戦略・事業・人材を連動させる組織能力開発とは

近年、デジタルトランスフォーメーション(DX)を初めとして、時代が大きく変化していく中で生き残っていくために組織を変革させていく必要性が高まっています。そこで欠かせない視点が、経営戦略・事業戦略・人材戦略の連動であり、それを実現するための組織能力開発です。デジタルトランスフォーメーション(DX)であろうが一般的な組織開発であろうが、戦略・組織・人材が連動していない状態から連動する状態に組織を変革していくのが、組織能力開発というわけです。土井(2023)は、この組織能力開発を「活動システムマップ(Capabilitiy & System Map; CASM)」を基軸として推進する方法について紹介しています。

 

まず土井は、ドン・ウォリックによる「組織開発とは、組織の健全性(health)、効果性(effectiveness)、自己革新力(self-renewing capabilities)を高めるために、組織を理解し、発展させ、変革してく、計画的で協働的な過程である」という定義を紹介し、企業が適切な戦略を持ち、その戦略の実行に際して前向きなエネルギーを引き出す組織の健全性が重要だと説きます。とりわけ、外部環境の激しい変化の中で、顧客を維持し、競合他社に負けないたえに絶え間ない自己刷新が求められることを強調します。とりわけ、組織は個人個人の集合体であるため、組織の能力は一人ひとりの社員に何ができるかに左右されます。事業開発、マネジメント、課題解決など、企業の成長に不可欠な人材を活かしきれなければ、組織全体がもつポテンシャルは十分に発揮できないのだと土井はいうのです。

 

組織能力開発では、とりわけ経営戦略、事業戦略、人材戦略の連動が不可欠です。土井によれば、会社全体として何を目指すのか、パーパスやビジョンを設定し、その実現に向けて事業ポートフォリオの組み換えを考えていくのが経営戦略です。組織能力は一人ひとりの力の総和であるから、個人のベクトルの合力であるといえます。つまり、一人ひとりのベクトルの向きをそろえることが大切です。そのためには、パーパスやミッション、ビジョンなど企業の理念を言語化して組織の目的や進むべき方向性を明確にすることが大切なのです。それと同時に、ベクトルの一本一本を長くすることも組織能力を高めるうえで重要です。効果的なトレーニングやリスキリングで能力を高めたり、エンゲージメント、成長意欲、貢献意欲を高めることも重要なのです。

 

経営戦略・事業戦略・人材戦略の連動の次のステップとして、自社の経営戦略から、それぞれの事業戦略に合わせた人材戦略を実現できるよう、各事業において人材戦略と事業戦略を連動させます。事業戦略では、各事業部がそれぞれの事業領域においてターゲット顧客と提供価値を言語化します。そこから必要な人材要件も導かれますが、事業に必要な人材の要件モデルの策定、募集、採用、育成、配置、処遇、代謝という人材のマネジメントサイクルに関して、事業部側と人事部側がそれぞれ検討する範囲をしっかりと定めることが極めて重要だと土井は強調します。

 

経営戦略、事業戦略、人材戦略を連動させるカギとなるのが、活動システムマップだと土井はいいます。そもそも、経営戦略、事業戦略を実現するために必要となるのが、組織能力とそれを発揮するための活動です。ターゲット顧客とターゲット顧客に対する提供価値を言語化し、自社独自の価値を顧客に提供するために行う一連の活動や必要な組織能力を活動システムマップに書き出していくわけです。活動システムマップの作成は新たな価値提供に必要な組織能力と活動を言語化・可視化するきわめて重要な作業だといえます。

 

活動システムマップを作成した次のステップは、一連の活動を現場で実践し新しい組織能力を社内に定着させることだと土井はいいます。つまり、新たな組織能力の開発と実装です。社員一人ひとりが確実に成果をあげられるよう、成果につながる行動(コンピテンシー)を開発するのが人材育成であるとすれば、組織として確実に成果をあげられるよう、戦略と紐づいた一連の活動を開発するのが組織能力開発であるというわけです。一連の活動を促進する組織の諸要素とは、業務プロセス・構造とガバナンス・情報と測定基準・人材と報酬・継続的改善の仕掛け・リーダーシップと組織文化であり、この6つを、パーパス、ミッション、ビジョンから導いた一貫した思想のもとに設計し、現場に落とし込むことで、世の中の変化に対応できる新たな組織能力を開発することができるのだと土井はいいます。

 

繰り返しになりますが、企業を変革していくためには、変革しようとする方向に組織の構成員一人ひとりの活動のベクトルをそろえる必要があります。新たなビジョンに向かって、戦略と一人ひとりの行動と、組織の仕組みが連動した状態を作ることが組織能力開発で、新たに必要となった組織能力と、組織能力を獲得するための活動を可視化・言語化するのが活動システムマップなのでです。組織能力開発によって、活動システムマップを基に組織を自走させるようにすることが重要であることを土井は示唆するのです。

参考文献

土井哲 2023「成果を出す企業に変わる 組織能力開発」幻冬舎

 

セレンディピティの発生メカニズムを理解しよう

ビジネスや経営に関わらず、私たちの成功や失敗に何らかの形で運が関わっていることは否定できません。しかし、運に対して単に受動的であるのではなく、運を積極的に味方につけるスキルや心構えを持っていれば、成功する確率を高め、幸運を味方にすることができると思われます。このような幸運と努力の相互作用として発生する現象の1つが「セレンディピティ」です。ブッシュ(2022)は、セレンディピティを「予想外の事態での積極的な判断がもたらした、思いがけない幸運な結果」と定義し、セレンディピティのメカニズムを理解すると、セレンディピティを獲得する人、逃してしまう人の違いが分かることを示唆します。そしてその違いの多くが、私たち1人ひとりが身につけることのできる実践的能力でもある「セレンディピティマインドセット」という心構えに起因していると指摘します。そこで今回は、ブッシュが多くの学術研究や事例から導いた、セレンディピティの発生メカニズムとそれに基づいたセレンディピティマインドセットについて解説します。

