セレンディピティの発生メカニズムを理解しよう

ビジネスや経営に関わらず、私たちの成功や失敗に何らかの形で運が関わっていることは否定できません。しかし、運に対して単に受動的であるのではなく、運を積極的に味方につけるスキルや心構えを持っていれば、成功する確率を高め、幸運を味方にすることができると思われます。このような幸運と努力の相互作用として発生する現象の1つが「セレンディピティ」です。ブッシュ(2022)は、セレンディピティを「予想外の事態での積極的な判断がもたらした、思いがけない幸運な結果」と定義し、セレンディピティのメカニズムを理解すると、セレンディピティを獲得する人、逃してしまう人の違いが分かることを示唆します。そしてその違いの多くが、私たち1人ひとりが身につけることのできる実践的能力でもある「セレンディピティマインドセット」という心構えに起因していると指摘します。そこで今回は、ブッシュが多くの学術研究や事例から導いた、セレンディピティの発生メカニズムとそれに基づいたセレンディピティマインドセットについて解説します。

 

ブッシュは、セレンディピティは混沌や運と異なり、「独自の形式や構造」があるといいます。そして、セレンディピティの本質は、「点と点を見つけ、つないでいくプロセス」にあるともいいます。もう少し詳しく説明しましょう。まず、セレンディピティには大きく3つの型があります。1つ目は「アルキメデス型」で、既知の問題や困りごとの解決策が予想外のところで生まれるといったセレンディピティです。何を解決したいのか、何に困っているのかをはっきりさせておいた上で、予想外の出来事によって考えていたものとは全く別の解決策を思いつくといった種類のものです。2つ目は「ポスト・イット型」で、問題を解こうとしていて、全く違う、あるいは存在すら認識していなかった問題への解決策を偶然見つけるといったセレンディピティです。3つ目は「サンダーボルト型」で、問題の解決を探してもいない、意識的努力が全く行われていない状況で、稲妻のように突然のタイミングで新たな機会が生まれたり誰も認識していなかった、あるいは解決しようとしていなかった問題への解決策が生まれたりするようなセレンディピティです。

 

もちろん、セレンディピティがきれいに上記の3つの型に分類されるという訳ではなく、複数の型を兼ね揃えていたりどの型なのかクリアでない場合もあるが、この3つのセレンディピティに共通しているはっきりとした特徴があるととブッシュはいいます。1つ目が「ある人に何か予想外、あるいは普通ではないことが起こる」というもので、これを「セレンディピティ・トリガー(引き金)」とブッシュは呼びます。2つ目が、その人がトリガーをそれまで関わりがなかったことと結びつける「点と点を結びつけ、偶然のような出来事や出会いに価値があるかもしれないと気づく」プロセスで、ブッシュはこれを「バイソシエーション」と呼びます。3つ目が、実現した価値(洞察、イノベーション、新手法、問題への新しい解決策)は、もともと期待されていたものでも、誰かが探していたものでもなく「完全に予期せぬもの」だということです。つまり、セレンディピティは、「セレンディピティ・トリガー」が生み出され、それが発見され、「点と点を結びつけるプロセス」を通してその価値に気づき、その結果「予期していなかった価値創造」が実現するというプロセスから成っているのです。

 

上記のセレンディピティの発生プロセスを理解すると、今度は、セレンディピティをつかめるか、逃してしまうかのターニングポイントやセレンディピティを積極的に生み出すための心構えや能力、行動も明らかになってきます。まず、セレンディピティ・トリガーを多く生み出すことができるかが重要です。予想外の出来事や出会いが多く起こるような状況を作り出すような行動をする、すなわち「トリガーの種をまき、予想外を誘発する」行動をしているかどうかです。次に、トリガーが発生したときに、それに気づけるかどうかです。予想外の出来事に遭遇した時に、その出来事を理解し、それが何と結びつくのかを発見し、それを活用できるかどうかです。さまざまなことに好奇心を持ち、アンテナを張っておくことで、他の人だと気づかない「点と点を連結する」チャンスが高まります。そして、トリガーを発見し、点と点が結びつき、価値が見出されたときに、それを最後までやり遂げようとする粘り強さがあるかどうかです。上記の全てが満たされるとセレンディピティが起こりやすくなり、どれかが欠けているとセレンディピティを逃してしまうということなのです。

 

予想外の出会いや情報を生み出し、その価値を認識し、活用する能力でもあり、セレンディピティを生み出す頻度を高める「セレンディピティマインドセット」は、上記で見てきたセレンディピティ発生のメカニズムとプロセスを理解した上で、セレンディピティが生まれる「セレンディピティ・フィールド」を育んでいくことを意識することだと言えます。それは簡単に言えば、偶然を生み出すような種をたくさんまき、予想外の偶然を楽しみつつその価値に気づき、それがチャンスだと感じた時に粘り強くそれを追求するという心構えなのです。そのために、洞察力(雑多なものを選別し、価値あるものを見つけ出す能力)や、粘り強さ(最後までやり遂げる力)も身につけることが重要です。これらはすべてセレンディピティーの促進要因です。また、組織、人脈、物理的空間を見直すことで、セレンディピティが生まれやすい状況を作り上げることもできます。従って、セレンディピティマインドセットと適切な状況を組み合わせることで、セレンディピティが育つ「セレンディピティ・フィールド」が豊かになるのだとブッシュは言うのです。

参考文献

クリスチャン・ブッシュ 2022「セレンディピティ 点をつなぐ力」東洋経済新報社

 

