科学的証拠に裏付けられた「心理資本」に投資して組織や個人の成功を勝ち取ろう

組織ではたらく個人が自分の持っている能力を最大限に発揮することで、組織としても競争力が最大化します。このもっとも基本的な原理原則を実現するために、できるだけ科学的証拠に裏付けられた、すなわちエビデンスベースの知識を活用していきたいものです。今回は、それを可能にする鍵となる、Fred Luthansらによる学術的研究によって生み出された「心理資本」(心理的資本あるいはポジティブ心理資本)という概念を紹介します。英語では、Psycholgoical Capital、略してPsyCapと呼ばれています。個人や組織が心理資本に投資することで、それがポジティブな結果をもたらすことが理論的にも実証的にも確認されているのですから、これを実践しない手はありません。では、そのような心理資本とはどのような概念なのでしょうか。Luthans, Youssef-Morgan & Avolio (2015)は、心理資本を以下のように定義しています。

以下の4つの特徴を持つ個人のポジティブな心理的状態の開発。その特徴とは、(1)挑戦的なタスクを成功させるために必要な努力を注ぐことを可能にする自信(効力感)、(2)現在そして未来の成功に対する肯定的な状況判断の視点(楽観性)、(3)成功するために、必要であれば道筋を変えてでも目標を実現させようとする辛抱強さ(希望)、(4)問題や逆境に直面しても態勢を維持し、立ち直り、さらにそれらをバネにして成功を勝ち取ろうとする粘り強さ(レジリエンス


つまり、心理資本は、効力感(Efficacy)、楽観性(Optimism)、希望(Hope)、レジリエンス(Resilience)からなる開発可能な心理状態(資源・リソース)です。心理資本や個人の固定されたパーソナリティではなく、トレーニングなどによって開発可能なので、資本として投資の対象となり得るわけです。また、4つの頭文字を並び替えると(HERO)となります。まさに物語の英雄(ヒーロー)です。さまざまな物語の英雄(ヒーロー)が、なぜ英雄たるのか考えてみましょう。おそらく、英雄は、高い心理資本(自信、希望、楽観、粘り強さ)を獲得したからこそ、成功を勝ち取る英雄としての資格を得たのだといえるのでしょう。ですので、心理資本に投資することは、英雄が持っている心理的強さを獲得すること、あるいは、自分自身を物語の英雄に仕立て、そのために必要なこころの力(自信、希望、楽観、粘り強さ)を具備していくことで成功のためのリソースを獲得することだと言ってもいいかもしれません。


では、心理資本が実際に個人や組織を成功に導くポテンシャルを持っていることを示す理論的・実証的根拠について説明しましょう。まず、心理資本の概念は、マーティン・セリグマンらによる「ポジティブ心理学」の流れを汲んで開発された概念です。ポジティブ心理学とは、人間心理における問題や不適応に注意を向けてそれを直すこと(問題解決)に注力するばかりではなく、幸福や成功につながるポジティブな側面を伸ばすことに焦点を当てる学術的視点です。Luthansらがこれを経営学の組織行動論に適用したのが、ポジティブ組織行動論であり、その中の中核的概念が心理資本というわけです。心理資本には4つの特徴があるわけですが、すべてに共通しており、よって心理資本として集約する特性が、(1)自分の内面にある、主体的、コントロール可能的、志向性の感覚、(2)努力への意欲や持続性に基づき、環境や成功可能性を肯定的に捉える傾向です。


では、心理資本が(自信、希望、楽観、粘り強さ)の4つの特徴(リソース)からなる根拠は何かというと、これら4つの要素は、エビデンスベースなポジティブ組織行動論の基準を満たしていることです。その基準とは、まず1つ目に、これらの特徴は、直すべき問題、克服すべき課題といったネガティブな側面ではなく、それらを伸ばすことが成功につながるというポジティブな側面を持った特徴だということです。2つ目は、それが質問紙などによって測定可能であるということです。測定可能だということは、現状を把握し、さらに伸ばしていくなどのマネジメントが可能だということでもあり、その要素が本当に業績を高めるのかの科学的実証研究が可能だということです。3つ目は、それが人の性格のように固定され変化しないものではなく、開発可能な可塑的なものであるということです。投資をして開発可能であるからこそ、それが成功のための重要なリソースとなるわけですから実践的な意義もあります。そして4つ目が、これらの特徴が実際に業績に結び付く科学的エビデンスがあるということです。