 

ブッシュは、セレンディピティは混沌や運と異なり、「独自の形式や構造」があるといいます。そして、セレンディピティの本質は、「点と点を見つけ、つないでいくプロセス」にあるともいいます。もう少し詳しく説明しましょう。まず、セレンディピティには大きく3つの型があります。1つ目は「アルキメデス型」で、既知の問題や困りごとの解決策が予想外のところで生まれるといったセレンディピティです。何を解決したいのか、何に困っているのかをはっきりさせておいた上で、予想外の出来事によって考えていたものとは全く別の解決策を思いつくといった種類のものです。2つ目は「ポスト・イット型」で、問題を解こうとしていて、全く違う、あるいは存在すら認識していなかった問題への解決策を偶然見つけるといったセレンディピティです。3つ目は「サンダーボルト型」で、問題の解決を探してもいない、意識的努力が全く行われていない状況で、稲妻のように突然のタイミングで新たな機会が生まれたり誰も認識していなかった、あるいは解決しようとしていなかった問題への解決策が生まれたりするようなセレンディピティです。

 

もちろん、セレンディピティがきれいに上記の3つの型に分類されるという訳ではなく、複数の型を兼ね揃えていたりどの型なのかクリアでない場合もあるが、この3つのセレンディピティに共通しているはっきりとした特徴があるととブッシュはいいます。1つ目が「ある人に何か予想外、あるいは普通ではないことが起こる」というもので、これを「セレンディピティ・トリガー(引き金)」とブッシュは呼びます。2つ目が、その人がトリガーをそれまで関わりがなかったことと結びつける「点と点を結びつけ、偶然のような出来事や出会いに価値があるかもしれないと気づく」プロセスで、ブッシュはこれを「バイソシエーション」と呼びます。3つ目が、実現した価値(洞察、イノベーション、新手法、問題への新しい解決策)は、もともと期待されていたものでも、誰かが探していたものでもなく「完全に予期せぬもの」だということです。つまり、セレンディピティは、「セレンディピティ・トリガー」が生み出され、それが発見され、「点と点を結びつけるプロセス」を通してその価値に気づき、その結果「予期していなかった価値創造」が実現するというプロセスから成っているのです。

 

上記のセレンディピティの発生プロセスを理解すると、今度は、セレンディピティをつかめるか、逃してしまうかのターニングポイントやセレンディピティを積極的に生み出すための心構えや能力、行動も明らかになってきます。まず、セレンディピティ・トリガーを多く生み出すことができるかが重要です。予想外の出来事や出会いが多く起こるような状況を作り出すような行動をする、すなわち「トリガーの種をまき、予想外を誘発する」行動をしているかどうかです。次に、トリガーが発生したときに、それに気づけるかどうかです。予想外の出来事に遭遇した時に、その出来事を理解し、それが何と結びつくのかを発見し、それを活用できるかどうかです。さまざまなことに好奇心を持ち、アンテナを張っておくことで、他の人だと気づかない「点と点を連結する」チャンスが高まります。そして、トリガーを発見し、点と点が結びつき、価値が見出されたときに、それを最後までやり遂げようとする粘り強さがあるかどうかです。上記の全てが満たされるとセレンディピティが起こりやすくなり、どれかが欠けているとセレンディピティを逃してしまうということなのです。

 

予想外の出会いや情報を生み出し、その価値を認識し、活用する能力でもあり、セレンディピティを生み出す頻度を高める「セレンディピティマインドセット」は、上記で見てきたセレンディピティ発生のメカニズムとプロセスを理解した上で、セレンディピティが生まれる「セレンディピティ・フィールド」を育んでいくことを意識することだと言えます。それは簡単に言えば、偶然を生み出すような種をたくさんまき、予想外の偶然を楽しみつつその価値に気づき、それがチャンスだと感じた時に粘り強くそれを追求するという心構えなのです。そのために、洞察力(雑多なものを選別し、価値あるものを見つけ出す能力)や、粘り強さ(最後までやり遂げる力)も身につけることが重要です。これらはすべてセレンディピティーの促進要因です。また、組織、人脈、物理的空間を見直すことで、セレンディピティが生まれやすい状況を作り上げることもできます。従って、セレンディピティマインドセットと適切な状況を組み合わせることで、セレンディピティが育つ「セレンディピティ・フィールド」が豊かになるのだとブッシュは言うのです。

参考文献

クリスチャン・ブッシュ 2022「セレンディピティ 点をつなぐ力」東洋経済新報社

 

サバティカル(長期休暇)がキャリアに与える可能性

近年、世界的に多くの企業で、サバティカル、いわゆる長期休暇制度の導入が進んでいます。サバティカルは、大学などにおいて研究に専念させるための長期研究休暇制度だったのが、従業員にレフレッシュしてらうための長期休暇として民間企業などに普及してきているという時代背景があります。長期休暇といっても、その期間や、期間中給与が支払われるのか無給なのかなど、いくつかのバリエーションはあります。ただ、サバティカルの取得が、働く人々の人生やキャリアにおいてさまざまな可能性を秘めているということを、Schabram, Bloom, & Didonna (2022)が独自の調査を通して明らかにしました。

 