ピーター・センゲに学ぶ「システム思考」入門

現代は、VUCA(変動制、不確実性、複雑性、曖昧性)の時代と呼ばれています。このような複雑な世の中において企業を経営したり世渡りを行っていくうえでますます注目が高まっているのが「システム思考」です。システム思考とは、対象や環境を様々な要素が結び付いたシステムであると捉え、システムが有する特徴を用いてその対象や環境の性質を理解することを可能にするスキルです。今回は、このシステム思考の本質を分かりやすく説明しているピーター・センゲの代表作「学習する組織」を用いて簡潔に解説してみたいと思います。

 

まず、全体を理解するためのシステム思考の要諦は、物事ではなく、相互関係を見ること、静態的な「スナップショット」ではなく、変化のパターンを見ることです。すなわちそれは、原因と結果がわかりにくい「ダイナミックな複雑性」を理解することです。別の言い方をすれば、ダイナミックに複雑な状況にある「構造」を理解し、レバレッジの低い変化と高い変化を見分けることです。このようなダイナミックな変化のパターンを理解する上での中心概念が、因果関係の環である「フィードバック・ループ」です。このフィードバックプロセスには、自己強化型のフィードバック・ループとバランス型のフィードバック・ループがあります。

 

自己強化型のフィードバック・ループは、小さな変化がそれ自身をもとに増強され、同じ方向にさらなる変化を生み出すプロセスで、成長の原動力です。物事が成長している状況にあるときはいつも自己強化型のフィードバックが働いているといってよいとセンゲはいいます。小さな下落が増強されてますます大きな下落になる衰退のパターンにおいても自己強化型フィードバックが働いていると言えます。つまり、好循環と悪循環を生み出すフィードバック・プロセスなのです。一方、バランス型のフィードバック・ループは、目的を志向するシステムの挙動で、車のアクセルとブレーキを使って一定の速度を保とうとしたり、哺乳類が体温を一定の温度に保とうとするために目的との乖離を修正するようなフィードバック・ループです。こちらは、システムを安定させる方向に働くフィードバック・プロセスです。

 

そして、多くのフィードバック・プロセスには「遅れ」が伴い、徐々に行動の結果をもたらす「影響の流れ」を中断させることがあることを理解することも大切です。センゲは、すべてのフィードバック・プロセスには何らかの形で遅れが生じるといいます。ただ、その遅れが認識されないか、よく理解されないことが多く、これがしばしば、あるアクションに対するフィードバックが思った通りに来ないという焦りから「行き過ぎ」を招くというわけです。自己強化型フィードバック、バランス型フィードバック、フィードバックの遅れの3つは、システム思考の基本構成要素であり、これの組み合わせによって、多くのシステムに共通して含まれ、繰り返し起こる構造としての「システム原型」が理解できるとセンゲはいいます。

 

センゲによれば、システム原型の数は多くなく、経験豊富なマネジャーなら直観的に知っているものだそうです。センゲはそのうちの9つを紹介しています。まず、もっとも頻繁に起こるものとして「①成長の限界」と「②問題のすり替わり」があります。成長の限界は、自己強化型のフィードバック・ループが望ましい結果を生み出すように働き、成功の好循環を生み出すが、特定の制約条件の存在や出現によって、その成功を減速させるバランス型のフィードバック・ループが働くことにより、成長が止まってしまうようなプロセスを指します。つまり、成長の好循環はしばらくの間は自己強化型のフィードバック・ループによって持続しますが、やがてそれが制約条件に起因するバランス型のフィードバック・ループにぶつかり、その作用が成長を制限するわけです。

 

問題のすり替わりは、ある問題の症状を調整または補正しようとする2つのバランス型フィードバック・ループと、一方からもう一方のループに作用する自己強化型のフィードバック・ループが存在しています。一方は、根本的な解決策を通じて問題の症状を緩和・解消しようとするバランス型フィードバック・ループで、もう一方は、対症療法的な解決策によって問題の症状を緩和しようとするバランス型フィードバック・ループです。多くの場合、対症療法的な解決策によるバランス型フィードバック・ループが優勢となり、対症療法による副作用が、自己強化型のフィードバックとして働くことで根本的な解決策の発動を難しくするため問題の症状を悪化させるという悪循環のプロセスにもつながっています。

 

成長の限界というシステム原型において、それを克服するためのレバレッジを得るためには、自己強化型フィードバックを強めるという方法もありますが、バランス型ループを生み出す制約要因を特定して、それを変えることが重要だとセンゲは言います。制約要因がある場合は、いくら自己強化型プロセスを増強しようとしても、その壁にぶつかってしまうからです。一方、問題のすり替わりのシステム原型において、それを克服するためには、根本的な対応を強めることと、対症療法的な対応を弱めることを同時に行うことが必要だとセンゲはいいます。対症療法的な対応に伴う副作用がもたらす自己強化型プロセスは根本的な対応を難しくしてしまうため、それを取り除くのがよいのです。

 

上記の2つのシステム原型以外のものとして、「遅れを伴うバランス型プロセス(システムの反応が鈍いために積極的な行動がやり過ぎにつながり不安定を生みやすい)」「介入者への問題のすり替わり(外部の介入者が問題解決を援助することが、内部の関係者の能力向上を阻害し、内部の解決策が生み出されなくなる)」「目標のなし崩し(短期的な解決策として、長期的な根本的目標を下げさせる)」があります。後ろの2つは、問題のすり替わり構造の一種と考えることもできます。「エスカレート(AとBがいる場合、AがBに対して優位性を築こうとすると、Bが脅威を感じ、Aに対する優位性を築こうとする、するとAが脅威を感じ、、、という行動が繰り返し行われ、エスカレートする)」というのもあります。

