組織で働く多文化人材はどのような特徴をもち、いかなるかたちで組織に貢献するのか

世界がグローバル化するにつれ、企業で働く人々の中に、同一国で生まれ育った典型的な人々に加え、複数の文化的背景を持った多文化人材(multicultural employees)が増えるようになりました。例えば、他の国から移民してきた人材、海外赴任などで長期間他国に滞在していた人材、帰国子女、国際結婚で外国人の配偶者や家族を持つ人材などです。移民政策をとっている国家や、もともと多文化・多民族からなる国家の場合には、多文化的人材を多く抱えるようになっていることでしょう。多文化人材は、同一国で生まれ育った典型的な人々(単一文化人材)と異なる特徴を持つがゆえに、異なる組織行動論的な傾向を持ち、単一文化的人材とは異なるユニークなかたちで企業経営に貢献する可能性を秘めていると思われます。


Fitzsimmons (2013)は、多文化人材がいかなる特徴を持ち、いかなる形で企業業績に貢献しうるかについての新しいモデルを構築しました。このモデルの鍵となるのが、本人の多文化的アイデンティティの様相です。複数の文化的背景を持つ人材は、複数の文化的なアイデンティティを保持していると思われますが、本人のこれまでの経緯や環境によって、その様相は異なると思われます。その違いが、本人が組織で働く際の特徴に影響すると考えられるわけです。Fitzsimmonsによれば、多文化的アイデンティティの様相を特徴付けるのが「単一−多数」の次元と「統合−区画」の次元です。「単一−多数」次元は、多文化人材がメインとするアイデンティティを単一文化に設定しているか、あるいは複数文化を同時に設定しているかの違いで、「統合−区画」次元は、多文化人材が、複数のアイデンティティを統合しているか、区分して使い分けているかという違いです。


例えば、上記の2つの次元の位置づけを用いると、多文化人材が持つ文化的アイデンティティは、いくつかのパターンに分類できます。例えば「優先的多文化人材」は、メインとなる文化的アイデンティティを保持し、他の文化的アイデンティティはサブに位置づけるようなアイデンティティの階層構造を有していると考えられます。逆に「集合的多文化人材」は、複数の文化的アイデンティティを同時にメインとして用いていると考えられます。「区分的多文化人材」は、異なる文化的アイデンティティを区分しており、状況に応じて使い分けると考えられ、「ハイブリッド型多文化人材」は、複数の文化的アイデンティティを交差したり混ぜ合わせることで統合していると考えられます。


Fitzsimmonsによれば、これらの異なるパターンの多文化的アイデンティティの形成に影響するのは、本人のパーソナルヒストリー、現状で置かれている文脈、そして本人がいる場所の文化の特徴です。例えば、本人にとって、そこに属していることがステイタスであったり、自尊心の向上や誇り・プライドの向上につながるような文化集団の数が多いほど、文化的アイデンティティの「単一−多数」次元において多数に傾き、集合的多文化人材のパターンになりやすいと考えられます。また、移民の一世や三世は、自分がいた時期の長い文化的アイデンティティを単一でメインに持ちがちで優先的多文化人材のパターンになりやすく、一方、移民の二世は、集合的多文化のパターンになりやすいでしょう。


また、異なる文化的背景を持つ人々が分離して生活しないような多文化政策をとっている国家や地域に住む住民であるほど、多文化的アイデンティティを統合したハイブリッド型の多文化人材のパターンになりやすいと考えられます。文化的特徴としては、社会のしきたり、習慣、行動様式が多いといった文化的強さが高いほど、複数の文化的距離が遠いほど、もしくは複数の文化が相容れない(葛藤を起こしている)度合いが高いほど、文化的アイデンティティが統合されたハイブリッド型ではなく、複数の文化的アイデンティティを使い分ける区分型多文化人材のパターンになりやすいと考えられます。