Schabramらは、営利企業、非営利企業、官公庁などさまざまな職業に従事し、サバティカルを取得した50人への詳細な聞き取り調査を実施し、サバティカルが、3つの基本的なコンポーネントの異なる組み合わせのパターンで成り立っていることを発見しました。そのコンポーネントとは、「リカバリー」「探索」「実践」です。サバティカルを取得する人々の多くが、この3つから2つないしは3つの順序だった組み合わせでサバティカル期間を過ごすことを特定したのです。Schabramらは、これらの組み合わせのパターンにより、サバティカルのタイプを「ワーキングホリデー型」「フリードライブ型」「探求型」に分けました。

 

ワーキングホリデー型のサバティカルは、リカバリーと実践の組み合わせで成り立っています。まずはゆったりと過ごして疲れた心身をリフレッシュするのがリカバリーです。そして、リフレッシュできたら、仕事を実践します。リフレッシュと仕事をすることを繰り返すのは、休暇と仕事を両方行うようなものなので、ワーキングホリデー型と命名したのでしょう。ワーキングホリデー型のサバティカルは、ゆっくりと心身をリフレッシュし、十分なエネルギーを蓄えた上で元の仕事、職場に戻るというパターンが一般的で、特に新しいことを始めるとか、キャリアを大きく転換することはありません。

 

それに対して、フリードライブ型のサバティカルは、リカバリーと探索の組み合わせで成り立っています。これは、リフレッシュすると同時に、自分を振り返ってみたり、新しいことを試してみたりして、仕事に没頭して失われつつあった本来の自分を取り戻すとか、本来の自分にあった仕事とは何かを見直してみるとか、そのような試みにサバティカル期間を当てることになります。したがって、サバティカルが終わった後は、類似する仕事に戻ることが多いですが、全く同じ仕事に戻るのではなく、仕事の内容をアップデートしたりするなど、人生のさらなる充実に向けて再出発するような感じになります。

 

最後の、探求型のサバティカルは、リカバリー、探索、実践の全てを組み合わせたもので、多忙な仕事から離れてリフレッシュした後に、新しい自分や仕事探しの探索を行い、その後、新しいことを実践することにサバティカル期間を当てます。探求型のサバティカルは、これまでとは違う自分、これまでとは違う仕事といったように、本来の自分とは何か、自分にとって大切なものは何かを見つけ出し、それを実際にやり始めることで、サバティカル期間後に新しい自分に生まれ変わる、すなわち、これまでとは本質的に異なることをやり始める可能性が高いサバティカルとなります。

 

上記のように、サバティカルは、一定期間、これまで行ってきた仕事から離れることで、さまざまな機会を与えます。そのうちの1つが、自分や仕事を見つめ直し、新しい自分、新しい仕事を試してみることを通じたキャリアの変化、変容です。ただし、大きくキャリアを変化させるのは、リカバリー、探求、実践の3つを全て組み合わせた探求型のサバティカルであり、フリードライブ型は小さな変化にとどまることが多く、ワーキングホリデー型はほとんど変化しません。後者はどちらかというと心身のリフレッシュメントとエネルギーの最充填を目的とするようです。

 

このように、サバティカルと一口に行っても異なる種類があることから、サバティカルを取得する予定の個人も、サバティカルを与える組織も、このことを理解しておくことで、両者にとってより望ましいサバティカルが実現することでしょう。

参考文献

Schabram, K., Bloom, M., & Didonna, D. J. (2022). Recover, Explore, Practice: The Transformative Potential of Sabbaticals. Academy of Management Discoveries. 

https://doi.org/10.5465/amd.2021.0100

サバティカルとは? 休暇制度の効果やメリット・デメリット、導入時のポイントや導入事例について解説 | BizReach withHR

セレンディピティを味方にする組織をどう作るか

セレンディピティとは「予期せぬ出来事から生じる驚くべき発見」と定義されます。組織にとって、セレンディピティを味方につけることは、成功への大きな原動力となります。セレンディピティの例は、自然科学からビジネスまでたくさんありますが、よく引き合いに出されるのは、3M社が開発した「ポストイット」でしょう。3M社の研究員が強力な接着剤を開発していた時の失敗作である「簡単にはがれてしまう」接着剤が、「しおりとして使える」とのひらめきを生み、出来上がったのがポストイット、一般的にいう付箋です。セレンディピティを偶然の産物とか幸運だと考えると、それは待っていないと訪れないコントロール不可能なものと捉えられますが、セレンディピティは単なる幸運ではなく、主体性を持った人々の行動とそれを支援する組織によって価値が生み出されるプロセスだと捉えることが可能です。セレンディピティが生まれるメカニズムを深く理解することができれば、セレンディピティを味方にする組織を作ることが可能になります。

 

Busch (2022)は、近年におけるセレンディピティに関するさまざまな研究をレビューして整理することで、組織においてセレンディピティが生じるメカニズムをモデル化し、組織がどのようにしてセレンディピティを味方にすることができるかの示唆を導きました。まず、セレンディピティが起こる発端となるのが、「引き金となる予期せぬ出来事 (serendipity triger)」です。ポストイットの例で言えば、失敗作としてすぐにはがれる接着剤ができてしまったという出来事です。これは計画的にできたものでも、狙ったできたものでもありません。この時点では、セレンディピティが生じる潜在可能性(potentiality)が生じたと解釈できます。これはあくまで潜在可能性であって、それがセレンディピティにつながるかどうかは、最終的にそれがヒットする製品やサービスなど価値のあるものとして「形になる(materialization)」かどうかで決まります。すなわち、潜在可能性を、価値のある製品やサービスのような形にするプロセスの理解が必要なわけです。

 