 

さらに、「強者がますます強く(限られた支援や資源をめぐって競うとき、一方が成功すればするほど、入手できる支援や資源が多くなり、他方の支援や資源を欠乏する)」「共有地の悲劇(個人が、多くの人々によって共有される限られた資源を個人のニーズにのみ基づいて利用すると、次第に得られる利益が少なくなった時にさらに利用努力を高めるため、最終的に資源が枯渇するか、損なわれる)」「うまくいかない解決策(短期的には効果をあげる解決策が、長期的に予期せぬ結果をもたらし、その結果によって同じ解決策をさらに用いる必要がでてくる)」「成長と投資不足(成長が限界に近づいたときに投資を行わなくなるため業績が低迷していく)」などが挙げられています。

 

上記で紹介したようなシステム原型すなわちシステムにおいて何度も繰り返し生じる「構造」の型を習得し、それを組み合わせることで、より複雑なシステムの理解が可能になるとセンゲはいいます。そして、システム思考を基礎とし、自己マスタリー、メンタル・モデル、共有ビジョン、チーム学習を加えた5つのディシプリンが学習する組織を生み出すと解説しています。

参考文献

ピーター・M・センゲ 2011「学習する組織――システム思考で未来を創造する」英治出版

 

陰陽・老荘思想から学ぶ長期志向の企業経営

企業を経営することには、ゴーイング・コンサーン(継続性、持続性)を前提としています。つまり、企業の経営者は、企業が持続的に存続できるように経営をしていく必要があります。その際には、現在の利益を維持しつつも、将来の利益につながるような投資を行う、株主や従業員のみならず、社会の公器として様々な利害関係者(ステークホルダー)の便益を満たしていくなど、一見すると両立が難しい複数の要素を追求していく必要があります。このように、長期的視点に立った企業経営において、経営者が相対立する要素を同時追求していく為に役立つ考え方として、ZhangとHan (2019)は、陰陽思想や老荘思想を紹介し、それに基づいたトップマネジメント・リーダーシップのモデルを構築しました。以下、ZhangとHanの考え方に依拠しつつ、陰陽・老荘思想から学ぶ長期志向の企業経営について説明したいと思います。

 

まず、陰陽・老荘思想とは何か。今回のテーマに則した形でごく簡単に説明するならば、陰陽・老荘思想では、森羅万象は、陰と陽という相対立する要素の絶え間ないせめぎ合いというダイナミズムで成り立っているという考え方に基づいた思想を展開します。例えば、男と女、昼と夜、天と地というように、それらは合わさることで全体を構成しているので、不可分な関係です。どちらかが欠けるとか存在しないということはあり得ません。しかし、お互いに反対の関係にあるから、一方が強まると他方が弱まるという関係でもあります。ただし、陰陽・老荘思想では、ダイナミックな変化を重視しており、一方が強まりすぎて極に達すれば、トレンドが転換して他方が強まり始めるといったように陰と陽が循環して動き続けていると考えます。これが宇宙における森羅万象の法則性なのであれば、企業経営も、この考え方に沿うことで、無理なく、持続的に成長発展したり存続し続けたりすることができると考えられるのです。

 

ZhangとHanは、陰陽・老荘思想の考え方を応用し、経営者が長期的視点に立った企業経営においてやりくりしなければならない最も根本的な対立軸として、時間軸(現在と未来)と、環境軸(組織と環境)を特定しました。時間軸では、企業は現在求められる様々な要求(例、短期的利益の確保、株主への還元)と、将来求められる様々な要求(例、将来の利益を生み出すための事業投資)という対立する関係をやりくりする必要があるということです。現在(及び過去)と未来は、両方あってこそ時間全体が成立するので、どちらか一方のみというわけにはいきません。そして、現在を重視すれば未来が犠牲になる、未来を重視すれば現在が犠牲になる、あるいは安定性や現状維持を重視すれば、将来必要なイノベーションや変化を実現できないという点で、陰と陽に対応します。陰は、「守り、安定、着実、保守」、陽は、「攻め、変化、冒険、革新」といった感じです。

 

環境軸では、自分の組織と環境との関係のやりくりが問題となります。組織と環境も、両方あって全体を構成しているので、どちらか一方のみを考えれば良いというわけにはいきません。株主や従業員といった組織の内部関係者の利益のみを追求すれば、自社を取り囲む業界、産業、さらには広く地域社会への配慮や貢献を欠くことになりかねませんし、社会貢献や環境保護など外部環境の利益ばかりを追求しては、自社の利益も出せませんし、従業員を幸福にすることができません。両方を追求する必要があるのです。また、企業と環境との関係においては、環境という大きな力に従うことも大切である一方、環境に積極的に働きかけることで、環境を良いものに変えていくといったプロアクティビティも必要です。これも、陰陽・老荘思想における陰と陽に対応することが可能です。陰は、企業を取り囲む幅広いステークホルダーで、産業社会全体を育む大地のようなもの。一方、陽は、企業自身が発展しようとする意志で、自己利益追求のエネルギー源とも言えましょう。

 