では、多文化人材が持つ事なる多文化アイデンティティのパターンは、いかなる形で彼らの組織行動や企業経営への貢献につながるのでしょうか。Fitzsimmonsによれば、それに影響を与えるのが、多文化アイデンティティ・パターンの内部一貫性が高いかどうか(よって状況の不確実性を低減できるかどうか)、および本人が内集団と外集団を区別することによって自尊心を保てるかどうかという要素です。ここで考慮されている組織行動的特徴は、個人的な精神衛生、ソーシャルキャピタル(ソーシャルネットワーウ、人脈)、および業務スキルです。


様々な多文化的アイデンティティのパターンの中で、アイデンティティの内部一貫性が高いのは、単一の文化的アイデンティティをメインとし、アイデンティティの統合度合いが高い場合です。逆に、内部一貫性が低いのが、複数の文化的アイデンティティを同時にメインとして持ち、アイデンティティを区分して使い分ける度合いが高い場合です。前者の方が、組織内においてもより精神的に安定し、後者ほど、組織内で精神的な安定度を欠く可能性があります。また、前者の方が、単一文化の基準を用いて迅速に意思決定ができるのに対して、後者の場合、意思決定スピードが遅れがちになると思われます。一方、前者よりも後者のほうが、柔軟な形で行動を調整するスキルに優れ、複雑な状況を分析するスキルにも優れていると考えられます。さらに、単一の文化的アイデンティティをメインに置いている場合は、ソーシャルネットワークの広がりや深さが限定され、複数の文化的アイデンティティをメインとしている度合いが高いほど、ソーシャルネットワークの構造や関係性の質、すなわち人脈の豊かさが高まる傾向があると考えられます。


ただし、多文化的アイデンティティーのパターンと彼らの組織行動の特徴との関連性は、多文化人材が所属組織に対して抱く一体感(組織的アイデンティフィケーション)の度合いが高いほど弱くなることが予想され、組織が多文化環境を重視する組織文化を持っているほど強くなることが予想されます。組織的アイデンティフィケーションが高く、多文化環境の良さを活用しようとしない組織文化であるほど、多文化的アイデンティティよりも組織の一員としての均質的なアイデンティティが優先されるからです。


以上のように、今後も増え続けるであろう多文化人材は、人によって様々なアイデンティティパターンを有しており、そのパターンも、本人のパーソナルヒストリーや、置かれた文脈、文化的特徴に影響されながら形成されます。そして、こういった多文化的アイデンティティのパターンによって、本人の精神衛生的特徴、ソーシャル・キャピタルの幅や関係の質、様々な業務スキルなどの面で異なる特徴をもたらすことにつながります。企業や組織としては、このような多文化人材の特徴をよく理解することによって、グローバル化する経営環境の中に、彼らが最も活躍できるような環境を整えたり、効果的なマネジメントを行う事によって、彼らからの組織への貢献度合いを高めることができるようになるでしょう。例えば、多文化人材のアイデンティティ・パターンを考慮することにより、彼らに期待する役割や与える職務を変えたり、経営のグローバル化に伴う海外派遣人材や海外子会社のスタッフィングを工夫したりすることも可能となるでしょう。

参考文献

Fitzsimmons, S. (2013). Multicultural Employees: A framework for understanding how they contribute to organizations. Academy of Management Review, 38, 525-549.

「オペレーションのグローバル化」から「マネジメントのグローバル化」へ

「グローバル人材」や「人事のグローバル化」といった、グローバル経営に関するトピックが2010年ごろから頻繁に叫ばれるようになりました。しかし、日本はもともと加工貿易国であり、海外市場なしには存在しえない企業も多かったはずです。さらに、円高の進行とともに国内製造拠点を海外に移転するなどの「グローバル化」も以前から行われてきたことです。では、なぜここ数年になって経営のグローバル化が頻繁に叫ばれるようになったのでしょうか。これまで求められてきたグローバル化と、これから求められるグローバル化とは何が異なるのでしょうか。