引き金となる予期せぬ出来事によって生成されたセレンディピティの潜在可能性が価値のあるものとして形になるかどうかを左右するのが「連想(association)」です。ポストイットの例でいうと、「すぐにはがれる接着剤」と、文房具としての「しおり」との関連が個人によって見出されることです。ここで重要になるのが、予期せぬ出来事を「何らかのチャンスが生じた」と感知する個人の能力(detection quality)と、それを別のものと結びつけて「こんな製品が作れる、このような市場に投入できる」というように、予期せぬ出来事が有する潜在的な価値を見つけだす個人の能力(linking quality)です。このプロセスにおいて、予期せぬ出来事に遭遇した個人が、柔軟な発想ができないゆえに連想から価値を見出すことができなかったり、そこから得られるアイデアを他のメンバーと共有しなかったり、それがチャンスであると感じてもすぐに諦めてしまったりすると、セレンディピティは生じません。逆に言えば、予期せぬ出来事からセレンディピティを生み出すことを促進する個人的要因は、セレンディピティの引き金を感知する力、柔軟な発想、アイデアの共有、粘り強さだったりするわけです。

 

予期せぬ出来事が、連想によって新たな価値をもたらすアイデアにつながり、それが驚きの発見や斬新な製品として形になることでセレンディピティが生成されたことになります。ここまで持ってくることができる組織が、セレンディピティを味方にすることができる組織です。では、このような組織をどう作れば良いでしょうか。まずは、セレンディピティの引き金となる予期せぬ出来事をチャンスとして感知したり、連想して価値あるアイデアを生み出すような個人の能力です。それに加え、組織としては、予期せぬ出来事から驚きの発見や製品につながるプロセスを円滑に促進する環境を整え、逆にこのようなプロセスをブロックしてしまう阻害要因を除去することが大切です。セレンピティのプロセスを促進する要因の1つが、組織が新たに得られた情報を活用して経営資源を機動的に動員するメカニズムです。ポストイットの例でいえば、くっつかない接着剤をしおりとして転用できるというアイデアが組織内で共有された際に、組織として即座にそれを製品化したり、マーケットリサーチをおこなったり、量産化するための資源動員を行うことができるような組織環境です。

 

経営資源を機動的に動員するメカニズムと同様に、セレンディピティの可能性を形にするために必要な人々を集めたり、アイデアを精緻化するために情報交換、意見交換などの組織メンバー間の相互作用を促進するような組織環境も重要です。ポストイットの例で言えば、アイデアを実現するために、技術者、開発者、マーケター、予算責任者などが集まり、自由に発言をして活発に議論し、そして連携して製品化を促進するような場が作れるかどうかです。自由な発言を促す「心理的安全性」も重要だとBuschは指摘します。そのような環境やプロセスによって、単なるアイデアが実現可能なアイデアに発展し、具体的な製品やサービスとして形になっていくわけです。つまり、セレンディピティを味方にする組織を作ることができるわけです。逆に言えば、経営資源を機動的に動員できない組織、組織メンバー間での相互作用や自由な発言が阻害されるような組織環境では、セレンディピティが生成されるプロセスがブロックされ、セレンディピティを味方にできないということになります。

 

もちろん、上記のような組織環境を整えれば、セレンディピティが次々と生成されるわけではありません。なぜならば、先に述べたように、セレンディピティは、引き金となるような予期せぬ出来事が生じることが必要であり、その出来事がもつ潜在性や、そのタイミングも、セレンディピティの頻度を左右します。しかし、セレンディピティを単なる幸運だと他人事のように捉えるのではなく、セレンディピティが生み出されるメカニズムを理解することで、それを生み出す能力を持った個人を特定したり育成することが可能となり、セレンディピティを生み出すプロセスを円滑化するための組織環境を整えることができるのです。今後は、セレンディピティを生成できる人材を育てるための企業研修や、セレンディピティを味方につける組織を作るための「セレンディピティコンサルティング」のようなサービスなども増えていくことでしょう。

参考文献

Busch, C. (2022). Towards a Theory of Serendipity: A Systematic Review and Conceptualization. Journal of Management Studies. 

https://doi.org/10.1111/joms.12890

 

ダイバーシティ研修講師はいかにして多様なアイデンティティの仲介役になれるのか

ダイバーシティ研修の重要な特徴の1つが、「研修講師も含めてすべての参加者が当事者である」ということです。ダイバーシティにまつわる問題を理解し、それに直面していく際には、マジョリティーとマイノリティーとの関係、優遇されているグループとそうでないグループの関係、複数のカテゴリーをまたがるインターセクショナルな人々といった認識および議論は必要不可欠であり、研修講師も含めすべての参加者がこれらのどれかのカテゴリーに属することになります。そして、ダイバーシティの度合いが高い社会や組織では、集団間、カテゴリー間の不平等、不公平、格差問題が内包されています。

 

ダイバーシティについて真剣に考え、組織のダイバーシティ環境を改善していくためには、表面的な議論に終始することなく、上記に挙げた不平等、不公平、格差問題などにも切り込んで真剣な議論を展開する必要があります。そのような場合、他の集団やカテゴリーに属する人々と率直な意見を交わすことは、感情的にも大きな負担を強いることが多くなります。例えば、自分はマジョリティーに属しているがゆえに、自分の発言がマイノリティの人々からの批判にさらされるかもしれません。マイノリティの人々は、自分の発言が重く受け取られないのではないかという不安を抱くかもしれません。このような状況を考えると、研修とはいえ、参加者が積極的に自己開示をしたり発言することは簡単には望めないでしょう。

 

そこで重要なのが、ダイバーシティ研修での対話や議論を取り仕切る研修講師の技量です。研修講師は、マジョリティ、マイノリティ、優遇グループ、非優遇グループ、男性、女性、LGBTQなど、様々なアイデンティティを持った人々との仲介役を演じることで、お互いの対話と相互理解を深めていくことが求められます。そうすることで、ダイバーシティ研修の参加者が、真に心を開いた状態でダイバーシティについて意見を交わすことができ、他の参加者からいろいろなことを学び、自分自身を内省する機会も得て、ダイバーシティそのものへの理解と重要性、良いダイバーシティ環境をいかにして育んでいくかといったことに関する知識やスキルが身についていくと考えられるのです。