上記のように、ZhangとHanは、時間軸における2要素(現在と未来、安定と変化)と、組織と環境といった環境軸における2要素(内部利害関係者と外部利害関係者、従属と働きかけ)という4要素を基本とする、リーダーシップ行動のモデルを考案しました。陰陽・老荘思想の考え方を適用するならば、企業の経営者が長期的視点から企業経営を実践する際には、上記4つのお互いに対立する要素を陰陽の循環的な動きで捉え、動きながらバランスを取るということが望ましい経営ということになります。例えば、現在の利益を確保しつつも、将来の利益のための投資を行う。ただし、この2つは対立しており、現在の利益を確保しすぎると将来への投資が細ってしまうし、将来への投資を増加しすぎると現在の利益がなくなってしまう。よって、常に両方を睨みながら動く。そして、どちらかが強すぎて極まってしまう場合には、反対の要素に力を注ぐことを示すサインであると捉え、立場を逆転させる、といったような企業経営が行われることになります。

 

ZhangとHanは、独自に構築した企業のトップマネジメントのリーダーシップモデル(paradoxical leader behavior in long-term corporate development: PLB-CD)の測定尺度を用いた実証研究を中国で行い、長期的視点に立つCEOほど、PLB-CDを行うこと、そして、PLB-CDを行うCEOがいる企業ほど、R&D投資が多く、マーケットシェアが高く、企業の評判が良いことを実証的に示しました。ZhangとHanの研究は、陰陽・老荘思想とも馴染みが深い文化圏における東アジアのサンプルを用いた研究であるので、今後は、西洋においても陰陽・老荘思想と関連の深いリーダーシップ行動が企業の長期的持続性に良い効果を与えるのかの実証研究が期待されます。そういった研究が蓄積されていくならば、陰陽・老荘思想に基づくアジア発の企業経営理論が今後隆盛していくことも考えられます。

参考文献

Zhang, Y., & Han, Y. L. (2019). Paradoxical leader behavior in long-term corporate development: Antecedents and consequences. Organizational Behavior and Human Decision Processes, 155, 42-54.

 

論語から学ぶ日本的組織経営

日本の組織経営は世界から見てもユニークな点が多くあります。そして、それが戦後の日本の高度成長を支えてきたともいえるし、その後の失われた30年といった低空飛行の原因となっているともいえましょう。それに関して守屋(2020)は、日本においては、論語をはじめとする儒教が、日本の人々の無意識の価値観に影響を与えていると指摘します。それは、日本の教育や産業界の実践が儒教の影響を受けているので、そこで育った人々は必然的に儒教的な価値観を当たり前だと思うようになるからです。守屋が著書において詳細に説明する儒教的な日本の無意識の価値観は以下の10項目に集約可能です。

  1. 年齢や年次による上下や序列のある関係や組織を当たり前だと思う
  2. 生まれつきの能力に差はない、努力やそれを支える精神力で差はつく
  3. 性善説で人や物事を考える
  4. 秩序やルールは自分たちで作るものというより、上から与えられるもの
  5. 社長らしさ、課長らしさ、学生らしさ、先生らしさ、裁判官らしさなど、与えられた役割に即した「らしさ」や「分(役割分担と責任)」を果たすのが何よりいいこと
  6. ホンネとタテマエを使い分けるのを当たり前と思う
  7. 理想の組織を「家族」との類推で考えやすい
  8. 組織や集団内で、下の立場の「義務」や「努力」が強調されやすい
  9. 教育の基本は「人格教育」
  10. 男尊女卑

まず、上記の10項目がどのように日本の教育に影響を与えてきたかを見てみましょう。守屋がしているように対応させて説明するならば、日本の教育では、①年次による先輩・後輩関係が当たり前、②できないのは努力が足りないからだと考える指導(努力・精神主義)、③子供は基本的にいい子というタテマエ(性善説)、④学校が一方的に決めた校則をとにかく生徒は守らされる、⑤学生らしさ、先生らしさ、校長らしさなどが求められる、⑥生徒の個性化はタテマエで、集団指導に頼る、⑦先生がお父さん・お母さんで、生徒が子供たち、⑧現場の教員に対する過剰な負担の押し付けを当然視する、⑨日本の学校教育は「徳育」を担うことが大きな柱、⑩女性管理職、特に女性校長の比率の低さ、となります。さらに、教育の大前提として、②の努力・精神主義に加え、⑪集団の帰属重視、集団の教育力を活かす、⑫「気持ちを考える」ことこそ人格教育の基本、という価値観があることを守屋は指摘します。

 

そして、日本の教育を受けた人々が学校を卒業すると同時に間髪入れず入社する会社という組織、大きく言えば日本の産業界においても、上記に挙げた10+2の項目に対応する形で儒教的な価値観を整理することができると守屋は言います。それが以下の13項目です。

  1. 年功序列(①上下や序列関係が当たり前)
  2. 社員は全員、社長ないしは役員候補(②生まれつきの差はない)
  3. 残業や異動を断らないのが出世の基本(②努力・精神主義
  4. 不祥事の温床となるチェックの甘い体制(③性善説
  5. 社員がどう働くかは、基本的に会社が決める(④受け身の秩序・ルール)
  6. 社長らしさ、課長らしさ、新人らしさが求められる(⑤らしさと分のしばり)
  7. 会議でホンネを言わず、飲み会でこぼす(⑥ホンネとタテマエ)
  8. 社長がお父さんで、社員が子供たち(⑦家族主義)
  9. アルバイトや契約社員にまで過剰な責任と労働(⑧下の義務偏重)
  10. 仕事は修行の場で、人は仕事で磨かれる(⑨人格教育)
  11. 男女の賃金・待遇差別(⑩男尊女卑)
  12. 職場やチームのなかで、新人は育まれる(⑪集団指導)
  13. 空気を読んだり、忖度のうまい人間が出世しやすい(⑫気持ち主義)