Luthansらは、心理的資本をあくまでエビデンスベースの科学的証拠に裏付けされた概念として扱っています。そして、心理資本を構成する4つの特徴について詳しい学術的研究の知見を解説し、その有用性を力説しています。また、どのようにして心理資本を高めていけばよいのかについても解説しています。さらに、この4つの心理的資本の構成要素以外にも、今後、学術的研究が進展すれば心理的資本の他の構成要素として含めることができる可能性のある概念も紹介しています。それらは、創造性、フロー、マインドフルネス、感謝の気持ち、寛容さ、感情知性(EQ)、スピリチュアリティ、オーセンティシティ、勇気です。これらの概念はまだ組織行動論における研究としては新しく、研究も発展途上なため、心理的資本の構成要素として組み込むにはまだ時期尚早だとLuthansらは考えているようです。

プロフェッショナルが行っている「アイデンティティ・カスタマイゼーション」とは何か

仕事をする人々にとって「私は何者であるか」を意味する「職業アイデンティティ」は重要です。とりわけ、医師、法律家、会計士、デザイナーなどのプロフェショナルとか職業人と呼ばれる人にとって、職業アイデンティティは、職業人としての誇りや使命感、倫理感などを形成する核となるので非常に重要です。しかし、彼らが、いかなるプロセスで、職業人としてのアイデンティティを形成していくかについての理解はまだ十分に進んでいません。このことを鑑み、Pratt, Rockmann & Kaufmann (2006)は、6年をかけて病院の研修医の仕事とアイデンティティ形成に関わる追跡調査を行い、彼らが職業アイデンティティを形成していくプロセスで「アイデンティティ・カスタマイゼーション」なるものを行っていることを発見しました。では、アイデンティティ・カスタマイゼーションとはいったい何なのでしょうか。


Prattらが調査結果に基づいて構築したモデルによれば、仕事を始めたばかりのプロフェッショナルは、仕事そのものの学習と、アイデンティティそのものに関する学習の両方を同時に行っていきます。研修医で言えば、まず大学の医学部で医者となるための基礎を身につけたのちに研修医として病院で働き、実地訓練によって仕事を習いつつ、職業アイデンティティも形成していくわけです。しかしここで多くの場合「私は何者なのか(例、外科医、放射線技師、一般医師)」と、「私は実際何をしているのか(例、患者の世話、手術、事務処理、会議、雑務)」を吟味したところ、どうもズレがあると感じ、違和感を感じるようになります。Prattらは、これを「仕事上のアイデンティティ統合妨害」と呼びます。つまり、私は何者か(=職業人アイデンティティ)と、私は何をしているのか(=その職業人として行うべきこと)がずれているため、職業アイデンティティを確立するうえでの障害となるわけです。


そこで、このアイデンティティ統合妨害を克服するために職業人が行っていることとしてPrattらが発見したのが「アイデンティティ・カスタマイゼーション」なのです。アイデンティティ・カスタマイゼーションとは、とりあえず形成した「職業アイデンティティ」をカスタマイズし、より仕事の実態(実際にやっていること)と整合性がとれるように修正し、変化させていくことを指します。つまり、自分は何者であるかという職業アイデンティティを修正し、変化させていく試みです。例えば、医学部を出たての研修医の場合「医者というものはこういう職業だ」というイメージを持っており、それに基づき自分の職業アイデンティティを形成しようとしますが、実際に研修医として働くうちに「自分が実際にやっていることは、どうも自分が描いていた医者のイメージと違うな」ということを感じ始め、それが、最初に描いた職業アイデンティティを修正する「カスタマイゼーション」につながっていくというわけです。


Prattによれば、どのようなアイデンティティ・カスタマイゼーションが起こるかは、当該職業人が置かれている状況によって異なってきます。例えば、自分がやっている仕事の自律性(自由度)が高い場合、仕事の内容ややり方を変えてみる(ジョブ・クラフティング)を行うことを重視して、アイデンティティ統合妨害をなくし、アイデンティティと実際の仕事の統合を図っていくことでしょう。一方、仕事の自律性が低く、自分で仕事のやり方を修正したりできない場合には、自分の職業アイデンティティの修正のほうをより重要視して、アイデンティティと実際の仕事との統合を図っていくことでしょう。Prattらの研修医の調査では、研修医が任されて行う仕事は、一般的には彼らが自由にやり方を変えたりできるようなものではなく、自律性が低いものとして報告されています。


