してみる、あるいはビデオの映像を未来から現在へ逆回ししてみると、どのような制約条件が徐々に外れていって、どのようなプロセスでだんだんとその「決定された未来」に向かっていくのかが想像できます。そしてそのような想像力を働かせるということは、逆にどのような制約条件が外れれば想定された未来に向かうのかが分かっているということでもあるので、それが実際の組織における個人、集団、組織といった多層的な活動にも影響を与え、想像したものと同じようなパターンで制約条件が外れていくことも十分可能なわけです。


組織の人々が視野狭窄に陥っていれば、そのような制約条件の存在さえ気づきませんが、組織の人々が来るべき未来の可能性を意識していれば、かれらの活動が、それを実現するための制約条件の解放に寄与することが考えられます。別の言い方をすれば、組織の人々が、あるべき組織の未来を「引き寄せる」、あるいはあるべき未来の側から組織を「引き寄せる」わけです。決して、過去や現在の組織の状況を無視するわけではありません。しかし、過去から現在に至る物事の展開を必然だったと考えたり、その延長線上で未来を考えたりしないこと。古典力学的な世界ではそれが正しいのかもしれないが、量子論の世界ではそれは正しくない。過去において実現しなかった数多くの可能性がどのようであったのかについて想像をめぐらし、また、現在に内在している数多くの可能性について想像をめぐらすことで、古典力学的な発想では成しえないほど圧倒的に幅広い「起こりうる未来」を想像することができる。そして、それらのどれかが発現したものとして、現在とは非連続であって質的にも異なる未来を大胆に設定してみる。そのような未来がどのような力で現在を引っ張ろうとしているのかを想像してみる。そうすることで、過去から少しずつ押し出される形で発現している現在ではなく、未来から少しずつ引っ張られる形で発現している現在へと、現在のとらえ方を変えることが大切なのだと言えましょう。

参考文献

Lord, R. G., Dinh, J. E., & Hoffman, E. L. (2015). A quantum approach to time and organizational change. Academy of Management Review, 40(2), 263-290.