 

ただ、研修講師自身もダイバーシティの当事者であり、何らかのカテゴリーに含まれます。ですから、完全に外部の立場からダイバーシティについて中立的な説明や議論はできません。研修講師がマジョリティに属するのであれば、マイノリティーの参加者から反発されたり反感を持たれるかもしれませんし、研修講師がマイノリティに属するのであれば、マジョリティの参加者から冷遇されたり無視されたりするかもしれません。つまり、研修講師自身も、研修においてダイバーシティの難しい問題に踏み込めば踏み込むほど、参加者から「分かったふりしないで」「私たちのことなど分からないくせに」と思われるリスクが増加し、精神的な負担も大きくなると考えられるのです。

 

研修講師自身も、本当に自分は他のカテゴリーの人々のことを理解できているのだろうか、きちんと理解できていないのに効果的な研修ができるのか、という不安に苛まれることでしょう。では、ダイバーシティ研修の講師はどのようにしてこれらの難しい挑戦的な課題を乗り越え、効果的にダイバーシティ研修を進めることができるようになるのでしょうか。このような問いに対して、研修講師自身の内面的な経験やアイデンティティ・ワークに着目したのが、Sugiyama, Ladge & Bilimoria (2022)らの研究です。アイデンティティ・ワークとは、自分自身や他者のアイデンティティを、より健全で、ポジティブなものに変容させようとする行為を指します。

 

とりわけ、Sugiyamaらが命名したダイバーシティ研修の場面でのアイデンティティ・ワークが、「アイデンティティの仲介(brokering identity)」です。ダイバーシティ環境では、「私たち」vs「あの人たち」といったように、自分自身を特定の集団に同一化したようなアイデンティティを持ってしまっては、違いを尊重する風土もできにくいですし、異なる集団やカテゴリー間の対立が起こりやすくなります。よって、適切なアイデンティティ・ワークを通じて、自分自身を、メインに属するカテゴリーや集団と、そうではないカテゴリーや集団と結びつける形で変容させることが効果的だと考えられます。自分自身の内面で異なるアイデンティティを結びつける、あるいは仲介することで、相手のことも深く理解できるし、相手から学ぶことができるようになるのです。

 

Sugiyamaらは、ダイバーシティ研修講師に対するインタビュー調査や研修の観察などを通して、研修講師自らがアイデンティティの仲介というアイデンティティ・ワークを実践し、研修参加者がアイデンティティ・ワークを行う際のロールモデルとなっていくという点に着目しました。つまり、研修講師が、参加者のロールモデルとして、自分自身の経験や思いをオープンに語ることを通した議論をすることで、参加者も自己開示をし、本音で議論をすることを促進するというのです。以下においてSugiyamaらが発見し、コンセプチュアルに整理したプロセスを説明しましょう。

 

まず、研修者自身が自分自身のアイデンティティを内省し、自分自身が批判されるかもしれない、分かってもらえないかもしれない、傷つくかもしれないという不安やリスクと闘いつつも、勇気を出して自分自身の経験を語るという行為が生まれます。それは、講師自身のアイデンティティに応じて、マイノリティとしての発言かもしれませんし、マジョリティとしての発言かもしれません。いずれにせよ、このプロセスがなければ研修全体として参加者を巻き込んだ真剣な対話は生まれないでしょう。そこでは、発言や問題提議に対して参加者からの感情的な反応も起こるでしょうし、快適ではないどころか、試練や修羅場に立たされることもあるでしょう。しかし、そこで得られる経験、異なる意見、考え方などは、研修講師自身の知識やスキルにも結び付いていくのです。

 

さらに、研修講師は、自分がやってみせた自己開示をロールモデルとしつつ、参加者にも経験談の開示と忌憚のない発言を求めます。まず自分でやってみせ、参加者にもやってもらう、ということです。また、いろいろな経験談や発言、議論が生み出されるでしょう。これも、必ずしも快適なものではなく、一時的には感情的な議論や対立に発展するかもしれません。ですが、これらの経験も、研修講師にとっては血となり肉となるのです。このような真剣な議論を通じて、研修講師は多様な立場の人々の経験や思い、意見などを知ることができるのであり、それが、今後のダイバーシティ研修での例示や議論の材料となっていくわけです。つまり、研修講師が自身のアイデンティティ・ワークを通した経験を積めば積むほど、ダイバーシティ研修で用いるレパートリーが豊富になっていくのです。

 

ダイバーシティ研修で状況に応じて用いるレパートリーが増えることで、研修講師の中で、多様なアイデンティティを仲介する役としての自分自身の知識やスキルに関する自己効力感が高まってきます。自己効力感が高まることで、自信をもって堂々と研修講師を務めることができるようになるし、自分自身のアイデンティティ・ワーク、参加者のアイデンティティ・ワークの促進もより効果的にできるようになってきます。そしてその成功体験がさらに自己効力感を高めるという好循環が生まれてくるのです。このようにして、研修講師自身が内面的にも知識やスキル面でも成長し、本人のダイバーシティ環境におけるアイデンティティも適切でポジティブなものに変容し、安定してきます。これは参加者自身のアイデンティティのポジティブな変容にも伝染していくことでしょう。

 