また、アイデンティティ統合妨害の度合いが非常に大きい場合と、小さい場合とでは、アイデンティティ・カスタマイゼーションの種類も異なってきます。統合妨害が小さい場合には「アイデンティティ充実(エンリッチメント)」がなされます。これ入ってみれば、アイデンティティを微修正してより良いものに昇華させようとする試みです。一方、統合妨害が大きい場合には、「アイデンティティ・パッチング(つぎはぎ・補修)」もしくは「アイデンティティ・スプリンティング(副木固定)」が行われます。統合妨害が起こるまでにかなり強力な職業アイデンティティが形成されている場合(例、外科の研修医)は、もともと形成したアイデンティティとあわない部分を別のアイデンティティ要素によって補修(パッチング)し、アイデンティティを確立していきます。一方、統合障害が起こる前のアイデンティティがそれほど確立されていない場合(例、放射線技師)の場合、そもそも、何をすべきかという知識がまだ明確でないため、以前に学んだ職業アイデンティティを副木のようにして、実際に何をしているのかを参照しながら、自分自身の職業アイデンティティを形成していきます。


Prattらによれば、上記で挙げた3つのアイデンティティ・カスタマイゼーション(アイデンティティ・エンリッチメント、アイデンティティ・パッチング、アイデンティティ・スプリンティング)は、1人の職業人が、仕事上の成長段階に応じて順番に使い分けていくものであることも示唆しています。例えば、職業人としての駆け出しで、まだ仕事としてどんなことをやっていくのかについての知識が少なく、かつ、職業人としてのアイデンティティが未形成の状態の場合、主に「アイデンティティ・スプリンティング」によって統合妨害を克服し、自分自身の職業アイデンティティをカスタマイズしていくことでしょう。同様に、プロフェッショナルが自分自身の職業範囲を超えた「越境」を行い(例、大学教授から作家や評論家へ)、これまでとはやや異なる種類のプロフェッショナルとして活動しはじめる場合にも同様のカスタマイゼーションが起こることでしょう。職業アイデンティティがある程度確立し、成熟してきた段階においては、大きな統合妨害が起こる場合(例、同一職業で外資系から国内企業に転職するなど)には「アイデンティティ・パッチング」によって、職業アイデンティティの補修を行うことでしょう。統合障害が小さい時に行う「アイデンティティ・エンリッチメント」は、職業人としての後期により多くの頻度で生じることでしょう。


Prattらのモデルでは、プロフェッショナル(職業人)は、仕事そのものの学習と、自分自身の職業アイデンティティ形成のための学習を同時に循環させ、ところどころで、職業アイデンティティ(自分は何者か)と、実際の仕事(自分は何をしているのか)のチェックを行い、そこにアイデンティティ統合妨害を見出した場合、「アイデンティティ・カスタマイゼーション」を行い、その結果、仕事でのフィードバックや人々の見方を参照することで、自分が形成しつつある職業アイデンティティが適切なものであるかどうかをチェックする(社会的妥当性検証)というプロセスを繰り返しながら、プロフェッショナルとして成熟していくものとして描かれています。このようなプロセスを通じて、プロフェッショナルの職業人生というのは、職業アイデンティティを形成し、状況に応じて変化させていくというプロセスを伴うのだと言えましょう。


また、Prattらは、多くの場合、医者のようなプロフェッショナルに生じる「アイデンティティ・カスタマイゼーション」は、「マス・カスタマイゼーション」に近いものではないかということも示唆しています。「マス・カスタマイゼーション」とは製造業において大量生産と受注生産を組み合わせたようなもので、工場でいったん大量生産した製品を出荷したのち、ユーザー側で必要に応じて製品をカスタマイズすることを指します。医者の世界に例えばいうならば、医学部というのは、ある決まった形の技術や知識を教え込み、同じような「職業アイデンティティ」をもった研修医を大量生産することになります。そして、それぞれの研修医は、実際に病院で仕事を始めてから、それぞれの置かれた状況(病院の違い、専門の違いなど)に応じて、自分自身のアイデンティティをカスタマイズして、もっとも自分のニーズにあったものにしていくというわけです。

文献

Pratt, M. G., Rockmann, K. W., & Kaufmann, J. B. (2006). Constructing professional identity: The role of work and identity learning cycles in the customization of identity among medical residents. Academy of management journal, 49(2), 235-262.

