「人的資本経営」は自己成就する理論なのか

いま日本では、「人的資本経営」という考え方が盛り上がりを見せています。経済産業省資料によれば、人的資本経営とは、人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方だそうです。これを少し言い換えて、人的資本経営の理論とは、人材への投資などを通じて人材の価値を高める経営は企業業績を向上させるというように、理論として捉えてみましょう。では、この「理論」は、どれだけ正しいと言えるのでしょうか。これに答える鍵となるのが、この理論が、どれだけ「自己成就」していくのか、ということです。

 

ここでいう自己成就とは、特定の理論が社会現象を的確に予測するというよりも、その理論を知った人々が理論に沿った行動をするようになることで、理論が予測するように社会現象が形成されていくことを指します。これが、自然科学と社会科学の大きな違いの1つでもあります。自然現象は、理論からの影響は受けませんが、社会現象は人間が作り出すものであり、その人間は、理論を知ることができるし、それに「影響を受ける」こともあるので、ある理論が登場することで、社会そのものが変わってしまうこともあるのです。であるならば、自然科学上の理論がどれだけ正しいかを考えるのと同じ発想で、社会科学上の理論の正しさを考えることは不可能と言えるでしょう。

 

さて、本題に戻って、人的資本経営の理論がどれだけ自己成就するのか、すなわち、人的資本経営を行う企業が理論どおり繁栄するように社会が変化していくのかを占うにあたっては、MartiとGond (2018)が提唱するパフォーマティヴィティ(行為遂行性)と、それに伴う自己強化ループの促進条件についての論説が大変参考になります。MartiとGondによれば、特定の理論は、以下のような自己強化ループが回り続けると自己成就していきます。それは、(1) 人々が、その理論を実践で試しに使ってみること、(2) 理論を試しに使った結果、これまでとは異なる結果(アノマリーと呼ぶ)が生じるようになること、(3) 異なる結果が積み重なることで、実践そのものが理論に沿った形に変化していくこと(つまり自己成就する気配が生じる)、からなるサイクルです。

 

上記のサイクルが繰り返されることで、理論が予測するように社会現象が形成される、すなわち理論が自己成就していくわけですが、ここで鍵となってくるのが、その理論が持つパフォーマティヴィティ(行為遂行性)で、平たく言えば、その理論は、人々が実践でそれを使おうとするような要素を含んでいるかどうかということです。パフォーマティブ(行為遂行的)な理論というのは、人々がそれを実践で使うことを促進するような要素をそれ自体に内包しているような理論だと言えます。それには3つの種類があり、上記に挙げた自己強化ループの3つのステップ(理論の実験的利用→アノマリーの生成→理論が自己成就する気配)に対応しています。

 

3つの種類のパフォーマティヴィティ(行為遂行性)の1つ目は、一般的パフォーマティヴィティで、これは、その理論を使ってみようというモチベーションを生み出すような性質です。2つ目は、効果的パフォーマティヴィティで、その理論を使うことで社会的現実が変化するという性質です。3つ目は、バーンズ的パフォーマティヴィティで、その理論を使った結果、社会的現実が理論が予測する方向に変化するという、バーンズという学者が考えた性質です。これらのパフォーマティヴィティ概念には、一般的パフォーマティヴィティの一部が効果的パフォーマティヴィティで、効果的パフォーマティヴィティの1部がバーンズ的パフォーマティヴィティといったような包含関係にあります。

 

上記を人的資本経営は自己成就する理論なのかという問いに当てはまるならば、検討すべき論点としては、(1) 人的資本経営は、企業経営の実践において人的資本への投資や人材価値の向上を促すような経営を試してみようというような行動につながるのかどうか(一般的パフォーマティヴィティを有しているか)、(2) 人的資本経営を企業が実践することで、人材の性質や働きぶりが変わる、製品やサービスの性質が変わるといったように、それまでとは異なる結果が生まれるか(効果的パフォーマティヴィティを有しているか)、(3) 人的資本経営を実践することで、実際に企業業績が向上するか(バーンズ的パフォーマティヴィティを有しているか)ということになります。

 