上記のような発見を、Sugiyamaらは以下のように表現します。まず、研修講師自らが、アイデンティティの内省を行い、アイデンティティの仲介というアイデンティティ・ワークというプロセスに、自分自身を呼び込んで参加させます(Calling oneself in)。自分自身が傷つくリスクをコントロールしつつも、ダイバーシティにまつわる自身の経験や思いを積極的に参加者に語ります。そして、それを見本として、研修参加者も呼び込んで、彼らの経験や思いを語ってもらうよう促します(Calling others in)。このようにして、ダイバーシティ研修全体で、核心に迫った実りのある対話や議論が促進されます。その中で、参加者が、他の参加者のアイデンティティの理解、他の参加者への共感を育んでいくのです。そしてこれらの経験が、研修講師自身のさらなるスキルの向上にもつながっていくのです。

 

参考文献

Sugiyama, K., Ladge, J. J., & Bilimoria, D. (2022). Calling Oneself and Others In: Brokering Identities in Diversity Training. Academy of Management Journal. https://doi.org/10.5465/amj.2020.1579

「人的資本経営」は自己成就する理論なのか

いま日本では、「人的資本経営」という考え方が盛り上がりを見せています。経済産業省資料によれば、人的資本経営とは、人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方だそうです。これを少し言い換えて、人的資本経営の理論とは、人材への投資などを通じて人材の価値を高める経営は企業業績を向上させるというように、理論として捉えてみましょう。では、この「理論」は、どれだけ正しいと言えるのでしょうか。これに答える鍵となるのが、この理論が、どれだけ「自己成就」していくのか、ということです。

 

ここでいう自己成就とは、特定の理論が社会現象を的確に予測するというよりも、その理論を知った人々が理論に沿った行動をするようになることで、理論が予測するように社会現象が形成されていくことを指します。これが、自然科学と社会科学の大きな違いの1つでもあります。自然現象は、理論からの影響は受けませんが、社会現象は人間が作り出すものであり、その人間は、理論を知ることができるし、それに「影響を受ける」こともあるので、ある理論が登場することで、社会そのものが変わってしまうこともあるのです。であるならば、自然科学上の理論がどれだけ正しいかを考えるのと同じ発想で、社会科学上の理論の正しさを考えることは不可能と言えるでしょう。

 

さて、本題に戻って、人的資本経営の理論がどれだけ自己成就するのか、すなわち、人的資本経営を行う企業が理論どおり繁栄するように社会が変化していくのかを占うにあたっては、MartiとGond (2018)が提唱するパフォーマティヴィティ(行為遂行性)と、それに伴う自己強化ループの促進条件についての論説が大変参考になります。MartiとGondによれば、特定の理論は、以下のような自己強化ループが回り続けると自己成就していきます。それは、(1) 人々が、その理論を実践で試しに使ってみること、(2) 理論を試しに使った結果、これまでとは異なる結果(アノマリーと呼ぶ)が生じるようになること、(3) 異なる結果が積み重なることで、実践そのものが理論に沿った形に変化していくこと(つまり自己成就する気配が生じる)、からなるサイクルです。

 

上記のサイクルが繰り返されることで、理論が予測するように社会現象が形成される、すなわち理論が自己成就していくわけですが、ここで鍵となってくるのが、その理論が持つパフォーマティヴィティ(行為遂行性)で、平たく言えば、その理論は、人々が実践でそれを使おうとするような要素を含んでいるかどうかということです。パフォーマティブ(行為遂行的)な理論というのは、人々がそれを実践で使うことを促進するような要素をそれ自体に内包しているような理論だと言えます。それには3つの種類があり、上記に挙げた自己強化ループの3つのステップ(理論の実験的利用→アノマリーの生成→理論が自己成就する気配)に対応しています。

 

3つの種類のパフォーマティヴィティ(行為遂行性)の1つ目は、一般的パフォーマティヴィティで、これは、その理論を使ってみようというモチベーションを生み出すような性質です。2つ目は、効果的パフォーマティヴィティで、その理論を使うことで社会的現実が変化するという性質です。3つ目は、バーンズ的パフォーマティヴィティで、その理論を使った結果、社会的現実が理論が予測する方向に変化するという、バーンズという学者が考えた性質です。これらのパフォーマティヴィティ概念には、一般的パフォーマティヴィティの一部が効果的パフォーマティヴィティで、効果的パフォーマティヴィティの1部がバーンズ的パフォーマティヴィティといったような包含関係にあります。

 

上記を人的資本経営は自己成就する理論なのかという問いに当てはまるならば、検討すべき論点としては、(1) 人的資本経営は、企業経営の実践において人的資本への投資や人材価値の向上を促すような経営を試してみようというような行動につながるのかどうか(一般的パフォーマティヴィティを有しているか)、(2) 人的資本経営を企業が実践することで、人材の性質や働きぶりが変わる、製品やサービスの性質が変わるといったように、それまでとは異なる結果が生まれるか(効果的パフォーマティヴィティを有しているか)、(3) 人的資本経営を実践することで、実際に企業業績が向上するか(バーンズ的パフォーマティヴィティを有しているか)ということになります。

 

人的資本経営であろうがなかろうが、特定の理論について、上記の3つのパフォーマティヴィティがすベて働くならば、自己強化ループが回って理論が自己成就していくことになりますが、MartiとGondによると、それにはいくつかの条件があります。以下においては、人的資本経営が自己成就するかという問いに即した形で解説していくことにしましょう。まず、企業が人的資本経営という理論を実践で試しに使ってみるようになるかどうかについては、2つの条件があって、1つ目は、その理論の使用を促すような具体的、物質的な環境が備わっているかどうかです。人的資本経営に関して言えば、人的資本の情報開示の義務化という流れがあります。2つ目は、その理論を強力に推進する力のある人々がいるかどうかです。人的資本経営に関して言えば、人材版伊藤レポートのように、高明な学者や政府、マスコミなどのインフルエンサーによる後押しがあります。

 