リーダーシップの人相学はどれだけ正確か:卒業アルバムの顔写真からリーダーとしての成功を予測する

人間の顔の特徴からリーダーとしての成功を予測することができるかという問いに真面目に答えようとした研究があります。いってみれば、リーダーシップの人相学です。結論の一部を先取りすると、なんと、大学の卒業アルバムの顔写真から、数十年後のリーダーの成功を有意に予測できることを示唆する研究結果が出たのです。


そもそも、人相学と聞くと、占いのようであやしいものだと思うかもしれません。しかし、私たちは、他人の顔を一目見ただけで、かなり正確にいろんなことを判断できる能力を備えています。例えば、私たちは、人の顔の表情から、うれしいのか悲しいのか、怒っているのかなど、その人の感情をかなり正確に言い当てることができます。なぜならば、人間の感情表現には普遍性があり、人間は進化の過程でその感情表現を瞬時に読み取ることができる生得的な能力を身に着けているからです。私たちは人相からその人の性格も言い当てられる能力を持っているといえます。例えば、常に笑ってすごしてきた人は、笑いにかかわる特定の顔の筋肉が発達してにこやかな表情になっているのに対し、常に怒ってきた人は、怒りにかかわる筋肉を発達させるので、怒りっぽそうな顔になっていると考えられるからです。


RuleとAmbadyらの研究チームは、このような観点から、リーダーの人相から、彼らのリーダーとしての成功度合い、例えば、会社の利益などを予測することが可能かに関する科学的な研究をいくつか実施してきました。彼らが拠り所にしたロジックは、リーダーとして成功するための特定の性格特性が存在し、顔の特徴からその性格特性が予測できるのであれば、結論として、リーダーの顔からリーダーの成功を予測できるというものでした。


まず、Rule & Ambady (2008)の研究では、アメリカのフォーチュン500企業のウェブサイトから収集した50人のCEOの写真をできるだけ均質にして、ランダムに大学生に提示し、顔写真からその人の性格を判断してもらいました。その結果、大学生は顔写真から「貫禄(有能さ、支配的、成熟性)」と「暖かさ(好意的、信用できる)」という大きく分けて2つの性格特性を判別し、その判断は学生同士である程度一致していました。そして、この2つの性格特性と企業業績の関係を調べたところ、学生が判断した「貫禄顔」と、企業利益に有意な相関がみられたのです。これは、例えば容姿の魅力度など、他に考えられる要因を統計学的に割り引いたあとでも有意でした。 なお、「暖かみのある顔」と企業業績との相関はありませんでした。


次に、Rule & Ambady (2011a)の研究では、アメリカのトップ100の法律事務所の最高経営者(マネージング・パートナー)について、現在の顔のみならず、彼らの学生時代の顔写真も使いました。具体的には、Rule & Ambady (2008)と同様にウェブサイトから集めた写真を用いてたものと、彼らの卒業アルバムからスキャンしてきた顔写真を用い、それぞれ別の大学生のグループに彼らの性格特性を判断してもらったのです。その結果、卒業アルバムの顔写真からでも、現在の顔写真からでも、学生たちが判定した「貫禄顔」は、その最高責任者が経営する法律事務所の利益と有意な相関が見られることがわかりました。大学時代の顔写真からも同じ結果が得られたことについて、RuleとAmbady は 、大学生のときまでに形成された顔つきは、その後大きくは変化しないためではないかと推論しています。


