マズローの欲求階層説が逆ピラミッドになるケース

マズローの欲求階層説といえば、モチベーションの分野の中では一般的に最も知られている欲求モデルだといえましょう。マズローのモデルでは、欲求階層がピラミッド型をしており、最も動物的な欲求から最も人間的な欲求へと欲求が昇華していく様子を示します。ピラミッドの底辺にあってもっとも低次な欲求だと考えられているのが、生理的欲求で、例えば生活を維持していくためのお金などへの欲求がここに属します。これが満たされると次の欲求として、安全欲求が生じます。これも満たされると、社会的欲求が生じ、さらに尊厳欲求となり、そしてピラミッドの頂点に位置するのが、自己実現欲求です。


マズローのモデルは分かりやすいのですが、常に批判の対象となるのが「低次の欲求が満たされて初めて次段階の欲求が生じる」という仮定です。この仮定によれば、自己実現欲求は最も高次な欲求ですから、下位のあらゆる欲求が満たされてはじめて生じるものだと解釈することになるわけです。これに対し、コトラー・カルタジャヤ・セティアワン(2010)は、逆さまのピラミッドが当てはまるケースがあることを示唆します。つまり、もっとも底辺に自己実現欲求が位置しており、生理的欲求や安全欲求よりも優先して自己実現欲求が芽生えるというケースです。


それは「クリエイティブな人々」だとコトラーらは言います。例えば、科学者やアーティストは、往々にして物質的充足を捨てて自己実現を追求し、お金で買えるものを超越した何かを手に入れようとするといいます。それは、意味や幸福や悟りといったもので、物質的充足はたいてい最後にくるものだと指摘するのです。あくまで物質的充足は、自分が自己実現の一環として達成した成果に対する見返りだということになります。


確かに、世に名声を残した芸術家や文学者が、生前にはとても貧しい生活をしていたりするような話がよくあります。彼らはその才能からすれば、決して物質的豊かさを実現させる能力に欠けていたとは言い難い場合でも、そんなことを投げ打って、自分の理想を追い求めていたのでしょう。したがって、マズローの欲求階層ピラミッドは絶対的なものではなく、場合によっては自己実現欲求から始まる逆ピラミッドであることもあるのだという意識を持つのがよいかもしれません。