そもそも儒教は、「秩序の維持や安定」を実現するために政治利用されてきた思想でもあります。ですから、「序列を重んじる」「親や上司、先輩のいうことを聞く」「空気には逆らわない」といった価値観の縛りが強まれば、「そのまま何もせず流されるのが最適な行動」となることを守屋は指摘します。そこに家族主義的な要素である濃密な人間関係、助け合い、育み合いが入ってくると、組織内の結びつきや人間関係を深める一方で、身内の悪事や失態、時代遅れの事項への処理のしずらさを生んでしまうというのです。また、企業が流行に乗じて経営理念やパーパス、ダイバーシティを高らかに謳ったとしても、それはあくまでタテマエであり、ホンネでは過去の誰かから与えられたものとしての古いやり方や慣習を変えられず、なんとなく維持しつづけているというようなことになるわけです。

 

例えば、守屋によれば、アメリカの社会では、「個」が重視されるがあまり、人々は「自分は何者なのか」というアイデンティティを常に考えなければなりません。ですから、会社の理念やパーパスが重要で、それと照らし合わせることで、自分のアイデンティティと整合性があって納得して働くことができる会社を見つけます。それが実現するまで何度か転職することも容認されます。一方、日本では、与えられた環境や組織に適応することが重視されるので、会社の理念やパーパスが掲げられていても、それはお飾りに過ぎないと守屋は言います。「自分は何者なのか」ということを考えない者同士がなんとなく結びついて「和」や「同」を作り、次々と上から与えられる役割や地位を果たしていきながら、定年までなだれ込むというのが、最近までの日本企業の姿だったというわけです。

 

そして、理想の組織を家族との類推で考えやすい儒教では、組織や集団を長期にわたって維持していくために、親が子を持ち、その子が親になり、また子を持ち、その子も親になって、、、という家族関係と対応する形で、組織においても、上司が部下を持ち、その部下がやがて上司になって部下を持ち、その部下も、、、といった連鎖を内部でうまく成り立たせることで、前の世代から伝えられてきた良き制度や文化、しきたりを、未来の世代へとうまく受け渡していくことが安定した秩序維持の基盤だと考えます。これが、受け渡しの順番や育む/育まれる関係としての「序列や上下関係」、自分の子や部下、後輩を、過去の遺産を引き継ぐ人材に育てていくという「伝統に価値を置く姿勢」につながっているというのです。日本の会社において、先輩は後輩をOJTを通して育てていくのが当たり前という風土はそこからきています。部下や後輩を育てることで上司や先輩も育つので、お互いに育み合いながら組織としての総合力を高めていくというのが日本の組織の強さでもあったことを守屋は示唆するのです。

 

では、上記のような特徴は日本の社会や会社にだけ当てはまることなのでしょうか。お隣の中国や韓国ではどうなのでしょうか。これについては、古代の思想としての論語を受け継いだ儒教の価値観は、日本のみならず儒教文化圏といわれる中国や韓国にも共有されているものもあるわけですが、こうした価値観自体の有無や比重の置き方、そこからの発展のさせ方、他の思想との関係(日本でいえば神道や仏教)、地理や風土の影響などを受けて、日中韓の違いは生まれてきたと守屋は指摘します。

文献

守屋淳 2020「『論語』がわかれば日本がわかる」(ちくま新書)

 

パーパスなき求心力・忠誠心を武器にしていた日本企業

近年、流行が広がりつつある「パーパス経営」。これは、社会における企業の究極の存在価値を基軸に経営を進めていこうとする思想ですが、これはもともとはジョブ型雇用を前提とする欧米企業のためにつくられた、極めて合理的な発想に基づいているといえます。つまり、欧米における企業は、その存在意義・目的を実現するために必要なジョブが集まったシステムだと考えられるのであり、企業のパーパスに共感した人材が、その中の1つのジョブ(ポジション)を担当することで、目的に実現に向けた一翼を担うということだからです。つまり、企業のパーパスが明確であれば、その実現に向けたジョブやタスクのコーディネートが容易になり、その実現に情熱を注ぐ人材を獲得し、活用できるということなのです。従業員から見れば、企業のパーパスに共感し、それゆえにそれを実現するためにその会社で働き、担当する職務に注力しているというところがポイントです。パーパスを基点にして経営を進めていくことが理路整然と説明可能なのが欧米企業の仕組みなのです。

 

一方、日本企業の場合は、戦後の高度成長期において、パーパスを基点としてジョブや社員を束ねるというような合理的な考え方に基づいた経営をしなくても、組織の求心力や社員の忠誠心を獲得する仕組みを作り上げたことで世界を席巻することができたのだと考えられます。なぜならば、戦後の日本が作り上げた企業すなわち「会社」は、運命共同体であって大家族のようなものであったからです。これは、いわゆる「メンバーシップ雇用」と「終身雇用」という日本に特殊な雇用形態からも明らかです。メンバーシップ雇用の意味合いは、運命共同体もしくは大家族の一員となることが、入社するという意味であり、いったん入社して会社という共同体の一員になれば、よっぽどのことがないかぎり追い出されることがないというものです。入社や入社後に職務を限定しない理由は、運命共同体のメンバーが、あるいは大家族のみんなが、お互いに助け合って働くことで、一族を繁栄させることを目的とするためです。

 