しかし、日本では、これまで紹介してきたような証拠は見つかっておりません。実際、Rule, Ishii & Ambady (2011)の研究では、アメリカと日本において同様の研究を行い比較を行っています。その結果、日本でも、社長の顔写真からある程度一致するかたちで性格の判断ができるものの、アメリカとは異なり、判断された性格と企業業績との有意な関係は見いだせませんでした。Ruleらは、このような結果の原因として、とくにアメリカにおいては、権力、支配力がリーダーとしてのイメージや実際のリーダーシップと相関しているが、日本では必ずしもそうではないからではないかと推測しています。アメリカでは、「貫禄顔」の人は、実際に権力や支配力を得やすい性格であるため、あるいはそのような顔をしている人のほうがリーダーっぽいので実際にリーダーに選ばれやすく、リーダーとしての経験を積みやすいからではないかと論じられています。


リーダーシップというのは、人間だけに当てはまるものではありません。サルなどの動物にも見られます。そうなると、実は、人間というのは、サルなどから進化してきたプロセスのなかで、顔や体の特徴から、だれがリーダーなのかを瞬時に判別する生得的な能力がそなわっているのかもしれません。

参考文献

Rule, N. O., & Ambady, N. (2008). The face of success inferences from chief executive officers' appearance predict company profits. Psychological Science,19(2), 109-111.

Rule, N. O., & Ambady, N. (2011a). Judgments of power from college yearbook photos and later career success. Social Psychological and Personality Science, 2(2), 154-158.

Rule, N. O., & Ambady, N. (2011b). Face and fortune: Inferences of personality from Managing Partners' faces predict their law firms' financial success. The Leadership Quarterly, 22(4), 690-696.

Rule, N. O., Ishii, K., & Ambady, N. (2011). Cross-cultural impressions of leaders’ faces: Consensus and predictive validity. International Journal of Intercultural Relations, 35(6), 833-841.

ワーキングマザーになるということ:妊娠した女性社員にとってのアイデンティティの試練

働く人は誰しも、キャリアの節目において、職業上のアイデンティティを変化させる必要性が生じるでしょう。例えば、平社員から管理職になるとき、異なる分野へ移動するとき、海外勤務を命じられた時、転職するとき、独立したときなどです。しかし、私たちが職業上のアイデンティティを変化させる必要に迫られるのは、なにも仕事上の節目だけではありません。仕事ではなくプライベートや家庭上の役割の変化などの影響も受けるのです。Ladge, Clair & Greenberg (2012)は、このようなアイデンティティ変化の例として、働く女性が妊娠したときを挙げます。これはすなわち、私生活において「母」になることを意味するため、私生活のみならず、仕事面でも大きな変化が生じる可能性があるわけです。


それまでバリバリに仕事をこなしてきた女性も、母親になり、子育てという重要な役割を担うようになれば、これまでの仕事のやり方に修正が必要になるかもしれません。そうすると、仕事人として、そして家庭における自分自身のアイデンティティにも修正が求められることになります。Ladgeらは、実際に妊娠した女性ワーカーが、アイデンティティへの試練に対してどのように考え、どのように行動するのかについて、丹念なインタビュー調査を行って、モデルを構築しました。


まず、女性ワーカーにとって「初めての妊娠」というライフイベントは「職業人として自分はどのような人物なのか」「家庭では自分はどんな存在なのか」といったアイデンティティにゆらぎをもたらします。母親になったあと、自分自身のこれらのアイデンティティがどのように変化するのか、確信が持てなくなるのです。したがって、彼女たちは、妊娠中に、子供ができたあとの自分自身の複数のアイデンティティのあり方に関して思いを馳せることになります。「ワーキングマザーとしての自分は、これまでの職業人としての自分と違うのだろうか、違うとすればどう違うのだろうか」「母親という新たな役割が仕事以外で加わることで、私は仕事と家庭の役割をいかにしてこなしていけるのだろうか。仕事人としての自分と、母親としての自分をどう統合したり使い分けたりするのだろうか」「仕事と母親としての育児、家庭などで優先順位をどうすればよいのだろう」というようなことを考えるわけです。


次に、妊娠した女性ワーカーは「子供が生まれた後に、職業人としてそして母親としてなりたい自分とはどんなものか」「これら2つの役割をどう演じ分けたり統合するのか」といったことについてイメージを作っていきます。そして、母親になった後には、職業人としての自分のあり方を変更しなくてはならないといったようなことに気づくようになります。職業人としても、母親としても、これまでの自分とは少し違った自分になる必要があるということを認識するようになります。


