なぜ成果主義賃金を好む国と嫌う国があるのか:鍵となる「公正世界信念」

以前、わが国の人事の世界では「成果主義ブーム」が起こりました。年功的な賃金運用への批判から、高い成果をあげた社員には高い給料で報いるという方針を基本とする成果主義賃金の導入を進めようとする動きが全国的に広がったのです。しかし、このような「成果主義信奉」はやがて「成果主義批判」につながり、「ポスト成果主義」なる言葉まで生み出しました。わが国で成果主義賃金導入が成功しなかった理由はいろいろあるでしょうが、もし国民が基本的に成果主義の発想に賛成であるならば、そのような困難を克服してでも、社会全体として成果主義賃金の導入を目指そうとするでしょう。しかしどうやら、わが国では、成果主義賃金はあまり受容されないようです。


さて、ここでは、成果主義賃金を、個人の成果に応じて変動する賃金と定義しておきましょう。世界に目をうつすならば、アメリカでは基本的にこのような成果主義賃金が受容されるのに対して、大陸ヨーロッパでは成果主義賃金はあまり受容されません。このように国によって成果主義賃金の受容度に違いがあるのはなぜでしょうか。この問いに関して、Frank, Wertenbroch & Maddux (2015)は、人々が成果主義賃金を好むか嫌うかを左右する大きな要因が、人々が抱いている「公正世界信念(just-world beliefs)」の度合いだと主張します。


公正世界信念(just-world beliefs)とは、一言でいえば、人々が「この世界は公正にできている。みな平等の機会が与えられており、努力すればそれが報われる世界である」と思っている度合いを指します。公正世界信念が強い人は、「努力した結果として高い成果を出したならば、それに対して正当な報酬を得るのは当然である」という考え方をします。逆に、公正世界信念が弱い人は、「世の中は不公正・不平等である。人々は平等に機会が与えられるわけではないし、努力しても成果に結びつくとは限らない。だから、良い社会とは、社会全体で生み出した富を政府などの主導で人々の再分配するような社会である」と考えます。


Frankらによれば、大陸ヨーロッパは封建社会、貴族社会、君主制などによって、人々の身分や社会階層が固定されてきた時代を経て形成された歴史を持つため、伝統的には、公正世界信念は低い人々が多いと考えられます。いっぽう、アメリカ合衆国のような国は、自由や機会の平等を理想として新たに建国された国であり、封建制や貴族制などの歴史的背景が薄いために、公正世界信念が強い人々が多いと考えられます。それが大陸ヨーロッパとアメリカとの社会経済制度の違いにも表れています。ヨーロッパでは、所得格差は個人の努力や得られる機会とは関係ないところで生じがちであると考えるため、社会民主主義福祉国家が志向され、富の再配分による平等化が推進されます。一方、アメリカでは自由主義・市場主義が重視され、所得格差は人々の努力の度合いが反映されているのだからあるていど公正な結果であると考える傾向があるといえるでしょう。


企業の成果主義賃金というレベルに落としても、同様のことがいえるとFrankらは指摘します。成果主義賃金は、個人の努力によって生じた高い成果に対して高い賃金で報いるということですから、アメリカのような公正社会信念の高い人々で成り立っている国では好まれると思います。一方、企業レベル、チームレベルの業績に応じて全員に平等に支払われるような賃金は、報酬の再分配機能によって高い成果をあげた社員が、成果をあげられない社員を金銭的にサポートしていることになぞらえられますので、公正社会信念の低い人が多い大陸ヨーロッパで好まれると思われます。


Frankらは、上記のロジックから導き出された仮説を、3つの実験によって検証しました。その結果、大陸ヨーロッパ、アメリカ合衆国といった国の違いによって、人々の公正世界信念の度合いに違いがあること、そして、公正世界信念の違いが、成果主義賃金を好むか嫌うかの度合いに影響を与えていることが支持される結果を得たのです。

文献

Frank, D. H., Wertenbroch, K., & Maddux, W. W. (2015). Performance pay or redistribution? Cultural differences in just-world beliefs and preferences for wage inequality. Organizational Behavior and Human Decision Processes, 130, 160-170.