松田(2013)は、この問いに関して以下のような答えを提示します。松田によれば、日本企業によって従来行われてきたのは、製造拠点の海外移転や海外での販売網構築といった、ビジネスにおける「オペレーションのグローバル化」です。それに対して、これから必要なのは、日本企業がその経営能力を世界に通用するようにしなければならないという「マネジメントのグローバル化」です。海外に進出するのではなく、海外に密着して経営の意思決定を行う、そこで働く人々の多様な背景を十分に理解して人材を生かす、世界どこでも通用するような共通言語を用いる、事業戦略策定や経営管理、企業理念や企業統治の仕組みといった会社の根幹に関わる部分を、誰にでも説明可能な形に置き換えていくというようなことを意味します。


松田によれば、従来の日本企業が強かった理由は「やりたいこと(事業・オペレーション)」に専念できたからです。しかし、本来の経営(マネジメント)は、やりたいことを行うにあたって「先立つもの(財務)」をどう工面し、「取り組む人(組織や人材)」にどう頑張ってもらうかというところにあります。戦後、日本に植え付けられた「安定化装置」が作動していた状況では、「先立つもの」の面倒はすべて銀行に任せ、「取り組む人」は終身雇用・年功序列・協調的組合という日本的経営システムの採用すればよく、企業として苦心する必要がなかったわけです。しかし、現在おかれている状況というのは、経済社会のグローバル化の中でこの「安定化装置」が機能しなくなり、本来の不安定さに取り巻かれた「事業」「財務」「組織」という3つの要素のバランスを取りながら、企業自らが舵取りをしなくては経営が成り立たない状況になったということです。


では「マネジメントのグローバル化」を実現させるためのポイントは何なのでしょうか。松田は、グローバルなグループ経営を成功させるためのキーポイントとして以下の点を挙げます。まず、理念も数字も「ゴール」を決めて共有することです。言い換えれば、「企業の存在意義としての目指すべき理念を共有する」ことです。とりわけ、人材がグローバルに多様化していく中では、以心伝心ではすまない相手に対して、なるべく共通言語を使って理解を求めることが重要だといいます。


次に、本社が果たすべき3つの機能として「見極める力(=本社の投資家的機能)」「連ねる力(=本社の連携強化機能)」「束ねる力(=本社のグループ代表機能)」を強化することです。「見極める力」については、将来像をどう描くかに関連しています。自社の経営理念に沿うことを前提に事業の将来像を考え「将来にわたって生み出すキャッシュフロー」をどのように増やしていくかに注力することです。「連ねる力」については、事業間・部門間の連携やシナジーを検討するとともに「どのような組織的な仕掛けをもって行うか」を考え、実行することが重要です。また、本社によるインキュベーションを通じて、新しい芽を生み、育て続けることも重要になります。「束ねる力」については、外部に向けてグループを代表する機能と、内部に向けてグループをひとつにしていく機能とに分かれます。


「束ねる力」のうち、内部に向けてグループをひとつにしていく機能については、競争優位の源泉としての多様性(ダイバーシティ)を重視することと、ダイバーシティ・マネジメントを実践するための「リーダーシップ」と「コミュニケーション」が重要になってくると松田は指摘します。個の違いを尊重しつつ、多様な人材を規律づける「拠って立つ不変の共通軸」としての経営理念(ミッション・バリュー・ビジョン)が重要だといいます。そして、こういった「軸」は、経営者が「嫌になるほど繰り返す」必要があるのだと松田は主張します。

日本企業のグローバル化の鍵は「空気が読める」外国人社員を育成することか

近年、グローバル化の波はとどまるところを知らず、日本企業も、人材のグローバル化、海外進出拠点経営の現地化、外国人従業員の採用、英語公用語化への議論など、人材マネジメントのグローバル化への対応に追われています。日本全体でも「グローバル人材」が流行語となりました。その背景には、グローバルな市場において、日本企業が、欧米企業や新興国企業と戦っていかなければならないという現実があります。では、日本企業がグローバルな経営を成功させるための人材マネジメント上のポイントはどこにあるのでしょうか。


