愛社精神2.0

かつて、高度成長を支えた日本企業の強みは、終身雇用制度や年功序列などの雇用形態にもとづきモーレツに働く社員の帰属意識、忠誠心、そしてそれらに支えられた企業の求心力だといわれていました。つまり、日本企業の競争力の一翼を担ってきたのが、社員による「愛社精神」であったのだと思われます。しかし、時代は変わり、わが国でも経済の停滞と少子高齢化が進み、日本企業もかつてのような終身雇用を維持することは困難になってきました。また、世代も変わり、仕事よりも家庭やプライベートの生活を重んじる人々も増加し、かつてのようなモーレツ社員、愛社精神や忠誠心に富んだ社員というのは過去の姿になってしまったのかもしれません。


では、価値観も多様化し、企業としても安定雇用の保証を約束できなくなり、よって新卒で入社して定年まで勤めあげるという終身雇用が非現実的となりつつある昨今、そして世代も変わっていくこれからの時代、日本企業にとって、社員の忠誠心、帰属意識などは期待できなくなるし、また、そのようなものは必要がなくなるということなのでしょうか。


必ずしもそうとはいえないでしょう。これからもなお、企業の成長や業績の向上のためには、社員が愛社精神をもって仕事に取り組むことは重要であると考えられます。そしてこれは、終身雇用を前提としなくても実現は可能だと思われるのです。


いったん、働く個人の視点に目を向けてみましょう。かつての終身雇用的な雇用の下では、自分の所属する企業に対して愛社精神を持つことは自然なことだと考えられます。会社は自分のアイデンティティの一部であり、会社の発展は自分の発展であり、会社の喜びは自分の喜びでもあるからです。しかし、このように終身雇用と結びついた愛社精神には危険な面があります。それは、昨今のように、なんらかの事情があって自分が会社にとどまることができなくなった場合、具体的に言えば、業績不振のためリストラの対象になったりした場合、いっきに「ガックリ」ときてしまい、生きる希望さえ失いかねないからです。これは「会社こそすべて」という類の愛社精神であるがゆえのリスクで、会社を去るということが、自分自身の存在意義がなくなることに等しいという考えに陥ってしまうというリスクです。このような愛社精神を、「愛社精神1.0」と呼ぶことにしましょう。


しかし、考えてもみれば、私達は、かつて所属した組織に対しても愛着を持っていたりします。例えば、自分が卒業した高校が甲子園に出場すれば、誇らしいと思うと同時に心から応援しようと思うでしょう。そしてこの愛校精神は、通常は在学中にも有していたものです。これは健全な形の愛校精神です。そう、学校は数年で卒業しなくてはならないため、ずっとその一員としてとどまることができません。それでも、愛校精神が不可能かというと、そんなことはないのです。卒業生として、母校になんらかの貢献をしたいと思ったり、実際にそれを実行したりする人さえいるでしょう。


これと似たような現象はビジネスにもあります。例えば、外資コンサルティングファームは、平均すれば多くの社員が入社後数年で辞めていきます。しかし、高業績を維持するコンサルティングファームほど、辞めても愛社精神を持ち続ける、あるいはファンでありつづける元社員が多いと思われます。もちろん、在籍中も愛社精神を持ち続け、必死になって仕事をしていたことでしょう。実際、このようなコンサルティングファームは、元社員をアルムナイ(卒業生)と呼び、良好な関係を維持しているという話もききます。


上記のような事例から浮かび上がってくるのが、終身雇用とは切り離された「愛社精神2.0」です。愛社精神2.0は、自分が半ば永遠に当該企業に所属するということを前提としていません。むしろ、当該企業に在籍している期間は限定されている可能性を十分理解しています。そのうえでもなお、そこで働く企業に対して愛社精神を持ち、その企業の発展のために献身的に仕事をするのです。これは、これからの時代においては、終身雇用と結びついた「愛社精神1.0」よりも健全な愛社精神だといえます。その企業を去ったとしても、卒業生もしくはアルムナイ、OBOGとして、愛社精神を持ち続ければよいのです。


企業経営の立場に移して考えるならば、企業は、上記のような議論を踏まえたうえで、社員の「愛社精神2.0」を高めるような経営、人材マネジメントを行うことが、企業業績を高めるうえで有効であるということが示唆されます。「これからの時代、もはや企業として終身雇用は維持できないのだから、社員からの愛社精神は期待できないし、それを必要としない経営をするべきだ」と考えるのではなく、「終身雇用を前提としない愛社精神2.0を勝ち取るにはどうすればよいか」を考えながら、経営をしていくのが得策だといえるのではないでしょうか。