MartiとGondによる最初の2つの条件に即して考えると、どうやら、人的資本経営を実践で使ってみようとする企業行動を促すような条件は整っているようです。次に、人的資本経営の理論を使うことで、社会的現実を変えるようなアノマリーが生み出されるかについての条件としては、1つ目に、理論を使った効果として社会的現実が変わっていく様子が目に見えやすいことです。人的資本経営に関して言えば、人的資本の情報開示が広がることで、企業の人的資本経営の活動が目に見えやすく、さらにそれが業績に反映するかどうかも見えやすくなりそうです。2つ目として、その新しい理論に賛成しない人々が裁定取引のような逆張りの行動に出ないことが挙げられます。つまり、その理論が間違っていると信じている人は、間違っている方向に賭けることで最終的に利益を得られると予想するのでそのように行動するのです。そうすると、理論に沿う行動をすることで生じる結果が逆張り行動で相殺されてしまい、結果がでないということになります。

 

MartiとGondによる上記の2つの条件を考慮すると、人的資本経営を実行したことによる効果は、人的資本の特性上、即時的には現れにくいこと、人的資本経営とは関係なく投資をしたり商品やサービスを購入したりする消費者が依然として存在するならば、社会的現実を変えるようなアノマリーがたくさん生み出されるかどうかについては微妙なところかもしれません。もし、この関門を通過すれば、次に、人的資本経営を実践することで、企業業績が向上するかどうかについては、MartiとGondに従うと、次の2つの条件があります。1つ目は、人々が現状の企業経営に関する理論に不満を抱いているかどうか、アノマリーの増加をうまく説明することができる高明な学者とかインフルエンサーがいるかどうかです。

 

上記の2つの理論に照らし合わせると、日本では、企業経営の主な理論として、ROEなどに着目する株主重視の経営が長らくもてはやされてきたきらいがあり、それが本当に正しいのかと疑問を抱くような層は一定数はいるものと思われます。株主重視経営の信奉者が改宗して人的資本経営信奉者に鞍替えする可能性はあるでしょう。ただ、アノマリーの生成に基づき、人的資本経営こそが経営の真髄だということを説得力のある形で日本の企業全体に布教できるインフルエンサーがどれくらいでてくるかは未知数だと言えましょう。現在、人的資本経営の盛り上がりをビジネスチャンスと捉えて勝ち馬に乗ろうと群がる人々によってこの理論が支えられているに過ぎないのであれば、ビジネスチャンスが底をついて旨味がなくなってしまうとブームは去ってしまうでしょう。

 

これまでの議論を総括すると、人的資本経営という考え方には、一般的なパフォーマティヴな要素を内包しており、人的資本の情報開示をきっかけとして多くの企業が試しに取り組んでみようとする要素が含まれていると言えます。ただし、それが、日本の企業行動を大きく変化させるようなアノマリーを多く生み出すかどうかは未知数だということ、すなわち効果的にパフォーマティヴかどうかはまだわからず、それが実現した時に、企業経営についての世の中の信念を、「人的資本ファーストの経営」、すなわち人的資本への投資や人材価値重視の経営が長期的に企業を反映させるのだ(人的資本経営は正しいのだ)というエビデンスの蓄積に向かっていくかどうか、すなわちバーンズ的にパフォーマティヴかどうかも未知数であると言えましょう。

参考文献

Marti, E., & Gond, J. P. (2018). When do theories become self-fulfilling? Exploring the boundary conditions of performativity. Academy of Management Review, 43(3), 487-508.

人的資本経営 ~人材の価値を最大限に引き出す~ (METI/経済産業省)

 

内発的モチベーション理論の新展開:目的ー手段融合モデルの革新性

ワーク・モチベーションの中でも、特に「内発的モチベーション」は、多くの研究者や実務家がその重要性を認識しているがゆえに、最も白熱するトピックだと言えましょう。一方で、内発的モチベーションをめぐるこれまでの研究や理論は、多くの人に混乱を与えているということも言えそうです。その発端となっていると思われるのが、外的報酬を与えると内発的モチベーションを低下させるという「アンダーマイニング効果」というもので、心理学者のデシらによって子供に対する実験結果などを通して提唱された、研究者や実務家によく知られている効果です。しかしその後、外的報酬は必ずしも内発的モチベーションを低下させないという研究結果も発表されるようになり、論争が巻き起こりました。

 

デシらは、最初は認知的評価理論という理論枠組みを使ってこのアンダーマイニング効果を説明していましたが、論争に対応する中で、自己決定理論というものに枠組みを修正し、モチベーションの分類も内発的・外発的という単純な二項対立からもう少し複雑な分類に修正しました。確かに人間の本質的な3つの欲求(自己決定、有能感、関係性)に着目する自己決定理論は妥当性の高い有効な理論だと思われますが、こと内発的モチベーションの理解については、逆に分かりにくくしてしまったと言えるかもしれません。デシらが認知的評価理論から自己決定理論への発展を通して展開した内発的モチベーションの理解が混乱を招いた原因は、1つ目として、内発的モチベーションを、外的報酬が存在しないのに生じるモチベーションだと理解したこと、2つ目として、人間が本来持っている内なる欲求から生じるモチベーションを内発的モチベーションだというようにモチベーションの内容に焦点を当てていることだと考えられます。

 

上記の問題提議を通して、内発的モチベーションを、別の視点から、あるいはもっとシンプルな方法で理解しようとしているのが、Fishbach、Kruglanski、Woolley、およびその共同研究者たちが主張する、「目的ー手段融合モデル」による内発的モチベーションの定義と理解です。Fishbachらの内発的モチベーションの定義は至ってシンプルです。それは、「目的や目標と、それを実現するための手段が、融合していると知覚されている時」が、内発的モチベーションが生じている時だということのみなのです。「手段が目的と化す」という表現がよく悪い事例として用いられますが、まさに、目的と手段が融合して、どちらがどちらか分からないような状態、あるいは、それ自体を目的として活動していることこそが、内発的モチベーションが高まっている状態と見なすのです。