そこで考えるべきことは、日本企業の生い立ちであり、その生い立ちが日本企業の経営のやり方に与えた影響です。そもそも日本は非常に同質的な国民によって成り立ってきた国で、日本で暮らす人々の仕事のしかたの特徴を現すキーワードが、古くからあるのが「以心伝心」であり、近年よくつかわれるのが「空気を読む」ことです。この2つは、これまでの日本において、日常生活のみならず、職場での仕事や企業経営にもなくてはならない要素であったということがポイントです。つまり、従来の日本企業の組織や経営の根底にあるのが「あえて言葉でいわなくても分かり合える雰囲気」「社員が何をするべきかについての暗黙の了解」です。要するに、マニュアルや仕組みに頼らず、ある意味、従業員を「信じて」経営を行ってきたといえるでしょう。


これは日本に特徴的な性質で、欧米とはかなり違います。例えばアメリカの場合、国民自体が高度に多様化しています。要するに、いろんな人がいるということです。そのような環境では、「以心伝心」「空気を読む」ことを期待するのは適切でないといえましょう。「きちんと言わないと動かない」「細かいところまで詳しく説明しないと分かってもらえない」という部分が多いわけです。会社で働く人々も、いろんな人で成り立っているのだから、「言わなくても分かるだろう」「こちらの意図していることを察してくれるだろう」という期待はありえません。ある意味、従業員を「信じてはいけない」状況にあるのです。だからこそ、経営をしっかりとシステム化、仕組み化し、マニュアルも整備して、どんな人であっても手続きにそって仕事をすれば会社全体が回っていく体制を整えざるを得なかったと考えられます。


そして、経営をグローバル化する際には、自社がこれまで行ってきた経営の仕方を基準に、組織や人材を国境を越えて拡張しようとしますから、日本企業の場合は、日本でうまく回っている会社経営をグローバル化したいわけですし、欧米企業も自国で機能している会社経営のやり方を海外に展開しようとするでしょう。しかし、欧米企業の経営や人材マネジメントがよりグローバル化に向いているのに対して、日本企業の経営や人材マネジメントはグローバル化には向いていないという見方があります。簡単にいえば、「グローバル化=人材の多様化」でもあるので、もともと国内でも多様な人材を抱えている欧米企業の場合は、自国のやり方を海外の多様な人材にそのまま拡張してもさほど問題は生じないのに対し、国内の人材が均質的な日本は、均質的な人材を前提とした経営や人材マネジメントやり方をそのまま多様な人材を抱える環境に拡張できないということなのです。欧米企業は、多様な人材が用いる言葉の最大公約数として英語を導入しやすいのも強みであるといえましょう。


だからといって、日本企業が欧米企業のようなシステム化やマニュアル化を重視し、英語を公用語とするような経営に転換すべきかというと、それも難しいでしょうし、そうすることによって逆に日本企業のよい面がそぎ落とされる危険もあるでしょう。社員がチームワークを発揮し、以心伝心で、空気を読みながら、環境変化にも柔軟に対応できてきたのが日本企業の強みなのですから。日本の本社や事業のみを日本的な経営や人材マネジメントで行って、日本以外の海外のみ、欧米方の経営や人材マネジメントをするというのも、チグハグになってしまって企業全体としての統一感を保てなくなってしまうでしょう。ですから、グローバル化のもうひとつの手段としては、本来は多様である海外の従業員も、長期的に鍛えたり育成することによって同質化し「日本人っぽい」人々に変えることでしょうか。あるいは、もともと日本人っぽい人(日本文化が好きであったり日本への理解が深い人など)を採用してそういった人たちで組織を固めるという手もあるでしょう。


要するに、日本企業が海外進出を進め、現地化を図ったり、グローバルなレベルで統一感を保ち、総合力を発揮できるような企業経営を行うためには、外国人社員、海外現地社員などを含むグローバルに働いている人々が、日本人のようにある程度の「以心伝心」「空気を読む」スキルを身につけ、企業全体を見渡しながら、周りともうまく調整し、「かゆいところに手が届く」ような働きができるようにしていくことが必要なのかもしれません。それを「武器」にして、これまでの日本企業がうまくやってきたように、環境変化にも柔軟に対応しつつ、しなやかに外国企業と戦っていくことができるということなのかもしれません。日本企業には、グローバルレベルであっても、日本的な経営を可能にするような人材マネジメントが求められるということでしょうか。