つまり、日本企業の場合は、運命共同体で大家族的な会社の発展を最優先させるために忠誠心をもって滅私奉公する社員を獲得できるような仕組みが確立していたわけです。少し考えるとわかりますが、一般的には、家族のような集団にパーパス(存在意義)は必要ありません。なぜ家族が存在しているかといえば、そうすることで生きながらえることができるからで、家族のパーパスは何かと問われれば、一族子孫が繁栄することだと言えましょう。もちろん、崇高な家訓をもった格式高い家族もあるでしょうが、一般的にはそうではありません。家族がさらに集まった農村や集落でも、運命共同体であることは変わりませんから、みなで力を合わせ、協力しあい、役割分担しながら農村や集落の維持と発展を支えることが最優先です。日本の会社はそのような運命共同体の代替でもあったので、辞令一本でいろんなところに行き、部署や担当職務が変わってもそれに没頭し、会社が苦しいときには歯を食いしばって乗り切ろうとする、忠誠心の高い社員を有する競争力のある組織になれたわけです。

 

企業の存在意義といったようなパーパスを意識しなくて求心力・忠誠心を武器にすることができた日本企業は、戦後のアメリカに追いつけ追い越せといったように国をあげた目標が明確であった時代、良いものを安くといったようにやることが明確であった場合には物凄い威力を発揮できました。モーレツ社員が滅私奉公で働きまくる日本企業の経営は、そもそも企業が運命共同体的ではない欧米企業に真似できるはずもなく、脅威以外の何物でもなかったでしょう。しかし、過去のようなクリアな国家戦略や目標がなくなった現代において、各企業が自社の存在意義であるパーパスを意識した経営が必要だと叫ばれるようになってきていることは周知のとおりです。しかし、日本企業の特徴を考えた場合、経営におけるパーパスの役割について、欧米企業と日本企業ではロジックの順序が逆になってしまい兼ねないところには注意が必要です。どういうことかというと、欧米のパーパス経営のロジックが「社会から必要とされる存在意義を果たすことで会社が発展できる」と考えるのに対し、日本企業のロジックは「会社が発展していくために、社会が必要とするものを提供していこう」と考えがちな点です。

 

なぜならば、運命共同体では、その共同体が存続し繁栄することが何よりも優先されるからです。運命共同体的なロジックに従うならば、社会が必要する究極の存在意義があるから企業が存在するのではなく、社員やその家族がお互いに助け合いながら生活していくために必要だから会社が存在するのです。ですから、日本企業の多くは、社員が働く目的が、会社の発展と、それに伴う家族の幸せというように、会社と家族がつながり、会社が社員の家族の面倒も(間接的に)見るという責任感も芽生えてきました。ですから、パーパスなどを意識しなくても、社員は当たり前のように忠誠心をもって会社に尽くすことが可能で、会社の発展のためであるならば何でもやってやろうとさえ思えたことでしょう。ですから、会社が繁栄できるのであれば、パーパスなどは脇においていろんな事業に手を出すことも起こりうるわけですし、時代の変化に応じて賢く業態を変えながら、アメーバのようにしぶとく生き残るということも可能なのでしょう。

 

欧米の企業には、日本のように会社を運命共同体とか大家族のイメージで捉えることは基本的にはありません。ですから、日本のようにパーパスなき求心力や従業員からの忠誠心など望めるはずもなく、企業で働く従業員の間でパーパスが意識されていなければバラバラになってしまう危険性があるわけです。伝統的には、特にアメリカ企業においては、社員を束ね、求心力を維持するために利用されてきたのは、資本の論理に従った株主価値の最大化と、それとリンクした報酬体系でした。つまり、企業が株主価値の最大化に資する利益を挙げられるかどうかがポイントであり、その利益に貢献できる人材が職務給や成果主義の形で報酬を受け取るというものでした。良かれ悪かれ企業と社員は金銭もしくは経済的交換関係で結びついており、CFOを筆頭としたファイナンスの機能がいかに重要だったかがわかります。しかし、環境破壊や不平等社会などにつながる資本主義の限界や株主至上主義への懐疑が、企業の究極の存在価値に立ち返ろうとするパーパス経営への回帰を招いたわけです。

 

では、日本企業は、これからもパーパスなき求心力・忠誠心を武器とした経営をしていけばよいのでしょうか。おそらくそうはいきません。まず、日本の会社というものが、戦争で荒廃した農村共同体や、仕事を求めて都会に流れ込んできた若者に変わって共同体を提供するという役割を果たしていたことから派生していることを忘れてはなりません。当時は時代からの要請や人々のニーズがあったからこそなのですが、もはや時代は変わり、今の人々が同じようなニーズやメンタリティを持っているわけではありません。また、グローバル化の進展や、ダイバーシティインクルージョンの重要性はますます高まっており、日本の会社であっても、同じ時代背景を共有しない多様なバックグラウンドの人々を包摂していかなければ会社は業務を行っていくことはできないでしょう。ですからこれからは、メンバーシップ雇用や終身雇用に映し出されているような運命共同体としての会社、大家族としての会社はだんだんと衰退し、日本特有のというよりは、世界である程度共通性をもった、あるいは標準化された、働き方や組織のあり方が求められていくのだと思われます。

 