 

上記のようなFishbachらのシンプルな内発的モチベーションの定義においては、外的報酬の存在とか、モチベーションそのものの内容、例えばやりがいがあるとか面白いとかいうことは一切関係ありません。例えば、ある仕事や活動にやりがいがあろうとなかろうと、ある仕事や活動が面白かろうが面白くなかろうが、本人にとって目的と手段が融合してしまっている場合には、内発的モチベーションが高まっているのだというわけです。Fishbachらによれば、このような「構造的な」内発的モチベーションの理解の方が、デシやその他の研究者の多くが採用する「内容に焦点を当てた」内発的モチベーションの理解よりも混乱が少ないし、かつ、モチベーションを高める施策も分かりやすく提案できるように思われます。では、本当にそうなのでしょうか。

 

繰り返しますが、Fishbachらの「目的ー手段融合モデル」による内発的モチベーションの理解では、外的報酬の有無は関係ありません。彼らは、アンダーマイニング効果を次のように批判します。確かに、外的報酬は内発的モチベーションを低下させるかもしれない。しかし、内発的モチベーションに干渉してそれを低下させるのは外的報酬だけではない。例えば、他に面白いことや興味関心のあることが生じたならば、それまでやっていた活動に対する内発的モチベーションは下がるだろう。これは外的報酬ではなく、別の内発的な興味関心なので、そもそも引き金となるものが外的であることは本質的には関係がない。引き金が外的であろうがなかろうが、その要素の登場によって本人の中でその活動と目的や目標が分離してしまうならば、内発的モチベーションが下がるということなのです。

 

また、外的報酬を用いることで内発的モチベーションは高まりうるとFishbachらは主張します。これも繰り返しですが、「目的ー手段融合モデル」では、外的報酬の有無とは関係なく、目的や目標と手段が融合して知覚されることさえ生じれば、内発的モチベーションは高まると理解するのです。例えば、お金を稼ぐことを目的としてある仕事をしているとしましょう。この場合は、目的や目標(お金を獲得すること)と、それを実現するための手段がクリアに分離しているので、内発的モチベーションは低いと解釈できます。しかし、お金を稼ぐことを目的としてパチンコやギャンブルをやっているときはどうでしょうか。これは、お金を獲得するという目的や目標と、その手段としてギャンブルをするという活動が一体化して経験されているので、パチンコやギャンブルをしている本人の内発的モチベーションが高まっていると言えるのです。外的な金銭的報酬が内発的モチベーションを高めているのです。

 

デシらの自己決定理論では、自己決定感、有能感、関係性の欲求を満たすものが内発的モチベーションを高めると主張しますし、それ以外にも好奇心・探究心や仕事のやりがいや面白さこそが内発的モチベーションを高めると主張する研究者もいます。逆に言えば、面白くない仕事、自由度のない仕事、やりがいのない仕事などでは内発的モチベーションは生じ得ないということになります。それに対して目的ー手段融合モデルでは、例えば自己決定が少ない状態とか面白くない仕事であっても内発的モチベーションが高まりうることを主張します。ある人が、上司に言われたことを忠実に実行することが求められるような自己決定感のの少ない、あるいはとりわけ面白いわけでもない仕事をしていたとしましょう。そのような人だって、仕事に没入して気がついたら時間が経つのを忘れていたというように、内発的モチベーションが高まることもありうるのだと主張するのです。なぜそのようなことが起こるかというと、その人の中では、目標とそれを達成するための活動が融合していたからなのです。

 

このように、目的ー手段融合モデルでは、外的報酬がないことを内発的モチベーションと考えることもしないし、仕事のやりがいや面白さを内発的モチベーションと結びつけることもしません。シンプルに、目的と手段が融合したような知覚を生み出すことが内発的モチベーションを高めることであって、その方策を考案して実施さえすれば人々の内発的モチベーションが上昇すると考えるのです。これだけシンプルだと混乱が少ないし、かつ、その方策が効果的であるという証拠が多くの実証研究から得られているという点で、実践的にも有効で革新的な内発的モチベーション理論だと言えるかもしれません。Fishbachらが目的ー手段融合モデルに基づいて提案する内発的モチベーションの向上策は、(1)即座にベネフィットにつながるような活動を選択させる、(2)活動をしたときに即座にそのベネフィットを得られるように活動を設計する、(3)その活動を行った際に即座に得られるベネフィットに注意を向けさせる、というものです。

 

ある活動をすることによって、即座にベネフィットが得られるのであれば、その活動をすること自体が目的や目標となります。仕事そのものが楽しいから(楽しみというベネフィットを即座に得られる)というのも当てはまりますし、活動によって即座に金銭的報酬が得られる(ギャンブルをすることでお金が獲得できる)というのも当てはまります。仕事や業務の中身や、外的報酬の有無を考える必要はありません。目的や目標と手段とが融合する策を考えるだけで良いのです。そうすることで、活動している本人は、ポジティブな感情を経験することができるし、エンゲージメントも高まると予想されます。これだけシンプルだと応用範囲も広そうですね。皆さんもぜひ、内発的モチベーションの目的ー手段融合モデルを用いたモチベーション向上策を考えてみてください。

参考文献

Fishbach, A., & Woolley, K. (2022). The structure of intrinsic motivation. Annual Review of Organizational Psychology and Organizational Behavior, 9, 339-363.]

 

Kruglanski, A. W., Fishbach, A., Woolley, K., Bélanger, J. J., Chernikova, M., Molinario, E., & Pierro, A. (2018). A structural model of intrinsic motivation: On the psychology of means-ends fusion. Psychological Review, 125(2), 165.