巨大なムラ社会的グローバル企業としてのトヨタ

日本の企業はムラ社会的で、共同体的であるという指摘をしばしば耳にします。島田(2013)も、現在の日本は企業社会であり、日本企業が近代社会の担い手となってきたのであり、そのことが日本の経済的豊かさを支えていることを示唆しています。そういう意味でも、終身雇用、年功序列、企業内組合といった3点を基本とする日本の企業は、構成員と組織との間に長期にわたる緊密な関係が存在し、「共同体」としての性質を兼ね揃えているというのです。そして、この共同体としての企業組織を動かしていく基本的な原理となるのが、企業の経営哲学や理念であると島田は指摘します。組織としてとらえると、企業と宗教集団のあいだに強い類似性を見出すことができると宗教学者である島田は論じるのです。経営哲学や理念が組織内に浸透しきっている会社は、カルチャーが濃く、クセがあり、体臭がきつく、どこか宗教臭いと感じるのもあながち的外れではないのでしょう。


島田がそういった視点から分析対象としている企業の1つトヨタ自動車です。豊田自動織機の自動車部門としてスタートしたトヨタは、当時、三井や三菱といった財閥が大きな力を持つ中では、新興のベンチャー産業にすぎなかったと島田は解説します。豊田佐吉は、日蓮主義や、二宮尊徳に由来する報徳思想の影響を受け、倹約貯蓄など勤勉で禁欲的な姿勢や労働観を企業の理念としていった。つまり、日蓮主義と報徳思想が、トヨタ宗教哲学の基盤を形成する役割を果たしたと分析しています。


そして、トヨタの特徴として「挙母という土地から離れない」ことと「村の原理」を挙げています。つまり、トヨタという企業は、グローバル企業でありながら、挙母という土地すなわち愛知県豊田市に深く根ざし、そこから離れない「共同体」としての性格を強く持っているというわけです。また、トヨタの企業組織は村社会に発したもので、地域を限定し、そのメンバーの欲望に一定の枠をはめることによって安定をはかってきたといいます。それは、カリスマ的リーダーが不在であり、かつ突出した人間を生み出さないという村の原理に表れています。村社会では緊密な人間関係が結ばれ、その関係が世代を超えて踏襲されます。そうした環境では、突出した成功者が生まれることは好まれないのだと島田は指摘するのです。日本の村にはそういう仕組みが備わっているのであり、トヨタも然りということでしょう。また、末席の役員でも積極的に発言するトヨタの取締役会のあり方も、村の寄り合いを彷彿させると島田はいいます。


一方、トヨタは無駄を省いて生産性を高めることについては、暗黙知的なものに頼らず、精神論ではなく仕組みを作ることによってグローバルに成功してきたという点も指摘しています。それは、徹底した文書化と、作成した文書の蓄積と管理に多大なエネルギーを費やしていることからも伺われるといいます。あらゆる無駄を省き、生産過程を効率化し、自己資本を充実させることで、バブル崩壊リーマンショック、タイでの洪水などに伴う生産・販売減少などの危機にも対応できる体制を作り上げてきたというわけです。


そして、島田は、トヨタの経営理念の基礎となっている「トヨタ教」は、地域に根差した宗教であるという視点を投げかけます。それは「仕事改善の中毒集団」とも揶揄されるような職務態度、お神輿経営でなく、上に立つ者ほど率先して行動する「上役率先」、上の立場の人間が重要事項の処理にあたるために業務を熟知するための自主的勉強会、「秘儀化」したトヨタ生産システムなどに表れていると指摘します。要するに、会社として絶え間ない改善や上役率先を実践するためには、社員の側が、それらを自発的に行う意欲を持っていることが前提であり、そうした意欲が生まれるためには、社員がトヨタという企業組織に対して強い一体感を持っていなければならないというのです。トヨタの発展が自己の人生の目的になるというように一体化ができれば、トヨタ社員としての人生は充実したものになる。トヨタの社員になることは「トヨタ教」の信者になることと等しいかもしれないと島田は結論づけています。