内部労働市場型ジョブ型雇用とは何か

ここ数年、「ジョブ型雇用」という言葉が流行しています。過去の「成果主義」や「コンピテンシー」「グローバル人材」などの言葉が流行した時の例を見ればわかるように、数年後にはこの言葉を声高に叫ぶ人は減っていくことが予想されます。それに加え、最近では「人的資本経営」という謎の言葉も流通するようになりました。今までの経営は人的資本経営ではなかったのかと言いたくなりますが、それはさておき、今回紹介するのは、多くの日本企業が導入しようとしていると考えられる「内部労働市場型ジョブ型雇用」についてです。別の言い方をすると、「メンバーシップ型ジョブ型雇用」ということになり、中国が自国の経済を社会主義市場経済と謳っていたように、一見すると相対立する概念を並立している点で、アジア的な発想に基づく施策だといえます。

 

内部労働市場型ジョブ型雇用、もしくはメンバーシップ型ジョブ型雇用を理解する上でのポイントは、ジョブ型雇用の本質が、ジョブと人材が労働市場を通じてマッチングされるという点にあることです。余った人の処遇のために意味のない職位とか資格が創造されるということはありません。あくまで企業は利益を出して目的を実現するためにジョブを設計する。ジョブの重要性に応じて報酬が決まる。その報酬を支払うに値する能力を持った人材が、労働市場を通じて雇用される。これがジョブ型雇用の本質です。ジョブが本人の能力やニーズとミスマッチしている場合は、本人はそのジョブを辞め、もう一度労働市場に転出して新たなマッチング機会により別のジョブを見つけます。一般的にいうと転職です。もちろん、社内のジョブにより適切なものがあれば、社内転職になりますし、一般的な言い方だと昇進とか降格とか異動いうことになるでしょう。

 

しかし、いま日本でジョブ型雇用を導入すべきだという人たちや、導入すると明言している企業の多くは、上記のようなホンモノのジョブ型雇用を導入すべきだと言っているわけではありません。では、どのようなジョブ型雇用を導入しようとしているのか。それは、企業内部に労働市場を作って、その労働市場でジョブと人材のマッチングを行うという方式だと思われます。これを「内部労働市場型ジョブ型雇用」と呼びます。別の言い方をすれば、新卒採用などで獲得した人材にメンバーシップを授与することで企業内の労働市場に参加する権利を与え、企業内の労働市場においてマッチングを行っていくのです。内部労働市場に参加できるのはメンバーシップを有する社員のみ、もしくは中途採用で新たにメンバーシップを与えられた外部からの参加者のみなので、これをメンバーシップ型ジョブ型雇用とも呼ぶのです。

 

内部労働市場型ジョブ型雇用では、企業の人事部が企業全体を見渡しながら予定調和が実現するように働きかけます。例えば、内部労働市場で人材が社内失業者にならないよう調整したり、場合によっては抜擢人事や人材の引き抜きなどで強権発動します。伝統的な日本企業の人事部は、企業内でも見晴らしのよいところに陣取って社内の人事情報を集約し、人材の最適配置を行う司令塔のような役割を担ってきましたから、日本企業の人事制度が古典的な経済学でいうところの自由市場によって「見えざる手」でジョブと人材がマッチングされるような仕組みであったわけではありません。これは、社会主義市場経済に例えるならば、人材マネジメントの計画経済といった感じでしょう。

 

つまり、企業の内部労働市場では、ピュアな労働市場もしくは外部労働市場のように人材を野放しにして見えざる手でジョブとのマッチングを促進しようとするのではなく、内部労働市場を監視し、無節操な競争はさせません。希少な人材の奪い合いが市場で起こってその人物の報酬が高騰してしまうようなことも許さない。とりわけ新卒採用で入社した新しいメンバーに対しては、会社が、もしくは人事部が、計画経済的に、場合によっては本人と話し合って、本人のキャリアパスをある程度計画し、その計画にしたがってジョブをあてがっていく。そして、計画通り社員が一人前に育ち、ある程度自律的かつ主体的に自分のキャリアを選び取ることができるようになった段階で、内部市場経済に移行し、ジョブと人材とのマッチングすなわち適材適所が内部労働市場でおこなわれるのです。これは職位でいったら課長とか部長といった管理職や、特定の分野の専門職のレベルからだといえましょう。

 

今までの新卒一括採用とジョブローテーションによる人材育成と何が違うのか、昔、職能資格制度を導入する際に様々な職能要件が作文され、これがコンピテンシーに変わりコンピテンシーディクショナリーの作文が始まったように、今度の内部市場型ジョブ型雇用ではジョブグレードやら職務要件という別の作文作業が始まっただけではないのか、という疑問を持つ人がいるかもしれません。強調すべきことは、ジョブ型雇用については、報酬すなわち価格は人にではなくジョブに紐付いているということです。若いうちに担当するジョブは、それほど重要度に大きな差がないから、どのようなジョブにありつこうが価格すなわち報酬はあまり変わらない。だから、頻繁にジョブ・ローテーションを行っても、若い人たちの報酬が上下して不安定になることはありません。しかし、職位が上がってくると、企業の業績とも直結する重要なジョブからそうでないジョブまで、ジョブの値段、それと紐づく報酬の格差も大きくなってくるから、職位でいうと管理職レベル以上から、それなりに報酬格差が生まれてくることになるのです。

 

