自分と組織との「適度な距離感」を保つ方法

日本の企業では「辞令1本でどこにでも行く」というような正社員としての働き方が従来から多くなされてきました。会社に自分自身を完全に一体化させ会社に忠誠を尽くす生き方・働き方が肯定されてきたのかもしれません。しかし近年では、私たちが会社などで働くうえで、自分と組織とに適度な距離感を持つことの重要性が高まっていると考えられます。「適度な距離感」とは、付かず離れずの関係といいましょうか、組織にべったりと依存しすぎることなく、かといって、組織から遠ざかりすぎて浮いてしまっている状態になるわけでもないというような関係だといえるでしょう。とりわけ、組織にべったりと依存しすぎ、自立性を失ってしまうような状態は「サラリーマン化」もしくは極端な言葉だと「社畜化」と言えるかもしれません。


では、人々はどうやって、組織や職業集団との適度な距離感を保とうとするのでしょうか。Kreiner, Hollensbe & Sheep (2006)は、組織へのアイデンティフィケーション(組織への同一化)を鍵概念として、このような問いに答えるようなモデルを神父・司祭を職業とする人々に対する探索的な実証研究の結果に基づいて構築しました。Kreinerらのモデルは、個人が、組織や職業集団への適度な同一化を実現して維持するためのプロセスを、アイデンティティ・ワーク(identity work)と呼び、適度なアイデンティフィケーションを実現するためのネゴシエーション(交渉)を伴うと考えます。適度なアイデンティフィケーションが、上記でいう「適度な距離感」と類似した要素を持っていると考えられます。


彼らのモデルの前提は、そもそも私たちのアイデンティティというのは、「他の人と同じでいたい(一体感)」と「他の人とは違っていたい(ユニークさ)」の2つの矛盾する欲望のせめぎあいとして理解できます。つまり、「変人」にはなりたくないが、かといって「集団に埋もれて個性のない人間」にもなりたくないということです。ですから、例えば自分が働いている会社でいえば、会社とある程度は一体感を感じつつも、多少なりとも自立性は維持したいと考えます。例えば「私は○○社の社員だ」というアイデンティティと「私は私以外の何物でもない」というアイデンティティのバランスです。しかし、会社のほうは、自分の会社のカルチャーや職場のカラーに染まるような圧力をかけてくるでしょう。そのほうが社員の行動の秩序がとれ、忠誠心やチームワークが望めるからです。Kreinerらは、こういった組織からの要求をアイデンティティ・デマンド(identity demands)と呼びます。アイデンティティ・デマンドには、「その仕事はあなたにとって天職である(social identity as calling)」という思想や「あなたは組織にとってこうあるべきだ(identity expectation)」という組織からの期待や「こう振る舞わなければならない(strong situation)」といった規範的なものがあります。


アイデンティティ・デマンドは、組織や職業集団が自分個人のアイデンティティに浸透しようとしてくる圧力だと考えることができます。その度合いとしては、個性を没して組織や職業集団に染まるような圧力もあれば、そのような求心力が弱く、本人の自律性や個性を尊重する場合もあるでしょう。それに応じて、個人のアイデンティティについても個人的なものと組織への一体感との「せめぎあい(tention)」が生じるとされます。そこには組織と一体化しすぎて自己を失ってしまうような「過度な同一化(overidentification)」と、組織が個人に対して侵入、侵略してくる感覚である「同一化侵入(identity intrusion)」や、組織や職業集団との関係において不透明であり我を見失ってしまっている状態である「同一化の不透明性(lack of identity transparency)」とがあります。


このような現象に対して、個人が組織や職業集団との適度な同一化を実現するために行う「アイデンティティ・ワーク」の戦術について、Kreinerらは、「差別化(differentiation/segmentation)戦術」「統合化(integration)戦術」「中立(neutral/dual-function)戦術」の3つに分類します。差別化戦術は、自分と組織(職業集団)とをできるだけ切り離そうとする戦術で、組織や仕事での役割を自分のアイデンティティとは切り離す、組織や職業上の期待にはすべて添うことができないと割り切る、プライベートと仕事において優先順位をつける、組織や職業アイデンティティに染まらないように逃避する、個人としての自分と組織メンバーとしての自分を切り替える、などの方法があります。


統合化戦術には、組織や職業上の役割を自分自身のアイデンティティに同化していく、自分自身を組織や職業集団に溶け込ませていく、自分自身を、組織や職業集団、もしくはイデオロギーの象徴として見るなどの方法があります。中立戦略には、自分を見失わないようリフレッシュしたり自分の大切な部分を確認する、家族や友人、同僚などを自分のアイデンティティ・ワークに巻き込む、精神性(スピリチュアリティ)のマスターに問うてみる、などの方法があります。中立戦略は、差別化も統合化もどちらも可能にする戦術です。以上挙げた具体的戦術は、Kreimerらが実証研究によって見出したものです。


これらの分類に基づき、Kreimerらは、組織や職業集団からのアイデンティティ要求(identity demands)が強く、組織・職業集団への同一化圧力が強いような状況、もしくは、自分自身が組織に同一化しすぎている(overidenfication)状態においては、組織と個人の距離感が近すぎるため、適度な距離感(同一化)を実現するためには、差別化戦術が用いるだろうと予測します。一方、組織や職業からのアイデンティティ要求が個人主義、個人志向で、組織や職業集団への同一化圧力が弱い状況、もしくは、自分自身のアイデンティティが強すぎて組織から浮いているような状態では、統合型戦術が用いられるだろうと予測します。要するに、人々は、組織や職業からの同一化要求や、自分自身の同一化の度合いに応じて、組織や職業集団との適度な距離感、同一化を実現するための戦術を行う存在であるとKreimerらは考え、そのプロセスをモデル化したのです。

文献

Kreiner, G. E., Hollensbe, E. C., & Sheep, M. L. (2006). Where is the" me" among the" we"? Identity work and the search for optimal balance. Academy of Management Journal, 49(5), 1031-1057.