そして彼女たちは、職業人としてそして母親として、これまでの自分とは異なるアイデンティティを再構築しなければならないという認識に対して異なる形で反応するようになります。大きく3つの反応の仕方があります。1つ目は、アイデンティティの変化の必要性を否定するという反応です。妊娠という事実に危機感をいだきつつ、でも今までの仕事における自分とこれからの仕事における自分はなんら変化しない、したくないという考えをするわけです。2つ目は、アイデンティティ変化の必要性のことはいったんどこかに置くなど、アイデンティティの変化を延期するというものです。そういうことは(実際に母親になってからとか)後で考えようというわけです。3つ目は、妊娠中であっても、母親になった後の新しいアイデンティティに移行し始めるという反応です。ワーキングマザーになるという事実を受け入れて積極的にそのような状況に適応していこうという態度だといえましょう。


Ladgeらのモデルでは、働く女性が初めての妊娠で経験するアイデンティティへの試練への反応は異なるわけですが、これには、女性ワーカーが働く職場の組織的な文脈や、個人的な文脈が影響すると考えます。組織的文脈としては、会社の公式な制度として、妊娠やワーキングマザーをサポートする仕組みが整っているかどうかの知覚や、同僚などとのインフォーマルなやりとりで感じる、ワーキングマザーに対する職場の肯定的もしくは否定的な態度です。個人的な文脈としては、妊娠そのもの経緯や事情(高齢妊娠など)、女性ワーカー自身の母親がワーキングマザーだったのか専業主婦だったのか、彼女たちの夫や家族のサポートや、母親と仕事を両立することに対する態度や意見などです。



Ladgeらは、このようなモデルを示しながら、企業としても、ワーキングマザーに対するワークライフバランスの支援のみならず、女性社員が初めて妊娠したときから、彼女たちが職業上そして家庭上のアイデンティティ変化への試練をうまく乗り越えられるよう、心理面などでも何らかのサポートを行っていくことの重要性を論じています。

参考文献

Ladge, J. J., Clair, J. A., & Greenberg, D. (2012). Cross-domain identity transition during liminal periods: Constructing multiple selves as professional and mother during pregnancy. Academy of Management Journal, 55(6), 1449-1471.

失業中の再就職活動におけるモチベーションとメンタルヘルス

失業中の再就職活動というのは、一般的には精神的に辛いプロセスでありましょう。厳しい状況で職探しをするためのモチベーションの維持が大切ですし、財政的にも苦しい中での焦りも出てくることから、メンタルヘルスの面で危機的状況に陥る可能性もあります。


Wanberg, Zhu, Kanfer, & Zhang (forthcoming)は、失業中の再就職活動プロセスに、モチベーションの特徴に関する個人差が影響するという視点から、失職後週カ月における活動を通じたアンケート調査を実施し、就職活動の強度とメンタルヘルス、および就職活動の成否を含めたダイナミックなプロセスを解明しようとしました。


Wanbergらは、モチベーションの特徴に関する個人差を、「接近型(approach oriantation)」と「回避型(avoidance orientation)」とに分類します。このモチベーションの違いは、自己規律プロセス(self-regulatory process)における、モチベーション・コントロールと、自己崩壊認知につながると論じます。接近型というのは、学習・成長志向の性格で、自分自身の成長や能力向上を目的として目標を立て、到達しようとする性格を意味します。一方、回避型というのは、成果志向、不安型目標志向ともいわれ、失敗をしないよう、自分自身にダメージを受けないよう、そして自分の義務感に基づいた目標を立て、到達しようとする性格を意味します。


Wanbergらは、接近型の性格をもった人は、失業中において、再就職活動強度は強く、メンタルヘルスも維持できると予測し、逆に回避型の性格をもった人は、失業中の再就職活動は低調であり、メンタルヘルスも悪化すると予測しました。そして、再就職活動の強度とメンタルヘルスは、再就職の成否を左右すると予測しました。さらに、そこには、自己規律プロセスが介在していると考えたのです。


接近型の人は、困難な状況に直面したときは「困難であればあるほどチャレンジするべきだ」ということを自分に言い聞かせる傾向にあると考えられます。よって、再就職活動中も、モチベーションを維持することができ、自己崩壊型の思考に陥りにくい傾向にあると予測されます。一方、回避型の人は、困難な状況に直面したときに、自己崩壊に陥り「だめだ、諦めよう」という気持ちになると考えられます。よって、再就職活動中も、モチベーションの維持が困難になったり、しばしば自己崩壊型の思考に陥ったりすると予測されます。この違いが、再就職活動の強度やメンタルヘルスに影響し、再就職活動の成否にも影響すると考えたわけです。


Wanbergらは、冒頭で述べたような実証研究を行い、上記のような予測の妥当性を確認しました。

文献

Wanberg, C. R., Zhu, J., Kanfer, R., & Zhang, Z. Forthcoming. After the pink slip: Applying dynamic motivation frameworks to the job search experience. Academy of Management Journal.