大企業病を打ち破る「複雑系リーダーシップ」2

前回のエントリーで、企業は創業期には生物のような野生の勘や生命力をもって探索、学習、成長、変化、進化を志向していたはずなのに、いつしか、機械のように安定、管理、秩序、持続、保守、現状維持を志向するようになり、それが大企業病につながることを指摘しました。これはある意味、組織が成長して成熟し、老化し、やがて死に至るというライフサイクルの視点からも自然なプロセスかもしれないのですが、両利きの経営を提唱する論者は、企業が長期的に繁栄し続けるためには攻めと守りの二刀流が必要だと主張し、それを言い換えるならば、長期に反映する組織は、生物のような生命力、創造力、変化力と、機械のような安定性や秩序の両方の特徴を兼ねそろえていることが必要だということを指摘しました。そして、それを実現するために必要なのが、組織内に複雑系の場を生成させる「複雑系リーダーシップ」だと論じました。今回は、この複雑系リーダーシップの理解を深めていきましょう。

 

Uhl-Bienら(Uhl-Bien & Marion, 2009; Uhl-Bien & Arena, 2017)は、組織マネジメントのためのリーダーシップを3つに分類します。1人が3役をこなす場合もあれば、別々のリーダーが別々の役割を担うという場合もあります。1つ目は、オペレーション型リーダーシップで、これは守りのリーダーシップです。組織の公式構造を用いて安定的なアウトプットが出せるように管理するようなリーダーシップです。2つ目は、アントレプレナー型リーダーシップで、これは創業時のように創造性を発揮して新しい試みを次々と実験してイノベーションにつなげようとするリーダーシップです。この2つのリーダーシップは特徴としてはある意味両極端なのですが、この間のインターフェースを果たす3つ目のリーダーシップがあり、Uhl-Bienらは、イネーブラー型リーダーシップと命名しました。これが複雑系リーダーシップの中核的な要素で、組織内に複雑系の場を生み出し、そこからの創発を促すようなリーダーシップです。今回は、この3つ目のイネーブラー型リーダーシップに焦点を当てようと思います。

 

組織内に複雑系の場を生み出すイネーブラー型リーダーに求められるのは、まずもって複雑系思考力、すなわち、複雑系の特徴をよく理解し、それをマネジメントに応用できる思考力を有していることです。複雑系の特徴をよく理解しているからこそ、組織内に複雑系の場を醸成させて自己組織化を促し、複雑系の場にエネルギーを注入し、メンバーの相互作用から自然と湧き上がってくる創発の種を把握し、それをうまく大きくしていくといった、場のダイナミクスを読みながら創発の兆候を感じ取り、良い創発の増幅を助長するといったマネジメントが可能になります。次に、複雑系の場に近いものは組織内に多少なりとも自然発生しているはずなのですが、とりわけ大企業病に冒されていて組織内に複雑系の場そのものが消滅してしまっている場合には、その場をゼロから作り上げる能力が必要です。複雑系の場を作るためには、メンバー同士のインフォーマルなネットワークを構築することが大切です。そして、メンバー同士をつなぎ合わせたり、仲介したりするブローカーにリーダー自身がなると同時に、そのようなブローカーを発掘して支援することも必要でしょう。

 

イネーブラー型リーダーは、組織内のインフォーマルなメンバー間のネットワークが複雑系としての場を形成し、それが自己組織化や創発を生み出すことを理解していますが、さらに、そのような場を活性化させるためのエネルギー注入を行う能力が必要です。複雑系の場においてメンバー同士が持続的かつ積極的に相互交流、相互作用を行い、十分な情報が場に流れることで次々と創発現象が現れるよう、カタリストとしての役割を担うことが大切です。複雑系の場を活性化させるために揺さぶりをかけるようなスキルも求められます。例えば、異なるタイプのメンバー間のコンフリクトをあえて誘発したりすることで、混沌と秩序の中間のような状態を生み出します。これが一つの場のエネルギーになっていきます。違いに着目させることでコンフリクトを誘発するだけでなく、両者の共通点にも着目させてつなぎあわせるスキルも必要です。また、変化を促すための圧力をかけることも必要でしょう。

 

複雑系の場のマネジメントでは、インフォーマルなネットワークでつながったメンバー同士が継続的かつ積極的に相互作用を行うよう促し、違いと共通点の両方を強調することで秩序と無秩序の間のような状態を生み出したり、自然と湧き上がってくる創発性を感じつつもそれを増幅させようとしたり、メンバーに自由に動いてもらいつつも、場全体をうまく操るといったように、一見すると相矛盾する逆説的な行動を行うことが必要になってきます。これは、場に揺さぶりをかけることでエネルギーを生み出すために必要なことです。また、重要なことは、創業時のようなエネルギーに溢れたアントレプレナー型リーダーシップによる触発をうまく複雑系の場に持ち込みつつも、複雑系の場で生まれてくる創造性やイノベーションの種をうまくオペレーション型リーダーにリレーすることで事業としての形を作っていくように、アントレプレナー型リーダーとオペレーション型リーダーの両方を理解し、両方ともうまく付き合える、あるいは自分自身が状況に応じてそのような役割を担うということも求められます。

 

このように、複雑系リーダーシップの中核的な役割を担うイネーブラー型リーダーシップは、これまでのリーダーシップ理論ではあまり脚光を浴びてこなかったにもかかわらず、重要なリーダーシップであることが分かると思います。とりわけパラドクシカルな思考や行動が求められる分、難易度も高いのですが、大企業病を打ち破って両利きの経営を実現するためには欠かせないリーダーシップだと言えましょう。

参考文献

Uhl-Bien, M., & Marion, R. (2009). Complexity leadership in bureaucratic forms of organizing: A meso model. The Leadership Quarterly, 20(4), 631-650.

 

Uhl-Bien, M., & Arena, M. (2017). Complexity leadership: enabling people and organizations for adaptability. Organizational dynamics.