人的資本経営であろうがなかろうが、特定の理論について、上記の3つのパフォーマティヴィティがすベて働くならば、自己強化ループが回って理論が自己成就していくことになりますが、MartiとGondによると、それにはいくつかの条件があります。以下においては、人的資本経営が自己成就するかという問いに即した形で解説していくことにしましょう。まず、企業が人的資本経営という理論を実践で試しに使ってみるようになるかどうかについては、2つの条件があって、1つ目は、その理論の使用を促すような具体的、物質的な環境が備わっているかどうかです。人的資本経営に関して言えば、人的資本の情報開示の義務化という流れがあります。2つ目は、その理論を強力に推進する力のある人々がいるかどうかです。人的資本経営に関して言えば、人材版伊藤レポートのように、高明な学者や政府、マスコミなどのインフルエンサーによる後押しがあります。

 

MartiとGondによる最初の2つの条件に即して考えると、どうやら、人的資本経営を実践で使ってみようとする企業行動を促すような条件は整っているようです。次に、人的資本経営の理論を使うことで、社会的現実を変えるようなアノマリーが生み出されるかについての条件としては、1つ目に、理論を使った効果として社会的現実が変わっていく様子が目に見えやすいことです。人的資本経営に関して言えば、人的資本の情報開示が広がることで、企業の人的資本経営の活動が目に見えやすく、さらにそれが業績に反映するかどうかも見えやすくなりそうです。2つ目として、その新しい理論に賛成しない人々が裁定取引のような逆張りの行動に出ないことが挙げられます。つまり、その理論が間違っていると信じている人は、間違っている方向に賭けることで最終的に利益を得られると予想するのでそのように行動するのです。そうすると、理論に沿う行動をすることで生じる結果が逆張り行動で相殺されてしまい、結果がでないということになります。

 

MartiとGondによる上記の2つの条件を考慮すると、人的資本経営を実行したことによる効果は、人的資本の特性上、即時的には現れにくいこと、人的資本経営とは関係なく投資をしたり商品やサービスを購入したりする消費者が依然として存在するならば、社会的現実を変えるようなアノマリーがたくさん生み出されるかどうかについては微妙なところかもしれません。もし、この関門を通過すれば、次に、人的資本経営を実践することで、企業業績が向上するかどうかについては、MartiとGondに従うと、次の2つの条件があります。1つ目は、人々が現状の企業経営に関する理論に不満を抱いているかどうか、アノマリーの増加をうまく説明することができる高明な学者とかインフルエンサーがいるかどうかです。

 

上記の2つの理論に照らし合わせると、日本では、企業経営の主な理論として、ROEなどに着目する株主重視の経営が長らくもてはやされてきたきらいがあり、それが本当に正しいのかと疑問を抱くような層は一定数はいるものと思われます。株主重視経営の信奉者が改宗して人的資本経営信奉者に鞍替えする可能性はあるでしょう。ただ、アノマリーの生成に基づき、人的資本経営こそが経営の真髄だということを説得力のある形で日本の企業全体に布教できるインフルエンサーがどれくらいでてくるかは未知数だと言えましょう。現在、人的資本経営の盛り上がりをビジネスチャンスと捉えて勝ち馬に乗ろうと群がる人々によってこの理論が支えられているに過ぎないのであれば、ビジネスチャンスが底をついて旨味がなくなってしまうとブームは去ってしまうでしょう。

 

これまでの議論を総括すると、人的資本経営という考え方には、一般的なパフォーマティヴな要素を内包しており、人的資本の情報開示をきっかけとして多くの企業が試しに取り組んでみようとする要素が含まれていると言えます。ただし、それが、日本の企業行動を大きく変化させるようなアノマリーを多く生み出すかどうかは未知数だということ、すなわち効果的にパフォーマティヴかどうかはまだわからず、それが実現した時に、企業経営についての世の中の信念を、「人的資本ファーストの経営」、すなわち人的資本への投資や人材価値重視の経営が長期的に企業を反映させるのだ(人的資本経営は正しいのだ)というエビデンスの蓄積に向かっていくかどうか、すなわちバーンズ的にパフォーマティヴかどうかも未知数であると言えましょう。

参考文献

Marti, E., & Gond, J. P. (2018). When do theories become self-fulfilling? Exploring the boundary conditions of performativity. Academy of Management Review, 43(3), 487-508.

人的資本経営 ~人材の価値を最大限に引き出す~ (METI/経済産業省)