企業における英語公用語化とシンガポール型マネジメントモデル

近年、日本企業においても経営のグローバル化やグローバル人材といったテーマが最優先事項となりつつある中、社内の公用語を日本語ではなく英語にする企業もいくつか出てきています。これについては賛否両論があるようですが、批判的な意見のほうが多いように見受けられます。確かに、日本自体がまだ大きなマーケットとして機能しており、日本語のみでも特に支障のでない業務が多い中、経営のすべてにおいて英語を標準語として扱うことに対する疑問の余地はあると考えられます。しかし、あえて英語公用語化に踏み切ろうとしている企業は、ある理想形を求めてそうしているのだと考えられます。その理想形を理解するうえで役立つのが、シンガポールのようなモデルなのではないかと考えます。


シンガポールは、住民が実に多様で、中華系、マレー系、インド系、アラブ系を中心に、欧米からの海外赴任組など、さまざまな人々が共存して、国として機能しているグローバル化がさらに進んだ近未来のモデル的な都市国家ではないかと考えています。そのシンガポールの強みの一つは、英語を公用語としていることだと思います。異なる民族、文化的背景の人々が共存する中で、お互いが意思疎通するために用いられる言語が英語です。シンガポール人は幼少のことから複数の言語を使い分けることをしているため、同じ民族同士ではその地域の言葉(中国語やマレー語など)で話していても、他の文化、民族の人が交われば、即座に英語にスイッチして難なく会話ができます。だから当然、海外からやっている英語を母国語としたり英語が流暢な欧米系の人々とも普通にコミュニケーションできます。


ですから、シンガポールという国のシステム自体が、多様な民族や文化、言語をバックグラウンドとした持った人々が一緒に生活したり仕事をしたりすることができるような世界標準のシステムを念頭に作られているため、世界中から優秀な人が集まってきてそこで仕事ができる環境が整っていると言えるわけです。シンガポールは、海外から優秀な人材を集めて、そのパワーで国力をあげようとしていると考えられるわけです。なにしろ、国土が極端に狭く、自然的資源がないわけですから、人的資源でしか勝負できないわけです。


実際、シンガポールは、国際的に見ても非常に競争力の高い国です。世界中から優秀な人が集まってきて、そこで切磋琢磨することにより、常に活気のある状態を維持出来ているわけです。では、日本はシンガポールを見習うべきなのでしょうか。おそらく、それは現実的には不可能だと言えましょう。そもそも、シンガポールのように歴史の浅い国家ではなく、長い歴史によって築かれた独自の文化を持っており、同質的な国民から成り立っている国では、そう簡単に、移民を大量に受け入れたり、国の公用語を英語にするというような施策は打てるはずがありません。国土も人口もシンガポールよりも圧倒的に大きいのです。


しかし、国全体としてはシンガポールのような競争力のある都市国家を目指すことができなくても、まだ手段があるのです。それは、企業単位でシンガポールのようになることです。つまり、英語を社内公用語化するほど経営のグローバル化を真剣になって勧めようとする企業というのは、企業全体をシンガポールのようにして、民族、文化、母国語が異なっていても、標準化された共通のシステムを用いて仕事をすることができるようにしようとしているのでしょう。そうすることによって、世界中から優秀な人材を集め、その力によって世界での競争力を高めようとしているのだと解釈できましょう。

人事を行う日本の人事部、人事を助ける外資系の人事部

ビジネスの世界で通説としてあるのが「日本企業では人事部の社内での権力が強く、外資系企業では人事部の社内での権力は弱い」というものです。日本ではしばしば人事部に配属になることは「花形」であり「出世コース」の1つだと言われることもあります。実際、事業部門から非常に優秀な人材を人事部に引き抜いて一定期間、そこで勉強させる(そして本人はいずれ事業部門に戻っていく)というような企業も多いようです。一方、外資系の場合、人事部に勤務する社員は専門性が高く、人事プロフェッショナルとして他の外資系の人事部への転職を繰り返しながら出世していくというパターンが多く見られるようです。このような日本の人事部と外資系の人事部のイメージの違いはどのように理解すればよいのでしょうか。


