募集と採用選考の人事経済学2ーリスクコントロールで人的資源価値を最大化する

前回のエントリーでは、労働市場における情報の非対称性を逆手にとった工夫をすることで求職者の自己選択を促し、自然と自社にとって価値の高い人材のみが応募してくる仕組みをつくるロジックを説明しました。今回は、ラジアーとギブス(2017)を参考に、人材価値を捉える際のリスクに焦点を絞り、リスクを最大限に味方につけることで企業の利益を最大化するような募集・採用選考について考えてみます。


企業にとって支払う報酬を超える経済的価値を生み出し続けてくれる人材が企業にとどまり、そうでない人材が企業を去っていくような仕組みが作れると、リスクの概念を加えることによって、企業の採用選考の有益な方針を導くことができます。そもそも、企業に貢献できない人材がその企業にとどまることは、お互いにとってハッピーではありませんので、何らかの形で早期に雇用関係を解消するのが望ましいでしょう。しかし、例えば日本でいえば解雇規制の関係などがあるので、少なくとも企業が不必要な人材を放出することはなかなかスムーズにいきません。だからこそ、そのような環境にある企業ほど、採用選考にコストをかけて、間違った人材を採用してしまうリスクを最小限に抑えようとすることは経済学的に理にかなっています。逆に、解雇しやすい環境にある企業ほど、採用選考にあまりコストをかけなくても、間違った場合にはすぐに解雇してしまえばよいということになります。


話はそれますが、上記の特徴は、日本とアメリカの雇用のあり方の違いを反映しているように思えますし、日本とアメリカの大学の違いも反映しているように思えます。日本の場合、いったん大学に入学できてしまうと、よほどのことがない限り卒業できます。よって、入学時に間違った決定をしてしまわないように、入学試験を非常に重視するのです。慎重に慎重を重ね、公平な試験をし、できる限り正確に学力を測定したうえで入学を決定します。そうすることで場違いな学生が大学に居残るというリスクを最小化しています。一方、アメリカの大学は、入学後に成績が不良であれば容赦なく退学させられてしまいます。つまり、間違って不適切な学生が入学しても、その人はどこかで放出され最終的には卒業できないようになっているので、場違いな学生はサバイブできません。よって、入学試験も、書類審査のみで済ますなど、日本ほど気を使っていないように思えるわけです。


話を戻しましょう。採用選考の基準として用いる応募者の価値の把握には、通常は、その人材が将来生み出す経済的価値を現在に割り引いた現在価値を用いるのが理にかなっています。これは、企業の株価が、その企業が将来生み出す利益の予測から導かれるのと同じ考え方です。ただし、その人材が生み出す経済価値といっても不確実性がありますから、その平均値すなわち期待値を用いるのが自然な考え方でしょう。しかし、リスクを積極的に活用することで、企業は募集・採用の効果を最大化することができます。


その法則とは何かというと、人材が将来生み出す経済的価値の期待値が同じであるならば、リスクの大きい方を選んで採用するというものです。人材が将来生み出す経済価値が正規分布のような分布に従っているとします。そうすると、リスクの大きい人材というのは、将来非常に大きな経済価値をもたらしてくれる可能性を有する一方、逆に、将来会社に大きなダメージを与えるほど業績不振に陥る可能性もあることを意味しています。つまり、リスクには、上振れのリスクと下振れのリスクがあるわけです。よって、企業からみて、リスクの大きい人材を採用した場合にそれを企業の業績向上につなげる秘訣は、上振れのリスクが顕在化したときに、そのメリットをうまく掬い取ることができ、下振れのリスクが顕在化し始めたときには速やかにその人材を放出することで企業をダメージから守ることができる仕組みを作るということです。


上記の方法は、ファイナンス理論におけるリアル・オプションという考え方を用いて論理的に説明することができます。リアル・オプション理論は、なんらかの意思決定をする権利そのものに経済的価値があるという考え方です。例えば、企業が、業績不振者をすぐに放出できるような仕組みを整えた場合、ダウンサイドリスクが顕在化しないので期待値としての現在価値の計算に考慮する必要がありません。業績不振者をすぐに放出できない場合には、そのようなオプションを有していないということになり、ダウンサイドリスクも加味して期待値としての現在価値を計算する必要があります。つまり、業績不振者をすぐに放出できる場合、そうでない場合に加えて、リスクの大きい人材の現在価値が増大するのです。つまり、企業が業績不振者を放出できるという権利(オプション)に価値があるので、その分だけ現在価値が上がるのです。


企業がリスクの大きな人材をたくさん採用することで人材ポートフォリオを構築すれば、理論的には、その半分についてはアップサイドリスクが顕在化し、企業の利益が大きく増大します。残りの半分は、ダウンサイドリスクが顕在化する前に放出してしまうことで、損失を防ぐことができるわけです。このようなロジックが内在された業界として考えられるのが、芸能界です。芸能プロダクションがアイドルやタレントの卵をスカウトする際には、理論的には、将来大化けするかもしれないが現状では不確実性が高いような人材を積極的にスカウトして採用することが理にかなっていますし、実際、そのようにしているのではないでしょうか。ただし、芸能界の場合は、業績不振の人材を強制的に放出するというよりは、そのような人材はそもそも収入が得られないような歩合制を中心とする報酬の仕組みにしているケースが多いと思われます。歩合給だと、人材が経済的価値を生み出さなければ、企業としても報酬を支払う必要がありません。収入が得られない人材は自発的に離職するでしょう。そうすることで、企業はダウンサイドリスクの顕在化に対する損失を防いでいると言えましょう。


前回のエントリーで説明した、試用期間やアップ・オア・アウトという仕組みも、今回のリスクコントロールで人的資源の価値を最大化しようとするロジックと整合的です。リスクを承知で採用してみたが、ふたを開けてみると期待通りに業績を出してくれなかった、すなわちダウンサイドリスクが顕在化してきた人材を安心して雇用解消できるのが、これらの制度だということです。