論語から学ぶ日本的組織経営

日本の組織経営は世界から見てもユニークな点が多くあります。そして、それが戦後の日本の高度成長を支えてきたともいえるし、その後の失われた30年といった低空飛行の原因となっているともいえましょう。それに関して守屋(2020)は、日本においては、論語をはじめとする儒教が、日本の人々の無意識の価値観に影響を与えていると指摘します。それは、日本の教育や産業界の実践が儒教の影響を受けているので、そこで育った人々は必然的に儒教的な価値観を当たり前だと思うようになるからです。守屋が著書において詳細に説明する儒教的な日本の無意識の価値観は以下の10項目に集約可能です。

  1. 年齢や年次による上下や序列のある関係や組織を当たり前だと思う
  2. 生まれつきの能力に差はない、努力やそれを支える精神力で差はつく
  3. 性善説で人や物事を考える
  4. 秩序やルールは自分たちで作るものというより、上から与えられるもの
  5. 社長らしさ、課長らしさ、学生らしさ、先生らしさ、裁判官らしさなど、与えられた役割に即した「らしさ」や「分(役割分担と責任)」を果たすのが何よりいいこと
  6. ホンネとタテマエを使い分けるのを当たり前と思う
  7. 理想の組織を「家族」との類推で考えやすい
  8. 組織や集団内で、下の立場の「義務」や「努力」が強調されやすい
  9. 教育の基本は「人格教育」
  10. 男尊女卑

まず、上記の10項目がどのように日本の教育に影響を与えてきたかを見てみましょう。守屋がしているように対応させて説明するならば、日本の教育では、①年次による先輩・後輩関係が当たり前、②できないのは努力が足りないからだと考える指導(努力・精神主義)、③子供は基本的にいい子というタテマエ(性善説)、④学校が一方的に決めた校則をとにかく生徒は守らされる、⑤学生らしさ、先生らしさ、校長らしさなどが求められる、⑥生徒の個性化はタテマエで、集団指導に頼る、⑦先生がお父さん・お母さんで、生徒が子供たち、⑧現場の教員に対する過剰な負担の押し付けを当然視する、⑨日本の学校教育は「徳育」を担うことが大きな柱、⑩女性管理職、特に女性校長の比率の低さ、となります。さらに、教育の大前提として、②の努力・精神主義に加え、⑪集団の帰属重視、集団の教育力を活かす、⑫「気持ちを考える」ことこそ人格教育の基本、という価値観があることを守屋は指摘します。

 

そして、日本の教育を受けた人々が学校を卒業すると同時に間髪入れず入社する会社という組織、大きく言えば日本の産業界においても、上記に挙げた10+2の項目に対応する形で儒教的な価値観を整理することができると守屋は言います。それが以下の13項目です。

  1. 年功序列(①上下や序列関係が当たり前)
  2. 社員は全員、社長ないしは役員候補(②生まれつきの差はない)
  3. 残業や異動を断らないのが出世の基本(②努力・精神主義
  4. 不祥事の温床となるチェックの甘い体制(③性善説
  5. 社員がどう働くかは、基本的に会社が決める(④受け身の秩序・ルール)
  6. 社長らしさ、課長らしさ、新人らしさが求められる(⑤らしさと分のしばり)
  7. 会議でホンネを言わず、飲み会でこぼす(⑥ホンネとタテマエ)
  8. 社長がお父さんで、社員が子供たち(⑦家族主義)
  9. アルバイトや契約社員にまで過剰な責任と労働(⑧下の義務偏重)
  10. 仕事は修行の場で、人は仕事で磨かれる(⑨人格教育)
  11. 男女の賃金・待遇差別(⑩男尊女卑)
  12. 職場やチームのなかで、新人は育まれる(⑪集団指導)
  13. 空気を読んだり、忖度のうまい人間が出世しやすい(⑫気持ち主義)

そもそも儒教は、「秩序の維持や安定」を実現するために政治利用されてきた思想でもあります。ですから、「序列を重んじる」「親や上司、先輩のいうことを聞く」「空気には逆らわない」といった価値観の縛りが強まれば、「そのまま何もせず流されるのが最適な行動」となることを守屋は指摘します。そこに家族主義的な要素である濃密な人間関係、助け合い、育み合いが入ってくると、組織内の結びつきや人間関係を深める一方で、身内の悪事や失態、時代遅れの事項への処理のしずらさを生んでしまうというのです。また、企業が流行に乗じて経営理念やパーパス、ダイバーシティを高らかに謳ったとしても、それはあくまでタテマエであり、ホンネでは過去の誰かから与えられたものとしての古いやり方や慣習を変えられず、なんとなく維持しつづけているというようなことになるわけです。

 

例えば、守屋によれば、アメリカの社会では、「個」が重視されるがあまり、人々は「自分は何者なのか」というアイデンティティを常に考えなければなりません。ですから、会社の理念やパーパスが重要で、それと照らし合わせることで、自分のアイデンティティと整合性があって納得して働くことができる会社を見つけます。それが実現するまで何度か転職することも容認されます。一方、日本では、与えられた環境や組織に適応することが重視されるので、会社の理念やパーパスが掲げられていても、それはお飾りに過ぎないと守屋は言います。「自分は何者なのか」ということを考えない者同士がなんとなく結びついて「和」や「同」を作り、次々と上から与えられる役割や地位を果たしていきながら、定年までなだれ込むというのが、最近までの日本企業の姿だったというわけです。

 

そして、理想の組織を家族との類推で考えやすい儒教では、組織や集団を長期にわたって維持していくために、親が子を持ち、その子が親になり、また子を持ち、その子も親になって、、、という家族関係と対応する形で、組織においても、上司が部下を持ち、その部下がやがて上司になって部下を持ち、その部下も、、、といった連鎖を内部でうまく成り立たせることで、前の世代から伝えられてきた良き制度や文化、しきたりを、未来の世代へとうまく受け渡していくことが安定した秩序維持の基盤だと考えます。これが、受け渡しの順番や育む/育まれる関係としての「序列や上下関係」、自分の子や部下、後輩を、過去の遺産を引き継ぐ人材に育てていくという「伝統に価値を置く姿勢」につながっているというのです。日本の会社において、先輩は後輩をOJTを通して育てていくのが当たり前という風土はそこからきています。部下や後輩を育てることで上司や先輩も育つので、お互いに育み合いながら組織としての総合力を高めていくというのが日本の組織の強さでもあったことを守屋は示唆するのです。

 

では、上記のような特徴は日本の社会や会社にだけ当てはまることなのでしょうか。お隣の中国や韓国ではどうなのでしょうか。これについては、古代の思想としての論語を受け継いだ儒教の価値観は、日本のみならず儒教文化圏といわれる中国や韓国にも共有されているものもあるわけですが、こうした価値観自体の有無や比重の置き方、そこからの発展のさせ方、他の思想との関係(日本でいえば神道や仏教)、地理や風土の影響などを受けて、日中韓の違いは生まれてきたと守屋は指摘します。

文献

守屋淳 2020「『論語』がわかれば日本がわかる」(ちくま新書)