この違いを理解するポイントは、基本に立ち返って、そもそも「人事」とは何かを再確認することです。人事というのは、ヒト・モノ・カネといった経営資源の1つであるヒトを扱う「経営活動」であり、分かりやすいイメージが「人を動かす」ことです。経営とは、人を動かして大きなことを成し遂げることです。やや細かく分解するならば、人事とは、企業の目的を実現するために、人を「獲得(採用)する」「育てる」「やる気にさせる」「抜擢する」「評価する」「報いる」「罰する」「辞めさせる」というような経営活動なのです。このような経営活動を行う権利・権限(とりわけ雇用や解雇、異動などに関する権限)を、通常「人事権」といいます。


上記の理解を踏まえるならば、プロトタイプ(通説、イメージ)としての日本の人事部と外資系の人事部の違いが明確になってきます。すなわち、日本の人事部は、上記にあげたような「経営活動」としての人事をじっさいに行う部署なのです。それに対して、外資系の人事部は、経営活動としての人事を助ける部署なのです。


多くの日本企業の場合、人事部はある程度の「人事権」を有しており、人事権を使って実際に社員の採用を行ったり、配置、異動を行ったり、育成、評価、処遇を行ったりします。正確に言うならば、当然人事権は本源的には経営者が持っていますが、経営者は人事部に対して人事権の一部を委譲しているのです。つまり、日本の企業の人事部は、経営者からの権限移譲を受けて、実際にヒトに関する経営活動を行っている極めて重要な部署なのですから、社内での権力が高くて当然なのだといえます。人事の巧拙が企業の利益や発展を大きく左右するわけですから、日本の人事部は、企業利益に大きくかかわる存在なのです。


それに対して外資系企業の場合、経営活動としての人事は、ラインのマネジャーが権限移譲を受けて行います。つまり、経営者が本源的に持っている人事権は、事業部門などラインのマネジャーに委譲され、ラインマネジャーが採用や賃金決定などの人事を実行します。人事部には人事権がほとんどありません。外資系企業の人事部では経営活動としての人事を行っているわけではなく、あくまで人事を行うライン・マネジャーを助ける役割を担った部署なのです。例えば、実際に人を採用したり、報酬を決定したりするライン・マネジャーが人事をやりやすいように、採用の仕組みやシステムを整える、評価のやり方や賃金決定の仕方をシステム化、標準化する、教育プログラムを考えるといったような活動をするのが人事部です。つまり、経営者およびライン・マネジャーが経営活動としての人事を行いやすいような環境を整備するのが、外資系企業の人事部なのです。


ですから、外資系企業の人事部のイメージは、純粋なスタッフ部門です。企業利益は事業部門が稼ぐ。それを環境整備というかたちで側面から支援するのがスタッフ部門で、その1つが人事部。よって、人事部の社員は、如何にして企業人事を「助けるか」についてのスキルとノウハウを持ったプロフェッショナルです。そのようなスキル・ノウハウがあるからこそ、外部労働市場に対しても市場価値があり、他の外資系企業の人事部に転職することが比較的容易にできます。これは、日本の企業の人事部にいたからといって容易に他の日本企業の人事部に転職できるわけではないことと対照的です。


日本の人事部は「経営活動としての人事を行う」部署であり、それは当然、企業固有の経営事情を反映した意思決定を繰り返す活動なわけで、人事部員は、企業特殊的な経営事情、経営判断に深く関わる存在です。だから、そうやすやすと他の企業の人事部に転職できるわけではないのです。他の企業の人事部はその企業の経営事情を深く反映した活動をしているわけですから、その企業のことについてよく知っていなければ人事部の仕事は務まらないのです。一方、外資系の場合、経営活動としての人事を行うのは事業部門(ライン・マネジャー)で、人事部は、「人事を助ける」部署です。その企業の経営事情を考慮はしつつも、メインは人事を助けるための環境整備やシステムを作るためのスキルやノウハウを活用する汎用性の高い仕事なのです。よって、企業特殊的な経営判断に直接関わることなく、企業が人事を効果的に行うための仕組みづくりのプロフェッショナルとして他の外資系企業の人事部にも転職しやすいわけです。