就職活動はジェットコースターのようなプロセス

就職活動は、とりわけ大学生の場合、息の長いプロセスです。また、誰かに強制されてではなく、自発的に動いていかねばならないことや、試行錯誤も伴うことから、就職活動を成功させるためには、自分を律すること(セルフ・レギュレーション)、自己調整(セルフ・コントロール)が必要となります。Wanberg, Zhu, & van Hooft (2010)は、求職中の人々に対して3週間の間、毎日アンケート調査を実施することにより、就職活動はその進捗度合いに応じてジェットコースターのように気分や自信の度合いのアップダウンが伴うダイナミックなプロセスであることを明らかにしました。


Wanbergらは次のようなプロセスモデルを提示します。就職活動中の個人は、毎日、就職活動目標(例、内定を得る)への進捗度合いがどの程度であるかを感じ取ります。その結果、一次選考に進んだとか、面接でうまくいったとか、進捗度合いが着実に進んでいると知覚した場合、翌日の気分は高揚し、就職活動に対する自信も高まります。一方、入社試験に落ちたとか、面接で失敗したなど、進捗度合いがおもわしくないと知覚した場合、翌日の気分は落ち込み、自信も喪失します。うまくいった日もあればうまくいかなかった日もあるというように進捗度合いの知覚は日々変わってくるので、就職活動中は、気分のアップダウン、自信のアップダウンが繰り返されることになります。つまり、ジェットコースターのようなプロセスを描くわけです。


ただ、就職活動の成功は運ではなく、内定をもらうためにどれくらい努力をするか、努力を持続させるかにも影響を受けます。例えば、多くの説明会に足を運ぶとか、たくさんの会社に応募するとか、面接の練習を繰り返したり実地の経験を積んで上達するとか、就職活動に積極的にかつ頻繁に取り組むほど、成功に近づいていくと考えられます。逆に、就職活動に対するモチベーションがダウンすれば、就職活動のペースも鈍るため、その結果、上達もせず、成功から遠ざかるでしょう。では、先に述べた就職活動における気分や自信のアップダウンと、それに伴う努力の度合いはどのように関わってくるのでしょうか。


社会的認知理論によると、人々は気分が高揚したり自己効力感(自信)が高まるとよりモチベーションが高まり、努力量も増えると考えます。これによるならば、就職活動の進捗度合いが望ましいと知覚するときによりやる気が高まり、就職活動に向けるエネルギーも高まると思われます。一方、進捗度合いが望ましくないと知覚するさいには、やる気が減退し、就職活動への努力も減退すると考えられます。しかし、コントロール理論によると逆の予想が成り立ちます。つまり、進捗度合いが望ましいと知覚したときには、目標に順調に進んでいるので「一休みしよう」という気持ちになり、努力は一時的に低下します。一方、進捗度合いが望ましくないと知覚したときには、「このままでは目標に到達できない」という気持ちになり、より努力しようとすると考えるわけです。


社会的認知理論とコントロール理論で正反対の予測がされるのですが、このコンフリクトはどう解決されるのでしょうか。Wangergらは、この理論的なコンフリクトを解決する鍵として、「自己規律能力の個人差」を持ち出しました。自己規律能力の個人差については「活動志向型(action-oriented)」と「状況志向型(state-oriented」に分かれ、活動志向型の人の場合、望ましくない結果や思考から距離を置いて考えることができるため、目標に到達するために思考や感情や行動を自律的にコントロールする自己規律プロセスに集中することができます。一方、状況志向型の人の場合、ネガティブな結果や思考に取り乱されやすいため、目標に到達するための自己規律プロセスを維持しにくい性質を持っています。


