巨大なムラ社会的グローバル企業としてのトヨタ

日本の企業はムラ社会的で、共同体的であるという指摘をしばしば耳にします。島田(2013)も、現在の日本は企業社会であり、日本企業が近代社会の担い手となってきたのであり、そのことが日本の経済的豊かさを支えていることを示唆しています。そういう意味でも、終身雇用、年功序列、企業内組合といった3点を基本とする日本の企業は、構成員と組織との間に長期にわたる緊密な関係が存在し、「共同体」としての性質を兼ね揃えているというのです。そして、この共同体としての企業組織を動かしていく基本的な原理となるのが、企業の経営哲学や理念であると島田は指摘します。組織としてとらえると、企業と宗教集団のあいだに強い類似性を見出すことができると宗教学者である島田は論じるのです。経営哲学や理念が組織内に浸透しきっている会社は、カルチャーが濃く、クセがあり、体臭がきつく、どこか宗教臭いと感じるのもあながち的外れではないのでしょう。


島田がそういった視点から分析対象としている企業の1つトヨタ自動車です。豊田自動織機の自動車部門としてスタートしたトヨタは、当時、三井や三菱といった財閥が大きな力を持つ中では、新興のベンチャー産業にすぎなかったと島田は解説します。豊田佐吉は、日蓮主義や、二宮尊徳に由来する報徳思想の影響を受け、倹約貯蓄など勤勉で禁欲的な姿勢や労働観を企業の理念としていった。つまり、日蓮主義と報徳思想が、トヨタ宗教哲学の基盤を形成する役割を果たしたと分析しています。


そして、トヨタの特徴として「挙母という土地から離れない」ことと「村の原理」を挙げています。つまり、トヨタという企業は、グローバル企業でありながら、挙母という土地すなわち愛知県豊田市に深く根ざし、そこから離れない「共同体」としての性格を強く持っているというわけです。また、トヨタの企業組織は村社会に発したもので、地域を限定し、そのメンバーの欲望に一定の枠をはめることによって安定をはかってきたといいます。それは、カリスマ的リーダーが不在であり、かつ突出した人間を生み出さないという村の原理に表れています。村社会では緊密な人間関係が結ばれ、その関係が世代を超えて踏襲されます。そうした環境では、突出した成功者が生まれることは好まれないのだと島田は指摘するのです。日本の村にはそういう仕組みが備わっているのであり、トヨタも然りということでしょう。また、末席の役員でも積極的に発言するトヨタの取締役会のあり方も、村の寄り合いを彷彿させると島田はいいます。


一方、トヨタは無駄を省いて生産性を高めることについては、暗黙知的なものに頼らず、精神論ではなく仕組みを作ることによってグローバルに成功してきたという点も指摘しています。それは、徹底した文書化と、作成した文書の蓄積と管理に多大なエネルギーを費やしていることからも伺われるといいます。あらゆる無駄を省き、生産過程を効率化し、自己資本を充実させることで、バブル崩壊リーマンショック、タイでの洪水などに伴う生産・販売減少などの危機にも対応できる体制を作り上げてきたというわけです。


そして、島田は、トヨタの経営理念の基礎となっている「トヨタ教」は、地域に根差した宗教であるという視点を投げかけます。それは「仕事改善の中毒集団」とも揶揄されるような職務態度、お神輿経営でなく、上に立つ者ほど率先して行動する「上役率先」、上の立場の人間が重要事項の処理にあたるために業務を熟知するための自主的勉強会、「秘儀化」したトヨタ生産システムなどに表れていると指摘します。要するに、会社として絶え間ない改善や上役率先を実践するためには、社員の側が、それらを自発的に行う意欲を持っていることが前提であり、そうした意欲が生まれるためには、社員がトヨタという企業組織に対して強い一体感を持っていなければならないというのです。トヨタの発展が自己の人生の目的になるというように一体化ができれば、トヨタ社員としての人生は充実したものになる。トヨタの社員になることは「トヨタ教」の信者になることと等しいかもしれないと島田は結論づけています。