明治維新のリーダーシップと柔構造組織

リーダーシップや組織を語る上でしばしば議論になるのは、日本の強みを生かしたリーダーシップや組織とは何かという視点です。確かに、個が強い欧米の「肉食系」のリーダーシップに脚光が当たりがちな反面、日本のリーダーシップや組織が軟弱に見えますが、日本は歴史的にも大きな転換・変革を実現させてきた時代があり、そこには優れたリーダーシップや、それを支える組織が存在していたと思われます。そこで、今回は、幕末維新期の社会変容において見られたリーダーシップや社会構造について論じた板野・大野(2010)を参考にそれを考えて見ましょう。


板野・大野は、歴史的に見ると、日本は数々の外来ショックにうまく対応し、それらを自らの変革と成長のために積極的に利用してきたのだといいます。この過程を2000年ほど経験してきたがゆえの潜在的対応力によって、幕末の欧米からの衝撃から明治維新という偉業を達成したというわけです。つまり、日本社会は、元来持っている特徴を決して捨て去ることなく、外的要素の吸収と内的展開を幾度となく繰り返しながら、累積的かつ重層的な社会構造を作り上げてきたのだというのです。


これによって形成された日本人の精神構造は、たまねぎのような重層構造をなしており、古い要素と新しい要素が柔軟に共存し、状況に応じてその中の異なる部分が表面化してくるものだと板野・大野はいいます。中国と比較してみるとその特徴がより鮮明になります。中国人の精神構造は硬い玉のごとくであり、それを取り替えるためには古い玉を爆破して別の玉に置き換える(これを革命と呼ぶ)というイメージです。日本人は、互いに矛盾を起こしかねない雑多な要素を平気で取り込み、目的に応じて適宜取り出すという芸当ができる。これをよくいえば柔軟性、包容力、プラグマティズムで、悪く言えば、原理の欠如、節操のなさ、雑種性であるというわけです。日本人は情緒や経験は豊富だが論理一貫した思考伝統がない。ある意味いいかげんな生き方だと板野・大野は指摘するのです。


また、板野・大野は、日本社会の変化の特徴は能動的な「翻訳的適応」だと論じます。例えば明治維新では、欧米が主導する国際システムに受動的に組み込まれるのではなく、西洋文明を従来の日本の世界観のなかで読み換えて理解し、既存の制度をずらしながらも維持し、それらに対応してきたといいます。つまり、日本は、外的刺激を自らの成長のために最大限利用するのに長けていたのです。この結果、過去の日本と現在の日本はまったく異なる外見を呈するにもかかわらず、民族的アイデンティティが失われることはなかったというわけです。翻訳的適応過程そのものが日本人の性格の中心部分であるともいえるのでしょう。


明治維新のリーダーシップの特徴は、「柔構造」であると板野・大野はいいます。例えばシンガポール、韓国、台湾のようにトップダウンの「開発独裁」ではなく、1人のカリスマ的なリーダーがいるわけでもありませんでした。むしろ、複数の指導者が合従連携し、複数の国家目標が並存し、かつそれらの優先順位が柔軟に変更され、指導者も柔軟に交替してきたというのです。さらに、指導者の柔構造は国民の柔構造によって支えられていたという説も紹介しています。要するに、柔構造的な指導部が柔構造的な国民を率いるシステムであったというわけです。


このように考えると、ぐにゃぐにゃしていて得体が知れないが、柔であるがゆえに強いというのが日本が長い歴史の中で培ってきた特徴なのかもしれません。