多国籍企業の海外拠点における人材マネジメントはどうあるべきか

経済のグローバル化の進展にともない、わが国での多くの企業が海外に拠点を設けるようになり、いわゆる多国籍企業になってきました。多国籍企業経営の難しいところは、制度的・文化的環境の異なる国々を跨いだかたちで、企業としてのグローバルな事業を円滑に行っていく必要があることです。異なる環境を持つ国でそれぞれのやり方に従っているだけではグローバル企業としての統一を保てませんし、ヒト、モノ、カネ、知識といった経営資源をグローバルに展開することによって総合力を発揮することもできません。そこで、経営資源の1つであるヒトの面において問題になるのが、多国籍企業の海外子会社など、海外拠点の人材マネジメントをどのようにしていったらよいかということです。


その際の論点となるのが、本国もしくは企業本体の人材マネジメントシステムを海外拠点に「輸出」する、もしくは人材マネジメントを「グローバルに統合する」か、海外拠点のある現地の雇用慣行などに従い、本国もしくは企業本体の人材マネジメントシステムとは異なるシステムを導入するかという点です。一般的に、多国籍企業本社のマネジメントは本国の経営環境の影響を強く受けていることから、本国で行われている人材マネジメントシステムが海外拠点での人材マネジメントシステムのあり方に与える影響を、「出身国効果(country-of-origin effects or home-country effects)」といいます。それに対し、海外拠点がある現地国の制度的・文化的影響が、拠点での人材マネジメントのあり方に与える影響を「操業国(現地)効果(country-of-operation effects or host-country effects)」といいます。


多国籍企業が海外拠点の人材マネジメントシステムにおいて出身国効果を志向する理由は、まず、出身国で成功した人材マネジメントシステムはそれなりに競争力の源泉であると考えられるため、それを海外にも移植すべきだという考え方に基づきます。「企業は人なり」とするならば、その人のマネジメントの仕方にはその企業なりのやり方があるので、それを一貫して用いようということです。また、多国籍に事業を展開しているとはいえ、1企業としての統一感を出すためにも、人材マネジメントシステムは統一化するべきだという考え方もあります。さらには、世界中を通じて人材マネジメントが標準化されることによって、国をまたがった人材の移動にも対応しやすいという理由も考えられます。たとえば本国から海外拠点への派遣や、海外拠点同士の人材移動においても、人材マネジメントシステムが標準化されていれば、本人たちはそれほど戸惑うこともありません。


逆に、人材マネジメントシステムの現地化を推し進める理由としては、そもそも人材市場や雇用慣行はその国に特有の制度的・文化的慣行に埋め込まれているため、それに従わなければ現地において正当性が得られないだろうという考えがあります。「郷に入らば郷に従え」ということです。現地で常識だと思われているやり方に従わなければ、その企業は非常識だと認識されかねないということです。現地における他の企業と似たような人材システムを整備したほうが、現地の優秀な人材を獲得できる可能性が高いとも考えられます。他の現地企業を志向する人々の選択肢の中に当該企業が入ってくるからです。


実際の海外拠点の人材マネジメントシステムは、出身国効果および現地化の2つの力のせめぎあいに基づく折衷型、混合型である場合が多いのですが、人材マネジメントシステムをそのコンポーネントに分解するならば、コンポーネントによって出身国効果が色濃く出ている施策もあれば、現地化の色彩が強い施策もあるでしょう。出身国で成功したやり方を模範としたうえで、世界的に統一化、標準化したほうが企業競争力にとって望ましいとおもえる部分については、統一・標準化を推し進め、現地の制度的・文化的慣行に従ったほうが人材マネジメント上望ましい部分については現地化を推し進めるというようなかたちが現実的なのでしょう。