このことから、Wanbergは、自己規律能力の低い状況志向型の人については、社会的認知理論が示すように、就職活動の進捗状況が望ましいと知覚する場合に、気分が高揚し自信も高まるため、よりたくさんの努力を翌日にするようになると予測し、自己規律能力の高い活動志向型の人については、コントロール理論が示すように、就職活動の進捗状況が望ましくないと知覚する場合に、目標への到達度を高めるためによりたくさんの努力を翌日にするようになると予測しました。そして、冒頭に述べたような求職中の人々に毎日実施したアンケート調査によって、この仮説を支持する結果を得ました。


Wanbergらの研究から、自分を律することができる人、自分をコントロールすることができる人については、ネガティブな気分にさせるほど「なにくそ」「がんばらなくては」という気持ちにさせ、努力量を増やすことにつながると考えられ、逆に、自分を律することが苦手な人については、小さな成功を与えたりポジティブな気分にさせることが、「いいぞいいぞ」「よし、頑張ろう!」というように努力量を増やすことにつながると考えられます。

文献

Wanberg,C. R., Zhu, J. & van Hooft, E.A.J. 2010. The job-search grind: Perceived progress, self-reactions, and self-regulation of search effort. Academy of Management Journal, 53: 788-807.

キャリアは意思決定の連なりである

職業人生もしくはキャリアをどのように理解すればよいのかについては、いろいろな見方、考え方があるでしょう。ここでは、キャリア(人生全体といってもよい)というのは、私たちが日々の生活において何かを選択し続けているプロセスとして理解することができるという考え方を提示します。


つまり、私たちは、毎日の生活において、いろいろな可能性(すなわち選択肢)の中から何か1つを選びとるということを繰り返していると考えられます。それは、ほんの些細なこと(ランチで何を食べようか)から、とても深刻なこと(会社を辞めようか、転職をしようか)まで、様々です。しかし、確実にいえるのは、私たちの人生やキャリアは、こういった意思決定、選択の鎖であるということです。


私たちは、日々の生活において何かを選びとると同時に、将来においてそういった選択肢の生成につながるような行動をしているともいえます。つまり、将来の選択肢を作り出す行動もしています。つまり私たちは、選択肢を作り出す行動と、選択肢の中から何かを選びとる行動を繰り返しているといえましょう。それが連鎖となって、人生やキャリアが展開していくのです。


実際、私たちの日常には、今後の人生やキャリアの展開にとって、限りない可能性やチャンスが転がっているかもしれません。しかし私たちは、そういった可能性やチャンスに気づくことなく、あるいは気づいたとしても、そういった選択肢を選ばないで、これまでと同じ、つまらない選択をしてしまっているのかもしれません。そうすると、私たちの人生やキャリアは、特に大きな変化を伴うわけでもなく、毎日毎日が淡々と過ぎていくことも考えられます。


日々の生活において、自分の身のまわりに起こること、すなわち選びとるべき選択肢は、自分の力ではコントロールできない要因と、自分が過去に巻いた種、すなわち過去の行動からくる要因とがミックスされてやってくると考えれれます。だから、実際、身の回りで起こることには意図せざることが多いのですが、これはら、まったくの偶然でもないし、100%自分の責任でもないといえます。言ってみれば、半分は運であり、半分は自己責任だといえるのではないでしょうか。もちろん、フィフティ・フィフティという意味ではなく、自分の責任と偶然性とがミックスされているということです。


これは、セレンディピティ(幸運をつかむ能力)や、計画された偶発性とも関連してきます。幸運をものにするためには、準備や構えが必要です。「幸運の女神には前髪しかない」という格言もあります。しかし同時に、幸運は待っているだけでは訪れないということも言えるでしょう。つまり「引き寄せ」の力です。確かに、幸運というのは偶発的な運かもしれないけれど、それはまったくの偶然ではなく、過去の自分の行いを反映しているのだと考えることもできましょう。


つまり、将来の選択肢となるべき種をまいておくことが大切だということです。日々の生活において、意識していろんな行動を行うことは、将来の選択肢を広げることにつながると考えられます。まいた種はかえってくるかわからないし、いつかえってくるかわかりません。けれども、たくさん種をまけば、そこから芽が出て、自分にかえってくる確率も高まるのではないでしょうか。